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東福寺の塔頭、龍吟庵と即宗院金澤成保東福寺の境内を東西に流れる渓谷「洗玉澗」には、三つの屋根付き木造橋が架かっている。この三橋にちなんだのか、川の名は「三ノ橋川」とつけられ、東山に発して琵琶湖疎水の下をくぐり鴨川に注いでいる。橋の名前は、下流の西から東に向け「臥雲橋」、「通天橋」、「偃月橋」(えんげつきょう)で、「偃月橋」の先にある塔頭寺院、龍吟庵と即宗院が特別公開されていたので、参拝させていただいた。ちなみに「偃月橋」とは「半月の橋」の意味で、慶長8年(1603)に架設され重
なんだか急に紅葉が始まり、バタバタ忙しくする必要は無いのですが、忙しいこの水曜日に、急に色づき始める京都水曜日に、皆が押し寄せる前に東福寺へ並ばず、撮影スポットからも紅葉海を撮影できました少し早めが、若々しく色鮮やか🩷青空とのコントラストが美しい😍透き通るオレンジ🧡日差しが綺麗に道筋を照らす赤く燃える谷間に目も覚める自撮りもしやすいスポットです通天橋で撮影できるほど人少なめで嬉しい😃しかもこの橋中央から撮影なんて、絶対無理なのですが、平日中日、見頃初日なので初めて撮影
11/12,今日もお寺巡り!今日は、東福寺と泉涌寺を集中探索。紅葉の最盛期を外して先んじてのつもりでしたが、結構、人は多い印象でした。東福寺、近く特別拝観にて通天橋は別途行くため、今日は方丈庭園を拝観。通天橋も見えましたが、より人が多そうでした。即宗院、西郷隆盛が月照上人と幕府転覆の策を謀ったそうです、へー。龍吟庵、書院造と神殿造が混在する珍しい方丈建築だそうです、写真は龍の庭。不離の庭、鞍馬の赤砂だそう、東福寺の三門。正覚庵のお庭、本堂は、白州文平(白洲次郎の父)が兵庫県伊丹
「本坊」の裏手(東側)にある東福寺の三名橋の1つ、偃月橋を渡り、右手にあります。即宗院は島津家の畿内菩提寺としての歴史があります。篤姫や西郷隆盛など幕末の志士たちが見た、力強い新緑の庭園をゆったりと眺められます。2023年秋は、2023年11月3日(金)~12月3日(日)9:00~16:00(受付終了)16:30(閉門)みることができます。撮影日:2023.11.5即宗院の庭園室町時代後期の庭園としては類い稀な公家寝殿造系で、鈎の手(「心」)になった池の地割り・瀧の位置など、その往時が
前回の大黒寺と同じく薩摩藩ゆかりの場所になります。東福寺塔頭の即宗院は1387年、薩摩藩の守護大名島津氏久の菩提を弔うために創建され薩摩藩の菩提寺となりました。幕末には王政復古に向けて、西郷隆盛が同士と倒幕の計画を練った地としても有名です。2018年、大河ドラマ西郷どんの年の京の冬の旅で特別公開されたときに訪れました。隆盛や徳川慶喜直筆の書、薩摩島津家ゆかりの寺宝等を見ることができました。東福寺方丈の東側になります。常時拝観はしていないようです。
名古屋のシンゾウですブログの最後に《チョット漢字力》コーナーを設けていますが、正答率は如何ですか。私、2年ぐらい前に準1級に合格していますが、今の正答率は60%程度です。京都検定を勉強していると、難読漢字に沢山遭遇します。それを乗り越えるために漢字検定にも挑戦したのですが、最上級の1級には未だに挑戦できていません。情け無い話です。来年こそは不合格覚悟で挑戦しようと思っています。まだまだ好奇心(挑戦心)が残っているようです。それだけでもOKとしますか。本日もブログを更新します。
2021年11月21日、東福寺塔頭寺院『盛光院』『霊雲院』『即宗院』へ参拝に行きました。普段は非公開が多いです。秋の紅葉時期に公開される寺院だと思います。【盛光院】(じょうこういん)東福寺駅より歩いた場合、最初にあるお寺です。入口にテントの受付があり、御朱印を授与すると拝観ができます。頂いた御朱印です。御住職にテント内で書いて頂けます。書置きが多い中、うれしかったです開山は文永年間(1264-1275)、直翁智侃(じきおうちかん;後に東福寺10世になる)です門を入ると右に庭
木蓮のいとおかし日記京都お寺編京都錦秋極上女子旅その1から東福寺塔頭即宗院です即宗院OfficialWebsite臨済宗東福寺派、大本山東福寺塔即宗院。嘉慶元年(1387)九州薩摩藩島津氏久公が、剛中玄柔禅師(東福寺第54世住持)を開山として建立。薩摩藩の菩提寺で氏久公の法名「齢岳玄久即宗院」から寺名とした。www.sokushuin.net第三の橋偃月えんげつきょうわたって吟龍庵へあらことしは公開なし
東福寺塔頭、即宗院です紅葉の美しいちょっとした穴場です4千坪にもおよぶ広大な庭園は必見です。鬱蒼とした深山と秀麗な庭の風情には驚きます。見事な紅葉と広々とした苔のお庭ここは幕末に薩摩藩士宿所になりました庭園奥には、隆盛自筆「東征戦亡の碑」戊辰戦争の薩摩藩士の追悼碑524柱があります西郷隆盛と月照上人が密談した茶室「採薪亭」跡も見られます篤姫が江戸輿入れの際、ここに立ち寄ったといわれています。歴史好きには外せませんね。見どころがたくさんあり、紅葉の色どりも美しい即宗院
…自ら揮毫した碑が在る東福寺の塔頭と云えば何処か?南北朝の元中4年、大隅守護の島津氏久の菩提所として東福寺に営まれた庵室が「即宗院」である。寺名は氏久の法名に因む。戦国期に焼失した後、慶長18年島津家久によって再建された。ここは在京の島津家家臣が亡くなった折の葬送地とされた。寺田屋事件で戦死した道島五郎兵衛や姉小路公知暗殺の嫌疑を受けて自刃した田中新兵衛などの墓碑がある。維新後には戊辰戦争で亡くなった524人の供養碑6基が西郷隆盛の揮毫により
【11/21の3社寺目】龍吟庵の次はお隣の即宗院を参拝しました。こちらの庭園は九條兼実の月輪殿跡地に建てられたもので、他にも西郷隆盛が建立した「東征戦亡之碑」等の見所があります。これで拝観料300円はお得ですね。(*^^)v+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++■由緒1387年、島津氏久により剛中玄柔禅師を開山として建立■住所京都市東山区本町813■御本尊宝冠釈迦如来■宗
寺社No.1342御朱印No.910東福寺即宗院京都府京都市東山区臨済宗東福寺派島津家菩提寺2008年11月22日NHK篤姫
前回はこちら西郷隆盛密議の地の説明板です。薩摩藩士東征戦亡乃碑の入口の鳥居です。建碑のいわれの説明板です。薩摩藩士東征戦亡乃碑です。薩摩藩士東征戦亡乃碑でも、僕の着物姿の自撮りをしました。薩摩藩士東征戦亡乃碑の入口です。即宗院の後、最勝金剛院に行きました。最勝金剛院の入口です。最勝金剛院の石碑です。大慧殿です。最勝金剛院の入口の門です。最勝金剛院の紅葉です。続きはこちら
前回はこちら龍吟庵です。即宗院の門です。即宗院の説明板です。即宗院庭園の入口です。即宗院の紅葉です。即宗院の紅葉を再び撮影しました。即宗院でも僕の着物姿の自撮りをしました。西郷隆盛密議の地です。つづく
前回はこちら方丈の市松模様の庭園です。方丈八相庭園の紅葉です。市松模様の庭園のミニチュアです。方丈八相庭園の説明板です。その日は、即宗院の特別拝観をしていました。即宗院の月の輪殿跡も特別公開していました。国宝龍吟庵も特別公開していました。偃月橋の入口の紅葉です。偃月橋の入口です。即宗院です。拝観料が安かったので、拝観しました。続きはこちら
先日は、ちょっと珍しい西郷隆盛ゆかりの即宗院へご案内しました。西郷どんの足跡を訪ねてみました。まだ紅葉も綺麗でした。4千坪にもおよぶ広大な庭園は必見です。鬱蒼とした深山と秀麗な庭の風情には驚きます。そして見事な紅葉と広々とした苔のお庭、篤姫や西郷隆盛もこの庭を歩かれたのでしょうか。西郷隆盛と月照上人が密談した茶室「採薪亭」跡隆盛が自筆の「東征戦亡の碑」が建つほか、関白、藤原兼実の山荘「月輪殿」跡である庭園も公開されます。隆盛が揮毫した戊辰戦争時の薩摩藩士の追悼碑があ
正式な名称を「臥雲山即宗院」といって、薩摩藩島津氏久の菩提のため創建されました。別名「月輪殿」(つきのわどの)と言います。平安時代後期、関白藤原忠道が、この地に御所の東御堂を建立。忠道の子、兼実は関白を辞して後。自身が別称「月輪殿」と呼ばれたことにちなみ、ここを「山荘月輪殿」と命名。庭園はその跡地で、太平洋戦争後に荒廃しましたが、昭和52年に往時の面影を復元。お庭の概略お庭や寝殿の様子は「法然上人絵伝」巻八段五(国宝・知恩院蔵)に描かれていて、1799年の「都林泉名所
東福寺三の橋・臥雲橋・通天橋は写真撮影厳禁ですが、偃月橋は撮影フリーです。この橋からの紅葉も見事。臥雲山即宗院と称し、薩摩藩東福寺城の守護大名であった6代目島津氏久の菩提のため、南北朝元中4年(1387)に東福寺第五十四世であった剛中玄柔和尚を開基として創建された。これにより代々の島津家から庇護を受けて繁栄した。・永禄12年(1569)に焼失したが、慶長18年(1613)島津家久によって再興。・以来、薩摩藩の畿内菩提所とされ、藩との深い関係にあった。幕末
日にち少し経ちましたが、続き書くので良かったら見てね〜。東福寺には多く塔頭(たっちゅう)と言うのがあります。その中に、「即宗院」と言う所があります。ここは、普段非公開の所でなかなか見る機会が無い場所です。私は今回、ここに行くのを楽しみにしてました。幕末に薩摩藩から徳川将軍家にお嫁に行く時に篤姫様もここに立ち寄られてます。そして今、NHK大河ドラマにもなっている西郷隆盛さんもここに来られています。←歴女の私は、もうこの時点でテンション⤴️写真、左手に見えるのは東福寺の方
大本山東福寺紅葉2018https://4travel.jp/travelogue/11424719京都市東山区にある、東福寺に行きました。もの凄い人出で、通天橋は例年の如く混雑している様子でした。東福寺本堂ー通天橋ー開山堂ー偃月橋ー龍吟庵ー八相の庭ー即宗院こういう順路で廻りました。紅葉はこれからが本番の様で、12月初旬が一番の見頃かもしれません。年々、京都の紅葉は遅くて、早く見頃が終わるようです。桜ほどではありませんが、紅葉を楽しめる期間が短いようです。東福寺http:
関東・関西の旅夏伏見稲荷からタクシーで移動到着したのは『東福寺』「京都五山の大伽藍」だそうな天気も良くというか良すぎるので日陰を探しながらの移動です『三門』手前の蓮が咲いている池は『思遠池』奥には『本堂』特別公開時には天井の蒼龍図や大涅槃図が公開されるそうです拝見したいところですねここでも西郷どん巡り順路に沿って奥の方へ『即宗院』残念ながら拝観出来ないようなのでここまでです通り道には『偃月橋(えんげつきょう)』紅葉の頃には綺麗で
文久三年五月二十日夜、田中新兵衛ら三人の刺客は御所朔平門外猿ヶ辻に尊攘派公卿姉小路公知を襲撃しました。姉小路卿の従者金輪勇は太刀を持ったまま逃走し、姉小路卿を守るのは若干十九歳の吉村右京ただ一人となってしまいました。また金輪勇に太刀を持ち去られてしまった姉小路卿は、やむなく手に持っていた扇子で応戦せざるを得ませんでした。新兵衛は姉小路卿に激しく斬りつけましたが、武術の心得のあった卿は、ひるまずに新兵衛の刀を素手で掴み、奪い取ろうとしたといいます。そうして揉み合っている間に、吉村
京都東福寺の即宗院薩摩藩の守護大名であった島津氏久の菩提のために建てられた寺院西郷隆盛は明治維新で戦死した藩士の霊を慰めるため,「薩摩藩士東征戦亡之碑」を建てた。京都鹿児島県人会の皆様と掃除をしました
皆さん、GW始まりましたな。何処かに行くご予定ありますか?え?私⁉️激混みが大の苦手は私はGW中は何処にも行きません。最近、めまいがするので処方されたお薬を飲んでるので、大人しくしてましたが、どーしても行きたい所があったので、体調の様子を見てGWが始まる1日前に一人で堪能してきました。←(一人で何処にでも行くタイプの人間。)私の行きたいのは、これなのよ。京都には通年、一般公開されてる所もあれば、期間限定の時だけ公開される文化財もあります。拝観料はちょっとお高めの各
話は、前後しますが、芬陀院から、いよいよ東福寺の日下門をくぐり、境内へ。観光客が少なくて、嬉しい悲鳴です!本堂から通天橋を渡り、開山堂へと続く、渡り廊下。この柱や、梁の木質感が好きなんです。観光客が少ないので、ず~っと奥まで見え、途中の白い立て札は、通天橋・開山堂への料金所のモノです。冬枯れの通天橋からの眺めもいいかな~と思いつつ、方丈を横目に、第一のお目当ての即宗院へ向かいました。東福寺の三つの橋の一つ偃月橋を渡ります。その後の感想は、
非公開文化財特別公開、という事で、訪れた、「東福寺即宗院」。正直に言えば、多分もう訪れる事はないと思います。あくまでも個人の感想ですので、気分を害さる方もいらっしゃると思いますが・・拝観料600円を支払い、靴を脱ぎお邪魔すると、建物内部、二か所で解説がありました。なんでも、「島津家ゆかりの火鉢や重箱の他、徳川慶喜の掛け軸など寺宝を特別展示」けれども、お庭については、ガラス越しにしか観ることが出来ず、体感する事もできません。お庭を散策することも禁止です
こんばんは春を目一杯感じる好天の一日智積院城南宮と、梅を堪能して…今回の旅のもうひとつの目的京の冬の旅…へ御寺泉涌寺舎利殿の特別公開しか~し💢写真が無い???もちろん内部の写真はありませんが、他に撮った写真が無い?無い?無い仕方ない、御朱印見て楊貴妃観音と舎利殿そう言えば、去年の夏こちらに伺った時体調悪く、塔頭の雲龍院の門前で喘息の発作で喉がピーピー鳴ってめちゃくちゃしんどい目にあったこと思いだした今回は元気に(腰は痛かったけどねー)迷路のような住宅街を縫うよ
毎度ご訪問有難うございます。今日は雨ですね。雨だと花粉症の方は安心するんですか?私は花粉症ではないので花粉症の方の気持ちが全くわからず…m(__)mこれまで風邪気味になることも一切なく、快適で元気な日々を過ごしております( ̄ー ̄)vさて先週の土曜日。西郷どんの番組で知った京都の西郷どんスポットを巡ってきました。3月18日までの特別拝観。撮影はほぼ禁止でした。京阪丹波橋の近くのコインパーキングに車を停め、京阪電車に乗り、9時半、東福寺スタート其々のお寺でガイドさんから
東福寺を訪れた日は、京の冬の旅初日でしたので、特別公開されている禅堂と経蔵、そして塔頭の即宗院へ。禅堂。中は思ったより広くて、厳かな雰囲気です。係員の説明を聞きます。ちょっと写真の中央に写っているのが文殊菩薩です。禅というとあのバチッとされる警策を思い出すのですが、あの叩かれるのは、けして集中してないからではなく、文殊菩薩と会話をするために阿吽の呼吸でたたかれるんだそうです。むかし永平寺で座禅したときは、そんなこと習わなかったなぁ。経蔵です。中には
東山にある薩摩藩の京都菩提寺、即宗院が特別公開中(1月6日~3月18日)というので、先日行って来ました。東福寺本堂第52回京の冬の旅東福寺即宗院非公開文化財特別公開東福寺の塔頭寺院である即宗院が、「京の冬の旅キャンペーン」で特別公開されます。薩摩藩島津家の菩提寺である即宗院は、かつて西郷隆盛と勤王僧、月照上人が倒幕計画を練った場所とされ、鳥羽伏見の戦いでは、薩摩軍が寺の裏山山頂から幕府軍に砲撃を加えたと伝わります。境内には、西郷隆盛が自筆した「東征戦亡(とう