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栃木の義実家への顔出し、通称参勤交代が今年も始まりました。今回はお父ちゃんが代走です。持参品。左のカゴはミニ青梗菜の間引き菜。真ん中のカゴは九条ネギと菜花。右のカゴはルッコラ。ここに来てようやく畑の葉物野菜が大きくなり始め毎日食べる分だけ収穫して楽しんでいます。これだけあっても火を通すと縮んで大した量じゃなかったりするんですけどねとりあえず形だけでも。いつもの“茨城に越しても元気でやってます通信”です。ルッコラは義両親にとって初めての野菜だったそうでるっ
2月15日(日)🌤️18/8℃昨日は結構雨が降って嬉しい反面🐕️の散歩が大変な夫でした🥲今日は気温が上がって春のような暖かさですウォーキングの予定でお天気が心配でしたが予定通り行われて片道が6㌔のアップダウンもある少しハードな行程でしたお昼頃に帰り着いたらこの「白おこわ」と豚汁を頂きました白おこわは昔々の参勤交代の時に提供されていたもので、保存会の皆さんが今日も準備されたそう幾つか余ったものをどうぞと頂いたのでじゃんけんしたら何と夫と私勝ってしまいましたありがとうございます
阿蘇には、江戸時代の参勤交代を偲ばせる史跡がいくつかあります。細川藩は江戸に行く経路として、熊本から大分に抜け(豊後街道)、そこから海路で瀬戸内を大坂に向い、その後は東海道というルートを選びました。まさしく、この豊後街道が阿蘇カルデラの中を通っているわけです。まず、最初の史跡が「二重峠(ふたえのとうげ)の石畳」です。熊本を出発し、大津町に宿泊した参勤交代の一行は、翌日、西側外輪山の二重峠を越えて、カルデラ内の的石地区方面に下ります。この二重峠の下あたりに、「北側復旧道路
おはようございます。昨日、1月25日(日)梅田芸術劇場で行われている「忠臣蔵」の舞台を見に行ってきました。皆さんもご存知だと思いますが、赤穂の四十七士が主君浅野内匠頭の仇を取るという物語です。300年前で、江戸が、太平の世です。江戸幕府が全国を統治して、各藩主は参勤交代で江戸にいました。赤穂の四十七士は人を切ったことがなく、そのくらい日本に平和が続いていました。忠臣蔵は日本人が300年間語り継いできました。改めて、忠臣蔵を観劇して、「思い」って大切だなと改めて感じました。
十三人の刺客2010年9月25日(土)公開1963年公開の工藤栄一監督による同名時代劇を、「クローズZERO」シリーズの三池崇史監督が現代風に再構築。あらすじ弘化元年3月。明石藩江戸家老・間宮が、老中・土井家の門前で切腹自害。間宮の死は、明石藩主・松平斉韶の暴君ぶりを訴えるものであった。将軍・家慶の弟である斉韶は、明年には老中への就任が決まっている。事件は時の幕府を動揺させ、このままでは幕府、ひいては国の存亡に関わると判断した土井は斉韶暗殺を決断、御目付役・島田新左衛門にその命を下す。大
江戸時代には参勤交代、年貢米等の物流、成田参詣の道であった佐倉道は日本橋から市川までが幕府所轄、それ以東は諸藩で整備したそうです。佐倉城大手門入口には高張提灯が一晩中灯されていたそうですから、その時代を想像するだけで、ワクワクしますね。(写真右上)観世音道石造の正道標正面には是よりあさくさくわん世おん道、右面にはいちかわ道、左面には、にいしく道とあり、安政4年1775年建立のもの成田道石造道標は正面に左成田ミち、右面には文久2年、左面には願主の名前があり建立は文久2年18
今日は帰省ラッシュのピークだそうです。毎年このニュースを見ると、大変だな…と思う。大きな荷物と幼児を連れて、混雑した鉄道、飛行機、道路、大雪。故郷の親がこっちに来ればいいと思うのですが、そうではないらしい。どうせそんな混雑を乗り越えて行ったって、相変わらずの事が待っている。まるで昔の参勤交代みたい。初詣も、そんな所に行ったって、何も変わらなかったので行かない。まあ、自宅に居た方がいいって事です。
今月も行ってきました義実家に。持参品。茨城産の干し芋、年末スペシャルで2箱。返礼品。義実家の庭で採れた鬼ゆず。魔除け・厄除けの縁起物。栃木では玄関に飾るお宅がちょいちょいあります。ギュムッとした玄関。何とか置けて良かった。ついでに普通サイズの柚子も分けてもらいました。さっそくお風呂へ。カピバラ、いえお父ちゃんがとても喜んでいました。風呂上りに私の部屋に来て「良い匂いがする!」とターンを決めて柚子の香りを振りまくお父ちゃん。本当にふわっ
お江戸で一番ほっとできる場所(参勤交代で泊まる宿)
著者:山本博文氏(講談社現代新書)私の演じる落語に大名行列が出てくるのだが、実態をよく知らないので参考に読んでみたが、これがなかなか面白い。参勤交代は江戸時代のものと思ってたが、源流は鎌倉時代かららしい。とはいえ、正式な幕府のシステムとして機能していたのは江戸時代。その江戸時代の大名の参勤交代の準備、宿泊の仕方、通行の方法、道中のトラブルがあった際の処理要領などを本書で細かく知ることが出来た。参勤交代は将軍に対する服属儀礼で、基本的には1年おきに江戸に参勤しなければならない決ま
一年間の行動を動画で可視化できるアプリ「TravelBoast」✈️📍最近、SNSでよく見かけるようになって気になっていました。地方組の方が、何度も東京遠征している様子を動画にしてアップしていて、それに対して「参勤交代?」ってコメントがついているのを見て、思わず吹きました😂たしかに、あの移動距離と頻度はもう大名行列レベル👏そんな流れに乗って、私もさっそくやってみましたが、今年の参戦履歴を振り返ると、京セラと仁川のみ。移動距離もシンプルすぎて、正直あまり面白くもなんともない仕上がりでし
2025/12/07劇団ひとこと
🎌1635年、参勤交代は「制度」になった――江戸幕府が大名を統制する“決定打”となった寛永令の真相江戸幕府の支配を語るうえで必ず登場するキーワード――参勤交代(さんきんこうたい)。しかし、この制度は江戸幕府の成立直後から存在していたわけではなく、1635年(寛永12年)にようやく“公的な制度”として形を整えたことは意外と知られていません。この年、第3代将軍徳川家光が公布した『武家諸法度(ぶけしょはっと)』(寛永令)は、参勤を“慣習”から“法令”へ格上げする、歴史上の大転換
本日はビンテ-ジUBE③です!「参勤交代」の目的と仕組みとはいかなるものだったのか参勤交代には、本来2つの意味があった。すなわち1つは「権力者への拝礼のために伺候(しこう)する」というもの、もう1つは「権力者に軍役によって奉仕する」という意味である江戸幕府の制度の直接的な起源は、豊臣秀吉が全国の大名たちに、大坂城や聚楽第(じゅらくだい)周辺に邸宅を与え、領国との間を往復させるようにしたことであろう家康は「諸国の大名、大樹(将軍)の命にそむき、参覲に怠るものあらんには(
江戸時代で言うなら…💦参勤交代か?笑月曜日朝1番本社会議の為仕事日曜日移動冠雪してますネ富士山画像お借りしました下り新幹線ホーム新横浜駅スタバ途中下車せず通過都内🍁紅葉見頃都会🏙️若ければ良いけど田舎が早く帰りたいです
※下記の記事は2007年投稿時のものをそのまま添付しています。日付などにご注意ください。※行事などは過去のものになります。和歌山街道1検校橋・禰宜橋・坊主橋2007年10月10日|郷土まず水屋神社の川向(対岸)を通る旧道「てんてん、てんまり、てん手毬、紀州の殿様お国入り」でお馴染みの和歌山街道をご案内しよう。和歌山街道地図http://www.pref.mie.jp/bunka/plan/rekisi/index/home/walkmap/waka/waka-4.pdf検
ハッピーサンクスギビングそして(娘)がターキーコースター作ってくれた〜かわゆいKala
大名の力を削ぐ目的だったと言われている参勤交代政策だが、それは結果論の見方であり、主従関係の延長である軍役の一環だというのが、近年の研究の趨勢のようである。大名の出府や帰国で交通が停滞しないように配慮が必要だったり、大名行列でも華美なものは控えるように幕府の指示があったりとか、イメージとは全く違うところも多く、本書で知った周囲の人たちのエピソードには中々に興味をそそられた。著者は一連の研究で江戸での大名の在所との交代のシステムを深掘りしようとしていて、またイメージが改まるかと思うと楽し
東京には様々な種類の神社があります。江戸時代の参勤交代の時に地方の藩主が江戸の藩邸に勧請するという事がありました。(画像はHP)日本橋の水天宮(画像はHP)虎ノ門の金刀比羅宮一説によると参勤交代の資金づくりとも言われています。
中山道は、江戸時代に参勤交代で何千人もの大名や公家、お付きの人々、馬などが中山道を通りました。中山道は、江戸の日本橋から京都の三条まで544kmもの長い道でした。その中には69次の宿場町があり、垂井宿は赤坂宿と関ヶ原宿の間にあり江戸から数えて五十七番目の宿です。垂井を流れている相川。美濃路との分岐点です。垂井宿の地図ここが東の中山道の始点になります。中山道との分岐点にはわかりやすいように地図が設置してあります。玄関先には、江戸時代当時に中山道にあった屋号の木の表札の
今月も行ってきました義実家に。…と言いますか、結構通っていました。義母の健康診断で気になる項目があり本人の希望もあって通院したり検査したり。病院は自転車で数分の場所なのですが一人では心細いということで一緒に通院していました。あれこれあってしっかりした検査の結果、異状なしのお墨付き。よかったよかったそんなわけで特にこちらからもあちらからも手土産的なものは控えていたのですが安心できたということで庭に生っていたあけびを貰ってきました。何か買
4時半起き今日は土曜日なのに4時40分〜朝練しました。そう。自転車に乗らず行ったのは大内宿?参勤交代の頃を醸し出すとこ。冷やしそば。お箸なし。ネギで食べるんだそう。薬味がないのでネギを食べるという。辛くてこれが限界。最近あらゆる物が値上げしてるので、持って帰るか悩みましたがおいてきました。書き忘れてましたがそう。今日は神立中央参・伍丁目レーシング(私がつけた名前)のツーリング!帰路中、えらい速度差で白バイに抜かれて何か?と思ったら先頭走っていた副区長さんを捕
米一升五合これは浅草に回して御蔵に納める料金、古くから近隣の村の申し合わせ、互いに名主、年寄の年番を代わる代わる御蔵に納めるのに毎年かかる。米一升五合これは船賃、駄賃、上乗賃、河岸の番の代金がかかる。時と場合により、この分に不足が出ることもある。大体こんなところである。遠方は運賃をいただくことはあっても、それ以上に金がかかる。およそ江戸付近も五里四方であっても大概支出する。他のことは想像がつくだろう。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーそれでも船で運べるところはまだいいんですよ。牛