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神奈川県へバイト。ならば家系。総本山の直系(考案者の次男)厚木屋へ。はい!東京の醤油と博多豚骨を足した味そのまんま!。家系の始祖を体験観光。あくまで観光として意義、何処でもある家系。
毎年「父の日」のプレゼントに頭を悩ませるのですが。昨年末に初めて購入して以来、平塚・金目観音門前の銘菓「釣鐘最中」が父のお気に入りに。迷わず選択することができました。ただ玉に瑕なのは、ママチャリで往復2時間強かかること(苦笑)。それでも喜んでくれたら、疲れもありませんね。本題に戻って「矢倉沢往還道」。この古道の名の由来は、箱根・足柄峠の神奈川県側の小集落から採られたものだとか。ブロ友さまがまさにその付近を歩かれたとのことで、「思わず」リブログさせていただきました。厚
現在辿っている「矢倉沢往還道」。江戸から大山への参詣道として知られていますが、沼津まで抜ける往還道にとって大山は「中間地点」に過ぎません。先取りになりますが、本日は大山への分かれ道よりも先、「秦野・鶴巻」に足を延ばしました。小さな川の土手に設置された「鶴巻あじさいロード」がお出迎え。見ごろを迎えた「あじさいの花」。田植えの終えたばかりの水田とのコラボが美しくて。そのみずみずしさに魅了されました。ここまで辿り着くのはまだまだ先の「矢倉沢往還道」。平行して流れる「相模川
毎年のことで「今さら」感も強いのですが、時の記念日にちなんで。今年も新卒の新人が4人配属されました。職場で生年月日を事務的に確認したあと、帰宅してからその日付の日記をめくってみるのですが。つい昨日のことのような思い出の文章が記されていて。時の流れの早さにただただ驚き、そして決まって愕然と。だったら、日記を読み返さなければいいのに。いつもそう思います。本題に戻って「矢倉沢往還道」。前回に引き続いての厚木宿。宿場町中心地に鎮座する「厚木神社」。すぐ隣には「(烏山藩)厚木
先週の土曜日、月に1度の小田原日帰り温泉に。爽やかな風の渡る中、露天風呂で思う存分に時間を過ごしました。下半身だけ湯に浸かり、上半身を初夏の風に当たる心地よさ。私にとっては、この季節が一番心地よく温泉を楽しめる時期かもしれません。本題に戻って「矢倉沢往還」を辿る旅。厚木市が発足したのは昭和30年のこと。既に70年近くの年月を経過していますが、いまだに残る「厚木町」の標識。そして、ここが厚木宿の中心であった場所になります。この通りに多くの宿が立ち並んでいたとのことです
通勤時利用する駅の駐輪場から改札口までは1分足らずの距離。今朝はわずかな雨で、傘をささずに自転車から離れて歩き始めたところ、後ろから「どうぞ」の声が。若い女性から傘を差し掛けて頂きました。並んで歩くには歩行速度が遅い私、ご迷惑をかけてしまうため丁重にお断りいたしましたが、もし反対の立場だったら声をかけることはできないでしょうね。他人への思いやりの心と、それを行動に移す勇気。感謝の気持ちを覚えずにはいられませんでした。さて、本題「矢崎通り大山道」。駅つながりで、(↑)東海道線「平塚
「春もややけしきととのふ月と梅」芭蕉徐々に春めいていく情景が思い浮かぶようで、この時季お気に入りの一句。月と梅のコラボレーションが何ともいえず風流ですね。家の周囲では、梅の花に続くように色とりどりの花々が咲き始めました。(↑)河津桜の並木道と大山ピンク色に染められた川岸は、まさに春本番の装い。前面に広がる田んぼではヒバリが空高々と舞い上がっていきました。(↑)菜の花畑と麓まで白く雪化粧した遠霞みの富士山少しずつですが着実に春の足音が近づくこの頃、私の最も
昨日は1日中酷い雨風でした。亡くなられた方のご冥福をお祈りするとともに、被害に遭われた方にお見舞い申し上げます。私にとっては、千曲川堤防決壊の映像が最も身につまされるものでした。というのも、近くを流れる相模川が氾濫寸前となっているタイミングで上流にあるダムが緊急放流するとの報。厚木市付近で氾濫のおそれあり、とのことでしたので、被害に遭われた方々の大変な状況を他人事とは思えなかった次第です。(↑)今日の相模川の様子。手前側にあるフェンス「酒井スポーツ広場」という文字の下半分が水
厚木宿から相模川沿いに「矢倉沢往還」を辿っていく道すがら、ふと空を見上げてみると雲の一部が鮮やかな色に彩られていました。この現象、彩雲というそうですね。阿弥陀如来様が五色の彩雲に乗ってこられるとのこともあって、昔から吉兆のしるしとされていたそうです。目にした人に幸運が訪れるのだとか。さて、本題に。矢倉沢往還に限ったことではありませんが、古い街道の両側に多くの寺社仏閣を目にすることができます。(↑)その中で最も大きなお寺さんの1つ「長徳寺」。このお寺さんは1182年に建立さ
これまでの実績や現在のランキングから判断して、まず勝てないだろうと思っていた相手に勝つことができたのは驚きました。昨日もテレビ観戦でしたが、特に後半は力が入り放し。それにしても、ラグビー日本チームの健闘には心動かされましたね。さて、矢倉沢往還を散策して厚木宿まで到達した前回ですが(↑)今回も宿場町の中心に鎮座する「厚木神社」から。創建は平安時代の中頃まで遡る古社で、厚木の中心街近くにありながらも広い社域で、心静まる空間が保たれています。社殿裏手には相模川が流れているの
ラグビーW杯が盛り上がっていますね。私の母校は強豪校と位置づけられていましたし、ラグビー部の友人からチケットを融通してもらう幸運にも恵まれて、国立競技場と秩父宮にはよく足を運びました。当時は日本代表よりも学生ラグビーの人気が高かったように思えます。人気・実力ともに現在とは隔世の感がするのは、私だけでしょうか。さて本題に。前回は「矢倉沢往還」厚木の渡しまで到達しました。現在の厚木市中心街は、1㌔弱西側にある本厚木駅周辺。ですが、かつては「厚木の渡し」から相模川下流の右岸のこの
前回の続きです。東海道が厚木経由にルート変更されていれば、現在の国道129号線(平塚湘南海岸から関東北部への道筋)が表舞台に立っていたかもしれません。(↑)今も、厚木市内の129号線沿いにはいにしえを偲ぶ文化財が多く残されています。(↑)そのうちの1つ「飯出神社」。車が頻繁に行きかう国道沿いにありますが、ここは静寂なたたずまい。落ち着いた雰囲気が好ましく思えます。ところで、街道のルート変更を「お道替え」とよぶそうです。徳川幕府が、東海道の「お道替え」の検討を進めながらも実現
新宿から小田急線に乗り、相模川を渡るとすぐに本厚木駅。ここ厚木市は神奈川県央地区の中心で、江戸時代には厚木宿が置かれ、大山詣りの人々で賑っていたそうです。(↑)厚木市・伊勢原市境の切通しからの大山。昔の旅人も同じ風景を目にしながら、大山を目指していたのでしょうね。さて、厚木から平塚市の海岸線まで片側2車線の広い道(国道129号線)が取り付けられています。東名高速・小田原厚木道路の厚木ICのほか、現在建設中の新東名のICも接続される主要道。この国道の旧道脇に古めかしい神社がありまし