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四ッ谷パーティー終了はいつも夕方。近年は打ち上げもなかったので、その夜に予定を入れることも多い。そんなわけで今年最後の真山隼人さん。真山隼人ツキイチ独演会です〜そんなわけでパーティー終了後、打ち上げをスルーしてダッシュで浅草へ。外国人観光客で混雑するなかを急ぎに急ぎ、10分近く遅れて木馬亭に到着会場に入ると、チラシのように烏帽子に長袴で吉良上野介の出立をした真山隼人さんが歌謡浪曲「刃傷松の廊下」を歌っていた。この日は年末ということで、忠臣蔵特集。前半はまず◆《刃傷松の廊下》度
YouTubeに忠臣蔵の名場面の一つである「南部坂雪の別れ」があるのが眼に入り…あ~今年もそんな時節が到来したかと…そしてハマってしまうと分かっていながら見てしまうことに…大雪の日…大石内蔵助は赤坂・南部坂に主君浅野内匠頭の正室であった瑤泉院の住まいを訪れる。それは仇討ちの覚悟、そして最後の別れを告げるために…瑤泉院は内蔵助のそんな決意をたたえようと喜々として迎え入れる。しかし内蔵助は間者がいることを見抜き、本心を告げられず、はぐらかす答弁に終始。瑤泉院はそんな不忠義な内
#東京坂シリーズ南部坂南部坂は麻布側と赤坂側2つあるそうですが、今回は赤坂側の南部坂を通りました。六本木通りからアメリカ大使館方面からに向かう路地に南部坂はありました。道幅は細く勾配もありますが、一方通行の裏道なのか?タクシーや外交官車両がひっきりなしに降りてくるので徒歩には気をつけたいところです。南部坂と言えば、大石内蔵助が瑤泉院に嘘を言って仇討ちに行く赤穂浪士のお話しで有名ですね。事実は創作で作品上の演出と言われていますが、名シーンの一つですからある方が作品も盛り上がりますね。#
都心に宿をとっての楽しみは朝のブラリである。ホテルでの朝食を摂ったあと、以前から行きたかった場所へ脚を進めた。六本木交差点から六本木通りを溜池方面へ。途中から裏道に入り住宅街を進むおよそ10分ほど。六本木通りの北側は台地であり、登り坂が多い。目的地の坂の下に到着。南部坂である。この坂は忠臣蔵の「南部坂雪の別れ」で有名な場所であることをご存じの方も多いはず。討入り直前、大石内蔵助と浅野内匠頭の妻である瑤泉院の別れの場所。。赤坂・南部坂で夫の
No.0527(酬恩庵一休寺)今日のテーマは『五風十雨』テレビでは各地の雪の情報が伝えられます!📺-o('-')お車の方や歩く方もお気をつけてください😊さて昨日12月14日は、忠臣蔵、討ち入りの日でした(ᴖ·̫ᴖ)忠臣蔵の討ち入りは、1702年(元禄15年)12月14日です。大石内蔵助率いる赤穂浪士47人が、江戸・本所松坂町にある吉良邸に討ち入りし、主君である浅野内匠頭長矩の仇討ちを成し遂げました。この事件は、1701年(元禄14年)3月に江戸城松之廊下で発生
赤穂浪士でもいいんだけど、この時期になるとついつい見ちゃう。そしていつものように落涙してしまう。ホントーに良くできた芝居だ。特に好きな場面は3つ…・山科の別れ・東下りの垣見五郎兵衛・南部坂雪の別れ「内蔵助、赦してたもれ」こうやって打っていても、思い出してウルウルしてくる。ただ細君にとっては全く興味のない話であり、毎年ほうけられている。
ボクは「忠臣蔵」が大好きなので今シーズンも既に2本の映画をテレビで観ましたがその2本の映画の中には「畳替え」も「南部坂雪の別れ」もそして何度見ても涙が出る「赤垣源蔵徳利の別れ」もなくこれでは観た気になれませんでした
他の女優さんで瑤泉院血判状お暇な〜ら観てね!!-YouTubeYouTubeでお気に入りの動画や音楽を楽しみ、オリジナルのコンテンツをアップロードして友だちや家族、世界中の人たちと共有しましょう。youtu.be
国立文楽劇場での、浪曲練成会。昨日の第一部に続いて、第二部です。出番が入れ替わって、三原麻衣から。やっぱり、かみかみのマクラから、「三味線渡り鳥」へ。長唄に生きる千太郎は、ヤクザの父の争いに巻き込まれ、人を傷付け破門される。旅の途中に待っていたのは、巡業中の師匠の娘。家の惨状を聞かされ、三味線の代役を頼まれる。一度は断りながら、敵に襲われ気持ちが変わる。事情を聞いて、命のやり取りを保留する、敵もあっぱれ。ニンでないながら、友美の技に乗せられ、情を感じるいい節回し。
只今都心部9℃で青梅7.7℃表記、パラパラ雨降り始めやした☔✋今夜は大忠臣蔵、第49話南部坂雪の別れ、いわゆる浅野家下屋敷での瑤泉院との別れでやすな。柳生云々ありやすんで他のとは多少は違いやすが…仏壇に捧ぐ連判状…いよいよ討ち入り…#大忠臣蔵#南部坂雪の別れ#三船敏郎#瑤泉院#佐久間良子#高松英郎#上月晃#連判状#長澄修#mx2
10月12日木曜日〜その5地下SPレコード庫へ久方振りに入る。(写真)浪曲の春野恵子さんにご寄贈を頂いた吉田奈良丸名人のSP盤を収納する。ちなみに、恵子さんが入門した二代目春野百合子師匠のお父上の音源です。外題リスト「殿中刃傷/義経安宅落」「南部坂戸田局一〜三/神崎東下り」「南部坂雪の別れ」「天野屋利兵衛上・中」「鹽山伊左衛門」「加藤清正毒饅頭一〜四」「乃木将軍」「驛頭の露一〜四」「錦の旗風一〜四」「神崎與五郎東下り丑五郎改心まで一〜八」
日本人だから?忠臣蔵の物語はとても好きだ(*1)その忠臣蔵の「雪の南部坂の別れ」にも似たカタルシスがあるんだよなぁ✨再上映も3週目だからそろそろ近場のシアターもほぼほぼ貸切で見れるなぁと思っていつものように前の方で視界いっぱいに鑑賞✨で、観終えて振り返ったら、、え?え、え??えーーー???いままでで一番人が多いやん💦すごく入ってたよ✨((((゜д゜;))))💦嬉しい驚き✨ラーマのいっこうに尽きない弓矢は
完全に趣味の世界です。この時期は毎年時代劇ちゃんねるでは過去の忠臣蔵関連映画やテレビドラマが放映されます。この忠臣蔵はまさに名場面の宝庫で、そもそも事件発端が江戸城松の廊下という格好の舞台です。そして浅野内匠頭切腹は桜の舞う中です。「風さそう花よりもなおわれはまた春の名残をいかにとやせん」という内匠頭の辞世の句はまさに美と悔しさを織り込んだ名歌です。討ち入りの日は東京に深々と雪が積もり、46人の討ち入り隊の足音を消します。始まりと終わりが実に絵画的な美しさです。
氷川神社の南参道よりアメリカ大使館宿舎の角を曲がり南部坂へ南部坂については江戸時代初期に南部家中屋敷が坂の途中にあったことに由来するという説が有力とされているそうです後で知ったのですが年末の風物詩といえば忠臣蔵の名シーン「南部坂雪の別れ」の舞台だそうで大石内蔵助が仇討前日雪の降りしきるなか南部坂付近に隠遁していた瑶泉院(主君・浅野内匠頭の妻)を訪れ吉良家に討ち入る(仇討ち決行する)ことを伝えようとするのですが屋敷内にスパイが送り込まれていることを察して(他
東京都港区には、盛岡藩(南部家)の大名江戸屋敷が存在したという史実に因んだ「南部坂」が2か所存在することを皆さんはご存知でしょうか?盛岡藩の屋敷は明暦2年(1656年)2月に浅野長直の下屋敷(麻布)との相対替(あいたいがえ)が行われ、有栖川宮記念公園(都立中央図書館の隣接地)に移転しました。今回は、赤坂二丁目と六本木二丁目の境界にある移転前(初代)の盛岡藩屋敷が存在した「南部坂」からお散歩スタートしますよ♪アメリカ大使館宿舎の脇を西北方向に上り、左折して赤坂氷川神社の側に上
8月13日土曜日〜その7(写真)15巻組カセットテープボックス『永久保存版演芸玉手箱』〜第一巻浪曲「南部坂雪の別れ」桃中軒雲右衛門「義士勢揃い」二代吉田奈良丸/祭文「佐野治郎左衛門」浮田重三「松坂祭文」伊平たけ/浮かれ節「岩見重太郎」吉田常広/説教節「葛の葉」初代若松若太夫/阿呆陀羅経「鳥づくし・米屋のみ催促」初代豊年斎梅坊主(エー・アール・シー)を聴きました。
6月2日木曜日〜その6(写真)80巻組カセットテープセット『浪曲百番』第74集「桃中軒雲右衛門晴れ晴れ雲」松平国十郎(H3年3月5日キングレコード)を再生。「南部坂雪の別れ」京山華千代はモニター済み。
5月28日土曜日〜その6(写真)50巻組カセットテープセット『浪曲百番』第42集〜「南部坂雪の別れ」初代春日井梅鶯「太閤記外伝ひさごや縁起」浪花家辰造(S63年12月21日キングレコード)を聴きました。(写真)第40〜41集はモニター済み。
5月25日水曜日〜その15(写真)30巻組カセットテープセット『浪曲百番』第10番〜「乃木将軍」五月一朗(S61年8月5日キングレコード)を再生。ジャケットには、五月師匠のサイン入り。(写真)第9集と「南部坂雪の別れ」松平国十郎はモニター済み。
5月9日月曜日〜その10(写真)10枚組CD浪曲セット『其の七南部坂雪の別れ・赤城の子守唄初代春日井梅鴬』(H11年BMGファンハウス)を聴きました。
4月27日水曜日〜その16(写真)10枚組セット『極め付き浪曲名人十八番集⑤』〜「天野屋利兵衛」初代春日井梅鴬(ワールドファミリー)を聴きました。徳間ジャパンコミュニケーションズの音源。「義士銘々伝南部坂雪の別れ」はモニター済み。HDDをチェック。地下事務所で雑務。
4月17日日曜日〜その12(写真)次に棚から取り出した、2枚組CD−BOX『真山青果原作浪曲大忠臣蔵』〜「江戸城の刃傷」京極佳津照「最後の大評定」東家浦太郎「南部坂雪の別れ」春野百合子「大石最後の一日」村田英雄(H11年1月21日日本コロムビア)はモニター済み。村田先生のサイン入り。
私はあまりテレビを見ないが、東京の江戸の名残りや都市計画がわかる番組はつい観てしまう。昨夜の『ブラタモリ』は「大名屋敷と東京」江戸の大名屋敷跡をめぐるタモリさんは坂とか地層に敏感なので、めざとく史跡を見つけて楽しい私も江戸時代からある坂名などには関心がある。しかし、ちょっと感じたのは、新アシスタントの野口葵衣アナウンサーはあまり歴史には関心がないようだ。ふむふむとうなづく時もあまり関心を見せないし、勉強しようとかガッつく感じは見られない。一言で言えばあまりやる気を感じられないのが残念だ。新
4月15日金曜日〜その125枚組CDセット『浪曲名人選四』〜「赤穂義士外伝天野屋利兵衛・赤穂義士伝南部坂雪の別れ」春日井梅鴬(H10年TheCDClub※製作キングレコード)は「南部坂」のみを聴きました。「天野屋」の音源は、一昨年7月にモニター済み。
4月6日水曜日〜その18(写真)10枚組CDセット『歌謡浪曲大全集』〜「刃傷松の廊下・南部坂雪の別れ」真山一郎(H2年ワールドファミリー)は、昨年3月にモニター済み。真山師匠にもサインをお願いしています。
4月2日土曜日〜その16(写真)10枚組CD-BOX『歌謡浪曲十八番全集六』〜「刃傷松の廊下・南部坂雪の別れ」真山一郎(H14年6月10日テイチクエンタテインメント※制作:キングレコード)は、昨年3月にモニター済み。
3月18日金曜日〜その23(写真)10枚組CD-BOX『浪曲名人選三』〜「忠臣蔵南部坂雪の別れ・赤城の子守唄」初代春日井梅鶯(H12年ポニーキャニオン)をモニター。
元禄十五年極月十四日、辰の下刻。まだ、卍巴に降り頻る雪の中を、二つ巴の長裃を付けた大石内蔵助義雄は、亡君・浅野内匠頭長矩の御公室、瑤泉院の許へ、一生の袂別(おわかれ)にと伺候した。取次を願うと、出て参ったのは、同志・小野寺十内の妹御、戸田局。内蔵助を見ると、戸田局「オヤ、之れは御城代様、能うこそ御出におざります、先ずご機嫌の體を拝しまして、戸田、大慶に存じ奉りまする。」内蔵助「イヤ、いつも変わらぬご様子で戸田殿、慶こばしゅう存ずる。就いてはご存知の通り、泉岳寺の法事も済ませておざりますれば
先日は、近年では珍しい、お座敷のお仕事でした。会場は、荒木町「穏の座」さん。穏の座さんのオーナーは、赤坂の芸者、ふみ香姐さんです。普段は、豪華な酒と肴を前に芸者さんと遊ぶ。その芸者さん代わりが、今回は、講談と落語でした。出演は、宝井琴調先生と私!12月14日の開催でしたので、琴調先生は、「忠臣蔵」をたっぷり口演!お座敷の仕事が、なかなか無い昨今、貴重な経験をさせていただきました。ありがとうございました【たけ平今日の一曲】~
おととい赤穂浪士ネタをあげましたが『笠間生まれの赤穂浪士たち』きのうの徒然コオロギ庵さんの記事『笠間稲荷神社の蕎麦いなりと芭蕉句碑』先月末のイベント仕事は茨城県でのイベントでした。週末のイベントに向けて移動がてらあちこち…ameblo.jp『忠臣蔵』ネタをもうひとつ過去ログからリブログさせてもらいます。浅野内匠頭の細君は事件後に夫の菩提を弔うべく剃髪し瑤泉院と称しました。瑤泉院が大石内蔵助と面会し仇討ちの意志を確認するのですが、大石は念には念を入れてその意思はないと答えます。史実はどうか