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ちょっと自分の祖先を調べてみるか......『阿蘭陀坂』自分の祖先をちょっと調べてみるかと思い立ちとりあえず祖父の残した歌集「阿蘭陀(オランダ)坂」を取り出して表紙を捲り著者紹介で祖父の生ま…ameblo.jpと思い立ったのはじつはつい最近のことでもないというのは私の祖先が今回のブログのタイトルにした「原マルチノ」という人物と繋がりがあるのかもしれないと思うようになったからなのである原マルチノ(マルティノ、マルティーノ、
春分の日の20日は第43回波佐見ロードレース大会でした・・・いつものように駐車場へ余裕を持って駐車したいので早めに家を出る・・・シャツにゼッケンを付けるお決まりのお裁縫を済ませ・・・風が強い寒い日・・・早く来た割りには10Kmスタートは11時なので待ち時間がたっぷり・・・波佐見の城主の息子原マルチノ?語学が堪能だったことから使節に選ばれた・・・なになに?だれだれ?焼き物の
表紙は上下巻並べると、両方の風神と雷神が見えるようになっています。この絵を描いたのは俵屋宗達ということは知っていたので、日本を舞台にしたお話だろうと思っていたら、舞台は世界中へと広がる展開でした。正確な生没年は不明とされている宗達ですが、生きたと思われる時代は、織田信長の世、「天正の少年使節」がローマへと派遣された1582年ころ。最盛期のルネッサンス画家たちの作品がフィレンツェ、ローマ、ミラノで観られた時期でもありました。そんなことを踏まえ、大胆にも俵屋宗達が4人の
こんにちは。今回も令和4年夏の長崎遠征からです。前回までは島原城とか平戸などの場所単位での展開でしたが、今回はテーマ別の展開になります。で、そのテーマは「天正遣欧少年使節団」です。よろしくお願いします。【伊東マンショ・千々石ミゲル・原マルチノ・中浦ジュリアン(大村市森園公園)】まずは4人勢揃いのその名も「天正遣欧少年使節顕彰乃像」長崎空港を出てすぐの大村市森園公園にあります。向かって左から、、、伊東マンショさん→→千々石ミゲルさん→原マルチノさん→中浦ジュリアンさんとな
文系講師マゴメです。できれば大晦日は仕事せず、年越しそばを作るくらいにしたい(老人の野望)。そんなわけで、たった今まで生徒二人分の、受験までの計画表作ってました。「ほぼメインの仕事です」授業だけなら本当に楽なんですけどね。さておき昨日の記事のタイトルは、「恫喝するのをやめろと恫喝してみる」ちょいと矛盾気味の題名です。「ちゃんとわかって書いてんだよね」価値観を押し付けるなというのはもちろん本心ですが、まあ、私自身も価値観を押し付けていることはわか
原マルチノ:湯本健一(ゆもとけんいち)さん「ミュージカル忍たま乱太郎」の「立花仙蔵」など「男劇団青山表参道X」に所属していました過去~現在所属のみなさま↓「原マルチノ」ヨーロッパから帰国後、修練院・コレジオを経て1608年(慶長13年)伊東・中浦と共に司祭となる渉外術や語学に優れ、洋書「イミタチオ・クリスティ(キリストにならう)」を翻訳した「こんてんつすむんぢ」などを出版して、当時の日本人司祭の中で最も知られた存在だった1614年(慶長19年)江戸幕府による「キリシタン
438年前の今日天正遣欧少年使節が長崎を出港したそうです昔『MAGI-天正遣欧少年使節-』というドラマを見て壮絶な船旅の様子に驚愕したことを覚えています是非ご覧下さいあれだけの旅の割に殆ど成果がなかったのですから少年たちも可愛そうなものですそしてこのドラマを見ていると信長や秀吉と意外な人物たちが同時代人だったということもわかりとても面白いです普段僕はこの時代のカトリックやイエズス会については批判的に見ているのですが
日本人の宗教観を不思議に思う外国人が多いと聞く。年末年始などには神社仏閣を詣で、お盆やお彼岸にはお墓参りに赴き、ハロウィンやクリスマスでキリストを祝う...というよりもその雰囲気に乗じて盛り上がる。そうした日本人を確かに不思議に感じることは私にも理解ができるしかく云う私もまたそのひとりであるのかもしれない。現在のフィンランドの国教として定められているキリスト教会は「フィンランド福音ルター派教会」「フィンランド正教会」の2つであり、ルター派が7割以上を占めると聞く
5月4日、「長崎・天草の潜伏キリシタン遺産」が世界遺産への勧告を受けました。それは1614年の江戸幕府の禁教令から、1873年(明治6年)の信仰解禁までの期間のキリシタン信仰に対するものです。天正少年使節の派遣はこの中には含まれませんが、それに繋がる歴史上の重大な出来事と言えるでしょう。天正少年使節は1582年、ヨーロッパに派遣されましたが、当時は日本でのキリスト教の布教が最も盛んな時期でした。そこでイエズス会で育てた少年をヨーロッパに紹介して資金援助を得ようと言うものでした(4人の
千々石ミゲルについて書かれた本「マルガリータ」を読んだら、彼とは直接は関係ないけどマンショ小西のこと詳しく知りたくなって、本とか売ってないかなぁとネット検索したら、出て来るのはマンションと伊東マンショばかりで、マンショ小西の本は全く無くて、ちょっと残念な気持ちでいます。マンショ小西は、1600年、対馬藩主の宗義智の息子として生まれたキリシタンで、母親がキリシタン大名小西行長の娘小西マリア、小西行長が関ヶ原の戦いで西軍に付き処刑されたことから、父親であり藩主の宗義智
2017.4.29は神戸市立博物館「遥かなるルネサンス-天正遣欧少年使節がたどったイタリア」に行ってきました(^-^)天正遣欧少年使節は、戦国鍋TVのミュージック・トゥナイトのコーナーで覚えたので、絵と言うより天正遣欧少年使節が見たくて来ました(⌒-⌒;)織田信長の時にヨーロッパに渡り、帰ってきたら豊臣秀吉の時代に変わっていて、更に数年したら徳川家康の時代になるという…(。-_-。)まずは、天正遣欧少年使節の4人のこと、覚えてね(^_−)−☆伊東マンショ(チラシの男の子)→キリシタン