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スマナサーラ長老の動画をコツコツみている。自我もなく素直に謙虚にその都度そこの形に合わせる、それが社会(家庭、電車内等)で生きていくこと。「あわせる大切さ」を述べていた。私は、人の基本は、下記だと思っているのだが●自分のモノサシ(価値観、常識)でだけ物事をみる●比較し今より人よりもっとと思っている●自分を1000%ぐらい大事にしてほしいと思っている●思い通りにしたいこれが人の基本欲求だとしたら、何にでもあわせる柔軟さの要素は、逆
最近のブログで、何か出来ることが大事、人に役に立つことが大事、と”思い込んできた”ことについて何度か書いている。原始仏教的な言葉でいうとそういう「執着」が自分にはあった。それは違うのだ、ということは気づいた。今朝、どうすればよいのかひらめいたのでメモしておきたい。先の2つの考えは両方とも「人」との関係においてあるべきだと思い込んでいる”自分の姿”である。
人の貴賤は生まれではなくその人の生活態度にある〔最高指導霊エル・ランティの教え〕※例えばこういう人を貴いと言う↑え~カルトと言いますか、人に被害を生じさせている宗教や思想等の信者さんが、その宗教や思想等によって「たくさんの人が救われているんだ」という主張をなさっているのをよく見聞きするんですけれども…私がお伝えをさせて頂いて来た「ゴーダマ様(お釈迦様)やイエス様やモーゼ様といった方々が本来説かれた教え」つまりは「真の神なる『グレートスピリット』の御心に適う法」というものは、
ブッダへの道のり昨晩、取引先様から連絡がありました。大きな取引が決まるかも知れない。と。期待することなく、淡々と寝て待ちます(😀)先日、学びのために本を購入しました。仏陀その生涯、教理、教団原始仏教に関する標準的研究書とのことです。研究書ですからそりゃ、簡単には読めません。実は十数年前に一度手にしたことがあるんです。その頃から仏陀に興味があったのでしょう。しかし、興味ぐらいで読めるものではありませんでした。(多分、最初の数ページで根をあげた)そし
🌸一切の煩悩を滅尽した阿羅漢であり、正しく独りで覚った仏陀であり、福徳に満ちた、かの世尊を礼拝いたします🌸ヒマラヤの風~慈悲の瞑想無料ワークショップ~主催/世話人の凪/Nagiです。今回は、pandaheavenさんのブログ記事、「いま一番怖いことはおばあちゃんがいなくなってしまうことです」をリブログで紹介します。自分の決めた生き方や、大切にしていること、ゆずれない何か、があるのなら、やり抜く、と自分に誓って、最後までやり続けるだけ。このブロ
エゴが、あなたに気付かれたくないこと前回のブログの続きです。こちらからhttps://ameblo.jp/lagom220/entry-12805115540.html『心がザワつく本当の理由』奇跡のコース、ワークブックLesson5『わたしは自分が考えているような理由で動揺しているのではありません。小さな動揺というものはありません。どんな動揺も、…ameblo.jpエゴが私たちに『気付かれたくないこと』『隠そうとしていること』
原始仏典、大パリニッバーナ経〔大般涅槃経〕で釈尊はアーナンダに『この世で自らを洲とし、自らを拠り所として、他人を拠り所とせず、法を洲とし、法を拠り所として、他のものを拠り所せずにあれ(自洲・法洲または自灯明・法灯明)』との遺言を残した。大乗経典(維摩経)では法四依のひとつとして「依法不依人(法に依りて人に依らざれ)」と説かれている。釈尊が説いた法(初転法輪で説いた中道、四諦、八正道や原始仏典「スッタニパータ」や「ダンマパダ」などなど)と自らに備わっている仏性を拠り所としなさいとい
テラコヤスコラ「ブラジル×仏教」ライブ配信いたします。https://www.youtube.com/live/nabfbXdnF1M?feature=shareブラジル人僧侶であるコレイア日友氏をお迎えし、一番遠くて近い国であるブラジルと、ブラジルに根付く仏教についてご講演いただきます。事前予約優先制。【テラコヤスコラとは】生涯学習支援プログラムとして「生きるを学ぶ」をテーマにさまざまな講座を展開しています。【講師:コレイア日友上人】1967年ブラジル国サン・パウロ州生。11才
天地自然・万生万物の内に我が姿を見よ。(グレートスピリットのお言葉)大宇宙大自然界に意識あり。意識は大宇宙体を支配し、万生万物をして調和の姿を示さん。(真理の集大成「心行」の一節)安倍さんの事件をきっかけとしてカルト宗教の事が大きな問題になっているこの頃であります。ちなみに、そんな中であっても、私がスピリチュアルやら原始仏教やらなんやらと言いながらこの活動をさせて頂いている事によって私自身や家族にマイナスの類が生じているという事が全く有りませんで、本当に有難い事だと思って
大変長らくお待たせいたしました。春秋社の原始仏典Ⅲ増支部経典第二巻より、アーナンダの章から。72章今回の文章は割と簡単に読み下せましたので今日深夜までには行けそうです。推敲が終わったら直ちにアップします。よろしくお願いいたします。
ある時アーナンダはコーサンビーのゴーシタ園に滞在していた。その時、あるアージーヴィカ派の弟子である戸主がアーナンダの許へやって来た。やって来て、アーナンダに礼拝し、傍らに座った。傍らに座った邪命外道の弟子である戸主はアーナンダに次のように言った。注:戸主とは、戸または家の首長として,その構成員を統率する地位にあるもの。注2:邪命外道とは、六師外道の一人であるゴーサーラに代表される派。「尊師アーナンダよ、誰の教え(法)がよく説かれた〔教え〕ですか?世間で、誰がよく実
本当に本当に申し訳ない。午前中あまりの睡魔に寝落ち、午後は午後で所用でやはり動き回ってまして記事書き起こす時間はありませんでした。このままだとズルズルいってしまいそうなので今週半ばまでには必ず一本上げることを誓います。こんなことで不妄語戒に違反したくはありませんのでここは一つ自分に課します。時間は作ろうと思えば作れます。寝る時間を削れば!!(苦笑)ということで今日はこれまで。大変失礼いたしました。午前中の記事にいいね!下さったダメ絵心人さん、ありがとうございま
皆さんお久し振りです。またブログ放置して本当に申し訳ない。週末になるとブログ閲覧数が少し上がるのがとても心苦しいです。本当に忙しくてこの一か月弱、将棋の飛車角、香車のように飛び回ってました。(笑)本日本当に久しぶりに休息が取れましたのでアーナンダの続きをアップできるかもしれません。と言ってもまだ一切何も書き起こしてないんですが。(苦笑)今しばらくお待ち頂けると幸いです。
余りの忙しさにこちらのブログを放置してごめんなさい。少ないながらも見てくれてる方々に失礼をお詫びいたします。まことに申し訳ない。<(__)>今睡眠時間は2~4時間平均ですw売れてる芸能人並み(笑)。しがない自営なんですが(苦笑)。もし自分の拙い記事でもお読みいただけるなら寛大な心でお待ちいただけると幸いです。今は春秋社の原始仏典に手を付けることはできません。ごめんなさい。4月中旬ごろには余裕ができるかも。初投稿アーナンダ1にいいね!下さった看護師KY嫁の子育て
<<以下、マッジマ・ニカーヤ(仏教パーリ語経典)22より引用>>比丘たちよ、教え(法)というものは筏(いかだ)のようなものであることをなんじらに示そう。譬えば街道を歩いて行く人があって、途中で大水流を見たとしよう。そしてこちらの岸は危険で恐ろしく、かなたの岸は安穏で恐ろしくないとしよう。しかもこちらの岸からかなたの岸に行くのに渡舟もなく、また橋もないとしよう。そのときその人は、草、木、枝、葉を集めて筏を組み、その筏に依って手足で努めて安全に彼方の岸に渡ったとしよう。かれ
ある時、世尊はサーヴァッティーのジェータの林の中にあるアナータピンディカの園に滞在していた。その時遍歴行者のチャンナは尊者アーナンダの元へ行った。行って、尊者アーナンダと挨拶を交わし、親愛と敬意に満ちた言葉を述べてから、傍らに座った。チャンナは尊者アーナンダに言った。「友アーナンダよ、あなたは貪りの捨断を説きますか。怒りの捨断を説きますか。愚かさの捨断を説きますか。」『友よ、わたしたちは貪りの捨断を説きます。怒りの捨断を説きます。愚かさの捨断を説きます。』注:捨断と
某ブログで書かせてもらえなかった春秋社の原始仏典Ⅲ増支部経典第二巻より、アーナンダの章から。この原始仏典シリーズ本の難点は価格が高い(苦笑)。平気で万近くします。文庫で出してくれればいいのにと思います。ですが、お手軽に手に入る岩波文庫版原始仏典シリーズより遥かに細かく、詳しく載っております。監修の中村元先生に感謝いたします。さて、前置きはいいとしてこの本のアーナンダの章、ページにしてわずか20ページ弱しかありません。ですがとても読み応えがあります。(読み辛いとも言います。(笑
某ブログを追い出されてしまったのでこちらで書きます。アーナンダは確かに釈尊の最もお側にお仕えしながらもあまり修行されない比丘でしたが、提婆達多に酔わされた象をけしかけられた時に釈尊の前に立たれて身を顧みず守ろうとなされました。仏の顔も三度までと申しますが、釈尊に三度やめろと言われても退かれなかったそうです。その後、釈尊は神通力でこの象を手懐けられ、難を逃れました。アーナンダは悟りこそ得ていませんでしたが、このように帰依した釈尊の身を守るため命を惜しまず体を張る人物でした。
私が両手をひろげても、お空はちっとも飛べないが、飛べる小鳥は私のように、地面(じべた)を速くは走れない。私がからだをゆすっても、きれいな音は出ないけど、あの鳴る鈴は私のように、たくさんな唄は知らないよ。鈴と、小鳥と、それから私、みんなちがって、みんないい。※引用:金子みすゞさん「私と小鳥と鈴と」※今回の主役は私の妻です。(写真はイメージです)え~2年ほど前の過去記事『念の性質‐誹謗中傷にはバルタン星人の如く!!』の方で、私の妻が『自動お笑い製造機』みたいな人であ
あなたの鋳型に合わせて作られた人はいません。理想に合わないのは当たり前です。〔美輪明宏さんのお言葉〕まずは、余談ですが…私の整体院のベランダで育てている木瓜(ボケ)ちゃん達が開花してくれました。紅白で「おっとコイツぁ~縁起がイイや!」みたいな(笑)ところで…(写真はイメージです)既にご存知かもしれませんが、現在NHK「Eテレ」にて月1回のペースで「美輪明宏愛のモヤモヤ相談室」という番組が放送されております。そもそも比べるのがおこがましい様な相手
今日は市立図書館で本を借りてきました。最近、原始仏教とか、禅語にかぶれてます。30歳過ぎた頃から頭に新しい情報が入りにくくて、本を読んでも内容が入ってこないのが長年の悩みでもあります。負けるな自分!YouTubeで大愚和尚の話を聞き流ししてるのですが、きちんと活字に向き合いたいと思い、本を借りてきました相手の言葉にいちいち反応しないとか自分を苦しめてるのは相手ではなく実は自分自身だとか身に沁みることがいくつがあります。あと、消防車の紙芝居も借りてきたので、寝る前に子供、特に次男
2023年もどうぞよろしくお願い致します。昨年末から本格的に仕事復帰してずっとブログが更新できずにいました!でもまた時々書かせていただきます。今年はブログをしっかり更新するのも目標の一つです。2021年に乳癌が発覚して手術して、2022年は抗がん剤と放射線とホルモン治療開始でフルコースでした。これは私の感想であって、実際他の方がどうかはわかりません。ひとりひとり、何が合うかは違うんだと思います。だから、何がいいか悪いかは、正直よくわからない。だけど、自分が納得して選
代理人より。エンライトが2015年02月11日に公開した記事を再掲載します。記念すべき「初回」の記事です。現在2015年~2017年3月末の記事が殆どが削除されていますが、ローカルPCにログが保管されており、復元作業を進めています。-----------------------------------根源的な悟りや覚醒の世界は、何の意味もない。価値などあるはずもない。無に還るだけだ。故に悟った人が偉いわけではない。私も「釈迦は偉大な覚者だ」と思う時があるし、ブログにもそれを書く
ブラジルは日曜日の未明、もうすぐ午前5時になります。日本は夕方、日曜日の大切なご奉公が終わった頃だと思います。スリランカでも、コロンボの別院では良潤師が、ゴールの親会場では学徒のアベイ氏が、それぞれ日曜日の御講を奉修していました。写真を見て、感慨無量です。世界中で、人間の心を育て整える、尊い仏事が行われています。夜が明けたら、ブラジルでも日曜日のご奉公です。カンピーナスの蓮徳寺で高祖会併創立40周年記念法要を奉修させていただきます。ありがとうございます。
『十六の話』-司馬遼太郎●大坂の原形-①✪大坂が草の原だったころの最後の時期が、15世紀末である。蓮如(1415~99)という僧がいた。かれの仏教は、風変わりなものであった。風変わりな教義をもつために、かれは日本仏教の既成体制からは異端で、いかがわしく思われていた。浄土真宗、もしくは単に”真宗”とよばれる体系である。ふつうの仏教僧は女性に触れることができず、むろん妻帯できないが、この宗派は僧に対して普通人の欲望を認めたために子孫をもつことができた。この宗旨は蓮如が創始したものではなく
薄雲り満月。一日中瞑想法話会。お昼ごはんは餃子。https://www.ikejiri-gyoza.com/menus池尻餃子.|メニューwww.ikejiri-gyoza.comいろんな変わり餃子が面白い。夕ご飯は居酒屋でお刺身おでんなど。話しをしようとちょっと緊張して1杯のビールが2杯に。長い付き合いの友人に悩んでいたこと話した。自分が嫌だと思うことを勇気を出して相手に伝えた。自分が受けた小さなトラウマを我慢して伝えずいることで頭が不安心配嫉妬怒りのストーリーを作り出してい