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こんばんは‥(^_-)-☆今日の奈良はお天気が少し悪く曇って、14℃と少し寒いですね。・・(^_-)-☆マリア猫は今朝も寝室の枕元で寝ておらず呼ぶとどこからか姿を現しました。ただ昨日も見ましたが、隣りの部屋に居るんですね。手の届くところに来たので、擦るといつものように手を噛み、引っ掻かれました。私が一階に降りると一緒に降りてきて、餌だけ食べてすぐに二階かそれとも外にでかけているんでしょうね?・・私が一階に降りるとエサをくれると思ってついてきます?・・今日
令和6年最初のキック・ザ・ツアー。長谷界隈という事で、極楽寺から。江ノ電の極楽寺駅は、「関東の駅100選」に選ばれている。↓駅から坂を登ると、線路越しに極楽寺の茅葺き山門が見える。↓境内図。今はこれだけ??という感じだが、かつてはこの何倍もの広大な面積の境内だったとか。↓鎌倉時代、北条重時が開基。奈良の西大寺・叡尊の下で戒律を学んだ忍性が開山師。↓宗派は真言律宗。疫病が流行った際には、療養施設としても機能したという。因みにこの極楽寺、山門を潜って境内に入ると、撮
今日のブラタモリ鎌倉~ときいて一瞬はもう前にもやっていたし見なくていいかなという心中の声がしましたが切り口が仏教系であったため最後まで見てしまいました。北条氏が単なる荒くれ田舎武士でなかったことをしっかり実証されていい中身でした。私めにとっては知っていはいたけど十分に定着できてなかった忍性さんや真言律宗の業績を整理することができてとても有意義な番組だったです。列挙して知見の定着につなげたいと思います。1極楽寺
宇治の散策を続けました。平等院の最後に、観音堂を眺めてから出発しました。観音堂は鎌倉期の建造物だそうです。冷たい雨が降っている日でしたねぇ。宇治川(淀川中流)の河原に出て、中洲の浮島に渡りました。浮島に渡りながら、宇治川(淀川)の下流のほうを眺めると、宇治橋が見えました。源頼政が宇治で戦ったときには、この橋を切り落として防戦したんでした。さて、浮島のうち、下流側が橘島というそうですが、まず「宇治川先陣之碑」が入ってきました。源平合戦の後半というのでしょ
平城京の古代寺院、法華寺と海龍王寺金澤成保奈良博の特別展「聖地・南山城」を観た帰り、TVで紹介された総国分尼寺の法華寺を、平城京跡の東域に訪ねた(拝観料700円)。近鉄新大宮駅から西北に徒歩で20分ほどの距離であった。その後、その神宮寺であった宇奈多理神社に立ち寄り、平城京遷都の頃に建立された海龍王寺を参拝した(拝観料500円)。宇奈多理神社は、造化三神の髙御魂(たかむすび)の神をお祀りする古社であるが、毎月1日と15日のみ門が開かれるため、当日は参拝できなかった。法華寺
近畿に帰ってきました。一週ほどは静養しましたが貧乏暇なし、ハローワークさんに通い、職探し。一度は某所に採用内定するが、ブラックな実態をきき、関係諸機関のアドバイスのもと去らせていただきました。やはりというか2か月かかり今頃になってやっと次が見つかりそうになっております。さて帰ってくると、電車等で行けてしまう霊場巡拝、暇を見つけては行ってしまいます。奈良派だから唐招提寺へ。鑑真和上にお会いできるー毎年ですと
唐招提寺からは一駅戻った大和西大寺駅、下車ほんの2分程度の所に総本山西大寺があります。奈良へ来ながら春日さんに参らないのは少し残念なのですが尼への帰着時間を定められており?西大寺に寄るのが精一杯でした。山門から一歩入って東の東大寺に対して西大寺。もとはすごく大きなお寺だったのですね。三色そろい踏み護摩堂です。次四王堂なのですが最後に。
こんにちは、赤い鯉人です。昨日に引き続き、書評の後編です。私は、鎌倉が非常に好きで、一時期、月に2~3回のペースで鎌倉を散歩していました。杉本寺を訪れて、坂東33か所の札所巡りの存在を知って(杉本寺が第1番札所)巡礼旅を始めてみたり、鎌倉33観音を巡ってみたり、様々な思い出があります。鎌倉は山と海で囲まれ、平地部分も谷(やつ)が多く、坂も多い不思議な地形をしていて、現在の街並みにも中世の歴史が息づいているのが感じられます。※私は奈良の出身なのですが、戒律を復興して
こんにちは、赤い鯉人です。暖かい日があったり、寒くなったり、行きつ戻りつですが、春は確実に近づいているような感じがしますね。以前、帰省の日記で西大寺を取り上げた際に、叡尊・忍性という、鎌倉時代に、廃れた戒律を復興させ、社会的弱者の救済や、公共施設の整備にも活躍した高僧について書いたのですが(令和5年2月4日の日記)、その際に参考にした、松尾剛次氏編『叡尊・忍性』の中で紹介されていた『中世のかたち』(石井進著)という本が面白かったので紹介させていただきます。本書は、学校
こんばんは、赤い鯉人です。新しい1年が始まって早くも1か月が経過しましたね。年末年始の帰省からも1か月以上が経過しておりますが、引き続き、帰省の日記の続きです(汗)前回(1/15)の日記でも書きましたが、西大寺を語る上では、興正菩薩・叡尊とその弟子達のことを外すことはできません。そもそも、叡尊という僧侶のことをご存じだったでしょうか。鎌倉時代、仏教が新たな展開を見せ、鎌倉新仏教という現代にも残る多くの宗派が派生しました。具体的には、法然が浄土宗を、親鸞が浄土真宗を、栄西が
前稿と同じ兵庫県東播磨地域の三十三観音霊場です。清水寺が加東市、に対しこちら一乗寺は加西市。比較的他県の方は聞いたことがあったかなあという名前の市だと思います。この二寺、ほぼ街道でつながっております。今日の国道でいいますとR372。京都市から亀岡へ出、そこより少々山を登りつつ丹波篠山からその、加東・加西へとつながる。さらに西進すると姫路。27番圓教寺さんにつながるのです。古代に成立した西国三十三観音とはいえ人々の往来には道は欠かせない。
【きょうの人】0929叡尊鎌倉時代中期真言律宗を興す独善的な判断で、気になる人を選んでご紹介しています。そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取って、日々の生活やビジネスに活かしてくださると幸いです。■叡尊鎌倉時代中期真言律宗を興すえいそん、えいぞん建仁元年〈1201年〉-正応3年8月25日〈1290年9月29日〉鎌倉時代中期に活動した僧で、真言律宗を興した人です。字は思円(しえん)、諡号は興正菩薩(こうしょうぼさつ)です。興福寺の学僧
【きょうの人】0827■宮沢賢治詩人、童話作家■叡尊鎌倉時代中期に活動した僧で、真言律宗を興した人独善的な判断で、気になる人を選んでご紹介しています。そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取って、日々の生活やビジネスに活かしてくださると幸いです。■宮沢賢治詩人、童話作家みやざわけんじ、正字:宮澤賢治1896年(明治29年)8月27日-1933年(昭和8年)9月21日『雨ニモマケズ』で知られる詩人であり、『銀河鉄道の夜』や『風の又
続きです。三重塔奈良国立博物館の「中将姫と當麻曼荼羅」展に合わせて8月28日まで、東西二つの三重塔の初層が公開。8/26までの土日祝は、當麻寺三重塔、東塔と西塔が十二年ぶりに特別開扉しています。西塔は修復完了後初です。曼荼羅堂では裏板曼荼羅もご開帳中!中之坊さんの霊宝殿では中将姫展も開催してますよ!奈良博の展覧会と併せてぜひお参りをー!pic.twitter.com/Aoq9R4kqkN—生駒あさみ@奈良、旅もくらしも(@ikomaasami)July30,2022塔
伊勢の占い師☆月美結貴です。四王堂を出て本堂へ西大寺の本堂はとても素晴らしかったです。ずっとここに居た~い!!!と思うほど居心地が良いのです。自然と心が落ち着きますご本尊は優しいお顔の釈迦如来さま。弥勒菩薩(如来)様もいらっしゃいます。本堂で私が一番惹かれたのが獅子に乗った「文殊菩薩様」です興福寺や他のお寺でも文殊菩薩像を見る機会がありましたが獅子に乗った姿のは初めて見ました両脇には維摩居士(ゆいまこじ)=最勝老人須菩提=仏陀波利三蔵(うだ
伊勢の占い師☆月美結貴です。初めての西大寺元興寺で会った叡尊(えいそん)上人がきっかけでした。まず四王堂(しおうどう)へこちらには大きな十一面観音さんがいらっしゃいました。奈良の長谷寺の十一面観音さんと全く同じタイプの像です。右手に錫杖(しゃくじょう)と念珠、左手に蓮華をさした水瓶を持っていて石の上に立っている独特のお姿です。いわゆる長谷寺式と呼ばれる観音様です。錫杖(しゃくじょう)とは僧侶や修験者が持ち歩いている先端に金属の輪が付いた杖
伊勢の占い師☆月美結貴です。奈良の西大寺南都七大寺のひとつで奈良時代には広大な境域に大伽藍を作りかなり栄えていたそうです。南都七大寺①東大寺(華厳宗)②興福寺(法相宗)③元興寺(華厳宗・真言律宗)④大安寺(高野山真言宗)⓹西大寺(真言律宗)⑥薬師寺(法相宗)⑦法隆寺(聖徳宗)先日、元興寺(がんごうじ)を訪れた際に極楽坊に目力がすごいお坊さんの像が安置されていて波動もすごく出ていたので誰だろう?と調べると真言律宗を広めた「叡尊(えいそん)」という
さてさて……………再び幅の広い宇治川を渡り、我々は【浮島】へと移動する…………しかし、とにかくこの日は暑かった蒸し暑さが異常で、少し意識も朦朧となる感じ【宇治川】朝は曇り空だったが、この時間になり青空も出てきました【宇治川の鵜飼】平安時代にはすでに行われていたと言われる天禄2年(971年)奈良の【長谷寺】に参詣した藤原道綱の母は、その往復に宇治を通過し、川岸から『鵜飼』を見物している。彼女が残した「蜻蛉日記」では、川幅いっぱいに数え切れぬほど鵜舟が出て、それぞれにかがり火を焚き
西大寺参拝の続きです『西大寺本堂へ瞳がウルウルの可愛い童子』前回の続きです『西大寺で初対面!!』一時期は秘仏開帳の度にお参りに行っていて最近すっかり行かなくなっていた西大寺へ十数年ぶりのお参りでした🙏🏻もう紫陽花が…ameblo.jp最後は愛染堂へ西大寺といえば愛染明王🏹💓愛染明王といえば西大寺💓🏹ですよね!なのですが、秘仏の愛染明王今は閉扉期間だったのでお会いできず😂ご開帳の際に何度かお目にかかったことがありますがそれも10年以上前なので微かな遠い記憶。。。またご開帳の際
前回の続きです『西大寺で初対面!!』一時期は秘仏開帳の度にお参りに行っていて最近すっかり行かなくなっていた西大寺へ十数年ぶりのお参りでした🙏🏻もう紫陽花が咲いてました❤︎まずは「西大寺はじま…ameblo.jp続いて西大寺本堂へこちらの本堂はとても広々とした明るい空間ですごく好きな場所なのですが他のお寺ではあまり見かけない造り江戸中期の土壁を用いない独特の建築技法だそうです本堂のご本尊は釈迦如来立像京都清涼寺の生身のお釈迦様と呼ばれる像を模刻したお釈迦様でした清涼寺のお釈迦
地域からの世界史日本大江一道朝日新聞社叡尊とその弟子忍性(にんしょう)(1217~1303)は文殊菩薩の信仰を説いて、貧民救済や社会事業、寺院建立など精力的な活動をつづけた。117ページ茶道入門監修千宗室淡交社奈良西大寺で催される大茶碗をはじめ特大の茶道具を用いて行われる茶会で、鎌倉時代、叡尊が鎮守八幡の神前に供えた茶を人々にふるまったのに始まると伝える。28ページいけばな古今書籍一覧小林鷺州大日本華道会南都の元興寺の護命僧正(749~
続きです四天堂称徳天皇によって最初につくられたのが、四天王(大阪の四天王寺のようや)。堂宇は江戸時代の再建ですが、踏みつけられている邪鬼の台座だけが奈良時代の創建当初のもの(焼け跡も残っています)。西大寺四王堂。称徳天皇が恵美押勝の乱を鎮めるために造らせた四天王像が置いてあります。しかし増長天が踏んでいる邪鬼以外はすべて焼失してしまいました。邪鬼の指は3本なのですが、これは人間と比べて知恵と人情が欠けているからなのだそうです。pic.twitter.com/6Jj3HhobY
うまし奈良めぐりで西大寺に行きました。東門から入って境内奥の愛染堂で僧侶の方のお話をまず伺いました。濃い内容のお話ありがとうございましたうまし奈良めぐりとっておきの奈良を感じていただけるキャンペーン。秘宝秘仏や建物の拝観に加え、僧侶や神職の方にご案内いただく特別企画など、冬ならではの「奈良」の魅力をご体験ください。www.nara-umashi.com↓このCMよいわ~JR東海いま、ふたたびの奈良へ2007冬奈良西大寺編JR東海いま、ふたたびの奈良へ2007冬奈
西大寺に行くと、ついつい、俯き加減になってしまうんです。奈良の西大寺は、孝謙上皇発願のお寺で、いまでは真言律宗の大本山です。かつては、多くのお堂があったんですが、天災、火災によって、多くを失いました。確か東京大学出版から書籍が出ていたはずです。その苦境を、復興すべく尽力したのが、興正菩薩叡尊、私が言うに特殊な眉毛を持つおじちゃん、なんです。ねっ、特殊でしょ〜嘘か本当かは知りませんが、西大寺境内には、叡尊手植えの菩提樹があるんです。俯いて、かがんで、タネを拾ってきました。ペンチで潰
浄住寺の特別公開に行ってきました。終了しています、ごめんなさい🙇♀️浄住寺の境内と紅葉(京都市西京区):Joju-jiTemple(NishikyoWard,KyotoCity,Japan)京都市西京区にある黄檗宗の寺院、京都洛西観音霊場の第三十番札所であり紅葉の名所としても有名な浄住寺(じょうじゅうじ)に行ってきました。(IvisitedtotheJoju-jiTempleonDecember6,2019.)youtu.be近所の巨木↑上桂の住宅街の中
こんばんは(・∀・)福岡県那珂川市多次元ライトワーカー光の案内人Greenessence〜緑の滴です。奈良市内は快晴でしたが、桜井市で雨が降ったり止んだり…帰るときにあられが降りましたすぐ、コミュニティバスが来たから、良かった龍🐉さんにも雨止めてくれるように、お願いしました。雨、小降りになりました🐉さて、JR奈良駅でゆっくり和食の朝ごはんを食べ、私の味覚がおかしいのか、卵かけごはんの醤油の味が薄かった…量的にはちょうど良いです。お値段も安い。440円也h
こんにちは(・∀・)福岡県那珂川市多次元ライトワーカー光の案内人Greenessence〜緑の滴です。連日❓書いておりました。メッセージの解釈お鼻の大きなお坊さん判明‼️Facebook国宝と旅より画像とともにお借りしました。白毫寺叡尊(興正菩薩)坐像(国宝.鎌倉中期)南都律宗の高僧・叡尊(1201〜1290)の80歳の時の遺像です。後年、興正菩薩と呼ばれる叡尊は大和国箕田に生まれ、はやくから仏門に入り、醍醐寺や高野山で密教を学びました。さらに東大寺で修学を積み
皆さま、こんにちは。あっ、こんばんは。たぶん、記事を書き上げて、投稿すると日付が変わっていると思いますから、「おはよう☀️🙋♂️❗ございます」です。京都国立博物館の桜🌸です。満開🌸🌸でした。東の庭では、もう花びらが散りはじめていました。足下の花びらを見ながら・・。まだ、3月(31日)なのに、もう花が散ることを心配しないといけないとは──今年は早いですね!大阪で“あれだけ”の感染者が出て、心配が増す今日この頃です。東山通りを過ぎる時、ふと見ると、東山(清水寺)界隈はかなり(観光客)
奈良市の西大寺さんでは、西大寺参拝者ご案内企画Ⅲとして、お坊さんの案内で巡る「西大寺のみ仏たち」という企画が行われています。そのチラシです(コピーですけど)。2月の日曜・祝日の14時から約1時間、西大寺さんと真言律宗のお寺のお坊さんが、西大寺さんをご案内してくださいます。第三弾の今回は、叡尊上人の釈迦信仰・文殊信仰・弥勒信仰についてのお話とのこと。時間になりましたら、共通拝観券をお求めのうえ、本堂にいらしてください。詳しくは、西大寺さんの公式HPをご覧ください真言律宗総本山西大寺s
■【きょうの人】0929叡尊鎌倉時代中期真言律宗を興す独善的な判断で、気になる人を選んでご紹介しています。そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取って、日々の生活やビジネスに活かしてくださると幸いです。■叡尊鎌倉時代中期真言律宗を興すえいそん、えいぞん建仁元年〈1201年〉-正応3年8月25日〈1290年9月29日〉鎌倉時代中期に活動した僧で、真言律宗を興した人です。字は思円(しえん)、諡号は興正菩薩(こうしょうぼさつ)です。興福寺の学僧・慶玄の子