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ベトナム戦争で使用されたダイオキシン類の一種を多く含む枯葉剤の影響で1981年に結合双生児として生まれたベトちゃん・ドクちゃん。1988年に分離手術に成功した後も深刻な健康問題を抱えていた。2007年兄ベトは亡くなっているが、2006年にドクは結婚し、2009年に男女の双子に恵まれた。このあたりのことは、日本でも多く知られている事実だから説明の必要は少ないと思う。本作は、ドクちゃん家族と、グエン・ドク自身の活動のドキュメンタリーだ。ドクの両親は、ベトちゃんドクちゃんが生れた後、離婚していて
「消えない罪」のノラ・フィングシャイト監督作品。実際は本作の方が先に制作されている。2019年ベルリン国際映画祭のコンペティション部門に正式出品され、銀熊賞(アルフレッド・バウアー賞)とベルリン・モルゲンポスト紙の読者審査員賞を受賞。翌年のドイツ映画賞では最優秀作品賞などを受賞した作品がようやく日本公開されるという感じだ。内容は、攻撃的で人や施設に馴染めない少女ベニー。里親やグループホーム、特別支援学級なで問題を起こし続けるが、実の母親はベニーに愛情を持っていながらも、接し方がわからず、彼
私自身が企画にかかわった作品を紹介するのも照れくさいが、本作は奈良県川上村を舞台に、古い旅館の母と娘の春休みに焦点をあてて描かれた映画だ。監督は、2020年なら国際映画祭で学生時代に制作した映画、NARA-wave部門で観客賞を受けた村瀬大智の監督作品。2022年のなら国際映画祭で上映されたものとは別バージョンの編集作品だ。人口が徐々に減少する地域。小学生の数も少ない。山間には田もなく、林業などが中心。主人公の少女・イヒカ(三宅朱莉)の家は、旅館を営んでいる。そこは、シゲ兄(堀田眞三)
19世紀イタリア。カトリック教会が権力の強化のために7歳になる少年エドガルド・モルターラを両親のもとから連れ去り、世界で論争を巻き起こした史実をもとに描かれたと、紹介される作品。脚本・監督は「甘き人生」のマルコ・ベロッキオ。かなりご高齢の監督だ。本作は2023年カンヌ映画祭。コンペ作品にも選出されている。ボローニャのモルターラ家は敬虔なユダヤ教徒。ある日突然、教皇の命を受けた兵士たちに7歳になる息子エドガルドが連れ去られてしまう。どうやら、カトリックの洗礼を受けたエドガルドをユダヤ教徒
山田太一の長編小説「異人たちとの夏」というより、映画の好きな人には、大林宣彦の監督作品「異人たちとの夏」のリメイクと言う方が良いだろう。新たな脚色で映画化したのは、「荒野にて」「さざなみ」のアンドリュー・ヘイ監督。物語のラインは大林版と同じ。風間杜夫が演じる脚本家が、浅草の街で、少年時代に事故死した筈の両親と出会うというものだ。そして、死んだはずの両親と逢うたびに、思い出や親の育てられなかった無念と出会っていく。父親は片岡鶴太郎。母は秋吉久美子だった。オカルトシーンには、ややうんざりだった
単館系の映画です。これ、私の中ではものすごい印象深い映画でして。というのも、観たことはなく、今回が初鑑賞。でも、高専のころ、私映画部に所属しておりまして、ちょうどこの映画のミニポスターが部室に貼ってあったんですよ。なので、私の頭の片隅にはずーっと残ってました。で、アマプラで視聴と。面白かったです。映画の最後に、店を乗っ取ろうとしてたギャング二人が殺されるんですけど、コイツらよりも殺してほしい奴らが他にいっぱいいましたね。あの、気取り屋の画商のジジイ。こいつを殺せ。あと、
空想のモンスターを生み出すゲームデザイナーの青年フリアン。彼が、自分自身のなかに見たマンティコア(怪物)とは何なのか。なるほど、「怪物、だーれだ?」ではない訳だ。しかも、キャッチコピーに「心の闇のタブーに踏み込んだ、衝撃のアンチモラル・ロマンス」と書かれれば、どこか不道徳でワクワクする。(これは誤解だった)監督はスペインのカルロス・ベルムト。日本のアニメやゲームオタクの監督だから、映画の中に日本食や日本文化がどんどん出て来て、映画のテンポもゆっくりだし、感情の描き方も大げさな描写はない。
日本人ドキュメンタリストの竹内亮は、テレビ制作会社のディレクターだったが、10年前のNHKの番組で長江を撮った時、チベット高原にあるとされる「長江源流の最初の一滴」を撮れなかったという。そして中国人女性と結婚し、日本から南京市に移住。10年の時を経て、彼は再び2021年から2年かけて「最初の一滴」をカメラに収めるため、長江源流をめざすというもの。6300キロもの旅。もう一つの目的は、各地で10年前に撮影した友人たちと再会だ。こう書くと、まさにテレビによくある感動ドキュメンタリーなのだが、簡
役者として舞台に立つギュンターという男性は、共演者と不倫をしたり、ひとり娘が肺がひとつしかない状態だと悩んでいても、あまり関心がないなど、少し普通じゃない。普通じゃない過去の設定では、彼には、幼少時に記憶をなくし、森に捨てられた末に里親のもとで育てられたという過去があるとのこと。まあ、「フィクションやから書いたもん勝ちやな」と大阪弁でツッコミたくなるような内容だが・・・。HP曰く、内容は話さないで欲しいとの事。オランダのアレックス・ファン・バーメルダム監督の作品。彼の10作目の本作、映
本作は、クリストファー・ノーラン監督の1998年の長編第1作。「オッペンハイマー」の公開を受けて、HDレストア版として公開されたもの。約70分の長編映画。自主映画かと思わせるよう16mmモノクロ映画で、制作費はわずか6,000ドルという。私にとってノーラン作品は「メメント」から始まるのだが、同じ単館系劇場で23年ぶりの上映という事で、懐かしさもあり、映画作家の変遷を知りたくて鑑賞。なるほど、ノーランらしく映画を面白くみせる工夫として、時系列を一方向ではなく、バラバラに提示して、次第に事の顛
デンマーク統治下にあった19世紀後半のアイスランドが舞台。デンマークの若き牧師、ルーカスは、アイスランドの辺境の村に教会を建てるため、過酷な自然環境の中、その土地を目指すのだが・・・。という内容の本作だが、不思議な実感の映画となっている。最初は、荒れた海辺から、山越えで村を目指す映画の半分ほどの旅。馬による旅は、極めて危険で、過酷なものだ。一行は、次々と起こる事件に翻弄される。デンマーク人を嫌うガイドのラグナルと対立しながらも仲間を亡くしてしまったりして、ルーカスは瀕死の状態になってしまう
2022年ヴェネチア国際映画祭で金獅子賞を受賞したドキュメンタリーだ。「殺りく」とはやや大げさなタイトルだと感じたが、観てみるとそうかもな!という想いに至る。映画は2018年3月に行った、写真家ナン・ゴールディンと仲間たちによるニューヨークのメトロポリタン美術館の「サックラー・ウィング」での抗議活動から始まる。この展示室は製薬会社を営むサックラー家の多額の寄付により、その名が付けられている。大富豪サックラー家は、製薬会社パーデュー・ファーマの創業家で、オピオイド系処方鎮痛剤「オキシコン
日本語の副題を見ると、何だか色っぽい場所のようだが、社会派。今でもアメリカなどでは意見が二分される妊娠中絶を扱った作品だ。監督はパトリシア・ハイスミスが別名義で発表した女性同士の恋愛を描いた「キャロル」を20年かけて映画脚本にした、脚本家のフィリス・ナジー。本作は2022年ベルリン国際映画祭コンペティション部門に選出されている。時代は1968年から1973年まで。夫が弁護士で裕福な主婦のジョイは、2人目の子供の妊娠によって心臓の病気が悪化してしまう。唯一の治療は、妊娠をやめること。ジョイは
全国公開が少ない映画を紹介するのも気がひけるが、友人監督の映画でもあり紹介したい。大阪を拠点に世界をさ迷いながら映画を撮る映画作家、リム・カーワイ監督の「どこでもない、ここしかない」「いつか、どこかで」に続く、バルカン半島3部作の完結編。マカオ出身のエヴァは、かつて出会ったジェイと映画を撮った、北マケドニアのスコピエにやってくる。彼女はジェイを探すのだが、ジェイは映画のハードディスクといくつかのデータ、本を残して姿を消していた。ジェイはバルカン半島をセルビア、マケドニア、ボスニア・ヘル
現代の韓国が抱える社会問題、貧富の二極化、介護などに根ざしたサスペンス映画だ。監督は本作が長編監督デビューとなるイ・ソルヒ。ポン・ジュノ監督らを輩出した韓国映画アカデミーで映画監督コースを専攻した29歳の俊英だ。主人公ムンジョンは金持ちの家にヘルパーとして雇われている。盲目の老人テガンと、その妻で重い認知症を患うファオクの世話だが、妻のファオクは暴力的だ。そんなある日、風呂場でファオクが突然暴れ出し、それをやめさせようとして、彼女を押し倒してしまう。ファオクは後頭部を打ちつけ、そのまま息絶
あの「ニーチェの馬」(2011)を最後に映画監督を引退したハンガリーのタル・ベーラ監督の、またまた、あの7時間18分の大作「サタンタンゴ」(94)の次に制作した長編作品が本作で、2000年製作、これも146分の大作だ。日本初公開は2002年6月だが、本作はデジタルリマスターの再上映となる。ヴェルクマイスターとは、ヴェルクマイスター音律(17世紀末から18世紀)のことらしい。物語はハンガリーの田舎町が舞台。郵便配達員ヤーノシュは、音楽家の老人エステルの世話している。その音楽家は、完全な調律(
脚本・監督は三島有紀子。3つの部分からなる作品。第一章は北海道・洞爺湖の素敵なお宅。そこにはジェンダーを越えたマキという老人がいる。カルーセル麻紀が演じている。かなり異様なのだが、正月で帰って来た家族がいる。マキの娘の美砂子(片岡礼子)は、マキのことを「おとうさん」と呼ぶ。そのことを美砂子の娘は意地が悪いという。どうやら、この家には本当はレイコという娘がいたらしいが、亡くなっているらしい。美砂子は立ち去る時、もう来ないかもという。この家が通り過ぎた40年以上、どのようなことが起こって来たの
2022年9月に自らの人生を終わらせた、ジャン=リュック・ゴダールの遺作となった、わずか20分の短編映画。サンローランが設立した映画制作会社によって製作されたという。その映画のために地下鉄に乗り映画館に足を運ぶのは、私の中できっちりとゴダールを眠らせたい思いからだ。どうせ、爺さん、手書きのメモと、ギトギトの映像、あるいは絵なんかのコラージュなんのだろうな、と思いながら観てみると、まさにその通り。たかだか40数枚のコラージュといってもキャノンのインクジェット写真用紙の裏に貼り付けられた企
注目のバス・ドゥヴォス監督(ベルギー)の長編第三作目、2019年製作の作品。原題の「GhostTropic」だが直訳では「幽霊の回帰線」。よくわからないが、まあ良いだろう。物語は、若くはない清掃作業員の女性ハディージャは、最終電車で眠りに落ち、家に帰る手段を失ってしまう。しかたなく徒歩で帰るのだが、道中では予期せぬ人々との出会いもあり、彼女の帰路は遠回りをはじめるというもの。(もちろん、これこそが映画のセオリー)その中には、親切にビルを開けてくれる背の高いガードマンや、彼女が行倒れの
ヨーロッパで大注目監督ベルギーのバス・ドゥヴォス作品がようやく公開。長編第1作「Violet」(2014年ベルリン国際映画祭ジェネレーション部門で審査員大賞)、長編第2作「Hellhole」(2019年の同映画祭パノラマ部門に選出)の2作とも日本未公開で、ようやく「ゴースト・トロピック」と「Here」が今回上映される。まずは最新作「Here」から。ベルギーのブリュッセルに住む建設労働者のシュテファンは、アパートを引き払って故郷ルーマニアに帰国を考えている。彼は冷蔵庫を空にしたい。それで
何ともスッキリしないタイトルだが、名古屋掖済会(エキサイカイ)病院の救命救急センターを取材したドキュメンタリー。「断らない救急」をモットーとする病院では、色々な救急症例がある。ホームレスのお年寄りのSOSから、自殺を疑われる転落事故。もちろん急病。そのうち、新型コロナウイルスのパンデミックにより、救急車の受け入れ台数は連日過去最多を更新。他の病院に断られた患者も押し寄せる。窮地に立たされたERの様子をありのままに記録した作品だ。ERの仕事を“究極の社会奉仕”と捉えて日々全力を尽くす医療スタ
愛したホストの隼人を刺し殺そうとした沙苗。服役の後、お見合いで出会った健太と結婚する。平穏な結婚生活が始まったと思っていた矢先、謎めいた隣人の女・足立が現れる。足立という女は何者なのか?平穏な結婚生活は?なんて、よくあるありふれた土曜ワイドのような話だけれど、監督の山本英の世界を観たくて鑑賞した。山本英(あきら)監督の過去作、東京芸大大学院当時の作品「グッド・アフタヌーン」は姉と妹の家族団らんの中で、老いた父親と少女がとても寂しい午後を過ごす、静かな映画だった。しかし本作、予告編を観ると濃
2022年ベルリン国際映画祭・ジェネレーション部門(Kplus)でグランプリを受賞し、2023年アカデミー賞の国際長編映画賞にノミネートもされた作品がいよいよ公開。脚本・監督は本作が長編第一作になるコルム・バレード(次々と長編第一作目監督が映画を活性化してくれるのは嬉しい)。9歳の主人公コットを演じるキャサリン・クリンチはIFTA賞(アイリッシュ映画&テレビアカデミー賞)主演女優賞を12歳で受賞している。内容はというと、あまり話さない少女コットは、母親の出産で、家族機能がマヒした家から
スリリングでドキドキする映画だ。フランス北部の地区を舞台に映画が企画され、地元の少年少女を集めた公開オーディションが行われ、(ということになっている)撮影の過程そのものを映画の内容にし、演技未経験の問題児たちの内面を見せていく映画だ。本作はキャスティングと演技コーチの経歴を持つリーズ・アコカとロマーヌ・ゲレが共同監督を務め、2022年カンヌ映画祭「ある視点」部門でグランプリを受賞した。ビッチと女子からさげすまれるリリ、怒りをコントロールできないライアン、心を閉ざしたマイリス、出所したば
中国を離れ、韓国で抑圧された生活を送るジン・シャ。中国でどのようなことがあったかは語られないが、映画の中でニュースを見た彼女の言動で少しは分かる程度だ。彼女は保安検査場での仕事をしているが、そこで緑色の髪の女と知り合う。観客も彼女も、その出会いを本能的に危険だと感じながらも、二人は危険な闇の世界へと足を踏み入れていく。というもの。不思議なローラーコースター映画だ。女二人の自由な愛や語らいを想像して観た人は、ずいぶん裏切られるかもしれない。けっこうアクション映画だし、スプラッターな部分もある
2022年東京国際映画祭「アジアの未来」部門では「クローブとカーネーション」のタイトルで上映された作品。監督はトルコのベキル・ビュルビュル。亡き妻を埋葬するため棺を背負って歩き続ける老人とその孫娘の旅を不思議なトーンで描いている。トルコ映画というと、「裸足の季節」や「雪の轍」「読まれなかった小説」「蜂蜜」など映画祭で話題となる作品が多くあるが、その次世代とも言える監督の長編2作目。映画を観て、この作品のオリジナリティに触れた時、観客はある種の戸惑いを感じながらも、長く映画の記憶に浸るこ
女兄弟にはさまれたジャックは、弟の誕生を喜んだが、その弟は家族にとって特別な子どもだった。つきまとうダウン症の弟を可愛いと思いながらもうとましく思うジャック。そのジャックは進学する際、地元の村から街の高校に通うことになる。開放感のある高校生活で好きな女の子ができる。その子の前で彼は「弟は死んでいない」と嘘をついてしまう。やがて、その嘘は、家族や友だち、さらには町全体をも巻き込んで大騒動へと発展してしまうというもの。映画のテイストは観やすい一般作で、音楽も多くアップテンポで、PG12ながら、
ソフィア・オテロが主人公の少年を演じ、第73回ベルリン国際映画祭において、当時9歳にして史上最年少で最優秀主演俳優賞を受賞した話題作。2023年からベルリン国際映画祭でも男優賞、女優賞を廃止し、俳優賞に統合した記念すべき年に、ソフィアが受賞したというのは意味があるだろう。(ソフィアは女性の名前だけれど)という枠の話はやめて映画について。夏のバカンスでスペイン、バスク地方にやってきた家族の物語だ。家族と言っても、母親の出身地への里帰りで、3人の子どもを連れている。父親はフランスに残り仕事をし
PG18+の映画だが、27歳の小説家が創作的好奇心から実際に高級娼館「ラ・メゾン」に娼婦として潜入して書かれた小説を原作とした映画。ということで、今、綺麗にまとめられた映画や、いわゆる良識ある価値観に縛られた映画に食傷気味だったので鑑賞。原作小説の作家はエマ・ベッケル。彼女はフランスからベルリンに移り住んだ。そして、彼女は娼婦を体験したくて、娼館に雇われる。ドイツには売春者保護法があり、賛否はあるものの一応、売春行為は合法化されている。その法律やドイツ社会がどうかは別として、映画として
「希望のかなた」のプロモーション中に監督を引退すると発言していたが、やはり新作を作ったアキ・カウリスマキ。こんなことを公式HPで話している。「無意味でバカげた犯罪である戦争の全てに嫌気がさして、ついに人類に未来をもたらすかもしれないテーマ、すなわち愛を求める心、連帯、希望、そして他人や自然といった全ての生きるものと死んだものへの敬意、そんなことを物語として描くことにしました。それこそが語るに足るものだという前提で」と。で、本作はというと、監督ファンにとっては、ニヤリとしながら、いつもの演出