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藤原不比等は、日本最古の法律・大宝律令制定の中心人物です。右大臣として平城京(奈良市)遷都を主導した政治家でもあります。以上、彼が「古代国家ニッポン」を創った男の一人といわれるゆえんです。その不比等は、斉明天皇4年(658)に藤原鎌足(前号で詳述)の次男として生まれました。しかし、彼が史料にその名を現すのは32歳のとき。『日本書紀』によりますと、持統天皇3年(689)2月14日に任命された判事(裁判官)の一人に「藤原朝臣史」の名がみえます。ここか
伊藤さんの記事から。2月19日雨水戊申九紫大安破虚天一天上終り世界一古い歴史を持つ国|夏炉冬扇の長袖者の尉のブログ(ameblo.jp)「日本は世界一古い歴史を持つ国だ」という人が増えているという話。これだけだと、そういう頓珍漢が実際にどういう議論をしているのかわかりませんが。そもそも近代国家の成立で考えたら、イタリアはアメリカ合衆国より「若い国」じゃないかと思うし。今のイタリアの領域にあった国の連続性を以て、ローマ建国まで、現在のイタリア
マウイ島からこんにちは!前の記事で書きましたが、只今、私がうちの犬に読み聞かせている(って書くと、なんだか著者にすっごい失礼に聞こえてスミマセン)ハワイの歴史に関する本から、興味深いお話です。『犬に読み聞かせ♡子供がセラピー犬相手に本を読むと良い練習になる件』マウイ島からこんにちは!昨日、本を読んでいたら、うちの犬が寄り添ってきました。内容がハワイの歴史の本で、読んでいて眠くならないように、声に出し…ameblo.jp本は
通読しただけで内容を記憶するのは無理なので、メモ代わりに記事を書くことにしました。書くことで憶える、という学習方法です。おまえ、過去記事の内容、ほぼ忘れとるやんけ、というツッコミはなしでお願いします。第一章古代の転換期としての十世紀★645年の大化の改新によって、律令制的・古代的国家が確立された。それは12世紀末の鎌倉幕府成立まで続いた。★8世紀3・40年代の天平時代、古代国家は頂点をむかえた。それは同時に、古代社会における矛盾が鮮明にあらわれた時期でもあった
今日は、鬼束ちひろの「REQUIEMANDSILENCE[Disc3]」から、「VENUS」を聞いている。国家の出現について、ジェームズ・C・スコットの「反穀物の人類史(みすず書房)(以下「スコット論文」という)は、以下のようにいう。(f)収奪の基礎となる主食「ほぼすべての古典的国家が雑穀を含めた穀物を基礎としていた」が、「集中的な生産、税額査定、収奪、地籍調査、保存、配給のすべてに適したものは穀物だけだったの」であり、「適切な土壌であれば、コムギは臣民を高密度に集
国の始まりに興味を持っていて、仮説レベルだがまとめてみた。1)部族の成立古代国家が最初にできる過程には、あるパターンがある。いきなり英雄が出て国を統一するわけではなく、まず家族ー>部落ー>部族といった段階を経る。その時大きな役割を果たすのが宗教(神)で、同じ神を信じることでお互いの信頼を得る。2)小さな国の集合こうして徐々に大きなまとまりができるが、部族が大きくなって小さな国を形成する。さらにそれらがまとまるには、その目的が必要で、隣りに大きな勢力ができて、それに対抗する必要があ
皆さん、こんにちは。いつもありがとう。学研プライムゼミのメルマガ2018.5.11号を紹介します。まず表題。上を向く。上を目指す。毎日成長2018.5.11号の目次は以下のとおり。トピックス〔進路指導部員のつぶやき〕先輩から学ぶ〔NEWS〕セット販売開始〔メッセージ〕現役東大生が伝授古代史の学習ポイント〔イベント〕続々と開講学研プライムゼミLIVE〔連載〕From現役東大生M今回は、現役東大生Hくん
古代国家が生まれ、人民一人一人をやさしく見守った縄文の神々は朝鮮半島からの渡来人たちがもちこんだ太陽神、アマテラスオオミカミ、への服従を強制され、その太陽神の後衛と宣言する天皇が国家を統治する権力を得ました。そしてその統治機構を動かす貴族と称する官僚たちが生まれたということは、前回ブログ(12月25日付『弥生時代、戦いと支配の神が持ち込まれた』〈下記URL〉)で紹介したとおりです。https://ameblo.jp/koshioheikuroh/entry-12335711307.html
日本の縄文時代は、紀元前1万5,000年前から紀元前約400年前までであったとされています。当時の地球の気温は今より数度高く(紀元前の地球の気温偏差の推移を書きURLのグラフに示しています)、それは北極と南極の氷を融かし、現代から6,000年ほど前の縄文海進期と呼ばれる頃には、地球の海面は今のそれより5から8メートル高かったと思われます。なぜなら、今それほどの高さにある土地に当時の貝塚跡が多数見つけられているからです。http://www.koshiodatabank.com/101-1-
*「17東大日本史本試Ⅰを考える②」の続きです。*問題は「東大教室(17東大日本史本試Ⅰ問題)」をご覧ください。第1問古代(総合)古代国家と東北解説③■東北支配の意味(設問A)設問Aでは、律令国家にとって、東北支配が「どのような意味を持ったか」が問われている。何のために(何を意図して)大規模な軍事力の行使をともなう東北政策が長期にわたって展開されたのかという観点から、与えられた文章を読み解いていけばよい。最大のポイントは、文章(4)を活用すること。その重
*「17東大日本史本試Ⅰを考える①」の続きです。*問題は「東大教室(17東大日本史本試Ⅰ問題)」をご覧ください。第1問古代(総合)古代国家と東北解説②■付加的説明文章(2)~(4)(2)「律令国家が東北支配の諸政策を進める中、東国は……農民の東北への移住➊などで大きな影響を受け続けた。他の諸国にも……帰順した蝦夷➋の移住受入れなどが課され……」とある。➊は柵戸(さくこ)と呼ばれる開拓民のこと。辺境経営のために設けられた各地の城柵の防衛を兼ねて移住させら
*問題は「東大教室(17東大日本史本試Ⅰ問題)」をご覧ください。第1問古代(総合)古代国家と東北解説①「古代国家と東北」をテーマにした問題。前提として、律令国家が形成した「東夷の小帝国」観(小中華帝国意識)を確認しておきたい。それは、天皇の統治のおよぶ範囲を「化内」(けない)、その外部を「化外」(けがい)(天皇の教化のおよばない領域)とみなし、そのうえで「化外」を、➊「隣国」=唐、➋「諸蕃」=新羅など朝鮮諸国、➌「夷狄」(いてき)=蝦夷・隼人という3層に区分して序
問題23(200字以内)日本の古代国家にとって大きな存在だった仏教は、時代の推移とともにその性格を変えていった。8世紀から10世紀にかけての時期を対象に、仏教のもつ基本的性格や、仏教と国家・社会とのかかわりについて、世紀ごとに区分して述べなさい。問題24(200字以内)幕末にあたる1859年、横浜などで諸外国との貿易が始まった。この貿易がもたらした経済的な影響について、具体的に述べなさい。■ヒント問題23基本的な論述問題だが、仏教史は、受験生が苦手とする分野の1つ。本問
城はなくとも家康がいる!駿府城の歴史がわかる駿府城公園RETRIP[リトリップ]静岡市民の憩いの場、駿府城公園。徳川家康が晩年を過ごした駿府城の城跡を整備した公園です。静岡を訪れた際にはぜひ立ち寄りたいスポット、駿府城公園の...国立公園70年歴史描く伊勢志摩祝う公演2016年06月20日読売新聞伊勢市の市民劇団「劇団伊勢」が7月2、3日、伊勢志摩国立公園指定70周年を記念した作品「希望のふるさと伊勢志摩~戦後初の国立公園指定~」を、同市...貴重な城下町の入り口に