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加納石人の書さびしさのそこぬけてふるみぞれかな丈草句丈草は江戸時代中期の俳人。去来と親交を結び、芭蕉に入門。蕉門十哲の一人。寒夜に一晩中、草庵で独居するうちに、寂しさの極限を突き抜ける境地に至った。ふと気がつくと闇の空からみぞれがかすかな音で冷たく降り続いていた。ようこそ!随風社加納朱美です。なんとも厳しい状況が想像出来ます。極限の孤独、、、その上に、身体まで冷えて心身ともに凍てついているはずなのにどこか飄々と、自分自身の境遇を俯瞰してい
次に向かったのは常寂光寺からすぐ近くの落柿舎でした落柿舎はまだ行った事がなかったし口込みなど評判がいいようだったのでどんな所か興味がありました紅葉は全然関係なしでのどかな平地を歩いて行くと右側に大きな柿の木がありました細い道路をはさんで反対側が落柿舎でした嵯峨野にある草庵松尾芭蕉の弟子向井去来の別荘として使用されていた落柿舎の由来は庵の周囲の柿が一夜にして全て落ちた事による芭蕉も3度訪れてい
月見舟月をぼんやりくずしけり広舟を浮かべて月見をするのは風流なものだが、岸辺の月見客にすれば水面の月を崩され、月見の風情がそがれる。観月の宴は、月見団子とすすきを供えて家族、あるいは友人知己と中秋の名月を愛でるもので、月の神様を招く依代としてとしてすすきが供えられているようだ。観月によってそれぞれの絆を確かめ合う、思いを深めるのは結構なことだが、月明かりを頼りに夜道を歩いた昔と違い、今は郊外の田園地帯でも街灯が灯り、月明かりを意識することがなくなった。月との関係
今日はお彼岸の中日です実家が寺院だった彼岸にいらっしゃる皆様にお詫び申し上げる次第です*(๑¯人¯)ナムナム✧*|あんべさん♪(ameblo.jp)立ち止ったままでも前だけは向いていましょう*(๑¯人¯)ナムナム✧*|あんべさん♪(ameblo.jp)ボクにはいろいろなことが心の中に去来する日でもあります昨日ももちろん「岩手産いわて和牛」だらけでした@サミット(◍¯∀¯◍)ニヤニヤ|あんべさん♪(ame
5月24日の嵐山から奥嵯峨をウォーキングの続きです。『展望台から保津峡の絶景☆嵐山から奥嵯峨をウォーキング』嵐山から奥嵯峨をウォーキングの続きです。『嵯峨野の羅漢さん☆嵐山から奥嵯峨をウォーキング』嵐山から奥嵯峨をウォーキングの続きです。『嵐山と渡月橋☆…ameblo.jpこのブログの続きになります。小倉山の麓にある小倉池を後にして。奥嵯峨の鳥居本方面に歩きます。紅葉の名所常寂光寺を通過。青モミジがいい雰囲気の散歩道です。途中に去来の墓がありまし
必要なものは向こうからやって来る。必要でなくなったものは離れて行く。それが自然の摂理。来るものは拒まず去るものは追わず。慣れ親しんだものとの別れは悲しいけれどそれもまた世の常。新しい出会いが後ろに控えている。時の巡りと共に生きる。大気と水がこの星を巡るように。やがて土に還るまで。
(はいかいはあそべとぽつんきもりがき)落柿舎蕉門十哲の一人、向井去来の遺跡です。芭蕉の高弟十人は、確定しているわけではありませんが、宝井其角・服部嵐雪・向井去来・内藤丈草は必ず入り、森川許六・杉山杉風(さんぷう)・各務支考・立花北枝・志太野坡・越智越人・河合曾良・野沢凡兆・天野桃隣・三上千那‥‥と、多くの門人の名が出てき
昨日の午後2時45分から、通算193回目となる24時間断食を、23日振りに行っていました。元来193回目24時間断食を行なおうとしていた、今月7日に妻が急逝してしまい、その日から昨日迄、葬儀は勿論の事、怒涛の展開で全く24時間断食を慣行出来ませんでした。1ヶ月近く間が空いてしまったのは、2015年夏からやり始めて以来、最初の1年の内に2回程あった記憶がある位で、久々の事でした。仕事、スタジオ練習、ウォーキング、筋トレ、飲み食い会、洗濯、食事の用意等々、元来普通にやってきた事達も
“宇宙(そら)”の和音♪通信/9月10日☆今日は何の日?【去来忌】江戸時代前期の俳諧師。『去来抄』を著した蕉門十哲の一人である俳人、向井去来の1704(宝永元)年の命日。芭蕉十哲の一人。儒医向井元升の二男として肥前国(今の長崎市興善町)で誕生。長崎街道には句碑「芒塚(すすきづか)」が建てられています。堂上家に仕え、武芸に優れていたが、若くして武士の身分をすてました。京都嵯峨野の落柿舎に住み、松尾芭蕉はここで『佐賀日記』を執筆。野沢凡兆と共に、蕉風の代表句集「猿蓑」を編纂。
〇〇や、ああ〇〇や、〇〇や「松島や、ああ松島や、松島や」ってね。あれって、芭蕉の句みたいに思われてるけど、芭蕉は松島を見て俳句を詠んでいないんだって。あまりに感動して、俳句を詠んでなかったといわれてる。同行した弟子の去来が師匠の様子を残した読み物の中の句から。(それも少しアレンジしてる?)プレバトの影響か、五七五にする事が増えたように思う。楽しいよね^^v▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう
六、高天原と伊耶那岐大神さて、こうした人類の精神文明の基本原理である布斗麻邇を完成した人々が古代の聖人達すなわち最初の仏陀達である。これ等の仏陀達を代表する責任者の名を布斗麻邇の上の称名で伊耶那岐大神と云う。すなわち文明の創始者である。イザを十六、去来(いざ)と書けばココロと読む、ナギは名木または凪(なぎ)である。これでおおよそその意味が掴めよう。すべて神道の神名は精神原理の内容を象徴呪示してある称名であって、「神代の事幽微、理に非れば通せず」(清原国賢)と云
夜の公園のベンチに一人座ってさっきLAWSONで買ったつなあげを食べている気持ちいい岩鼻やここにもひとり月の客去来の句を口ずさんでしまうのは、私だけだろうか残念ながら、月は出ていません(^_^;)byXperia1Ⅲ
必要なものは既に与えられている。これから必要なものは向こうからやって来る。要らないものは過ぎ去っていく。深追いすることはない。人も物も去来する。去っては訪れるの繰り返し。この瞬間、全ては完全でありなおかつ変化し続ける。
書と美文字と老犬と♫本日は書のお話「去来」禅語「青山元不動白雲自去来」より(せいざんもとふどうはくうんおのずからきょらいす)「白雲は煩悩を表し、白雲が動いていると山は動いていないのに山までも動いて見えてしまうこと」『自分自身しっかり構えていないと(山)煩悩(白雲)に流されてしまう…』と私は捉えています。私の生活の中は煩悩だらけブレないように自分軸を定着させるそしてきちんと予定を立てて準備をせなな↑いい大人なのにできていない流れゆく雲を眺めていると吸い
人事:陰暦9月10日。芭蕉の信頼厚い向井去来の忌。去来忌や緒露(ちょろ)と名付けて寺の犬寺の犬は「ちょろ、ちょろ」と呼ばれているが、まさか「緒露」なんて漢字だとは。まるで芭蕉のような名だ。去来忌の愉快な発見。「去来墓」は落柿舎(京都市右京区嵯峨小倉山緋明神町20)の北側にひっそりと佇む。「去来墓」の表示が無ければ分からないほど小さく目立たない墓である。俳人・向井去来は、本名兼時、通称平次郎。
毛越寺で買ったお土産俳聖かるた芭蕉、去来、蕪村、一茶の俳句がかるたになっていました。にほんブログ村
お寺から毎年頂くようで、私は知らなかった。母に聞くと、毎年もらっても、タンスの中にしまってる。と言うことで日の目を見てない。毎年、言葉は違うのだろう。来年は「去来」です。後ろに私の書いた龍体文字があるので、神と仏じゃよくないから、後で片付けよう。ところで、去来、去ることと来ること今年は、父や愛犬の死で、もう会うことができない「去る」の年でした。来年は「来る」に期待していましょう。
八年前の東日本大震災後の写真身が引き締まる思いが再び去来する諸仏照覧皆共成仏道
秋風や白木の弓に弦張らん去来実はこの句、白木の弓がよく分からない。ただ、凛と張り詰めた気配は感じる。快い緊張感。今日の句、森鴎外のエッセー「俳句と云ふもの」から(1912年)。父と東京に出て向嶋に住探すんでいた15,6歳のころ、誰かの編んだ類題句集ではじめて俳句を見た鴎外は、この句が「ひどく気に入つて、こんな句がして見たいと思つた」らしい。その後の鴎外は、さほど俳句に関心を示さなかった。短歌や新体詩にはかなりのめり込んだのだが。このエッセーに母から聞いた祖父の俳句体験の話が出て
心の中でいつも去来している情動が私たちの無意識を形成します。そしてそれを私たちの脳は実現すべく働き続けます。ですから心の中に福音を刻めば、福音の約束が成就するわけです。そのためには繰り返し繰り返し心に福音を染み込ませなければなりません。そのためには福音を読誦し、福音を聴聞し、福音の約束に対する感謝の祈りを生活の中で絶やさぬことです。ある程度、これらを続けていると福音が心に染み込みます。すると今度はその福音の約束を成就するために脳が動きはじめます。その時は、嫌々では
心の中で無意識のうちに去来する様々な思いを私たちの脳は実現するように働きます。なので心の中を世俗的欲望で満たすか神のことばで満たすかで私たちの生活大きな違いが現れてきます。イエスは人の信仰の真偽を確認したければ実を見ればわかる、即ち、結果を見ればわかると仰いました。福音を生きるのがキリスト者ですから結果として現れるものが俗なものであればその信仰は偽りであり、心の中は煩悩塗れである事を証明してしまう事になるのです。あなたの心は何に満たされていますか?「あなたがたは、地
誰にでも訪れる夏野球だけが特別なのではない被災地の高校もいくつもある練習どころか、バットもグローブも流された高校野球もある優勝しても甲子園に行けないコロナが別の部活で出て辞退した高校もあるそれぞれの胸に去来するものがあると思いますが大人たちはそれを特別な夏と名付けたこの言葉が本当の意味を持つのは10年20年先だろうなにが言いたいのかって?なんだろね
心の在り処を宗と言います。その宗を留めるための教えが宗の教え、宗教となります。教団の事を宗教であると普通は思いがちですが、私たちの心のよすがの事を言うのです。ですから特定の教団に所属していようとも心の中で常に去来する関心事がこの世の事ばかりであるなら、その人にとっての宗教はこの世の関心事という事になってしまいます。なのでパウロも地上のものを思わず、天にあるものに関心を持つようにと教えたのです。「あなたがたは、地上のものを思わず、天にあるものを思いなさい。」(コ
脳は私たちの心の中で去来する様々な感情に対して人称をとらえないそうです。つまり全ての感情を自分の事として捉えるのです。なので誰かを憎むと脳はそれを自分の事として捉えます。なので〈あいつムカつく〉は〈自分がムカつく〉と脳は認識するのです。なので心身共に疲弊するのです。嫌な事はさっさと忘れるのがベストですが、それも難しい事です。だからせめて復讐は神がしてくださるとの約束を信じて憎しみで心を満たさないように注意してみてください。「愛する人たち。自分で復讐してはいけま
結局人間普段考えてることが自分なんですよ。普段何を考えてるのか?常にあれ食べたいこれ食べたいて考えてる人常にあれが欲しいこれが欲しいと考えてる人常にあーなって欲しいこーなって欲しい常にあいつがこうしたらこいつがこうしたらとか常に考えてることがあなた自身であるということです。死んでからどこにいくのかは普段何を考えているのかによります。結局それに尽きるのですだから少しでもプラスのことをあーすればあの人が助かるのかな?とかあの店にあの人を連れて行けば喜んでくれるかな?とか
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眠ろうとして、寝付けないとき頭の中では気になっていることが去来するそのうち、ゆっくりと眠りの淵に近づきいつの間にか眠りが訪れるそんな日もある。良い瞑想をしようとして、瞑想を始めたとき頭の中ではグルグルと思考が止まらないそれでも、いつしか瞑想の淵に近づき瞑想が訪れていたことに気づくそんな日もある。布団に入った瞬間に眠りについているそんな日
るるのブログへようこそまたお会いできて嬉しいです梅雨入りする前に憧れていたベビー服ベビー肌着ガーゼなどの水通し(世界一幸せな洗濯ってやつです)やりました小さい小さい肌着やお洋服を小さいハンガーにかけてベランダに干しましたハンガーにかけながら「ちいさーい!かわいい〜なにこれー!」と独り言止まらず笑萌え〜干してる最中今までの色々な思いや記憶が去来して来ました不妊治療がうまくいかなくてクリニックからの帰り道の車で泣きながら帰ったこと安室奈美恵さんの「B
半世紀愛される福音館作品の秘訣朝日新聞社これらの作品は、全て児童書出版社・福音館書店から出版されている。中には数十年の間に200回以上の重版を繰り返している絵本もあり、親子3代で読み継が...妖怪イラストが話題生身の体験が対話生むカナロコ(神奈川新聞)そんな中、同館の公式ツイッターに投稿された自身のイラストが注目された。疫病退散に効果があるという妖怪アマビエが同館が所蔵するピカソの女性像を自分...広島県呉の海上自衛隊てつのくじら館6月22日再開入館は1日4回の入替