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Cherryさんの「心の物語とハンドメイド日記」を偶然見つけ、拝読し始めたら、止まらなくなりました古史古伝にご興味がおありなことや、日本のお国に対する想いや感性に大共感✨️日本の神々様のお人形も作っていらして~✨️そうしたら、なんと、今日は、スサノオさまのお人形が✨️頭の上にクシイナダ姫の櫛を乗せた、凛々しくかっこいいスサノオさまです~✨️✨️
信仰心ってなんなんだろうか?と疑問がわいてくるアタシの信仰心はこの人たちとは違う明らかに違うただただ日本の神様でい続けてほしいと思ってるどこから来たとか歴史とかそんなことはどうでもいい神様が日本にいてくれたらそれでいい日本の神様でいてくれたらいいアタシの信仰心は至って単純だからこの人達とは全く違うこういう動画見るとこの人達のような人達が行く神社には行かんとこうと思うなんかイロイロとズレてる気がする神社に面白さや浪漫なんて求めたことないただ神様がいてくれたらそれでいい
見るなって見るに決まっとるやんww真ん中で多様にものを見るために両者の意見を聞くのは今の時代では当たり前リテラシーがおかしくなるようなタイトルはいかがと?片方しか見ないから思想が偏る変な方向に行こうとするなら止めようと試みるのは当然商売の邪魔になる?ならメンバー配信にするなり細々と集客すれば良いかと?男神女神と男性神女性神は別と言われてましたよ?そういう解釈もあるのかと意外にも納得しましたお名前を出すとご迷惑になるかもなので出しませんが大学の非常勤講師の方です男性神女
神道を語る動画を散々観まくって神社紹介とかの動画も観まくった古事記や日本書紀の解釈動画も観まくった日ユ同祖や童謡やらの解釈動画も観まくっただけどね、結局これらって軸となるもの…古文書の解釈動画でしかなく神様の声とかではない軸になる文書により解釈されてるだけだから全てに偏ってんのよ神の声が聞こえてるわけじゃなく自分の軸がもうそもそも文書に寄ってるから文書に都合のいい言葉しか生み出されないある時はホツマツタヱある時は日月神示ある時は竹内文書ある時は宮下文書ある時はカタ
『特攻隊とスピリチュアル』朝から上がってきた動画に呆れるこの特攻隊員の生まれ変わりと言う少年はまだ生まれ変わりとして仕事をしてるのかい?親が引率してるのか?元振武隊員の方がこの子の言う…ameblo.jp結局こういうことなんだろうと思ういつの時代もそういう人っているのよ…現代になっていろんな科学が発展したがゆえよくわからないことも検証できるようになっただから古文書の内容にも合わないことが出てくるだけど信じたい層は一定数必ずいて現実を突きつけても上書きしようとはしないし無理矢理
小野龍海’s歴史塾このホームページでは歴史研究の成果を資料化して公表しています。ono-no-tatsumi.amebaownd.com今回も脱線しますが、今回は金子裕之著『木簡は語る歴史発掘⑫』の内容について言及したいと思います、タイトルの通り考古学的な情報に由来する本なので、学会の共通認識である「神代文字は無い」とする考えを随所に感じられる書き方だったのは残念なのですが、そんなウソをいつまで吐き続けるのかという提言も含めて紹介したいと思います。この本は1996年
『暑気払いじゃ!』おい、上野に行くぞ!はぁ…えっ?Σ(´Д`)いや、このクソ暑い🥵のに80近い年寄りが昼間に外出たらアカンでしょ❗溶けてなくなるんでぇ💥オレがそっち行きますわ…ameblo.jp元社長にもらった👆『東日流外三郡誌』(つがるそとさんぐんし)は古史古伝だ!古史古伝とは、日本では正史とされている『日本書記』や『古事記』とは異なる歴史について書かれた文献、だとされている。有名どころだと『竹内文書』、『宮下文書』『九鬼文書』などがある。古代
買ったはいいけどほとんど読んでない気がする月刊ムー2冊。一応とっといたのですがそのうちの1冊2011年10月の特集幻の富士王朝と古史古伝「宮下文書」の謎文書の一部写真あるので見てみますと旧字ではないのもあり文字の書き方が新しい。※青い文字は記事から抜粋です誤字脱字あったらごめんなさい。文書の末尾に「秦國人除之徐福」が記し、「山宮二所明神大社大宮司宮下源太夫義仁」が「写し書き置」いたとする奥付が見える。富士山噴火や川の氾濫でピ
ホツマツタヱってやっぱり国常立尊の教えが詰まった古史古伝みたいですねなんとなく前回をみてそう思いました簡単にホツマツタヱの世界観が動画にあったので抜粋しますねこの世界の基盤は天御祖神(あめのみおやのかみ)が創造し次に現れた原初の神「国常立尊」が宇宙の真理とも言える「常世の道」というそういう教えを説いて各地を巡っていったこの時、国常立尊が伝えた「常世の道」というのは人の世が末長く続くために必要な神々の叡智であり機織りや農業といった衣食住に関すること
本【九鬼文書】くかみもんじょホツマツタエと同じ古史古伝の一つ。こちら、中古ではありますが「謎の九鬼文書」を読んでみることとなりました。九鬼の『鬼』を「かみ」と読むのは本当は鬼の字の頭の上の「´」が無くこの字を「神」と呼んだからでした。水軍大名だった九鬼家は江戸時代に丹波の綾部、摂津の三田とに分かれ九鬼文書は綾部の九鬼家が保管されていたようです。気になったのは神話時代の系譜の中で最初に現れる神天之御中主神よりも前の神の名前が沢山でてくることです。「古事記」「日
日本人とエイリアンの謎:その35現代人は昔の言葉を忘れてしまう。昭和初期に使っていた言葉ですら、現代人は意味が分からず、旧字体の漢字も書けない。セムの末裔の古代イスラエル民族も離散を繰り返したことで、いつしか昔の言葉を忘れ、超古代ヘブライ文字も忘れてしまった。が、モーセの教えを忠実に守ってきた一族は、その言葉も文字も忘れなかった。それが祭祀氏族「レビ族」であり、モーセ直系の末裔とモーセの異母兄アロン直系の末裔は神殿祭祀のため、その言葉と文字を守り続けてきた。この大祭司アロン直系の
本【ホツマツタヱ】との出会い数か月前まで、存在を知らなかった古史古伝。ちょっとしたきっかけでこの本を手に取ることになりました。(小さな奇跡集めコーナーで後程ご紹介いたします^^)「古事記」「日本書紀」と違い、偽書扱いとなるのでしょうか。文面は五七調の和歌?で「天(あ)の巻」「地(わ)の巻」「人(や)の巻」の三部の構成でつづられています。原文は神代文字ヲシテで記されているようで到底私には解読できません^^;和歌ですし・・・そこで出会ったのか作者今村聰夫さんの「はじめての
太陽の左に月が居るはず・・・。20代の頃は、「古史古伝」系や、マイナーな宗派の本を読んでいた。まー、読んでいただけで、頭の中には入っておらず、今となっては、記憶も残っていない。単に、情報というか、知識の一つの範疇に留まっていたと思う。本は本の世界。全世紀は、こんな感じ。ここ数年、タブレットでYoutubeを見るようになって、現実とか真実とか、TVで放送されているのは、本当のところ、ちょっと違うんじゃないかと感じることがある。人を先導したり操作したりするのに一斉に放送できる
昔から神社仏閣が好きで、旅行に行くと、その地域の有名な神社仏閣をよく訪れるが、先日河口湖にキャンプに行った時も、周辺の神社巡りをすることにした。過去にもこの地域には訪れたことがあり、大抵の神社には行ったことがあったが、ネットを見ていたら変わった写真が目についた。それは珍しい三柱鳥居で、早速行ってみることにした。山梨県吉田市にある不二阿祖山太神宮というところで、市街地から少し離れた里山の中にあった。階段を登った入り口の神社の由緒書きには、日本最古の神社と書かれていたが、神社は比較的新しく、境
和田家文書の中から、面白いと思ったものを紹介しています。今日は「伊達政宗」についての記述を見つけたのでご紹介します。天正15年(1587年)、世は戦国時代。玉賜・信夫・伊達三郡に君臨する伊達政宗は非常に優れた武将です。家臣の信任に厚く、当時の鎌倉御家人や地元豪族に立ち向かい奥州を制覇しました。優れた家臣団の高い交渉能力によるもので、彼らををまとめ上げたのは政宗でした。秀吉の惣無事令により私戦を禁じられたのが天正15年(1587年)。そして政宗が会津の芦名義弘を討ち取ったのは天正17年(1
暑い日が続きますね☀️☀️☀️先週の宮崎の地震に続いて、台風5号では岩手で川の氾濫もありました。お見舞い申し上げます。そして今また千葉県沖に台風7号が迫っています。最近はいつも日本列島のどこかで災害が起きているような気がします。日本列島どこにいても、ここは安全ということはないようです。そんな中、私は夏の甲子園を横目にこのブログを書いています。青森山田がんばれー和田家文書の中から、面白いと思ったものを紹介しています。平將門の娘・楓姫に託された神像。その中に秘められていた「天皇記・國記」。
2024年8月16日わたしのブログへ訪れていただいて読んでいただいたり「いいね」いただいたりいつもありがとう(*´∀`)♪過日8月11日は奈良橿原の地で演奏会を開催させていただきましたご来場してくださったみなさんそしていつも演奏会場をご提供くださっている方にはあらためて御礼申し上げますね「いつもありがとうございます!」いつも思うんですけどわたしのような「演奏家」において演奏できる場があるってすごく「しあわせ
読み方も解らないまま気になっていました。お読みいただきましてありがとうございます<(__)>スピリチュアルランキングいつも応援ありがとうございます
2024年8月8日いつもわたしのブログへ訪れていただいてありがとう(*´∀`)♪いいねやコメントしてくださるみなさんへ「ありがとう」『「ホツマツタヱ」に記された「あわのうた」をご存知ですか?(*´∀`)♪』2024年8月4日今日もわたしのブログへ訪れていただいてありがとう(*´∀`)♪みなさんは「古事記」「日本書紀」よりも旧い「ホツマツタヱ」とい…ameblo.jp前回このようなブログを記させていただきましたで、わたし「ホツマツタヱ」を紐解く
和田家文書の中から面白いと思ったものを紹介しています。平將門①〜④のつづきです。前回の投稿で、「次回は秋田生保内の楓姫について」とご案内したのですが、「辰子」の間違いでした🙇♀️蘇我蝦夷が国記・天皇記を秘蔵した神像。秘蔵のことを知らずに持っていた平將門。朝廷の坂東への重税に反抗し朝敵となってしまった將門。死を危惧した將門はその神像を側室の辰子に託す。身重の辰子はその神像を携え故郷秋田の生保内へ逃げ延びる。‥という設定で、今回は辰子についての記述をご紹介します。✧・━・✧・━・✧
秋田、山形の豪雨災害の様子には本当に胸が痛みます。被災された皆様の心の平穏と穏やかな日常生活が1日も早く戻りますよう心から願っています。和田家文書の中から面白いと思ったものを紹介しています。前回までの「平將門」の段に出てきた「國記・天皇記」をどうして將門が持っていたのか❓というところで2つの記述を見つけました。和田家文書は膨大な資料なので他にもあるかもしれませんがとりあえずこの2つをご紹介します。✻–✻–✻–✻–✻–✻–✻–✻–✻–✻–✻ひと
和田家文書の中から面白いと思ったものを紹介しています。平將門②のつづきです。━…━…━…━…━…━…━…━…━…━平將門③坂東からことごとく国府を追い出した平將門。思惑のはずれた貞盛は次の手にでます。摂政(天皇に代わり政務を執り行う役職)の藤原忠平(ただひら)に取り入り、坂東追捕史(ばんどうついぶし、軍事官)の官職を得て將門討伐に向かいました。貞盛は早速下野(栃木県)に向かい藤原秀郷(ひでさと)を官軍に加え、4000騎を挙兵したのでした。この頃、氷川神社の荒覇吐神に使える巫女に神が
和田家文書の中から面白いと思ったものを紹介しています。前回のつづきです。━…━…━…━…━…━…━…━…━…━平將門②翌年、平將門が京から戻り坂東の下総に復任すると、上総の良兼は炎の如く怒り再び將門を攻めようとします。しかし仲間となってくれるものは少なく「俺は国の役人だぞ❗️俺の言うことをきけ❗️」といってもその言葉に耳を傾けるものはいませんでした。そこで將門の館に夜襲をかけるのですが備えは固く、良兼と貞盛の軍は敗走しその地を追われてしまうのでした。その後、將門は安倍頻良の妹・辰
和田家文書の中から面白いと思ったものを紹介しています。今回は「平将門」に関する記述です。※原文では分かりにくいと思うので私なりに現代語訳をしています。間違ってる部分もあるかと思いますがどうかご容赦下さい。━…━…━…━…━…━…━…━…━…━平將門①下総国豊田郷。桓武天皇の皇子は自らを平高望(たいらのたかもち)と名乗り、奥州の安倍日本将軍頻良(あべのひのもとしょうぐんよりよし)の勢力を防ぐために坂東(関東)に永住しました。その末裔である太郎國香(くにか)は常陸を、次郎良兼(よ
よっ、お待たせ🤚面白いことに和田家文書には「卑弥呼」も出てきます。あの耶馬台国の女王、卑弥呼。奈良でも筑紫でも阿波でもなく、ナゼ青森に⁉️ビックリですよねそんな卑弥呼に関する和田家文書の中の一部をご紹介します。原文は侍みたいな言葉で分かりにくいので私なりに訳してみますよ。間違ってたらごめんね。∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽延熙巳未元年、筑紫熊襲族が陸奥にやって来た。衣1000反の贈り物をして荒覇吐王168代伊具王と親交をかわした。伊具王も自ら
「大和と日本」の謎:その19縁日やお祭りの日の思い出の風景といえば、寺社仏閣の境内・参道に立ち並ぶ露店である。焼きそば、お好み焼き、ベビーカステラ、チョコバナナ、等々。ちょっと強面のおじさんが調理してて近寄りがたいけど、周囲の喧噪に呑まれてつい買ってしまう。その後、風の噂で、あのおじさんヤクザらしいよと聞いて、幼心は震え上がる。しかし、露天商――テキヤを暴力団と同一視するのは誤りである、と『テキヤの掟祭りを担った文化、組織、慣習』(角川新書)の著者、廣末登氏は力説する。いわ
「大和と日本」の謎:その17富士吉田市大明見にある「不二阿祖山太神宮」(ふじあそやまだいじんぐう)は、かつて富士山で栄えた富士神都に存在したと伝わる神社とされている。主祭神は「元主一太御神様」「国常立太御神様」「天照主日太神様」を祀り、国祖の神または宇宙神といわれる富士山におわす「国常立太御神様」、別名「富士太神」の総本宮だという。前回、偽書の烙印を押されている「宮下文書」(『富士古文献』『徐福文書』)には、かつて、富士山麓には超古代の「富士王朝」があったと記されており、その都に
『東日流外三郡誌』って知ってますか❓『つがるそとさんぐんし』と読みます。江戸時代、安東家の末裔である秋田孝季(たかすえ)が秋田の殿様に「秋田家の歴史を調べて欲しい」と依頼されました。秋田孝季は親戚の和田長三郎(吉次)を伴って日本各地を訪ね歩き、現地に残る伝説を集め文書にまとめました。後に火災などで正本は失われてしまい、和田長三郎のもとにあった副本だけが残りました。和田家の末裔は時の権力者による焚書を免れるため洞窟や屋根裏などにに隠し、他言無用、門外不出として大切に文書を守ってきました
【完全版】ホツマ・カタカムナ・竹内文書・先代旧事本紀エイヴリ・モロー(著)宮﨑貞行(監訳)新たに竹内文書が加わり発売となりました(予約受付中)【完全版】ホツマ・カタカムナ・竹内文書・先代旧事本紀Amazon(アマゾン)どうして極東の島国にこれほど多様な古文献や神代文字が存在しているのか?それが真実でないとするなら、なぜわざわざ捏造したのだろうか?しかもそれぞれが太古のすばらしい社会の叡智を伝えようとしているように見えるのはなぜなのだろうか?本訳