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仏教ですね。原始仏教が主です。\Ameba花言葉診断×お花の定期便Grow/
朝ごはんはいつもの目玉焼きチーズトーストと珈琲。昼ごはんに豚肉生姜炒めと麻婆豆腐。もひとつのでき夕ご飯は糖質制限こんにゃく焼きそば、残りもの整理。午後zoom法話会個人面談。1時半から4時すぎまで。ありがたかった。話すことは放すこと。渦巻いてる深い後悔を話せたら放せる🦆🦆話せる時は安心できる時と人と場所が奇跡的に重なった時🦆かもしれない。朝と夕方、家族と散歩している。ありがたい。8000から一万歩ぐらい歩いてる。すっかりピグミンアプリ飽きたけど散歩は続いている。ピグミンごめんね🙏『1日8
はい。こんにちわ🎵自分を追い込むような思考を極力しない訓練が大切ですよね。その為には持たない求めない思わないという思考が大切かと。その為には頭の中を空っぽにしておくことを練習してみましょう。これって原始仏教の奥義らしいです。凄いですね。知らなかった。今日は以上です(^^ゞ
ヘッセの代表作ともいえる「シッダールタSiddhartha」は1972年に映画化され、72年ヴェネチア映画祭銀獅子賞に輝きました。新潮文庫でヘッセの原作を読まれた方には、かなり物足りないかもしれませんが、映画だけ見るならば、まあまあの出来に仕上がっているかなと思います。ただキリスト教文化圏で、原始仏教の思想に近いこの原作の奥深さが、どれだけ理解されたのかやや疑問ですが、欧米ではこの「シッダールタ」がヘッセの最高傑作だと、とても高い評価を受けています。もしヘッセの「シッダールタ」を読ま
「女は成仏できない」(五障)、「女は男に変身することによって成仏できる」(変成男子)――仏教は、女性を蔑視しているのか?古くて新しいこの疑問を、サンスクリット、漢訳からの豊富な引用と緻密な論で質してゆく。インド思想研究の第一人者が正面から挑んだ、21世紀の「ジェンダー仏教論」。※原本『仏教のなかの男女観――原始仏教から法華経に至るジェンダー平等の思想』(2004年、岩波書店刊)を改題・改稿「原始仏教」の、お勉強するか・・・(^^;)v「イシシ」♬
どうも、だーせんです。プロフィールにも書いてますが、僕は仏教推しです。仏教推しと言っても日本に伝わっている大乗仏教にはあまり興味はありません。どちらかというとお釈迦様が説いていた原始仏教と呼ばれる仏教の思想に共感するところが多く、興味を持っていろいろ読書しています。今回は最近とある仏教関連の本を読んで、「慈悲」と「愛」の違いを学んだので、アウトプットがてらそれを紹介したいと思います。今回私が読んだ本は、アルボムッレ・スマナサーラさんが書かれた、「夢と希望は捨てなさい~「苦
自分を捨てることをイェシュアもブッタも勧めています。それができないと最善を選択出来ないからです。最善は自分の中にはなく、時、場所、人、状況によって刻々と変わるものです。しかし人間というのは、自分を捨てたフリをして自分自身まで欺くという技術を生み出しました。口では自分を捨てたと言いながらも、捨てている風の生活をする自分や、それを褒めてもらうことに執着しているなどがよくあるパターンです。この乖離した実生活と本心の隙間に悪霊が住み着きます。※乖離は正反対の向きに反して分裂しているニュアンス
霊はどこにあるのか?人間は霊と肉と魂によってできているので、完全に3つを区別するのは難しいです。明確にどこが重なっているという決まりはなく3つが密接に絡み合って出来ているのが人間です。霊が弱ると身体に影響が出ますが、影響が出る場所は様々です。魂が弱ると、やはり同じように行動や思考に影響が出ます。やはり影響の仕方は様々です。霊というのは難しいもので、なんでもかんでもひとつの霊と括ることができません。善の霊と、悪の霊があります。人間の霊もその2つの割合によって現れる性質が変わります。
草薙龍瞬・著(2015年7月29日デジタル版初版発行)『反応しない練習』を読みました(R4.7.16)。求めていた本のひとつに出会えたかもしれません。ほとんど蛍光ペンだらけです(電子版)。けれども、言葉の意味の用い方なのか、文章の組立や流れなのか、私にとって、やや理解しにくいところのある文章であると感じました。タイトルから、単純に、他者の言動に対して、動揺しないようになれる方策が書かれている本かと思いましたが、そのことも含まれますが、さらに正当で深い内容でした。本書は、ベストセ
なぜ人は『廻り道』してしまうのか?可能性①何が正しいのか?の『基礎知識が無さすぎて』よくわからないまま時間だけが過ぎて『右往左往する』可能性②『最短距離で行こうとし過ぎて』逆に気付けなくなる『正しい事に気付いて修正できる人』もいれば、『一生気付けない人もいる』し、『気付いたのに変えれない人』もいる。『廻り道』したから気付けた人もいれば、『廻り道』で廻りすぎて戻って来れない人もいる。色々な境遇の人がいるが、『正しい道』がわかって、実践できて、『人を正しい
えーっ記事と下書き保存が消えている。新システムがよくわからなくてミスしたのかな。下書きの薬のメモが消えたのがすごく残念。大事な薬の記録がいつの間に消えてた。amebloへの信頼感と依存がグーッと消えた悲しい日です。日記をはじめた時の薬のメモと372日目消えた。はじめの処方箋と372日目どんな日だったか思い出せない明日から簡単日記かも🦆🦆372日目多分筍食べに行った日かな。前後の日記で薄っすら思い出せるところがすごい。朝から雨。引き続きMindandbodyholidaysまずは洗濯物
無事に納骨終わり、今日は午前中窓辺のソファでダラダラゆっくり。さぁ立ちあがろう。まずは水回りからの掃除。お風呂に入って浴槽の掃除して台所に取り掛かかる。午後もzoom聴きながらボーっとしていたらあっという間に夜お昼ご飯は家族作昨夜の残りものアレンジ和風スパゲティ。夕ご飯はグリーンカレーに久しぶりに挑戦。あともやしナムル作った。カレー具材は、なす、赤ピーマン、筍、鶏肉、昨日の残りヤングコーン、さつま芋。https://kinarino.jp/cat4/31967実は簡単に作れるよ!「グ
こんばんは~趣味の一つである読書インスタの方にもあげましたが、ここ最近読んだ本の中で一番心に響いたのが初期仏教(原始仏教)徒であるスリランカ人アルボムッレ・スマナサーラ師の『怒らないこと』↑今、SW(スターウォーズ)新シリーズが絶賛配信中なので、ヨーダと共に。しおりは今日のお題「怒り」で一族崩壊の戦いを描いた「マハーバーラタ(インド神話)」から。MayTheForthbewithuここでも何度か記事にしていますが、ワユキはこのコロナ騒動
プロだなと思った人いる?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう学問の開拓Amazon(アマゾン)556〜3,828円世界的仏教学者の中村元(はじめ)氏。自分は毎日重たい本を持って家に帰ってくる。ドアが開くのを数秒といえども長く感じる。泥棒は十年に一度ぐらいしかやって来ない。その泥棒のために毎日玄関に鍵をかけておくのは分が悪すぎる。……という訳で、毎日玄関には鍵を掛けない生活をしていたそうです。自伝『学問の開拓』の中に出てきます。ブッダの真
「ブッダは捜して見い出されるはずがないそれ故、己が自身の心を熟視せよ。」ミラレパ(1040-1123)は、チベット密教の有名な聖者です。「十万歌(グルブム)」の作者としても知られています。「マハームドラーを行ずるときわたしは気を散らすことも労することもなくあるがままの状態にくつろぐ空の境地では、明知にくつろぎ至福の境地では、自覚にくつろぎ無想の境地では、裸の心にくつろぎ現象の現れと活動においては三昧(サマーディ)にくつろぐ。」『ミラレパ
バラモン教典では人生の理想像として次の4段階が紹介されています。学生期~先生の元でヴェーダ等の聖典を学ぶ家住期~仕事に励み、子供を育て、家庭生活を営む林棲期~森林に住み、静かに修行する遊行期~悟りを求めて遊行する50年ほど前に、この四住期について知りましたが「幼少で出家して、生涯禁欲と独身を貫け」というのと比べますと、はるかに理に適っていると思いました。"煩悩の少ない子供の時に出家して、生涯僧侶として修行するのが人間として最も素晴らしい生き方だ"とい
般若心経と空観について、問題点の整理をしたいと思います。1.般若心経には幾つかの種類があること。2.日本で読まれているいわゆる「小本」は、経典の構成上「大本」に見劣りすること3.「大本」はウパニシャッド型の状況設定になっていること。4.空の概念は、スッタニパータの時代からあること5.空の定義と空観の方法は、原始仏教、アビダルマ、中観、唯識等々の各時代(段階)ごとの存在論の変遷を考慮して、しかも派別に考えるべきであること。6.日本の僧侶が書いた解説本程度の解釈で満足しないこと7.
釈迦は、生涯一度も仏像の前で読経などしていません。彼の直弟子達もそうですし、その姿勢は数百年間続きました。ですから、原始仏典には「如来や菩薩を信仰すれば、商売繁盛とか、たくさんご利益がある」などとは書かれていません。原始仏教の瞑想とは、止観を基本としています。そこでは釈迦が言うように信仰の介在する余地などありません。かつて達磨が壁に向かって坐禅を続けたように、ただ無に向かって止観に徹するものでした。仏像、真言、経典などに依存する在り方は、明らかに後世のものだと言えます。釈迦が説く
いつも訪問ありがとうございます。今回はいつもと少し違って、現代科学や歴史を真っ向から否定する内容になりますが、元々原始仏典にあった”人間の本来の寿命”について紹介します。ネット上で見つけた内容ですが、私がかつて学んだ原始仏教の内容と大まかには相違がないので、紹介しました。以下です。仏教用語を知らない方には少しわかりにくい内容もありますが、概要をお伝えすると、仏陀が弟子たちに法則を説いている中、人間の寿命について説かれます。転輪聖王(てんりんじょうおう)がこの
2018年の9月にわたしはスピリチュアルをナリワイにすることに行き詰まりました。宇宙・霊的な世界、ハイヤーセルフ、さまざまな存在と同時につながってさまざなメッセージがやってきて自動書記がはじまって自分ではどうすることも出来ませんでした。けれど、この時期に起きた一連のことを冷静に観ている自分もいました。自分で感じていることと周りの受け取り方のズレも感じ取っていました。とはいえ、側から見たらとても危うい状態だったと思います。特に夫には大変な心配をかけました。同じような経験をして家族に精神科に入
(講談社、2003・3)。ひろさちや氏の評価は(インターネットその他で)色々あるようですが、それは置いていおいて、この本の感想。一番びっくりしたのは、筆者が原始仏教に対しておそろしく批判的なことです。仏教学上、(初期仏教ではなく)原始仏教の内容がどの程度分かっているのかという大問題は論じません。(私に論じる能力もありません)。筆者が「これが原始仏教の内容だ」と認識しているものが、実際の原始仏教の内容だったとして、それを完膚なきまでに叩きのめす筆者の態度は正しいのでしょ
(岩波新書、2018・8)。図書館から借りて、ほとんど読まないうちに返す日になってしまった。47頁以降。紀元前1世紀に季節風が発見され、インド西岸部とローマを結ぶ海上交易が大発展。それに伴って、インドの一部に富の蓄積が起こる。この時期、「職人組合に預けられた資金の利子や農地といった定期的な収入源を、〔仏教の〕出家教団が所有していたことが知られる。こうして定期収入が生じるようになると、個々の出家教団はなんらかの形で恒常的な経営が行われる組織へと変貌する。もともと遊行生
(岩波ジュニア新書、1999・6)。・(55頁)タイでは、出家することは最大の功徳と考えられており、たとえ短期間であっても、出家することが望ましいとされ、短期間の出家をする人が多いのです。(中略)また、一般の人びとは、寺院にお金や土地を寄付することは、この世、あるいは来世で、福を招く功徳と考えられ、寺院や僧侶集団に対して金銭や土地、食物などを寄付する人が多いのです。→→日本の「仏教信者」に是非読んでほしい箇所だ。・(77頁)(韓国仏教は)日本と異なり、僧侶は葬式に関与せず、
朝ごはんはレバーペーストに干し葡萄と粗挽き胡椒をいっぱいかけてオンザトーストと珈琲。胡椒と干し葡萄で同じレバーペーストと思えないぐらい美味しくなった。スパイスで変わる昼ごはんは近所の洋食屋でロールキャベツ旨し❣️トマトジュース使っているのかな。真似してみたい美味しさいつも満席なので久しぶり。今日はあまりに寒いので空いてるのかな。夕ご飯はおでんと牡蠣ご飯。鯵のお刺身。凹んで寒かったので朝からとりあえず大根を煮る。茹でこぼしてから出汁パック入れて極細火で炊く。部屋が温まる。柔らかな茹で大根が
瞑想リトリートにzoom参加できると、朝からわくわくしていたら妹からヘルペス痛くなってきたから緊急外来に行きたいとの電話迷ったけどタクシーで行ってもらって診察終わりに迎えに行く。2人ともやりたいことができた2人で豚カツと日替わり定食のミンチカツ食べた。旨し午後、心落ち着いて瞑想していたら、携帯と一緒に持ち歩いていたクレジットカードがないことに気づいて瞑想どころではない気持ち。カード紛失をググって紛失届を出して落ち着く。幸せだなぁと思っている次の瞬間どん底に落ちるこの瞬間、この瞬間しかない実
こんにちはこがみのりです(=゚ω゚)ノ昨日の熱田神宮は雪の中の参拝となりました静かに降る雪がいつもの熱田と違う表情を見せてくれましたアツく燃える熱田を雪が覆って、美しい景色に御垣内で参拝させていただいた時の神がかった景色が忘れられませんそして、熱田といえば神楽なのですが熱田では毎年「納蘇利(なそり)」を見せていただくのですが今年の「納蘇利」は、熱田で見たどのそれより
京都佛立ミュージアムで行われた仏教思想研究家、『思想としての法華経』『梵漢和対照現代語訳法華経』の著者、植木雅俊氏の第二回目のご講演の動画です。仏教徒にとって、約2時間、極めて貴重なお話をお聞きすることが出来ます。仏教とは何か。法華経とは何か。本来の仏教とはどのようなものか。「本来の仏教に還れ」という法華経の精神、そのエッセンス。原始仏教と法華経、日蓮聖人の存在と教えは一つの線となって貫かれています。17ページに及ぶレジメ。時間が足りず申し訳ありませんでした。贅沢な内容です。是
午前6時台の新幹線に乗り、横浜に向かっています。昨日のご講演、無事盛大に開催することが出来、本当にありがたく、ご登壇いただいた植木雅俊先生はもとより、ご来館いただいた大勢の皆さまに心から感謝申し上げます。ありがとうございます。今回も快哉胸をすく講義にあっという間の2時間。エンジン全開でした。質疑応答に30分。ディスタンスを取る上で約100名が限界の会場は満タン。熱気に溢れていました。いずれにしても、これほど多くの一般の方々が、法華経の教えを求めているという事実。すごいことです。無限の可能性
20年前にニューヨークで9.11の衝撃的な出来事が起きてから、日本でも宗教について割と話されてるようになったと思います。一般に、日本人は特定の宗教に入信していないと言われることが多く、何かの会合でも「私たち日本人は、信じる宗教を持っていないので…」と言われることが多いですが、そんなとき、「いや、俺は、釈迦の教えに深く帰依しているよ」と発言すると意外な顔をされることが多いです。お釈迦様の教え=仏教と短絡的に考えられてしまうのですが、一口に仏教と言っても、様々な教えがあります。