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このブログのマーラー交響曲談義も、そろそろ終盤に差しかかってきました。今日は、交響曲第9番です。マーラーは、ベートーヴェン以降の作曲家が、第9番を越えて交響曲を書いていないこと、つまり第9番を書くか書かないうちに鬼籍に入っているという事を、非常に強く意識していたようです。指揮者・作曲家として確固たる地位を獲得していった壮年期のマーラーでしたが、一方では、若く美しい妻=アルマの恋愛に悩んだり、また自身に生来の心臓疾患があることが判り、自分の人生に残された時間があまり長くはないの
その1コンテスト?試験?のようなことが行われている。飲み物の丁度いい甘さを競う大会?のようだ。5人?1組でレモンとか蜂蜜を使ってレモネードのようなものを作り、丁度いい甘さの人が合格?優勝?するらしい。自分では上手に作れたと思うが量が少なかった。審査委員用の人達が飲む量あるか心配だったが、同じようには作れないのでまあいいかと思っている。どうせ優秀者は最初から決まっているのだし、審査している振りだけしているのだろうからと諦めモードだった。その2家にいたら、安全地帯のタマキさんから電話
デカルトに縁を受けた。「無知とは罪です」とはっきりと言うその主張に救われた…人は悩むものだわたしは嘘が苦手たから人間が嫌いだしこれからもそうだろうしそもそも論人が生きている理由やもしくは天使と悪魔との闘争やらをそれらは神の領域をてない現実とは現象てあるては人は悪てはないのか?してみればわたしは人生を厭世的になかめ何故よをうみたしたかもしくは泡のように生じた現象かもしらない
我々には、存在するものの10万分の1も見えているのだろうかギ・ド・モーパッサン(1850年-1893年)我々には、存在するものの10万分の1も見えているのだろうかギ・ド・モーパッサン(1850年-1893年)今日の単語浮き足立つ[うきあしだつ]動恐れや不安を感じて逃げ腰になる。落ち着きがなくなる。"敵の攻撃にうきあしだつ・つ"·"解散の気配に議員たちはうきあしだつ・った"
昨日は午前中に、市の総合相談支援センターの相談員さんが、3ヶ月に1回のモニタリングのため、訪問されました。相談員さんと1時間半みっちりお話をしたせいか、今日は疲れていて頭がもや〜っとするし、胃も痛かったので、パジャマ代わりのスウェットのままダラ〜ッと過ごしています。相談員さんには、ダイエットや通院状況、訪問看護師さんやヘルパーさんとの関係、年末年始に次女家族がきて、てんやわんやだった事など近況を伝えました。そして、悩んでいることも…・外に出かけられない(普段からフワフワめまいがあるため
昨日のブログの続きです。『SNSの建前とリアルの本音が乖離しすぎていませんか?その1』11月17日くらいのことでした。Xである教員の方がこんなポストをしていました。「勉強できる子と優しい子であれば優しい子に育てたい」コメントでは9割が反論で…ameblo.jp今の中学生にとって義務教育期の変革が最もバッティングしたのが英語です。2020年度から小学校の英語が3・4年生で外国語活動として必修化され、5・6年生では教科化=成績が付くようになりました。当時の小3~小6は今の
なんのはや、世の中というものは、そんなに人の思うほど善くもなし悪くもなしですわいギ・ド・モーパッサン(1850年-1893年)ギ・ド・モーパッサン(モパサン)(アンリ・ルネ・アルベール・ギ・ド・モーパッサン(HenriRenéAlbertGuydeMaupassant発音例)、1850年8月5日-1893年7月6日)は、フランスの自然主義の小説家、劇作家、詩人。『女の一生』などの長編6篇、『脂肪の塊』などの短篇約260篇、ほかを遺した。20世紀初期
財産というものは、人間の道徳的価値や知能的価値をつくるものではない。凡人には、それが堕落の媒体となるだけだが、確固たる人間の手元にあるならば、有力なテコとなるギ・ド・モーパッサン(1850年-1893年)ギ・ド・モーパッサン(モパサン)(アンリ・ルネ・アルベール・ギ・ド・モーパッサン(HenriRenéAlbertGuydeMaupassant発音例)、1850年8月5日-1893年7月6日)は、フランスの自然主義の小説家、劇作家、詩人。『女の一生
世の中って、ねえ、人が思うほどいいものでも悪いものではありませんねギ・ド・モーパッサン(1850年-1893年)ギ・ド・モーパッサン(モパサン)(アンリ・ルネ・アルベール・ギ・ド・モーパッサン(HenriRenéAlbertGuydeMaupassant発音例)、1850年8月5日-1893年7月6日)は、フランスの自然主義の小説家、劇作家、詩人。『女の一生』などの長編6篇、『脂肪の塊』などの短篇約260篇、ほかを遺した。20世紀初期の日本の作家にも影響
11月11日、恋人たちの日にご紹介するのは、名匠マルセル・カルネ監督が場末の酒場で出逢った逃亡兵と美女の運命の恋を描く「霧の波止場」(1938年)。UntitledPhotobybswisesource:UntitledExplorebswise'sphotosonFlickr.bswisehasuploaded10584photostoFlickr.flic.kr逃亡兵のジャン(ジャン・ギャバン)は、夜道を徒歩で港町ル・アーヴルを目指していた。
このブログのマーラー談義も、そろそろ終盤に差しかかってきました。今日は、交響曲第9番です。マーラーは、ベートーヴェン以降の作曲家が、第9番を越えて交響曲を書いていないこと、つまり第9番を書くか書かないうちに鬼籍に入っているという事を、非常に強く意識していたようです。指揮者・作曲家として確固たる地位を獲得していった壮年期のマーラーでしたが、一方では、若く美しい妻=アルマの恋愛に悩んだり、また自身に生来の心臓疾患があることが判り、自分の人生に残された時間があまり長くはないのではな
50になったでもまだ満足できる人生とはいえない。約半世紀厭世的に生きてきた。折返し地点今から挽回だ‼️
妹に、本当は楽天的だね〜と言われました。そうなんです私は実はとっても楽天的で単純だと最近気づきました😆今までは、いつも人生やこの世の中を憂いて実に厭世的な人間だと思ってきました。いろいろ考えていて頭が良さそうとか思われたかったのかも知れません🤣でも、本当は両方あるただそれだけなのですよね。誰でもそうなんです。私はこういう人だ!本当はこんな人だったんです!でもこうなりました!と自分を決めつけたり、前とは変化した!とも思いますが、たぶんそうではなくて、もともとど
来る日も来る日も酸素吸入生活。先ず鼻に管をはめている事自体うっとうしい。はめたまま室内を移動したり何かしようとした時に管が体にまとわりついたり、管を踏んでしまいそうになったり。しかも薬で完治しない難病。厭世的になり、昨日は、カニューラ外したら死ねるんかいっと外してみましたが、数分経ったら息苦しくなり、またはめる始末。おまけにそううつ病もある。生きていても光が射さない。なんでこんな病気に罹患したんだ???
おきゃ☀今日、雨曇りと思ってましたがー。今降ってるー☔14時にやむ予報です。。「漂着者」見ました❗ドラマも好きだし、エンディングめちゃ好き。Novelbright「優しさの剣」と映像の雰囲気、めちゃいい💓斎藤工、この役ハマってるなー。正直、斎藤工が他のなんの役を演っていたか思い出せない…「優しさの剣」YouTube、リンク貼ろうとしたけどAbemaでは再生されないやつっぽいですね。🌸🌸🌸今日の目標は「ニーチェ伝」読み切ること❗もう3週間近く読んでるんですけどー。
こんにちわ華の女盛り心理カウンセラーあこちゃんです今日はね、お母さんとサウナへ道中、お母さんから「あこちゃんみたいにおおらかになれないの、クヨクヨしちゃって」と言われたおおらか?wんまぁ合ってるっちゃー合ってるが声はデカイし、わちゃわちゃしてるから決して穏やかな感じではあーりません母は10年前に事故で脳挫傷を煩いちょっとばかし言葉が不自由というか伝えたい言葉が出てこない為能天気とか楽天的と言いたかったのか
なので苦手な人はスルーして眠れない日が続いている。自主隔離から解放された「開放感」のせいかもしれない久々に会える友人達との楽しい時間のおかげでテンションがあがっているのかもしれない。それでもこの数日の睡眠時間を考えるとこのテンションの高さはただただ「ハイ」になっているだけであとでガクンと来るのかな・・・・という予想は当たり夜いきなり口唇ヘルペスと口内炎が出没する。明日は新型コロナのワクチンの接種予定なのだけれどそれでなくても持病もあるし睡眠不足が続いている
いつまでも続くような負の感覚が繰り返されています毎朝、会社に行く、行かないという選択肢を選ぶことができない上司に立ち向かう気概も、会社を辞める勇気も、休む度胸も、ないのに、ただ漠然と辛いと感じています今日を過ごしても、今日が過ぎても、何も変わらず、同じ明日がくる、好転も改善もしない、されない明日がきてしまう休みの日も仕事の能率を上げる為の行動や、心機一転する楽しみや、リフレッシュする、為に使うのではなく、ただただ日付が変わってしまう事に対して畏怖の念を抱いて
年に一度だけ、フルート春秋会の発表会に出ています。今年の開催日は、11月29日(日)と決まりました。というか、春秋会のメンバーと先生との話し合いで決めました。発表会といえば、先生または音楽教室が企画して開かれるのが普通かと思いますが、生徒側が自主的に企画しています。話は脱線しますが、毎年開催していて、自然と役割分担が決まり、私はプログラム作成が担当です。私がソロで吹く曲は、ブラームスの間奏曲。正確に書くと6つのピアノ曲(作品118)の第2曲です。譜面づらは次の
このブログのマーラー談義も、そろそろ終盤に差しかかってきました。今日は、交響曲第9番です。マーラーは、ベートーヴェン以降の作曲家が、第9番を越えて交響曲を書いていないこと、つまり第9番を書くか書かないうちに鬼籍に入っているという事を、非常に強く意識していたようです。指揮者・作曲家として確固たる地位を獲得していった壮年期のマーラーでしたが、一方では、若く美しい妻=アルマの恋愛に悩んだり、また自身に生来の心臓疾患があることが判り、自分の人生に残された時間があまり長くはないので