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本文と無関係のこぼれ話。3月にガダルカナルに参った際、レセプションの席上で現地の方と英語で四方山話をしていたとき、彼が先日ダイビングで「イイチ」に行って来たときの様子を語り始めた。しばらく何のことだか分からなかった。せめてサブマリンとでも付け足してくれればよかったのに。モグラ輸送の際にカミンボ湾で沈んだ伊号第一潜水艦のことだった。伊一は撤退決定の直後に遭難。前に潜水艦と戦車にはいっぺん乗ってみたいと申した。詳細は書けないのだが、まずは潜水艦に乗りましたので速報す。コウホネの花
1941年12月8日未明(現地時間12月7日午前8時)オアフ島北方海域の日本海軍空母6隻から発艦した第一次攻撃隊183機が真珠湾在泊艦艇と基地航空機を攻撃しました。九七式艦上攻撃機の雷撃隊40機、水平爆撃隊49機、九九式艦上爆撃機の急降下爆撃隊51機、護衛の零式艦上戦闘機(零戦)43機で編成されてました。雷撃隊と水平爆撃隊は戦艦以下の艦艇、急降下爆撃隊は基地航空機を攻撃しました。奇襲攻撃になり、米軍戦闘機は少数でした。第一次攻撃が帰路につくと、第二次攻撃隊167機(九七艦攻
「「指揮官たちの第二次世界大戦」大木毅著新潮選書」美談・武勇伝は、信用するもんじゃないと僕は思っています。大抵は、都合よく盛られていますから。太平洋戦争が開始された当初、「航空機は戦闘行動中の戦艦を撃沈することができるか?」と言うことが議論になっていたのだそうです。真珠湾攻撃は、停泊中の戦艦相手でしたから成功したのは当然だけど、戦闘行動中だったらどうなのかはわからなかったのです。それに決着をつけたのが、1941年12月10日のマレー沖海戦です。この戦いで、日本海軍航空隊の攻撃によ
2023年9月11日、アメリカの海洋調査船EVノーチラスが海底(水深5,490m)の航空母艦赤城の映像を捉えました。赤城の沈没位置は、2019年10月21日にアメリカの深海調査船ペトレルが発見してました。赤城は1927年3月25日に三段式空母として竣工しました。元々は、天城型巡洋戦艦の2番艦として、計画されましたが、ワシントン海軍軍縮条約会議の結果、空母に改造されることになりました。しかし、三段式空母は、搭載機の高速化や大型化に合わなくなりました。1935年11月15日から1938年8
大栄翔負けちゃったね、もろさが出た。朝乃山も戻って来たし、生きのいいのも続々と上がってきてるから今回が最後のチャンスだったと思うなぁ。井上成美の遺言Amazon(アマゾン)510円ちょうど13年前の記事です。ボクの中では南雲さんって、この話題と機動艦隊の長官であったことミッドウェーの失敗ね。この二点がどうしても大きいんでどうも、その、いい印象がないんだけど、おそらく、いい人だったと思います。南雲
2022.12.06誰に責任を取らせているのか。失敗しても責任を取らない日本のエリート層テーマ:頼むよ日本政府!カテゴリ:政治経済なんかもう、日本人エリート層の特徴なのではないかと疑い始めていますが、「失敗している道を『同じ人間』が突き進み、失敗を繰り返すにも関わらず、誰も責任を取らず、ひたすら突き進む」財務省の諮問会議(財政制度等審議会)には、過去十年以上、「同じ人物」が名を連ねています。具体的には、吉川洋氏(東京大学名誉教授)、土居丈朗氏(慶応大学教授)、伊藤元重氏(東
いかなる職種であれ、ある程度責任ある職位で仕事をしていれば、決斷をしなければならない場面があろう。例えば、日本國人の仕事は精神科醫師であるが、おおむね、初診は三十~六十分、再診は五~十分という時間にて、患者の訴えを聞き、診たてをし、必要があれば、檢査や處方、他診療科への紹介等を、その必要性を説明しつつ、指示・處方箋を出す、等等の決斷を責任とともに行わねばならない。緊急性が無ければ、後まわしにできる決斷もあるが、とりあえず必要なことを判斷するという決斷は、あらゆる場合に必要だ。職種は違えど、
広島市は昨日も晴れときどき曇りの天気でした。今日はいよいよ台風11号がやってきます。今回も9月4日日曜日に海上自衛隊呉基地を訪れた時のお話です。呉基地に向かう前に海自カレーを頂く事にしました。今回は「大和ミュージアム」の傍にある、こちらのお店で頂きました。シーサイドカフェBEACONさんです。後ろに潜水艦。海自カレー「さみだれカレー」護衛艦さみだれのカレーです。海上自衛隊では毎週金曜日のお昼にカレーが出るそうです。長い航海で曜日の感覚を忘れないように、という理由
今からちょうど80年前の今日・1942(昭和17)年6月4日から6日までの3日間、大東亜戦争の戦況を大きく変える転機となった日米両軍の死闘、ミッドウェー海戦が繰り広げられました。(※日本時間では5~7日)結果は日本海軍の惨敗に終わり、この海戦で大打撃を被った日本軍はこれ以降急速に太平洋での制海・制空権を失い、敗戦へと大きく戦局が傾くことに。この海戦の詳細についてここでは論じませんが、私なりに当時の日米両軍の状況について簡単に比較してみたいと思います。★アメリカ軍は
春うらら・・・を少し過ぎた頃に、広島県呉市を歩いたRieruです★呉駅スタート⇒『美術館通り』を歩き、入船山にある『旧東郷家住宅離れ』⇒『旧呉海軍工廠塔時計』⇒『番兵塔』⇒『旧高烏砲台火薬庫』等、呉海軍にまつわる史跡を見学後『水交神社』へ参拝⇒『福住フライケーキ』さん⇒『いつか島CAFE』さんが出店されている『クレッププラス(KUREP+)』さん⇒『メロンパン本店』さん⇒『長迫公園』(旧呉海軍墓地)⇒『亀山神社』⇒『入船山記念館』手前にある『郷土館』へ。『呉市『郷土館』(2階)で『入船山記念
(上野ぼたん苑にて)(パノラマっぽくとれました、小さな植木鉢でした)前回はサイパンに米軍が上陸してきたところまで書きました。今回の記事は上陸後の戦闘と玉砕までを書きたいと思います。細かい事実はwikiを確認ください、兵士の気持ちってどんなだろうと、考えたいなと思います。https://ja.m.wikipedia.org/wiki/サイパンの戦いサイパンの戦い-Wikipediaja.m.wikipedia.org★昭和19年(1944)6.15米軍上陸↓大本営に報告★
サイパンのこと調べてて、日本軍は約3万人、米軍は約13万人よくぞここまで戦ったなという戦いになるのです、正直、"この"状況で"ここ"まだしたんだ!と驚きました。ぜひ知ってほしいです。まず、★サイパンは狙われると思っていなかった分、装備が薄かったのです。★絶対国防圏について、陸軍と海軍で意見が違いました。(陸軍と海軍では度々意見衝突がありました。)絶対国防圏の設定についてはどこまでを守れば日本が安全かどうかの話し合いです。★陸軍戦争遂行上に絶対必要なマリアナ、西北ニューギニア
(上野東照宮の不思議な木)ミッドウェーもなかなか切ないのです。★ミッドウェーは南雲忠一中将(サイパンで自決後、一階級あげて大将)が率いていました。年功序列なので、南雲忠一さんが選ばれた、もっと有能な人が指揮を取れば良かったという説もあります。★航空機の水雷を爆弾に積み替えているうちに敵機に攻撃され、4隻の空母を失った事件と思っている方も多いのかなと思います。ミッドウェー攻略、ミッドウェー島を攻略することを目的とした作戦で動いていました。最終的にはハワイ攻略を考えていたようです。。ht
(上野ぼたん苑)真珠湾攻撃を日本がしなかったら、アメリカと戦うことはなかったというのを前回書きました。★アメリカの世論では7割が戦争反対だったため、向こうから仕掛けてくることはできない状況だったということ知ると、真珠湾攻撃は止めればよかったと思ってしまいます。★昭和16(1941)11.26ハルノートが出され、日本の機動部隊出撃★「ニイタカヤマノボレ1208」新高山とは台湾の玉山のことで、日本統治下では新高山と呼ばれていました、1208は12/1の0時に出撃ということです。★(全て
朝、電車に乗っていると、「山梨県大月市で震度5弱」というニュースがスマホに飛び込んで来ましたこの朝は、2時18分・23分と立て続けに同じ場所を震央とする地震が在ったばかり。大きな地塊でもユーラシアプレートの下に沈み込もうとしているのでしょうか大月と言えば中央線沿線です。電車が止まらないか心配になりましたが、緩行線の黄色い電車は何事も無く走行を続けました。職場に到着して運行情報を確認してみたところ、案の定中央線快速に遅延が発生していましたが、それでも、山梨県から東京に向う足を止
もうすぐ12月も半ばになりますけどこの日本って国は12月になると毎年恒例みたいに話題になったものがありますね😀それは「忠臣蔵」と「真珠湾攻撃」ですね☝️忠臣蔵の方は最近はあまり聞かなくなったというかテレビなどでも昔の映画が放送されることもなくなってきましたね😅大石内蔵助が吉良上野介邸に討ち入ったのが12月14日だったということで以前は映画や芝居などだけではなくて「ドリフターズ」のコントのネタにもされてましたね😛一方の「真珠湾攻撃」の方は日米開戦太平洋戦争第二
八十年前の昨日、昭和十六年十二月八日、米國及英國ニ對スル宣戰ノ詔書が渙發され、大東亞太平洋戰爭が、大日本帝國として正式に開戰された。同時に、初日から、大日本帝國陸海軍は、マレー半島上陸をかわきりに、布哇眞珠灣攻撃、フィリピン爆撃、グアム攻撃、等々、東亞太平洋各地にて、鬼畜米英軍を攻撃、赫赫たる大戰果を擧げたところである。そして、十二月八日當日も、號外や夕刊では報道があったかもしれぬが、新聞朝刊にて、國民が、大東亞太平洋戰爭の開戰と、開戰日の大戰果をはじめて目にしたのは、翌、本十二月九日の朝
中学生の頃に友達から『今日は何の日か知っている?』と聞かれ『???』となった事が有りました。今日は12月8日(ハワイでは7日)は太平洋開戦日「真珠湾攻撃」を日本軍が行った日です!※写真お借り致します因みに今月13日(旧暦)は赤穂事件に端を発する忠臣蔵で御馴染みの吉良邸への「討ち入りの日」!「真珠湾攻撃」と「討ち入り」にはなんと言うか🤔私的には日本人らしい「侍」の様なDNAが重なってみえてしまいます。それはさておき、戦中戦後のお爺さんにお婆さん、お父さんにお母さん方は、それはそれ
先日行った呉で、一番印象に残ったのは「入船山公園」の「旧鎮守府司令長官官舎」でした。呉鎮守府は明治22年7月に開庁し、昭和20年8月の終戦まで呉における艦隊の後方を統括した機関で、二海軍区(範囲「紀伊国(和歌山県)南牟婁郡界ヨリ石見(島根県)長門国(山口県)界ニ至リ筑前(福岡県)遠賀宗像郡ヨリ九州東海岸ニ沿ヒ日向(宮崎県)大隅国(鹿児島県)界ニ至ルノ海岸海面及四国ノ海面並内海」)を所管していました。旧呉鎮守府庁舎(引用:Wikipedia)(TakaHiro-http://w
お疲れ様です〜んん、、昼間は暑かったですね(⌒-⌒;)でもカラッとしたお天気^_^本日は、バットモービル飛ばして、ラーメン食いに(笑)意外とこの辺、隠れ家的なラーメン屋多いんだなと(⌒-⌒;)結構、行列できてました、、さて、、プラモはチトお休みにて、、legendsやります^_^本日は、三川軍一です。巡洋艦に特化した能力みたいですね。青葉艦長も務めた事もあるという。下は本物の三川軍一、、似てますね^_^なんでも真珠湾攻撃の際には、、掃討戦を意見具申したに
星亮一/著空母「飛龍」に殉じた果断の提督山口多聞やはり、日本帝国海軍の名将であった「山口多聞」砲術出ではあるが、航空戦力の重要性を理解していた数少ない将官ではないか。真珠湾攻撃時の第三派攻撃。ミッドウエー開戦時の敵起動艦隊に対する警戒や自軍機の爆装・雷装問題の進言。結果を見れば、正しい判断は明らか。南雲中将はいかにも無能に描かれてます。当時の国際情勢、山本五十六との絡み、家庭のことなども書かれており、勉強にもなった。
7月6日が命日・忌日の有名人・著名人1535年満57歳没(斬首刑)トマス・モアさん法律家、思想家『ユートピア』1571年(元亀2年6月14日)75歳没(老衰?食道癌?)毛利元就さん戦国大名1854年65歳没(?)ゲオルク・オームさん物理学者オームの法則1893年43歳没(梅毒)ギ・ド・モーパッサンさん作家『女の一生』1916年76歳没(感冒)オディロン・ルドンさん画家1944年満57歳没(自決)南雲忠一さん海軍大将サイパンの戦い1949
お疲れ様です〜いやいや、、某有名歌手が、ネットライブやってましてねー小生も参加‼️チャットで、答えてくれるなんて、、感激感涙でしたわ(T.T)凄い世の中になったよなぁ〜ってな事で、、蒼龍ですが、、船体をとりあえず、呉海軍工廠グレイで塗装しました〜んー、、ベタ塗りですがね(⌒-⌒;)あとは、、艦首のアンカー⚓️の鎖をガンメタで塗りました〜⬇️あとは、、煙突を作りました〜2本だしですね〜日本空母独特のこの煙突、、、しっかりと排気口の部分も網
2020年9月20日「ミッドウェイ日本の命運を決した3日間」鑑賞ローランドエメリッヒ監督が第二次世界大戦(太平洋戦争)のターニングポイントとなったミッドウェイ海戦を描いた戦争映画この監督といったらインデペンデンスディやデイアフタートゥモローだから、迫力のある戦闘シーンとか出てくるんだろうな~と思いつつ、情報戦で勝った米軍視点の作品ですから、日本側の描写も気になり観に行きました真珠湾攻撃(1941年12月8日)からミッドウェイ海戦(1942年6月5日から7日)までの様子が描かれていて、他の
第二次世界大戦中の北太平洋ミッドウェー島沖で行われた海戦を描く戦争映画一方的にアメリカ賛美の映画ではなく、日本の側も描いているのが素晴らしい。惜しむらくは、もう少し日本側のボリュームが欲しかった。そうしたら、時間に収まらないのではあるが・・・豊川悦司さんの山本五十六海軍大将が渋い。渋すぎる。國村隼さんの南雲忠一中将の野心があるが、上手く立ち回れない感が親しみがわいた。浅野忠信さんの山口多門少将の忠誠心あふれる感じと、軍人然とした動きが魅入られた。こういう史実の映画によ
現在公開中のハリウッド映画ミッドウェイです。第二次世界大戦の転換点となったミッドウェイ海戦を描いた作品です。ミッドウェイ海戦を題材にしたのは1976年(昭和51)に公開したのがありますが、この時は日本人俳優は三船敏郎さんだけでした。今回は連合艦隊司令長官山本五十六(やまもといそろく)役豊川悦司さん第一航空艦隊司令官南雲忠一(なぐもちゅういち)役國村隼さん第二航空艦隊司令官山口多聞(やまぐちたもん)役浅野忠信さんが主要人物として出演を。豊川悦司さん
「そろそろ映画館で映画が見たいよ」同居女子がそう言う。本当は7月にマ・ドンソクの「悪人伝」を二人で見に行く予定だったのだが、その頃は感染再拡大の真っ只中だった事もあり見送っていた。「でもなあ。ウイルスはさておき、あんまり見たい映画がないんだよな……あ、そういえば、9月に『ミッドウェイ』が来るから、あれは見ようとは思ってるんだけど……」すると同居女子が食いついてきた。しかし例によって「ミッドウェイ」の「ミ」の字も知らない様子なので、簡単に説明してから映画のHPを検索して予告編を見
小倉智昭氏、「新しい生活様式」を批判「これ見て腹立ちました。そんな事はね、みんな分かってますよ。他に何か言う事はないのかね」?その通り!!この発言も、政治決断できない自分を、国民に押し付けたもの。要は、無策であることの誤魔化し。彼は、ヒタスラナシクズシを待つ!!国民に責任転嫁するために。中途半端、これが安倍、今回も同様!!これ、実質解除。ファジーは、ナシクズシの導火線!14日はニンジンであり、政治決断できない自分の逃げ!!分母の圧倒的欠如は、
オタクっぽいネタなんで書きそびれていたんだが、もはや戦時中も同然なんでやっぱ書いとこう。近々新作が公開されるらしいがミッドウエイ。この海戦は実に多くの普遍的な教訓を残した。それだけにいろんな奴がいろんなことを書いている。だが、そのほとんどはオタク知識オタク論評にすぎなくてな。永遠のゼロ点な。タコが書いたアレ。原作が評判になったころ書店で立ち読み。1ページの半分読んだところですぐにわかった。戦争をまともに勉強したことのない奴が、オタクレベルの知識で書いている。従