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2025年9月9日高校2年の倫理社会の教材として「般若心経」に遭遇して以来半世紀以上、「色」とは何か、「空」とは何か、その解釈を考えてきた。解釈は大きく変化してきたし、今後さらに変化することも考えられる。今後のために現時点での解釈を書きとめておこうと思う。「色」とは、「人間が感知している世界」のことであり、世界の中のもの・ことや関係に「ことば」がはり付けられることによって世界が構成されている世界である。我々が日常的に生きて
意識と無意識:心の働きを紐解く私たちは普段、自分の状態や周りの状況をはっきりと認識して生活しています。この「はっきりと認識している心の働き」が、私たちが一般的にいう「意識」です。一方、「意識」は、自分では気づくことができない心の深い部分に存在する「無意識」とは、区別されます。「意識」という言葉を分解してみると、その意味がより明確になります。「意」:考えや気持ちを対象に込めること。「識」:対象を見分け、認識する心の基本的な働き。つまり、「意識」は、私たちが物事を認識し、
今朝、早く起きて温泉に入りました。旅行って、私にとっては知らない場所で未知の知識や体験を得るだけではなくて、小さな頃の自分や若い頃の自分や自分の親の事を思い出して過去と対話が出来る、そんな大切な時間でもあるんだなぁ…。そうして、今こうして温泉に入っている間にも瞬間瞬間は飛ぶように過ぎて過去になり、それはもう二度と戻れない過去ではあるけれど、同時にそれは全部私が生きて来た証で、たとえ記憶の中にしか存在しなくても、私の中では確かに実在している。
◇私への質問から。悔い改めたならば、過去の罪は赦されるのですか?http://kamikotokai-b.jugem.jp/?eid=577人は死ねばその魂は【霊界】に行くのですが、人の肉体は一つの魂だけでなく、多くの霊の【想念】を受けて行動しています。自分では自分の行動は肉体の意思だと思っているのですが、実は自分の肉体に関わっている霊達の【総合意識】なのです。人の魂とは、その肉体の【霊的中心センター】を担っているのです。その多くの霊達の「想念」を受けて人は行動しているのですが、これは仏
人間には「肉体機能」と「精神機能」が備わっており、このふたつの束縛を受けます。それはもう、どうしようもなく束縛されます。物事を認識できるのは、肉体機能と精神機能が働いているおかげです。例えば、ワンワンと鳴く毛の生えた四本足の動物を見て、「犬だ」と認識できるのは、このふたつが正常に働いているからです。見るという行為は肉体機能の担当です。犬だと認識するのは精神機能の担当です。その動物を視野に捉えたとき、精神は、過去の学習の蓄積である知識のデータベース(記憶)を参照して、「犬だ」と認識し
(Wikipediaより引用)しばらく前にテレビ(たしかNHKだったと思う)で観たトピック。小学生に予備知識なしで芸術作品を見せて、感じたことを発言してもらうという授業。授業じゃなくて何かの団体の活動だったかもしれないけど(うろおぼえ)、そこは本筋じゃないのでスルーして。題材はピカソの「ゲルニカ」。スペイン内戦のときに行われた、ドイツ軍によるゲルニカ爆撃に抗議して制作したとされるが――鑑賞する子供たちは、無論、そんなことは知らない。知識ゼロで芸術に接した彼らは、この絵に何を感じた
さて、この節は、いきなり初期仏教の概念が否定されるという、劇的な展開になる、まあ、普通に解釈したら、この節で内容の矛盾が生じることになり、ここをどのように読み解くかが、「般若心経」解読のポイントです。是故空中無色無受想行識ぜこくうちゅうむしきむじゅそうぎょうしき無眼耳鼻舌身意むげんにびぜっしんい無色声香味触法むしきしょうこうみそくほう無眼界乃至無意識界むげんかいないしむいしきかい(舎利子よ)それゆえ「空」の中には色はなく、受想行識もない。眼もなく、耳もなく、鼻も
是故空中ぜこくうちゅう無色無受想行識むしきむじゅそうぎょうしき無眼耳鼻舌身意むげんにびぜっしんに無色声香味触法むしきしょうこうみそくほう無眼界乃至無意識界むげんかいないしむいしきかい(私訳)すべての物事は、様々な要素が関わり合いつながり合って一つなのだから、身体(からだ)と心も一つである。六根(感覚や認識器官)•六境(認識の対象)•六識(認識)、身体の器官が対象物を感じて認識するという一連の流れは、様々な要素が関わり合いつながり合って一つである。*六根(ろっこん)=
舎利子しゃりし色不異空しきふいくう空不異色くうふいしき色即是空しきそくぜくう空即是色くうそくぜしき受想行識亦復如是じゅそうぎょうしきやくぶにょぜ(私訳)この身体(からだ)は、様々な要素が関わり合いつながり合って、まさに一体である。心もまた、様々な要素が関わり合いつながり合って、まさに一心である。*舎利子=お釈迦さまの弟子で、智慧第一とされた*色(しき)=物質的な存在。身体。↔︎心。*受想行識=心のさまざまな働き。◆「般若心経」私訳①六波羅蜜『◆「般若心経」
摩訶般若波羅蜜多心経まかはんにゃはらみたしんぎょう観自在菩薩かんじざいぼさつ行深般若波羅蜜多時ぎょうじんはんにゃはらみたじ照見五蘊皆空しょうけんごうんかいくう度一切苦厄どいっさいくやく*五蘊(ごうん)=色(しき)・受・想・行・識(しき)=物質や身体、心。全ての要素。*色(しき)=物質、肉体、身体。*受想行識(じゅそうぎょうしき)=心(私訳)心を楽にする秘けつ六波羅蜜(布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧)を実践してよく自己を整え、かたよらず、こだわらず、とら
西洋占星術と仏教(6回目)パート2より清水先生曰く、まだ他にも言ってない、本邦初公開、般若心経の有名な「色不異空空不異色色即是空空即是色受想行識亦復如是」の解釈です。般若心経のこの「色不異空空不異色色即是空空即是色受想行識亦復如是」の部分は、まだ悟っていない「菩提(ぼじ=ボーディbodhi=悟りを目ざす人)」が、仏陀(悟った人)になる前の状態のときに悟りを求めて瞑想を行い深まったときに「受」と「想」と「行」と「識」の4つのことなる境地に至りそれを巡らせなければならないという教えを示してい
目指すは「石円空」祈りの彫刻家土屋誠一「般若心経」勝手に解釈!?受想行識亦復如是じゅそうぎょうしきやくぶにょぜ※受=心が感受すること※想=思いをめぐらすこと※行=意志を持つこと※識=認識・識別すること今まで説いてきたこと。色に例えられる「肉体・物質」について説明してきたことは、受想行識という心の部分においても、同様に実体のない「空」なのです。受想行識亦復如是「祈」自然石何事も思い煩う事な
「みろく世に適応した専用の【水晶玉(魂)】の中に【白十字】」⑴今日までの魂は。破砕された魂が持つもの。「思念」がやっかいな理由。魂の存在価値とは。この世は「四苦八苦」故に。完全なる魂の死とは。完全【無我】とは。生きている証拠とは。【識】の状態とは。完全なる無我とは、その世界とは。つい最近、ある方からメールを頂きました。そのメールによると、その方の前に透明の水球が現れて、その中に白色の正十字が入っている。不
魔法の様に、私たちの身体は宇宙の写し鏡として作られています。なので、魔法の様な方法で、身体にはたらきかけることができます。最近、般若心経WSで使っている図です。つかむことができると、そこに働きかけることができます。エネルギーは、意図に沿って働くからです。私という肉体に対する思い「色」私が感じているという気持「受」私は知っているという思い「想」私は〜したいという欲望「行」これらが「今の現実」を作り出しています。これに、触れることが出来ます。大概は、なにか違和感を覚