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化石も終わりにしてそろそろコインの話をしましょう。帝政ローマ117-138年ハドリアヌス帝セステルティウス銅貨NGCAUStrike4/5Surface3/5FineStyle.smoothing.ハドリアヌス帝は以前にデナリウス銀貨で紹介しましたが、セステルティウス銅貨は初めて手にしました。35mmに25g弱の大迫力の大型コインで重さもズッシリとした存在感があり、かなり満足度が高いです。ちなみに材質は黄銅なので作られた時は金色の輝きのコインだったそうです。
ここからは、Starrによる分類に基づく各グループの特徴についてまとめていきたいと思います。念の為に、Starrの分類の対象年代を再掲します。GroupI:BC470年代半ば〜GroupII:BC470年代末〜GroupIII:BC460年代末〜GroupIV:BC450年代初頭〜GroupV:BC449年頃までBC480年のペルシャによる侵攻後にアテネ造幣局が再稼働した後も、侵攻以前の定型=アッティカ様式のヘルメットを被ったアテネ神の横顔と、オリーブの枝と
注:前回の記事について、読み直していると一部解釈が誤っていたことに気つきましたので、修正をしました(2026/8/1)。アクロポリスのHoardで発見された埋蔵貨幣の内訳は、Seltmanによる分類でGroupGiが2枚、GroupFが4枚、GroupEが30枚でした。一番多く含まれていたGroupEはBC480年のペルシャによる侵攻直前まで発行され、当時のAtticaでこれらのグループが流通していたと考えられています。そして、F、Giが続きます。アテネ女神とオリーブは、埋蔵貨の
アテネの貨幣については、研究者たちの中で不思議な存在だったとStarrの本に書かれています。古代ギリシャは芸術レベルにおいて陶工、彫刻家、建築家は数世紀にも渡って評価されていた中で、die-cutters(直訳:貨幣の彫刻師)だけは何十年もの間、同じ様式の製作を続けていたからです。従来、研究者たちはこの不思議な状況(貨幣のデザインだけが進歩していない)の解釈として、次の仮説を立てました。従来の仮説”この貨幣がエーゲ海、東地中海全域の標準通貨の役割を担っていたため、そのデザイ
テトラドラクマについて興味がわいてしまい、Starrの『AthenianCoinage480-449B.C.』を読んで勉強しています。まずAIにアテネ貨幣研究で著名な研究者をまとめてもらいました。チャールズ・セルトマン(CharlesTheodoreSeltman,1886–1957)ケンブリッジ大学出身の英国の考古学者・貨幣学者。1924年刊行の『Athens:ItsHistoryandCoinagebeforethePersianInvasion』でペル
テトラドラクマは凛々しいアテナ女神の横顔とユーモラスなフクロウのコントラストが印象的なコインだと思います。テトラドラクマも各年代で徐々にデザインが変わってきていることをグループ分けされている本を読んで知りました。いつも思いますが、このように文献を整理された研究者の絶え間ない探究心と系統立てた分析能力は本当に凡人では到達できない偉業だと思います。初期のグループHを今回は描きました。同じグループの中でもバラエティがありますが、今回は体が左向きのフクロウです。このグループではフクロウの型が18パタ
わーお、6月が終わっちゃう!忙しいのもあったのですが、突然何もしてないのにいんたーねっとがこわれた!(意訳:ネットが繋がらん!)になりまして、機械音痴の原始人に宇宙船の修理みたいな事させないで!な感じのてんやわんやで、ようやっと直りましたらもう月末。とりあえず月1ノルマを消化しないといけないのでギリシアコインを一枚。ミシア地方パリオン紀元前4-3世紀ヘミドラクマ銀貨EF-/VFヘミドラクマ(1/2ドラクマ:アッティカ基準だと2.15g)はドラクマ銀貨(4.3g)の半分
ローマ帝国が大きく揺らいだ年がある。238年、後に「六皇帝の年」と呼ばれる混乱の始まりに立ったのが、ゴルディアヌス1世である。ゴルディアヌス1世はおよそ158年頃に生まれたとされる。それは帝国が最も安定していた時代、五賢帝の時代の只中だった。彼は元老院に属する高齢の貴族であり、戦場ではなく統治の中で生きてきた人物だった。彼の知るローマは、秩序によって支えられる帝国だった。元老院と皇帝が均衡を保ち、正統性と制度によって統治が行われる世界である。だが彼が皇帝となる頃、そのローマはす
はい行ってきましたTICC。今回は例によって土日が仕事なので初日の金曜日ですね。お昼頃に到着したらこれまた凄い人…。しかしまあ古代は扱っているお店が少ないですし、スラブ品はお店価格でちょっと手が出る物が無いので裸コインでチラチラ物色。うーん良い物が無い。ローマ後期帝政のシリクア銀貨とか良いかなと思ったのですが、できればスラブ品が欲しいのでパス。そして金貨は…おおう、クシャン朝の金貨は100万越えですか。あっササン朝のバハラームの金貨まだありましたけどお金無いです。エジプトのアルシノエ
ローマ帝国の歴史の中で、これほど評価が揺れる皇帝は多くない。カラカラは暴君として知られる。だがそれだけで語るには、あまりにも単純すぎる人物でもある。彼の名「カラカラ」は本名ではない。彼が好んで着用し、兵士や民衆にも広めたガリア風の外套に由来する呼び名である。防寒性に優れた実用的な衣服を自ら身につけ、広く配ったその姿勢は、皇帝でありながら兵士と同じ側に立とうとする意思の表れだった。彼の父セプティミウス・セウェルスは、帝国を再統一した軍人皇帝だった。その最期はローマではなく、
週末はAWですね。私は例によって不参加ですが、アレクサンドロス大王のアテナのスタテル金貨が結構数が出ていたので欲しい方には良い機会ではないでしょうか。という事で金貨ではありませんが女神アテナ関連の話としてアテナのテトラドラクマ銀貨の話です。パンフィリア地方シデ紀元前3-2世紀テトラドラクマ銀貨AUStrike5/5Surface4/5表面はコリント式の兜を被った女神アテナ。ちょっとボンヤリ打ちの箇所もあるものの、全体の雰囲気というか図柄のまとまりは結構良い感じかなと
ドミティアヌスが暗殺されて元老院は歓喜した。そして彼の名を削り像を壊し記録抹消を決議した。その後新皇帝として推されたのが、66歳のネルウァだった。彼には軍歴も武威もない。だが長く宮廷を生き延び、極端に走らず、敵を作らない男だった。彼は強い皇帝ではなかったが、誰も怯えずに済む皇帝ではあった。即位直後、彼は粛清を止め、追放者を呼び戻し、元老院と皇帝の関係を修復する。ローマは久しぶりに、恐怖のない空気を吸った。だが、その安堵は一部のものだった。問題は軍だった。ドミティアヌスは軍団
ドミティアヌスは、歴史の中であまり幸運な皇帝ではない。彼の前には、帝国を立て直した父ウェスパシアヌスがいる。その後には、ネルウァから始まる五賢帝という理想の時代が続く。光と光のあいだに立つ皇帝は、どうしても影になる。だがその影の中に、帝国の芯がある。ドミティアヌスは15年統治した。短命でも混乱期でもない。むしろ安定期である。財政は健全に保たれ、銀貨の質は改善された。軍の給与は引き上げられ、国境は強化された。ライン川・ドナウ川戦線は堅固になり、帝国の外縁は整備された。元老院
ウェスパシアヌスが生きた時代、ローマは疲弊していた。ネロの放縦。四皇帝の年の内戦。皇帝は神でも芸術家でもなく、国家を動かす役職であるはずだった。だがその前提は、完全に壊れていた。ウェスパシアヌスは、その壊れた前提を、理念でも激情でもなく、仕事で修復した男である。彼は名門の出ではない。地方出身の実務型軍人。野心よりも責任感が先に立つ人物だった。ネロの治世下では、決して好かれる存在ではなかった。有名な逸話がある。ネロが竪琴を弾き、長大な歌を披露していた最中、ウェスパシアヌスは居
ここの所忙しくて一カ月近く放置してしまいましたが、とりあえず一つ更新しておきましょう。マケドニア王国紀元前306-283年デメトリオス1世テトラドラクマ銀貨AUStrike5/5Surface3/5FineStyle以前紹介した後に手放してしまったデメトリオス1世ポリオルケテス(攻城者)の銀貨でしたが、去年に再入手しておりました。アレクサンドロス大王死後のディアドコイ戦争での最大勢力であったアンティゴノスの息子として、ギリシア世界を勝ったり負けたりと縦横無尽に駆け回
セルウィウス・スルピキウス・ガルバは、ローマ史の中でも特異な皇帝である。彼は「帝国の中で生まれ、帝国のすべてを見て、最後に帝国に殺された男」だった。ガルバが生まれたのは紀元前3年。すでにローマは帝政に入り、アウグストゥスが支配する世界だった。彼が17歳のとき、アウグストゥスは死ぬ。「ローマを救った男」の最期を、少年として見送った世代である。続くティベリウスの治世。ガルバは17歳から40歳までを、この冷徹で倹約的な皇帝の時代に過ごす。規律、節度、軍紀、国家財政。ガルバという人物
ネロは、ローマ史上もっとも評判の悪い皇帝として知られている。だがその評判は、同時代のローマ人が作ったものではない。決定的に歪められたのは、後世、とりわけキリスト教的記憶である。即位当初のネロは、暴君ではなかった。重税を嫌い、元老院との協調を重視し、民衆からの人気も高かった。セネカやブッルスに支えられた初期政権は、むしろ穏健で、安定していたとすら言える。彼が次第に異質な皇帝になっていくのは、権力を得たからではない。孤立したからだ。母アグリッピナ、妻オクタウィア、側近たち。「止める
クラウディウスは、ローマ史上もっとも誤解された皇帝の一人である。それは能力の欠如ではない。身体と外見、そして生い立ちが、彼を「侮られる役」に追いやったからだ。幼少期のクラウディウスは、重い病に苦しんだ。正確な診断名は分からないが、現代的に見れば小児期の神経疾患、あるいは脳性麻痺に近い症状だった可能性が高い。足は不自由で、歩行はぎこちなく、手は震え、言葉は吃った。表情の制御も難しく、緊張すると顔が歪む。ローマ貴族社会において、これは致命的だった。彼は笑われ、隠され、軽んじられた。
最近、カエサルの象コインをオークションで手に入れたので紹介します。2つ入札していて、どっちか落札出来たらいいなと思っていたら両方落とせていました。■TKC017Crawford443/1デナリウス/銀貨発行者:ガイウス・ユリウス・カエサル/GaiusJuliusCaesar発行年:前49年発行地:軍営随伴造幣(カエサル遠征軍)重量:3.23gサイズ:18.7mmダイ軸(DieAxis):11h状態:GVF表銘文CAESAR「カエサル」図像(表)右
■AW第43回オークション~古代貨セッション②閉幕閉幕した🥲今回は自重したので落札なしである。入院中だからな!せめて火曜くらいに退院の確約がないと落とす気になれん。というわけで、いつものように感想を書く。・Lot3002今回私の本命はこれだった。入院中でなければねぇ。・Lot3004ヘミドラクマで100Kってすごいな。・Lot3008お値打ちなような?finestyleなのに量産期よりちょっと高いくらいだ。・Lot3042ここからの共和政デナリウスも欲しいところではあ
ユリウス・カエサルが暗殺された年の夏、ローマの空に一つの異変が現れた。前44年7月、カエサルを記念する競技会(ルディ・ウィクトリアエ・カエサリス)の最中、昼の空に彗星が現れたのである。七日間、輝き続けたその星を、人々はやがてこう呼ぶようになる。「神君カエサルの星」ローマ人にとって、これは単なる天文現象ではなかった。カエサルは神となり、天に昇った。そう信じるには、あまりにも都合の良い出来事だった。そして、この奇跡を最も冷静に、最も的確に利用したのが、オクタヴィウスである。彼はまだ十
マルクス・アントニウスは、敗者として記憶されている。だが、それは政治史の話だ。人間の物語として見たとき、彼ほど強く生き、深く愛し、そして美しく破滅した人物は、ローマ史にほとんど存在しない。彼は生粋の軍人だった。荒々しく、豪放で、感情を隠さない。兵士と酒を飲み、戦場では最前線に立ち、剣と忠誠で人を従えた。この点において、彼は誰よりも「ローマ的」だった。ユリウス・カエサルが最も信頼した部下が、アントニウスである。ガリアでも、内戦でも、彼は常にカエサルの右腕だった。だがカエサルは、彼
マルクス・ポルキウス・カトー、後に「小カトー」と呼ばれる男ほど、ローマ史において分かりやすく、そして分かり合えない人物はいない。彼は英雄ではない。軍事的天才でもない。人心を掴む雄弁家でもない。だが彼は、共和政ローマが最後に生んだ、最も純粋な人物だった。小カトーの生き方は、一言で言えば「妥協しない」ことだった。それは美徳であり、同時に致命的な欠陥でもあった。彼は大カトー(カトー・マイヨル)の曾孫にあたる。質素、禁欲、厳格、法と徳を何よりも尊ぶ一族の精神を、彼は血ではなく信仰として受
マルクス・ブルータスは、ローマ史上もっとも有名な「裏切り者」である。だが同時に、彼ほど自分を裏切らなかった男も、ほとんどいない。ブルータスの家系は、ローマ王を追放した伝説的英雄ルキウス・ユニウス・ブルトゥスに連なる。「王を憎み、自由を守る」それは彼の思想ではなく、血に刻まれた宿命だった。若きブルータスは、剣よりも書物を愛した。ストア派哲学に傾倒し、徳と義務を何よりも重んじた。彼は政治家である前に、理想の人であろうとした。皮肉なことに、そんな彼を最も寵愛したのがユリウス・カエサルで
マルクス・ブルータスが「理念の人」だとすれば、デキムス・ユニウス・ブルータス・アルビヌスは、行動の人だった。そして皮肉なことに、カエサルにとって本当に信頼していたブルータスは、マルクスではなく、アルビヌスの方だった。アルビヌス・ブルータスは、カエサルの最側近だった。ガリア戦争では副司令官として活躍し、内戦でも一貫してカエサル側に立ち、海戦ではマッシリア(マルセイユ)を攻略し、軍事・行政の両面で結果を出し続けた。カエサルは彼を高く評価していた。カエサルが独裁官となった後、自分が不在の際の
クラッススは英雄ではない。徳もなく、剣の才もなく、民衆に愛されることもなかった。彼がローマ史の中心にいた理由は、ただ一つ金である。内戦で焼け落ちたローマの街区を買い叩き、火事が起きれば消火を条件に家屋を奪い、属州経営と金融で富を積み上げた。ローマ一の大富豪。だがその富は尊敬ではなく、羨望と軽蔑を同時に集めるものだった。彼はそれを理解していた。だからこそ、執拗に軍事的名声を求めた。剣の栄光を持たなければ、ポンペイウスにも、カエサルにも並べないと知っていたからだ。第三次奴隷戦争でス
ポンペイウスは、共和政ローマ最後の時代に現れた英雄である。紀元前83年、ミトリダテス戦争に勝利したスッラがギリシアからイタリアへ帰還するとき、若きポンペイウスは私財を投じて軍団を編成し、スッラに合流した。彼はシキリア、さらにアフリカへと進軍し、マリウス派の残党を殲滅する決定的な役割を果たす。この功績によって、彼は25歳という史上最年少で凱旋式を許され、スッラから「マグヌス(大)」と評された。名門でもなく、正規の官職歴もない若者が、一躍ローマの英雄となった瞬間である。紀元前77年
遅くなりましたが明けましておめでとうございます。今年の最初は去年後半の予算を使い切って入手した金貨から。マケドニア王国フィリッポス2世紀元前359-336年スタテル金貨AUStrike5/5Surface4/5FineStyleアレクサンドロス大王の金貨を手にして以来、追加で何か古代ギリシアの金貨が欲しいなと思いつつ、なかなかこれと言った物に出会えなかったのと何の金貨にしようか優柔不断で決まらず、数年掛けてようやくこちらに決めてみました。やっぱりマケドニアの金貨です
スッラがミトリダテス六世と講和し、東方に一時の平和が訪れたとき、ローマは「戦争は終わった」と信じていた。だが、それは錯覚だった。スッラの後に東方を任された将軍ルキウス・リキニウス・ムレナは、講和の意味を理解していなかった。彼は宣戦布告もなくミトリダテスを挑発し、軽率な攻撃を仕掛ける。結果は惨憺たるものだった。ミトリダテスは再び軍を整え、小アジアで勢力を回復し、ローマは「勝ったはずの戦争」を失いかける。スッラが辛うじて抑えた東方は、ムレナの失策によって再び不安定へと引き戻された。この
いや…どうって言われても困りますよね。私もフランクリンミント初めてだし…。ちょっと前にフランクリンミント社のコインがセットで出品されていたので入手してみました。FranklinMintIsBack!Autographs,Coins,Jewelry,Books,&MoreShoptheofficialFranklinMintatFranklinMint.comforone-of-a-kindautographs,historicalmemor