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先日、用事があり出掛けた際に、寄り道をしてきました。行先はタイトルでバレバレです。いつものひたち3号で、おっと、これは1本前のときわ号でした。いつもの、正真正銘ひたち3号で那珂湊へ。違う色のやつが来ました。用事を済ませた後は、昨年は湊公園へ行ったので、きょんかいは、噛みました、今回は反射炉へ行ってみます。余裕があれば、湊公園にも行く予定をしていましたが、用事に時間を要してしまい、反射炉だけにします。おなかがしゅいてきましたが、
こんにちは~スタミナ一家ですスタミナ一家は大の萩好き(??)。これまで3回?4回?ほど訪れたことがありますが、写真をブログアップ用に撮っていなかったので、あまりお見せできる写真が…とりあえず、あるだけの写真を使いながら、ちょこちょこアップしてみたいと思います今回は、萩市街から少し離れた、「東萩エリア」パート1です少し穴場スポットかもしれません…<萩反射炉>2015年に世界遺産の「明治日本の産業革命遺産」のひとつに登録されまし
酒列磯前神社から車で約15分、那珂湊の反射炉にやって来ました。☆駐車場すぐ脇の山上門はひたちなか市の指定建造物。もともとは水戸藩江戸小石川邸正門右側の門。反射炉とは繋がらないけど、現在残存する唯一の建築物。当時の陸軍省から払い下げを受け移築。反射炉は9年前に行った韮山の反射炉以来です。那珂湊の反射炉は1855~57年に建造されたものの、1864年に元治甲子の乱(げんじかっしのらん)(*1)で破壊されました。現在の反射炉は、1937年に復元された模型。
ひたちなか市那珂湊反射炉跡(復元)ひたちなか市那珂湊反射炉跡を見学しました。三浦乾也を研究していると日本最初のガス燈の記述に出会います。安政2年大島高任は、ここで石炭乾留器(蒸し焼き)を使って石炭を熱してコークス(燃料)とコールタールに分けてガスが発生し、これに火を付けるとガス燈になります。釜石で大島高任は高炉によって日本で初めて製鉄しましたが、その前に砂鉄によってここの反射炉で鉄を生み出し、大砲を使っていました。この石炭乾留器を納入したのが三浦乾也が指導した川口の鋳物師でした。この装置
私が趣味で作編曲してみた作品がいくつか残ってましたので聞いてみてくださいね♫あずまが丘公園&反射炉跡&河津桜で(^^♪水戸藩の江戸小石川邸の山上から移設された「山上門」です1857(安政4)年、水戸藩営大砲鋳造所の大型金属溶解炉(2基)として建造。1864(元治元)年、騒乱で破壊。・1937(昭和12)年復元されました。♪(*^o^*)水戸藩の反射炉は、鉄製の大砲鋳造を目的として、安政年間に2基建造されました。♪(*^o^*)水戸藩9代藩主徳川斉昭が国防の必
翌日はちょいッと萩観光。反射炉を見に行ったら・・・・・・・・・・・・修理中だった・・・・・・・・・・そして、松陰神社。と、松下村塾。ここで、塾が開かれていたんだなあ。直ぐに人が増えて、建て増ししたんだそうだが。その裏に松陰雄平の部屋があるという、中々のえげつない設定。それもたったの3畳の狭さだったそう。ただ、自分の好きな言葉を掛け軸出かけて置ける状況だったらしい。どれくらいの自由があったんだろうか・・・・・・。
まず目に入ってくるのは、旧水海道小学校の校舎。中では、戦後、母子福祉運動に尽くした鯉渕鉱子さんについての展示が行われていました。旧水海道小学校本館|【茨城県立歴史館】歴史博物館・文書館|茨城県水戸市(rekishikan-ibk.jp)博物館では、「那珂湊反射炉」についての特別展が行われていました。今まで、幕末の水戸と言えば、桜田門外の変や天狗党など、思想のために殉じるという激しい志士達のイメージで私はとらえていました。しかし、この展示では、当時の水戸の人達が
江川英龍は江戸末期の伊豆・韮山代官。管轄領域は伊豆だけでなく相模・武蔵・甲斐・駿河の一部にまで広がっていた。鎖国が続く中で、イギリスやアメリカ、ロシアなどの外国船が出没する時代。英龍は、海防に深い知識を有する幕臣として活躍した。江戸湾に侵入した異国船に対抗するための砲台であるお台場を築いたのは英龍である。高島秋帆から近代砲術を学び、江川塾を開いてこれを広めた。佐久間象山、橋本左内、桂小五郎、榎本武揚らも英龍の教えを受けている。「回れ右」「捧げ銃」などの日本語の号令を作った
三島から韮山反射炉に行ってみました。国道からちょっと山の方に向かうと、整備された公園になっていて、そこに反射炉が立っていました。周りには民家などは見当たらないので、元々離れた場所に建てられたものなんでしょうね。資料館のシアターで説明を見てから反射炉へ、補強の鉄骨が目立ちますが、3年前にも補修されたようで耐火煉瓦も白くて綺麗でした。資料館に使われなくなった後の明治初期の写真がありましたが、放置されて一部崩れて草に覆われていたのを明治
玉村方久斗(たまむらほくと)「反射炉」方久斗が、昭和20年頃、東京での個展に発表した作品です。箱書きに、個展出品作とあること。それに、伊豆方面に旅行した、名所案内と方久斗自筆で、昭和19年3月16日午後4時拝観。同伴2名の名前を記述した書付が添付されているからです。おそらく、この韮山反射を見て、感動したのでしょう。その感動が薄れないうちに、筆をとったのだと思います。私には、その気持ちがよく解ります。方久斗は、昭和26年病死しました。画家にとって、
佐賀漫遊2日目。かつて、肥前国の中心だった城址へ。県庁や図書館等が集まる佐賀市街中心、龍造寺氏とその後継の鍋島氏の居城跡があります。◆佐賀城◆(佐賀県指定史跡・日本100名城)鯱の門・続櫓(国指定重要文化財)門と続櫓は天保9年(1838)の再建。明治時代初期に起こった士族反乱、佐賀の乱の戦火を免れて現存する貴重な遺構。この地は戦国時代に龍造寺氏が治め、大友宗麟との激しい攻防戦を繰り広げました。その後継の佐賀藩祖・鍋島直茂が天正年間(1573
久しぶりの雨明日は雪?でもクルマ通勤がない今は花粉襲来!が気にかかるんですなぜなら家の周りの杉の木たちはくっきりはっきりと緑からREDに変身!!そこで2月に入り昼間のオープンエアは厳禁体制へ「花粉対応モード」に突入しました※一説では花粉飛散の1日のひどい時間帯は11時ごろから14時ごろと夕方から19時ごろの二度あるらしく温度が急に上がる時、下がる時大気が混ぜ混ぜするらしい…3年ほど前からやっている花粉対策それは…家の中に極力
こんにちは♪南国カフェシエスタです。今日も暖かい日になりそうですさてお休みの2日間はお天気にも恵まれ、本当に楽しかったです静岡だからなのか、そこかしこにキレイな富士山の景色を見られて本当に幸せでした2日目は前日に行く予定だったMOA美術館をやめてこちらへ韮山にある世界遺産の反射炉中へは入らず外観だけでパネルの前で記念撮影山の茶畑から反射炉と富士山を同時に眺めることが出来ます。茶畑の途中にあるのは4/7までやっている吊るし飾り雛の展示場一歩中へ足を踏み入れると吊るし雛が
これから寒さは本番を迎えますが、先日、春を探しに妻と一緒に早春の伊豆にドライブに行ってきました。関東でも雪が降るかもといわれた日曜の朝、雨の降るなか車をとばし圏央道から海老名ICで東名に入り長泉沼津ICを降りて行った先は韮山の反射炉。韮山の反射炉は、世界遺産の一部でもあり、前から行きたかったところです。雨のせいか、日曜日でも駐車場も車は少なく、入場料\500を払って館内へ。館内で映像で説明を見て、外の反射炉へ。ボランティアの方によく説明していただきました。なぜ反射炉と
1月1日また大きな地震が発生しました。当ブログのような浮かれた内容は「不謹慎」と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、平常通りに過ごすことこそ大切だと考えています。平常通りお送りします。あけましておめでとうございます。三島遠征3日目です。この日は遠征の名物練習の狩りシリーズの最高峰のストロベリーハント(日本名:いちご狩り)です。遠征の疲労回復と良質なビタミンCを補給したいと思います。かつての主戦場だった韮山いちご狩りセンターが2年前に閉鎖してしまったので、今年も江間いちご狩
萩って有名なので1度訪れたかったところです世界遺産が5つもあるなんて❗❗❗お宿でもらったパンフレットを見て初めて知りました❗お宿に近い順に行ってみます①恵美須ヶ鼻造船所跡嘉永6年(1853)幕府は各藩の軍備・海防力の強化を目的に大船建造を解禁し、のちに萩藩に対しても大船の建造を要請しました。安政2年(1855)萩藩は、木戸孝允が洋式船建造の必要を意見したことを受けて、船大工棟梁の尾崎小右衛門を江戸に派遣します。尾崎は伊豆半島戶田村でスクーナー船を建造した高崎伝蔵らに接触
まだまだ元気なつもりでも、やっぱり年かな?楽しい事でも、やらんならん予定や約束や続くとしんどくなってきました。ブログの方にしわ寄せがきて、不定期なこと極まりないですが・・・11月末の山口旅行を続けます2日目と3日目は2台のジャンボタクシーに分乗して、萩市内の見学です。朝一番に、毛利家藩主のお墓がある東光寺にまいりました。元禄4年(1691)萩藩三代藩主毛利吉就(よしなり)(1668-1694)が建立した黄檗宗のお寺です。総門(重要文化財)三門〈重要文化財
震災辺りで流行った廃油ストーブ何個か造って小遣い稼ぎしていた車遊びしていた先輩方が自分でオイル交換や近所周りの方々のも頼まれてるなんて話だったので灯油買うより安いよ??なんて当時はネットの設計図じゃなくて工具雑誌に設計図とシステムが公開されていた第1号の廃油ストーブが揮発段階で駄目らしく燃料溜まりしてしまう?らしいコックつけて燃料量絞ったり揮発まで風送るなんてやらなきゃならんが根本的に10年以上前の170円レギュラーな原油高からのタマタマ待機中のコンビニで立ち読みしていた工具雑誌にイ
旦那はチェーン店イベント情報に詳しい。「かつや」は行かなアカン!祭りやってるぞ‼︎と、週末に張り切っていたんですが土日でハワイアンズに行ってた時やで?突然、そんなこと言われてもなー「昨日の夜も今朝も昼も揚げ物食べてるんやで?トンカツじゃないのが良いわ…明日にしよう…」子どもらもトンカツに反応なく「ラーメンが良い」「サイゼリヤがいい」「回転寿司」という、我が家のよくある外食チェーンがリクエストに並んでました。結果、ラーメン花月🍜久しぶりやわー。お子様ラーメンのジ
またまたみさえさんと、3泊4日の2人旅に行ってきました🚗今回は1日目に行った萩・津和野を紹介したいと思います目一杯満喫するため、6時半の新幹線に乗り、新山口駅まで約4時間🚅10時半に到着し、レンタカーに乗って、津和野に12時すぎには到着です(新幹線🚅意外とお勧めです)まずはお昼ご飯(必ずご当地グルメをチェックします)津和野の代表的な郷土料理の「うづめ飯」を頂きました一見ただのお茶漬けのように見えますが、実はご飯の下に小さく刻んだ椎茸やニンジン、豆腐などが埋(うず)められていて
数ヶ月にわたり、伊東市の川奈ホテルをご紹介してまいりましたが。ここ最近のお気に入りで、静岡(伊豆)方面へ行くと、度々買いに寄ってしまう地ビール「反射炉ビヤ」こちらも、是非に昨年も記事にしてましたぁ『世界遺産「韮山反射炉」よりすごいかも?ビール(笑)』6月に訪れた世界遺産「韮山反射炉」ここ、のんびり散策できる園内も遺産もすごかったのですが、私的にはその隣にある地ビールにしびれました名前も潔い「反射炉ビア」…ameblo.jp反射炉ビヤさん、今年で、25周年になるんです
おはようございます九州旅行の続きです霧島から向かったのは仙厳園仙巌園は1658年島津家19代光久によって築かれた島津家別邸です日本の近代化をリードした場所でもあり一帯は「明治日本の産業革命遺産」として2015年に世界文化遺産の構成資産に登録されましたオリエンテーションセンターで反射炉の模型を見た後反射炉跡へ鉄製大砲鋳造のため28代斉彬が築いた施設跡およそ高さ20mの炉がそびえ洋式工場群「集成館」の中核でした実物を見ずにオランダの書物を参考
ひたちなか海浜鉄道湊線全11駅の駅名標と駅周辺や列車の様子を順次投稿していきます。投稿の時期は随時になりますが、ご覧いただければ幸いです。第6稿として那珂湊駅です。勝田駅と阿字ヶ浦駅の中間部にあり、単式・島式2面3線のホームと車両基地がある湊線の中心駅、「関東の駅100選」に選ばれているとのことです。・駅名標幕末に鉄製大砲の鋳造施設として建設された「反射炉」(原基はほどなく焼失、昭和12年に復元されたものが駅近くに展示)、日本初のステンレス製気動車「ケハ601」(現在はミ
視察研修で、静岡に行って来た時に寄った世界文化遺産の一つ「韮山反射炉」です。ここは、平成17年に世界文化遺産に登録されていますが、国内8エリア、23資産から構成されているものの一つなんだそうです。幕末、徳川幕府が西欧諸国からの開国に迫れれ、東洋の国々が、次々に植民地化されていった事に、危機感を持ち、富国強兵を急いだ証拠の一つとしての現存している意義は、とても大きいと思います!そもそも、反射炉で何を造ったかですが、当時日本にはまだ無かった大砲を造るための施設ですね。ペリーの黒船から打
2日目世界遺産らしいです。反射炉みてきました。セブンイレブンの真横にあって笑った😮´-そして萩から少し車を走らせて角島大橋行きましたずっとかくしまと思ってた😂
この日は大仁ホテルからの帰り道に反射炉によりました。目的は富士山と反射炉を見る展望台まあ、ちょっと雲多いし無理かもって思いながらワンチャンあるかも?的に展望台にで…やっぱり残念な結果富士山ちら見せくらいな感じです。もくもく雲が次ぎから次へと雲が流れてきますまた今度リベンジします。こういう姿を見たいものです。展望台を降りた後は売店に寄りますお土産をちょいと買いましたリベンジと言えば前回買いそびれたこれ買いたいなぁ~っ
軽井沢での暮らしや、趣味の登山、旅行、温泉、クラフトビール、陶芸などなど、たわいもない日々を日記として書いてます。難病歴20年。高安動脈炎、潰瘍性大腸炎、壊疽性膿皮症、3つの難病があります。胸部大動脈瘤人工血管置換を4月に開胸手術。病気のことも書いてます。人生色々あるけど、なんとかなるさ\(^_^)(^_^)/昨日、飲んだくれてそのままグッスリ朝風呂でゆっくりつかり、頭の思考を戻して、あさごはん。特に豪華ではないけど、イワシに一口サイズの副菜、満足〜いい天気
こんにちは昨日は夕方からやや涼しさが垣間見えてきたので小倉の街に飲みに出たものの、12時で店を出て今日の日曜日のドライブに備えることにしました11月2日にまる5年となる我が愛車の走行距離は現在72,720km75,000kmでまる5年を迎えるために、余裕として今日のうちに73,000kmにしておきたいそして、今日の目的地に選んだのは佐賀の反射炉銑鉄の生産に失敗した萩の反射炉は残っているが銑鉄の生産に成功した佐賀の反射炉は形が残っていないどころか、どこにあったかも曖昧である
佐賀城跡にありました、大きかったです。肥前佐賀藩10代藩主で、号は閑叟です。明治維新では薩長土肥といわれ、肥前といえば戊辰戦争の立役者でした。自前で反射炉・銃・砲・蒸気機関まで作った佐賀藩の兵は近代装備で強かったそうです。佐賀藩が近代的になったのは、直正公の政治にあったそうです。後のNHKが良い感じ?にアピールしてきます、そもそも像が大きいのがわかります。よく見る写真のお顔ともそっくりに出来てます。うんちくです、解説2枚・絵図4枚、沢山ありますうんちくによると、直正公は財政を建て
途中までになっていた、静岡、三島の一泊旅行『三島市―源兵衛川』先月から所用で、2回三島市に行ってきました。6月は、朝から新幹線に乗って三島駅にデンして帰ったきただけというくらいのあわただしいものでしたが7月はちょっとゆ…ameblo.jp一日目は三島の街の湧水で一人遊んだ後遅くに出張帰りの息子と合流して、三島の駅前で食事をしました。「沼津うおがし鮨」せっかく地魚のお寿司を頼んだんだけれど、生シラスと、桜エビ以外はよくわからず・・・鰺フライは身がふっくらし