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最近ちとさぼってたVHS断捨離ですが。初期の段階でやりだしたのは、千代の富士の横綱昇進以降の全取組をVHSで録っていたので、まずこれを残そう!と順調にコピーしてきたのですが、1986年7月場所で、耐えられないノイズが出てしまうことが発覚。以前も書いたと思うのですが、1986年に購入したビデオデッキが購入時からトラッキング狂っていたようで、途中で気づいて直してもらったんだけど、1987年秋頃まで狂った状態だったんですね。その間録画した映像が悪いわけさ。標準速で録ったのはHiFi音声
久しぶりに大相撲シリーズをアップします。このブログの初期には、毎週水曜日の夜の記事は大相撲の話題をアップしていました。しかし、四つ相撲で安定した上位力士が少なくなって相撲内容に不満を感じることが多くなり、ここ五年ほどはあまり大相撲の話題をアップしなくなっていました。ようやくここ一二年で世代交代と力のあるベテランの充実が噛み合って、幕内の相撲内容が充実してきた感があります。そして、待望の日本人の四相撲が取れる横綱が誕生しました。大の里です。何しろ、2023年5月場所で幕下10
鶴岡市鶴岡市に入りました。平成に全国的な大合併があったため、鶴岡市といってもかなり広く、まだまだ山間部です。ここから国道112号線を外れてさらに山に入って行きます。日本の滝百選の「七ツ滝」を目指します。滝展望地は「七ツ滝公園」として整備されています。僻地ですが、思ったよりは集落に近かったです。標高は高いですが、日本の滝百選のある標高としてはそれほどでもない感じです。あちこちの滝を見すぎて感覚が麻痺しているのでしょうか?七ツ滝は遠くに
大相撲春場所が開催中です。場所全体の話は千秋楽後に総括として書かせていただくとして、今場所最大の注目だった新横綱の豊昇龍が10日目から休場となってしまいました休場を伝えるYahoo!ニュースのコメント欄を見てみると、豊昇龍の横綱昇進の判断が甘かったなどとして、相撲協会や横綱審議委員会に対する批判の声が数多く書かれています。横綱昇進の可否について、私個人は初場所千秋楽の総括記事のなかで「五分五分」という表現をさせていただきました。つまり、昇進させてもいいし、見送ってもいいという考え方で
大谷翔平(ロサンゼルスドジャース・投手兼外野手)ニール・エラトロッシュ(ロサンゼルスドジャーズ・チームドクター)豊昇龍休場右ひじ痛が悪化…双羽黒以来新横綱39年ぶり屈辱新横綱で5勝5敗かぁ。。。ちょっと相当ガッカリだぜ!!井上一樹(中日ドラゴンズ・監督)31高橋宏斗(中日ドラゴンズ・投手)20カイル・マラー(中日ドラゴンズ・投手)11金丸夢斗(中日ドラゴンズ・投手)11大野雄大(中日ドラゴンズ・投手)10石川昂弥(中日ドラゴンズ・内野手)9小笠原慎之介(ワシントン
今日のランチは自宅で作ってきたお弁当でもやっぱ汁物が欲しい豚汁とかみそ汁とか探しにファミマに行ったら新発売の文字が見えてあはは新発売に弱いまろやかな鶏の旨みがきいたコクのあるしおスープが、すすり心地の良いウェーブ麺によく絡む満足感のある一品です。最近は香味油付きの多くなったね熱湯3分、出来上がり謎肉的なのがたくさん入ってるよちょこっとかき混ぜていただきま~すすすり心地の良いウェーブ麺とゆーことだがよくわからんわははスープは
素質が活きるさしみのうまさ−−。ちょうど40年前、小結時代の北尾(当時21歳=のちに第60代横綱・双羽黒)をモデルに起用した日かつ連の『鮪(まぐろ)』の新聞広告。新横綱(第74代)の豊昇龍は、この北尾以来の立浪部屋所属の横綱ということになる。当時から将来の角界を背負う逸材として注目されており、大関時代(昭和61年5月)には、あの小錦を鯖折りで負傷させてしまうなど恐るべきモンスターぶりを発揮していた。
新入幕で優勝した尊富士関ですが、親方によると、「歩くのがやっと。稽古はできていない。靭帯をのばすと時間がかかるが、順調に回復している」と、良いのか悪いのか分からないコメントです。さて、元横綱の曙さんが心不全で亡くなったとのこと、ご冥福をお祈りします。何の因果か、これまた元横綱の北尾光司さんの最期に関する記事を偶然見つけたので、勝手に転載します。尊富士関、飲尿と尿湿布で早く元気になってもらいたいです。なお、あの大谷翔平選手も、プロレス時代の北尾光司を幼少期の記憶にとどめていて、「子供心
なぜかこの記事アクセスが多いので複製しました新入幕で優勝した尊富士関ですが、親方によると、「歩くのがやっと。稽古はできていない。靭帯をのばすと時間がかかるが、順調に回復している」と、良いのか悪いのか分からないコメントです。さて、元横綱の曙さんが心不全で亡くなったとのこと、ご冥福をお祈りします。何の因果か、これまた元横綱の北尾光司さんの最期に関する記事を偶然見つけたので、勝手に転載します。尊富士関、飲尿と尿湿布で早く元気になってもらいたいです。今年(2019年)2月10日に慢性腎不全の
新入幕で優勝した尊富士関ですが、親方によると、「歩くのがやっと。稽古はできていない。靭帯をのばすと時間がかかるが、順調に回復している」と、良いのか悪いのか分からないコメントです。さて、元横綱の曙さんが心不全で亡くなったとのこと、ご冥福をお祈りします。何の因果か、これまた元横綱の北尾光司さんの最期に関する記事を偶然見つけたので、勝手に転載します。尊富士関、飲尿と尿湿布で早く元気になってもらいたいです。今年(2019年)2月10日に慢性腎不全のため死去した大相撲元横綱・双羽黒の北尾光司さん
上記記事以外にも私はこのブログで記事を色々書いたが小学生の時、横綱双羽黒こと北尾光司に自分を同化(アバター化)して応援してました!そんな彼がチャンコが不味いと女将さんを蹴り倒し廃業した後プロレスに転向する前の謎のスポーツ冒険家時代に出版されたしゃべるぞ!徳間書店を読んだぞ!しゃべるぞAmazon(アマゾン)ウィキペディアでは父親が建設会社の取締役で北尾はその一人息子として甘やかされて育てられたためか、少しでも厳しい稽古を
いやあ、もうなんとも・・・がっかりすぎてあっし初場所の場所入りの時に書いたよね入り待ちの常連の方の情報で、北青鵬だけは、ファンの近くを歩いてくれてファンサービスがいいと。で、ブログ書いた時は休場していて、けっこう重症らしいって情報をそのまま書いたんだけど。嘘だったんかーーーい!!好角家の方なら、ご存じの「規格外」の魅力あふれる力士。ほぼ棒立ちの状態から、廻しをつかむと、逆襲する力量がある。大相撲のセオリーを無視して幕内まで上がってきて。最近はちと覚えられて攻略法もつかむ力士も増え、
「日刊ゲンダイDIGITAL」様よりシェア、掲載。ありがとうございます。感謝です。元横綱双羽黒・北尾光司氏死去角界OBが明かす“最強伝説”公開日:2019/03/3014:50更新日:2019/03/3014:50第60代横綱双羽黒こと北尾光司氏が慢性腎不全により2月10日に死去していたことが、29日分かった。55歳だった。199センチ、151キロの巨体を生かし、新入幕から2年足らずで大関に昇進。一度も優勝がないまま、1986年9月場所から横綱に昇進
なぜか先日私の兄が双羽黒関の悪口を言ってました。糖尿病の悪化で亡くなってるの知らなかったみたいで教えたら驚いてました。双羽黒関はいろいろ問題行動があってそれで嫌われたのだと思います。不思議なのは精神科医の奥さんです。たまに首吊ろうとしたり、メンヘラの双羽黒と結婚しようとしたところが謎です。かっこよくてファンレターだかチョコを送ったのがお付き合いのはじまりだったようです。精神科医なのに、私生活でもメンヘラの夫とかキツそうです。糖尿病になって悪化した時、仕事を休んでまで双羽黒に尽くし
ひとつ前の当ブログの続きです。当時、横綱は千代の富士関ひとりという状態が続いていて、相撲界も早く次世代の横綱が欲しかったのでしょう。何と、優勝経験がないまま北尾関は横綱に昇進、「双羽黒」関となったのです。このニュースをきいたとき、僕も「えーっ!?」と耳を疑ったのを覚えています。同点で決定戦になったことはあったとはいえ、優勝0回で横綱というのは、相当に相撲協会も焦っているなあと思ったのです。「横綱」というのは容易に手が届かない存在としてあるべきで、ふさわしい結果を残した者がいなきゃ不在だっていい
3つ前の当ブログで、7月16日に「若三杉」さん(僕の中では「若乃花」というより「若三杉」なのです)が亡くなったことについて書きました。横綱・北の湖関の全盛期にぶつかって、2場所連続で「優勝決定戦」に敗れてしまったことも触れましたが、その次の場所で「若三杉」関は横綱に昇進されたのです。直前3場所で優勝がないのに「横綱昇進」したわけです(「若三杉」関は大関になったばかりの頃、1回優勝しています)が、過去には優勝経験なしで「横綱昇進」を果たした力士がいます。「北尾」関です。やはり「双羽黒」と呼ぶより
封筒本舗プリプレスのイノックマです。突然ですが皆さん大相撲はお好きでしょうか?最近はモンゴル勢の台頭などがあり、また魅力的な力士もいないので以前ほど観ることは無くなってしまったけれど、好きか嫌いかと言われれば好きです。基本テレビ観戦(?)なんですが、唯一現場に足を運んだことがあります。大好きだった千代の富士関を観に、1987年3月の大阪場所ヘ家族3人で出掛けたのですが、見慣れた野球観戦とは違い相撲の本場所はかなり異質で、慣れるのに時間が掛かりました。本来なら慣れたところで2回目3回目と
現役最年長51歳華吹が引退初土俵は昭和61年最高位は03年三段目18枚目(日刊スポーツ)-Yahoo!ニュース大相撲の現役最年長力士の序二段、華吹(はなかぜ、51=本名・山口大作、立浪)が23日に幕を閉じた初場所を最後に現役を引退することが25日、関係者への取材で分かった。引退届は日本相撲協会に提出済みで、news.yahoo.co.jp先代の「株溶かし」「かわいがり」立浪からずっとおったんやなぁ。あの双羽黒・北尾もおったとこ。長いこと力士としても部屋のちゃんこ長としても頑張っ
第60代横綱・双羽黒。本名北尾光司。北尾は201センチ、157キロの巨体を生かし、スケールの大きい相撲と親方衆からも讃嘆された。大横綱の北の湖や千代の富士に勝ったこともある。そして22歳の若さで横綱に昇進するのだが、一度も優勝したことがないのに、成績が良いので横綱に上げたのだ。大相撲ファンである私も当時、非常に驚いた。大関で二場所連続優勝が横綱昇進の条件で、最低でも優勝、準優勝でないと横綱には上がれない。大関は二場所連続で負け越すと位が落ちるが、横綱は何場所負け越し
千代の富士全盛期最大の強敵ついに1回も優勝はできなかったが、80年代後半の、全盛期に向かう千代の富士と最もいい勝負をしていたのが双羽黒=北尾(対千代の富士戦6勝8敗。もっとも他に優勝決定戦で2敗しているが、それは千代の富士との同点が2回もあったということでもある)。大相撲には「準優勝」を表彰する制度はないが、優勝次点、または同点が合わせて7回。双羽黒力士情報大相撲.jp大相撲データベース。古今東西、大相撲を何でも一覧!xn--psso2y7wo.jp双羽黒(右)対千代の富士(
水曜日夜の記事では、度々大相撲の話題をアップしています。小学校高学年期から大相撲ウオッチャーを自認している私です。先週から3回連続で、昭和時代終盤から平成時代序盤にかけて、20世紀終盤の名勝負の数々を特集した動画を紹介しています。二回目の今日は、千代の富士が君臨した時代の大物大関、小錦の特集から、同時期の名力士達の活躍を経て、後に史上初の兄弟横綱となった若花田と貴花田の登場の直前にかけての名力士による名勝負の数々をお楽しみください。
「神戸ニニンガ日誌」(第2,480号)◎序の口の華吹(はなかぜ)が勝ち越した。「序の口」は15日間で7番取るらしい。4番勝ったので勝ち越しだ。◎この立浪部屋の現役力士は、何と昭和45年5月生まれの50歳である。ラジオで聴き、我が耳を疑った。◎大相撲の歴史(昭和以降)の中で、これまでに40歳以上で現役を張った力士は33名いる。45歳以上となると3名だけだ。◎北斗龍は2017年に46歳で引退し、私と同い歳の一ノ矢は、2007年に47歳で引退した。華吹の50歳で現役ということがどれ
本日も妄想にお付き合いください。聖宝さん「修験道の開祖・蜂子皇子。飛鳥の時代に東北まで行くってすごいことですな。」真雅さん「庄内由良の浜にたどり着き、権現穴で修行されたわけじゃ。」聖宝さん「洞窟で修行といえば、空海大師匠は室戸で明星を感得したんでしたっけ。」真雅さん「庄内は日本海に面し、夕日の名所やけんな。感じるもんも空海兄ちゃんとは違うんちゃうかな。」聖宝さん「日本海に沈む夕日ですか。。」真雅さん「♪君の指に触れ♪♪唇に触れーええー♪」聖宝さん
前回までで、在位中優勝2回以上の横綱は全て掬い取り、残ったのは在位中優勝1回または0回の横綱たち。このうち、優勝で一花咲かせた横綱を一発型横綱に。惜しくも優勝は逃したが、大関時代から通算した成績は優秀で、一時代を担った力士を名大関型横綱とした。いずれの横綱もどちらかに入った。「短命横綱」「悲劇の横綱」と呼ばれる面々が並ぶが、横綱としてはイマイチでも、数多の大関よりも秀でた強豪には違いない。一発型横綱朝潮1栃ノ海1琴櫻1大乃国1稀勢の里1名大関型横綱武蔵山0
今夜のMステでいきものがかりはあの名曲うたうよ、とっちゃんです(・∀・)ノシさて今宵はとっちゃんこ今夜はキムチ鍋ごっちゃんでした相撲特番いっぱいやるんだね♪NHKさんありがとう昭和62年の大相撲この一年…懐かしい九重親方(北の富士さん)とウルフとオクタゴン(北勝海)の対談形式だったよねウルフの『(双羽黒は)強いですよ!』発言、鮮明に覚えてるそう、双羽黒があんな形で角界を去らなかったら、曙若貴の出世はもっと遅れたはずたられば言っ
コロナ禍による本場所中止の中、相撲をこよなく愛するjiro-sumo-iの暇つぶし企画、過去の横綱同士の優勝決定戦を通じて直近半世紀の相撲界の振り返り。今回は4回目です。【1987年1月】〇千代の富士-●双羽黒(12勝3敗)時は千代の富士一強時代。そこに対抗馬として頭角を現したのが双羽黒でした。半年前の1986年7月にも、この2人は14勝1敗同士で優勝決定戦を戦っています。当時双羽黒は、大関北尾でした。千秋楽結び、14戦全勝の最強横綱と13勝1敗の北尾の一番は、千代の富士に双差