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こんにちは、城跡で日本を元気にする「城跡で地域活性する活用専門アドバイザー」で「日本マイナー歴史研究専門家」の原一六四(ひろし)です。本日も「謀反・反逆・裏切りから見る戦国史」シリーズをお送りいたします。と、その前に原一六四の歴史動画「歴史の裏側教えます!!」ですが、新しい動画をアップいたしました。今回は武田の騎馬軍団について動画撮ってます。戦国時代、最強と恐れられた武田の騎馬軍団。果たして、それは本当だったのか?武田の軍団での騎馬軍団は他より多かったのか?どうして最
おはようございます。(株)ハヤノ早野石材店のジャム爺&モモ&憲吾です。先日は、町田市にあるお寺様で埋葬式のお手伝いをさせて頂きました‼️そのお寺様にある桜🌸が咲いておりました^^まだ、五分咲きくらいかなぁ〜〜此方のお寺様のお墓参りには、桜の木の下を通って、墓所に向かいますので、桜吹雪が舞う頃は非常に綺麗ですよ〜〜^_^さぁ〜本日は、これから墓前法要のお手伝いをさせて頂きます。(*´∀`)♪で、今石屋さん組み合いの役員をしてる⁉️(p_-)と言うか…させら
<第82代後鳥羽天皇>(院政)後白河院。源義仲・入京。平氏・西国へ。源頼朝・東国支配権1192年征夷大将軍。源義経一ノ谷の戦い〔畠山重忠〕。厳島の戦い。壇ノ浦の戦い〔二位尼・安徳天皇と三種の神器と共に入水〕平氏滅亡。1185年守護・地頭設置。
⚫2連休もしくは3連休。いかがお過ごしですか?⚫私用でバタバタしておりました・・更新してなーーい!と、焦ってしました。↓♪こちらからどうぞ♪↓今年もやります!!大バーゲン♪リニューアルしました♪☆紋次郎SHOP☆入口↑こちらをクリック↑入口★1月のおすすめ商品★《!新春初売り!》【なめらかタッチラグ】『程よいクッション性!肌触り抜群!』ラグマットカーペット1.5畳洗える抗菌防臭無地…¥3,200(税込)生地に抗菌・防臭加工を施した、ラグカーペットです。
昨日は、本当は私の実家のある高松に本場の讃岐うどんを食べに行く予定だったのですが、朝寝坊をして出発の時間が遅くなってしまい、断念することに…その代わり、「初詣」で行けなかった宮島の厳島神社へ行くことにしました!宮島と言えば、名物「あなご飯」!いや〜!「JR宮島フェリー」の乗り場近くにあるあなご飯専門店「ふじの屋」さん!ここのあなご飯、炭焼きの焼き立てで香ばしく、表面はカリッと、中はしっとりほっこりって感じで、美味しいのなんの!値段は1人前1750円とちよっとお高めですが、それでも惜し
ども宮島に来たからには宮島のお城をといってもいまいち地図で場所を確定できなくてこれかなといろいろ探し回りました宮尾城は毛利元就が陶晴賢来襲のために築城したとされますがそれ以前からあったらしいです港を降りて目の前に見える丘がそれらしいしかも結構大規模、というより住宅街に入り組んでると思われます堀切と思われます平地があったので出丸かなにかの跡かなとと見てきましたが次の予定もあってこんなところであまりし
山陽自動車道路をひた走り・・・日付は変わった宮島口フェリー乗り場早朝~誰もいない(笑)フェリー乗り場前のセブンイレブンで、おにぎり弁当6:25発(笑)厳島が見える~フェリー10分で着く島(笑)
毛利元就・もうりもとなりの先祖って誰かご存知?政所とか評定衆とか鎌倉幕府の職制を作ったもともと京都の下級公家で官僚だった『大江広元(おおえのひろもと)』です大江広元の出た大江氏時代が下ってサムライ稼業を始めましたそれが毛利氏ですちなみに我が家大江広元の先祖京都にいた頃からのガードマンみたいな家人もともと別のところから北面の武士賦役のために京都にて荘園のことで人を置いていったどうもその辺りから付き合い始めたみたい代々ガードマンを出していた源
しばらく愛馬更新が続きましたが、次の出走予定は一頭も決まっていません。ここから数回、広島県内のお城跡の紹介が続くかと思います。今回の豪雨により亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。また、被災された皆様にお見舞い申し上げると共に、一日も早い復旧・復興を願います。ご紹介する予定のお城跡の中には、今回の豪雨被害で地域の名が上げられていたところもあります。城跡の状況を考えた時、土砂災害などに城跡そのものも巻き込まれ、場合によっては消失してしまったものもあるかもしれません。城跡には、
午後からの打ち合わせまで時間があるので早めしじゃ!!ちょうどいい具合に吉野家の牛丼が♡いざ!厳島の戦い!!お♪きたきた♡敵兵の数はおよそ2万から3万か、それに対し我が軍は5千圧倒的に不利だ…まずは中心部をえぐりまして…大軍のメリットを活かすことのできない狭い場所におびきよば少数の我が軍にも勝因がうまれるしかも厳島は平地が少なく山地ばかりじゃ!!凹部を囲いこむようにネギを配置卵の出陣の準備も抜かりなく海賊である村上水軍を味方につけて…厳島まで陶軍を誘い込み…ん~色合い
武将自決戦国辞世何を惜しみ何を恨まむもとよりもこのありさまの定まれる身に陶晴賢/陶隆房(すえはるかた/すえたかふさ)生誕大永元年(1521年)死没弘治元年10月1日(1555年10月16日)戦国時代の武将。周防国の戦国大名・大内氏の重臣。生涯家督相続大永元年(1521年)、陶興房の次男として生まれる。陶氏は大内氏の庶家・右田氏の分家であり、大内氏の重臣の家柄であった。少年時は美男として知られ、そのため大内義隆の寵童として重用
武将戦国自決殉死辞世勝敗の迹を論ずること莫かれ人我暫時の情一物不生の地山寒うして海水清し[原文]莫レ論二勝敗跡一(しょうはいのあとをろんずるなかれ)人我暫時情(ひとわれざんじのじょう)一物不生地(いちぶつふしょうのち)山寒海水清(やまさむくかいすいきよし)垣並房清(かきなみふさきよ)?~1555戦国時代。垣並佐渡守。陶晴賢の家臣。厳島の戦いで自害した。厳島の戦い(いつくしまのたたかい)天文24年10月1日(
武将戦国自決辞世生死を断じ去って寂寞として声なし法海風潔く真如月明らかなり野上房忠?~弘治3年(1557年)4月戦国武将大内氏家臣。防長経略により自刃。防長経略(ぼうちょうけいりゃく)天文24年(1555年)10月12日から弘治3年(1557年)4月3日まで行われた、安芸の戦国大名毛利元就の大内氏領周防・長門侵攻作戦した。背景天文24年10月の厳島の戦いにより、毛利元就は大内軍の主力である陶晴賢軍を撃破し
今年の仕事納めの前日、今年のラーメン食べ納めに行って来ました。松陰神社前駅近くの「八蔵」であります。いつもの通りに「ラーメン・チャーシュー・玉子」の食券(1000円)を買い、さらに海苔増し(100円)を購入。今回も自分へのプチご褒美ランチです。海苔が先に来て・・・ラーメンも到着。この日も寒さのせいか非常に混みあっていましたが、何とかランチタイム内で食べ終えることが出来ました。ここのスープが好みなのでございます。これがオイラの年越し蕎麦代わりです!!!【時
前回記事、②キリとバランスが悪かったので、一時間後に編集し直し更新しました。高砲台でランチの模様を、ご覧になってない方は、前回記事の途中からお読みください☆*゚゜゚*☆*゚゜゚*2017年12月16日(土)宮島太郎の会さん主催の、山道探訪に参加中です次は浜辺を目指すZ次の目的地・入浜を目指して、下へ、下へ・・×50それなりの急坂を下りて、入浜(いりはま)へ(鷹ノ巣浦神社)
先日、ナユミマさんから旅のお土産が自宅に届いて、ウハウハのRieruです★ありがとうございました同封されていた資料をパラリ☆『包ヶ浦⇆鷹ノ巣山⇆入浜の山道を探訪』と宮島の地図が。先月『宮島太郎の会』さんから、鷹ノ巣砲台跡周辺を歩くお誘いがあったそうで、私も便乗させていただくことにm(__)mいつもいつも、お世話になります!当日は微妙なお天気・・・お天気とは裏腹に、めちゃくちゃ楽しみでたまらない!前回訪ねたのは9月でしたのに、すごく懐かしい気分でした。・・・・・・えっ?参加
こんにちは、philosophiaです<社員研修旅行>の続編です。翌日は、厳島に渡るため宮島口へ雅楽で有名な<蘭陵王>です!駐車場で充電してもらいながら、お土産の一つを予約。往きは、JR宮島フェリーに乗船します。カキの養殖の筏が並んでいます。JR宮島フェリーは、大鳥居に最接近してくれるルートなんです!<千畳閣>も見えます。フェリーを下船すると目の前が開けた広場です。ここは、毛利元就公時代の古戦場(厳
11月26日、NHK文化センター歴史探訪で、広島県廿日市市、ちょっとややこしいですが、廿日市はつかいち市しに行ってまいりました。この地域で、誰でもわかるところといえば厳島神社ですが、そこには行きません。【洞雲寺】最初に向かったのは、曹洞宗の寺、洞雲寺。今では、常駐の住職のいない寺になっているそうです。しかし、もともと、厳島神社神主の藤原氏の菩提寺として建立されて、神主家内の争いや、この地域の支配をめぐる争いをかいくぐり寺勢を維持したので、貴重な中世文書を伝えているそうです。門も立派です
「村上海賊の娘」を読み終わって読み始めたのが、「秀吉と武吉」です。武吉は、能島村上の主、瀬戸内海賊の総大将海賊の娘、「景」の父親です広島まで3時間半ですからね(^_^;)ずいぶん読めるかな車内販売のコーヒーを飲みながら、読んでいきます村上武吉は、最初、毛利元就と組んでいますので、厳島の戦い、郡山城も出てきますbyXPERIAZ5
※これは『信長の野望創造戦国立志伝』のプレイ記録です。所有拠点数:1武将数:3●1555年9月河野家に援軍頼めるようになったので、これで宇都宮家攻略開始。宇都宮家は約1600と寡兵なうえ、大洲城の城耐久は3000と低い。下の画像ではちょっと見えにくいが、当家の兵数は2400。戦闘でどれくらい兵が減るかですが、援軍なければ厳しいかもしれないレベルです。お、河野三人衆勢ぞろい。味方は計8400。これいけるかも。●1555年10月厳島の戦い。
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難易度の格差が激しすぎる「ケータイ国盗り合戦」のクイズ問題。本日の問題はちょっとひどすぎ(って思っているの私だけ?)でしたね。まずは本日の「ケータイ国盗り合戦」のクイズです。上に示した3つの場所でおこなわれた合戦をまとめた言葉は、次のうちのどれ?1.日本三大水攻め2.日本三大海戦3.日本三大籠城4.日本三大夜戦正解は「4.日本三大夜戦」です。正解率は67%でした。これは怒ってる人が多いだろうな・・・【解説】「印をつけた場所で
さて、大河ドラマシリーズ、続いては『毛利元就』である。改めて見ると、女性陣の使い方が上手い。安芸の小国の時の毛利元就の話は時に暗くなりそうだが、女性陣の明るさに助けられている。これが小国の悲哀を柔らかくしている。さらに緒形拳演じる尼子経久の存在感の大きさ、格の見せ所。まるで敵でありながら師匠ようでもあった。また、初期は脇も重厚で、元就が頭を押さえつけられているのもわかるような形。特に片岡鶴太郎演じる井上元兼。滅んだ時は思わず「ざまあみろ」と思わせたまでの演技だった。彼らが消えてからは
いつも当ブログの歴史連載物語「八幡の武将」をご覧になって頂き、誠にありがとうございます。みんなぁ〜、いつもありがとう。今回は「こぼれ話」その②だよ。「八幡の武将」の今までの目次はこれだよ⬇️八幡の武将・目次1560年、関東では長尾景虎(ながおかげとら)が小田原北条氏(おだわらほうじょうし)を攻める小田原城の戦いが起きています。うん。これは「八幡の武将」で進行中だね。他の地域ではどうなの?1556年、美濃国ではマムシと言われた斎藤道三(さいとうどうさん)が子の斎藤義龍(さいとうよしたつ)
にほんブログ村大寧寺の変で主君・大内義隆を討ち、大内家の実権を握った陶晴賢であったが、その強引な拡大政策は、周囲の諸大名や国人衆の反発を招いていた。その中で反大内に立ち上がったのは、安芸の大名・毛利元就であった。元就は謀略を駆使して、晴賢を厳島・宮尾城に誘い込むことに成功。<下剋上と戦国時代>陶晴賢領民解放のクーデター【電子書籍】[小和田哲男]103円楽天陶晴賢[戦国大戦/R/Ver.1.2/他]100円楽天毛利元就戦国人物伝(コミック版日本の歴
歴史の本や小説などで知ってる地名が出ると嬉しくないですか?武将ジャパンの「毛利元就」まとめ記事のお手伝いをしているのですが、知ってる地名だらけで幸せ例えば「厳島の戦い」。陶晴賢が上陸した包ヶ浦は海水浴場!遠足やキャンプでも広島県民に馴染みのある場所です。実は数年ですが父が厳島で仕事をしておりまして、帰省が厳島でした厳島神社も紅葉谷も大聖院も分かりますのでイメージがしやすい。宮尾城跡もほいっとな。あとは井伏鱒二の黒い雨など読みますと地名がわかる分リアルに想像でき原爆の恐怖が増します。