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※『大阪人も驚く大阪超マニアック案内』(河出書房新社)より一部項目を抜粋してUPします。濠をめぐらせた戦国時代の自治都市の名残を探索【平野】堺以外にもあった環濠都市外部からの侵入を阻止するため、濠で囲まれた町を「環濠都市」という。大阪では中世の堺が有名だが、大阪市東部の平野も環濠都市であり、住民たちで町を運営した自治都市でもあった。平野は難波京から奈良や京都に向かう交通の要所であり、中高野街道の起点にもなっている。平安時代初期には武人の坂上田村麻呂の次男、広野麻呂の荘園があった
かつて大阪南部今池電停(現阪堺線)から平野を結んでいた南海平野線1980(昭和55)年に地下鉄谷町線の開業で廃止終点平野電停付近の路線跡は「プロムナード平野」として遊歩道が整備されています廃止直後は駅舎や車両も残されていたらしいが、現在は駅舎の骨組みをイメージしたモニュメントや、石畳風路面、モ205型223号車の壁画などが残されています(プロムナード平野)近くの商店街もレトロな感じで良さげな街でしたーー・ーー・ーー・ーー・ーーーー・ーー・ーー
大坂城公園でロウバイを観賞しました。『大阪城公園梅林のロウバイと水仙&豊國神社』久し振りに大阪城公園へ行ってきました。去年6月にアジサイの時期に行って以来でしたよ。途中大手前大学の前を通ると、朝ドラのロケ地になったとポスターが。逆光で…ameblo.jp大阪メトロに乗車し、続いて向かったのは谷町線の平野駅。大阪市平野区にある駅で、約1.3km北にJR西日本関西本線平野駅、2.5km北に大阪メトロ千日前線南巽駅があります。主人が行ってみたかった所へ行く前にちょっと休憩。かなり
兄が大阪市平野区の平野郷を散策してきましたので前編・後編の2回に分けて記事にします。平野郷は、平安時代に開かれ、戦国時代には自衛のため、まちを環濠と土居をもって囲み、町民会議でまちを運営する自治都市として栄えたまちです。現在も、環濠都市の面影を伝える豊富な歴史資源等が残る地域です。OsakaMetro谷町線の平野駅です。南海電鉄平野線の廃線跡の「平野プロムナード」です。平野プロムナードは、現在は廃線となっている南海電鉄平野線の路線跡に作られた緑地です。ここにあった、平野
南海平野線、中野電停です。南海平野線は今池~平野までの5.9kmを結んでいました。幼少の頃は針中野に住んでいたのですが乗ったことはありませんでした。廃止になってからもう40年以上が経過しました。少しですが写真が残っていますので紹介したいと思います。廃止前の1980年頃にお別れ乗車に行ったときの写真です。まだ鉄道好きなお子様だった頃です。線路の上では阪神高速松原線が工事中、線路の下では地下鉄谷町線が工事中です。緑色の小さな電車がトコトコと走っていました。阪神高速松原線も今
となりのレトロ調査団~南海平野線の街を行くの巻その①今回のテーマは、「南海平野線」であります。前回の「南海汐見橋線」に続き、今回も鉄道がテーマであります。この場を借りてはっきり申し上げておきたいのですが、ボクは、鉄道オタクでもなんでもありません。ただ何故なのか判りませんが、子供の頃から鉄道に関する話題には、自然に身体が反応してしまう習性があるようで、つい最近も、“乗り鉄”で“撮り鉄”で“呑み鉄”である友人のF井さんと話している時に、「沙魚川くん、ほんまは鉄ちゃんなんやろ?」と、“そろそろ
となりのレトロ調査団~南海平野線の街を行くの巻その②今回も杉さんの案内で、平野へ行って参しました。集合は、天王寺です。平野へ行く方法は、いくつかありまして、天王寺から関西本線に乗って二つ目の駅が平野駅。ただし、平野区は北部では生野区、東大阪市と隣接し、南部は大和川を越えた所(大和川が大阪市と堺市の境界線と思っていたら、東住吉区と平野区に限っては、川の対岸は堺市ではないのです)までと南北に長いので、関西本線の平野駅を利用するのは、平野区の北部に住む人に限られてしまいます。2019年に新大阪
となりのレトロ調査団~南海平野線の街を行くの巻その③今池停留所は、路面電車の割に、地上かなり高い場所にホームが作られています。スーパー玉出のド派手な黄色の看板の後ろに隠れてしまい、ホームはかなり見えにくくなっています。ホームへ上がる階段の場所も、ちょっと判り難いです。まあ、一日の利用者が50人の停留所ですから、それも仕方のないことです。駅の下、商店街の入り口に通じる高架のすぐ脇に呑み屋さんがあって、昼っ間から焼き鳥を焼く煙を西成の街に大放出しています。煙と共に運ばれる鶏肉の焼き上がっ
EXILEのLIVEで京セラドーム大阪に新大阪駅からも便利なロイヤルクラッシック大阪泊妻と娘は日曜日もEXILE2人を御堂筋線難波駅まで見送って「さて帰りの新幹線まで何する?」何処か行くかと路線図を眺めると谷町線「平野」駅が目に入った「超久々に母校に行くか」天王寺駅で乗り換えて谷町線平野駅到着高校卒業時には無かったので初「地下鉄平野駅」それでもとりあえず地上に上がれば6年間毎日通った勝手知ったる平野区流町と思いきや40年以
■10月29日(土)フォトス平野撮影会ご予約・お申し込みhttps://tiget.net/events/211335(予約受付期限=前日10月28日21:00)■日時2022年10月29日(土)10:20-15:45※小雨催行・完全雨天時中止(スタジオの部は天候にかかわらず催行)。■会場〔第1・2・3部〕大阪市平野区・スタジオクオリア平野ブライトスタジオ〔第4・5部〕大阪市平野区・背戸口公園(旧南海平野線西平野駅)付近、及びプロムナード平野(旧南海平野線平野駅)付近■集
先日、平野区へ行く用事があったのでついでに全興寺さんに寄りました全興寺の境内にある『小さな駄菓子屋さん博物館』には昭和レトロな町並みのジオラマ展示などもあって・・・平野の昭和中期の風景、「南海平野駅舎と南海通り商店街界隈」のジオラマも展示されていました大正3年~昭和55年までの間、西成区今池から平野をつなぐ路面電車、「南海電鉄平野線」が通っていたそうですこちらは昭和中期に撮影された南海平野駅前の写真平野駅の屋根はお洒
(旧)卯月十八日阪堺電車の旅その3母の住む町を横目に吾を乗せて路面電車ははつ夏をゆく雲端僕を乗せた堺トラム1001号車は、阿倍野電停を出て阿倍野交差点に差し掛かった。この場所から5分も歩けば、母の住む家がある。また、この阿倍野交差点ではかつて、平野駅へ向けて線路が分岐していた。画質は悪いが、昭和55(1980)年の風景。トップの写真とまったく同じ角度である。
仕事を定時で終えて図書館に行くという単純企画(詳しくはこちら、目次もあります[リンク])。第四十一回は平野図書館です。平野図書館は大阪市平野区にあります。大阪市の24行政区で最も人口の多い区でして、市の南東部に位置しています。東隣は八尾市(上の地図でもわかるように八尾市の竹渕が平野区の中に食い込んでいます)、南隣は松原市、西隣は東住吉区、北隣は生野区と東大阪市です。今日の大阪の基礎(壮大な城下町⇒大都市)を築いたのは秀吉ですが、秀吉は平野をはじめ大阪周辺各地の町から住人を城下に集めて経済基盤
1980年に廃線になった南海平野線現在でも名残りあるんですよ架線支柱ケーブルには600ボルト注意の文字もまだ残ってます乗った記憶あるようなないような。今でも残ってたら楽しかったろうに…南海平野線Wikipediahttps://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E6%B5%B7%E5%B9%B3%E9%87%8E%E7%B7%9A南海平野線-Wikipediaja.m.wikipedia.orgこの頃の現役車両はまだ一部、阪堺線で現役で使
南海平野線の跡プロムナード平野になってる車止めだけ残ってる(たぶん当時の)線路と枕木を表現したタイルちなみにここを出て左へ行くと串かつの屋台があるよ孤独のグルメに出た所(見てないから知らんけど)駅舎があったらしいここはレンガしばらくは車両も置いてたみたい今は壁画前のスマホはズームできてんけどズーム機能がないことはないやろうから使いこなせてないだけ平野線の説明が書いてあった全長500mくらいかな〜この先は住宅街で何もわからないそういえば高速の下にもこんな感じ
JR平野駅からてくてく歩いてこういう商店街に出て来ました平野南海モールここは南海沿線から離れているのに、何故に南海モールしばらく歩くと、右側へ伸びる遊歩道があります下を見ると、地面には線路を模したタイルが貼られていますしかも車止めまで実は、40年ほど前まで南海平野線という電車が走っていて、ここに終点の平野駅がありましただから、この商店街には近くに走っていない『南海』の名前がついているのです南海平野線は今池から平野を結ぶ、当時の南海電鉄軌道線(現阪堺電気軌道)の一部で、今池で阪堺線
2011年11月5日の記事の再編集版です。旧南海のモ205形を保存している大産大(大阪産業大学)の学園祭「阪駒祭」の日なので、大産大まで行ってみることにしました。大産大に行くのは初めてでしたし、JR野崎駅で下車したのも初めてでした。大学構内の駐輪場横に保存されているモ205形229号です。外観はキレイでした。学園祭の日なので内部が公開されるのかと思っていたのですが、非公開でした。モ205形といえば南海平野線(1980年11月に廃止)のイメージが強いです。(おわり)
昨年(2020年)12月に東住吉図書館に行ったときのこと(詳しくは下のリンク先を参照してください)。図書館の帰りに近鉄針中野駅周辺を歩きました。そこで見たのが中野鍼。平安時代から続く鍼灸院です。先日、昼間に鍼灸院の前を通りましたので、写真を載せておきますね。▼こちらは東側三叉路に立っている道標です。「でんしゃのりば」「はりみち」とあります。「でんしゃ」とは近鉄南大阪線、地下鉄谷町線、JR関西本線のいずれでもなく、南海平野線(1980年廃止)のことです。矢印の先には中の停留場があ
阿倍野に童謡「サッちゃん」の歌碑があります。大阪メトロ昭和町駅近くの庚申街道沿いの南大阪教会付属の南大阪幼稚園の南側に歌碑はあります。「サッちゃん」♪サッちゃんはね~、サチコっていうんだほんとはね~だけどちっちゃいからじぶんのことサッちゃんてよぶんだよおかしいなサッちゃんおなじみですよね。作詞をした阪田寛夫は、昭和の初めここ南大阪幼稚園の園児でした。1年上の園児に「さちこ」さんという園児がいて、この「サチコさん」への親しい思いを子供の詩という形に結晶させたのが
阿倍野からポタリングで、東へ東へと向かっていたら、もう八尾市に入ってました。で、引き返すことにして今度は西へ西へ‥出鱈目にルートを決めていたら、いつの間にか南海平野線の終点だった平野駅跡に到着。ちなみに写真の時計は、平野線の或る駅で使われていたのを譲り受けたものです。
大阪メトロ谷町線田辺駅(T30)←駒川中野駅(T31)→平野駅(T32)2019年5月3日(金・祝)と2020年6月14日(日)に訪問した、大阪メトロ谷町線駒川中野駅の画像をUPします。島式ホーム1面2線の地下駅です。改札・コンコースは、阪神高速14号松原線の高架下にある、地上にあります。1980年11月27日(木)に、南海平野線駒川停留場と中野停留場の中間に開業しました。東改札は、ICカード専用の自動改札機のみあります。F近鉄南大阪線針中野駅(F05)が近くにあります。1号出入
先月13日の「大阪メトロ長堀鶴見緑地線ぶらり旅」に続き、今日は「大阪メトロ谷町線ぶらり旅」を行い、南側の終点である八尾南駅からスタートしました。まずは、八尾南駅から4つ目の駅である平野駅で途中下車しました。平野駅1号出入口から北東へ約10分歩いたところに、今から40年前に廃線となった南海平野線の終点、平野駅の跡地を利用した公園(プロムナード平野)がありまして、中に入ればレンガ敷きのレールに車止め、信号機、それに八角形の屋根があるベンチや路面電車(モ205形)のレリーフがあ
今回は非常にローカライズなお話。居住地からして南海電車とはほと縁がなく、恐らく生まれてこのかた1度も乗ったことがないのではないかと思われる。しかし昔住んでいた家からわりと近い位置(といってもバスを乗りついで行かねばならん場所だが)に南海電車が走っていたというのだ。その名も「南海電鉄平野線」。といっても、難波から出ている様な電車ではなくいわゆる「チンチン電車」。大阪メトロの谷町線開業もあり、昭和55年に廃線となっている。ふと幼いころの記憶を遡っていると確かに走っていた。というのも母親の
大阪メトロ谷町線駒川中野駅(T31)←平野駅(T32)→喜連瓜破駅(T33)2019年10月22日(火・祝)に訪問した、大阪メトロ谷町線平野駅の画像をUPします。島式ホーム1面2線の地下駅です。平野区役所、プロムナード平野の最寄り駅です。1980年11月27日(木)に、南海平野線西平野停留場と平野停留場の代替駅として開業しました。Q大和路線平野駅(Q22)へは、約1300m、Q大和路線加美駅(Q23)・Fおおさか東線新加美駅(F14)へは、約2100m離れています。1号出入口です。
あなたの15歳の頃の思い出教えて!▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしようアメーバ15周年おめでとう㊗️ございます。ブログ本格に始めて2012年なので、サリーのブログも早いもので7年目サリーの成長記録として始めたましたが、こんなに続くなんて思ってもいなかったですね。ブログ通じて知り合ったワン友釣り友アメーバさんにも感謝ですね。アメーバも頑張って続けて欲しいですね。今日は朝からひなたお散歩🚶♂️南海平野線文の里停留所跡歯医者🦷に治療今日も麻酔かけてガリガリ削る
大阪メトロ谷町線阿倍野駅(T28)←文の里駅(T29)→田辺駅(T30)2019年5月3日(金・祝)に訪問した、大阪メトロ谷町線文の里駅の画像をUPします。島式ホーム1面2線の地下駅です。阪神高速14号松原線の地下にあります。1980年11月27日(木)に、南海平野線文ノ里停留場の代替駅として開業しました。日中時間帯に、当駅折り返しの電車がありましたが、現在は、平日ラッシュ時のみです。大阪メトロ御堂筋線昭和町駅(M24)が近くにあります。1号出入口です。2号出入口です。3号出
それでは、正解発表です。正解は近鉄南大阪線の針中野駅でした。近くにある商店街は駒川商店街。抜けた先にある地下鉄の駅は大阪メトロ谷町線の駒川中野駅でした。>廃止された私鉄路面電車の代替え駅かつては、南海平野線の駒川町駅が近くにありました。
東天下茶屋から晴明通を西へ歩いて15分、狭い道が突然広くなって踏切が現れましたそして、その踏切には停留所があり、今度は阪堺線の聖天坂停留所ですここで恵美須町ゆきを待ちますが、上町線と違ってなかなかやって来ませんそしてやっと来ましたが、特に代わり映えなし前回歩いた北天下茶屋、松田町を通って今船を過ぎると進行方向右側に空き地が現れますここが廃止になった平野線が分岐していたところですさらに小さい鉄橋を渡って今池に着きますが、この鉄橋の下に南海天王寺支線が走っていて、ここに今池町駅がありま
天王寺駅の歩道橋からチンチン電車の天王寺駅前停留所へ昨年、あべの筋の拡張工事によりチンチン電車の軌道も停留所も一新しましたでも、電車が縦列で停車できるのは変わっていません窓口で前回同様一日乗車券(600円)を購入し、停まっている浜寺駅前ゆきを見送って次の我孫子道ゆきに乗りますが、やって来たのは20日前にさんざん乗った通常型で、やはりおじいちゃん電車に出会えるのは並大抵のことでは無さそうですま、想定の範囲内ですがすっかり新しくなった軌道を快調に進み、阿倍野停留所に到着この先の高架道路が
こんばんは蛍光灯と白熱灯、どっち使ってる▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう場所によって違うかもしれへんが基本的に蛍光灯やと思います。お風呂の電気がチカチカしだしたので、新しく蛍光灯を買ったんですが、買った途端にチカチカしなくなりました。お父さんの部屋の電気もつかへんかったりしてたんが、フタが開けられずでも、交換もしてないのに今は安定してついてます。不思議じゃ。この前の台風で電気がつかなくてとっても不便な日々を過ごしました。ってことで、蛍光灯でも白熱灯でも