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天海(184)下図は有名な関ケ原の布陣図である。これを見ると東軍が魚鱗の陣(縦隊)、西軍が鶴翼の陣(横隊)であることが良く分かる。戦形を見ると高台に陣を布いた西軍が有利というのも理解できるのだ。しかし、実際の戦闘では、右翼の小早川隊は、既に東軍に内応していることが露見していて、三成らは、敵であると認識していた。そうすると戦いの経緯は自ずと異なるものになる。さて、大垣城にいた西軍は約3万人、南宮山に2万5千人といわれている。これに対して赤坂に布陣している東軍は7万
2024/2/16おはようございます(^_-)-☆ほ~いお酢!新俳句乾きたる腐葉土わけて蕗の薹あとがき…百人一首を読むみかの原わきて流るるいづみ川いつ見きとてか恋しかるらむ中納言兼輔【読み】みかのはらわきてなかがるるいづみがはいつみきとてかこひしかるらむ【意味】みかの原を分けて湧き出てくる泉川の「いつみ」ではないが、いったいいつ見たというので、このように貴方が恋しいのだろうか。2024/2/17ほ~いお酢!新俳句白梅の万の蕾紅こぼれあとが
前回の続きです(=゚ω゚)ノ🕚南宮山展望所を後にして、南宮山山頂を目指します🚶30分ほどダウンアップして…山頂直下で(左の写真)ちょっとルートロストしましたが(;´∀`)ちゃんとまた山道に合流(右の写真)…お久しぶりです♪南宮山419m登頂😊自撮り~🤳~当初、昼メシをココで…と、思ってたんですが、やっぱ眺望を…ってコトで引き返します。。。さよなら、南宮山バイバイ🚶来た道を戻ります(^^;(アップダウンで
先週の土曜日は、久しぶりの好天予報でもあり、予定していた南宮山に行ってきました😊(3年8ヶ月振りです)2020.5.30『南宮山』去年の秋、南宮山におひとりさまで山登りに行って、(岐阜県不破郡垂井町)展望台の先の山頂に行かず終いの不完全燃焼となりました💦◆2019.11.2南宮山◆…ameblo.jp前回は山友と、今回はソロで・・・北東側からの南宮山今回も南宮大社さんに駐車🅿参拝🙏して、スタートです。。。🚶ほとんど変わってないのが安心ね♪
キングダム71が出ましたね~はぁ~面白いすっかり私も飛信隊の一員気分のれんれんです(о´∀`о)さてさて前回(2月4日)子供たちと南宮山登ったのですがその時感じた体力の衰え(何とかせねば……)そしてふくらはぎのハリ情けない情けなさすぎるゾ。と言うことで2月9日(金)一人で南宮山へ良い天気でした。2月17日(土)南宮山へそして2月23日(土)もこの日は寒くて山頂に雪が舞ってました相変わらず登りの五合目までは息はゼイゼイ心臓バクバクですが
お疲れ様です。足パンパンのれんれんです(´△`)2月4日(日)小6の息子:ゲーム、携帯、Switch小1の娘:タブレットおいおい子供たち……。さすがに目に悪いやろ~(`Δ´)ってなわけで久しぶりに準備して出発到着小1の娘がちょっと心配ですが登るよー初めは元気いっぱいの娘久しぶりの山登り気持ちいい~☺️頂上到着登ったという達成感がたまらーん(о´∀`о)下りは慎重に帰ってきました。息子は余裕最初から最後まで元気いっぱいの娘私が一番体
所詮は『にわか』なので、知らないことだらけ。関ヶ原を1周して見た史跡に登場する武将の名前も、半分は知らない。できるだけ説明文は読むようにして廻ったが、初めて知ることが沢山。その中でも最大の新知識は、もともと関ヶ原で戦う予定ではなく、8月に石田三成が大垣城に入って本拠地にしていた、ということ。じゃあ、帰り道だから寄っていこう。コンパクトな大垣城。さっき関ヶ原で見ていたのと同じ仕様の説明板。名古屋からわりと近いのに初訪。1945年に空襲で焼失したのだという。名古屋城もそうだったは
11月4日土曜日伊賀市のホテルをチェックアウトして、南宮山の登山口にある敢國神社に行きました南宮山(伊賀小富士)敢国神社の御神体山とされ、伊賀国を一望できることから国見山とも呼ばれているそうです。山頂には敢国神社の境外末社である浅間社が鎮座しているそうですが、南宮山への登山は、しませんでした敢國神社から登山口までは徒歩で2分。駐車場です。霞というか、霧がかかっていました。伊賀一之宮敢國神社(あえくにじんじゃ)伊賀一之宮に数えられており、創建は飛鳥
関ヶ原の戦いで南宮山に布陣した、西軍が動いていたら…南宮山に布陣した西軍毛利秀元・吉川広家、安国寺恵瓊、長束正家、長宗我部盛親らの軍勢は約3万。南宮山の北にある桃配山に布陣した東軍徳川家康の軍勢3万、家康本陣の後方を護衛する浅野幸長・池田輝政の軍勢1万1千は中山道に布陣。南宮山の北に布陣した吉川広家、徳川家康と密約して動かず。南宮山の山頂に布陣した毛利秀元、吉川に行路を遮られ進軍出来ない。南宮山の東に布陣した安国寺恵瓊、再三に渡り進軍を要請するも毛利本隊が動かず仕掛けられない。南
9月15日は、関ヶ原の戦い。今年1月にNHKで放送された、ザ・プロファイラースペシャル関ヶ原3つの“IF”*2019.10.3BSプレミアムで放送歴史を知らなくても、一度は聞いたことがある関ヶ原の戦い。1600.9.15美濃國関ヶ原(現在の岐阜県不破郡関ヶ原町)東軍徳川家康、西軍石田三成を中心に、天下を二分にした戦が勃発。石田三成、豊臣政権五奉行の一人。豊臣秀吉の政権には、五大老・五奉行らにより運営。秀吉の死後、徳川家康が大名同士の婚姻など掟を破る。*家康を除く、四大老
268年。関ヶ原の戦いから明治維新までの歳月である。思えば関ヶ原は不思議な戦さだった。と、専門家でも思っている。維新後、陸軍の近代化を推し進めていた日本政府がドイツから教官の派遣を要請して、来日したのがメッケル少佐(1842〜1906)だ。メッケルは故国で参謀として戦略戦術を担う人物だ。彼の仕事は日本に参謀本部をつくり、参謀将校を育てることだった。そのメッケルが関ヶ原を訪れたとき、日本の陸軍参謀たちは関ヶ原の役の東西両軍の布陣地図を彼に見せた。メッケルはそれをじっと見ていたがやが
南宮大社さんの続きのお話しです(^-^)『南宮大社‐1』続きのお話しです(*^^*)『南宮さんへ向かう』真清田神社さんにお参りした続きのお話しです(^-^)『お友達と真清田神社へ♪』先月、一宮巡りをされている…ameblo.jp南宮大社さんは南宮山のふもとにあり、南門を出た、お山の方にもお社があります。ご本殿のある華やかな境内とは全然違う雰囲気の杜🌳🌲です。まず晶來ちゃんが案内してくれたのは湖千海神社(こせかい)さんです。ご祭神
晶來(あきら)です。今日はいかがお過ごしですか?昨年5月の琵琶湖とりあえず、一言。風が強い・笑移動手段がチャリンコな私。向かい風にオゥフ!となる。『【参拝】不破郡・垂井町「南宮大社」③』晶來(あきら)です。今日はいかがお過ごしですか?先日訪れた、南宮大社のこと。↓こちらの①・②の続きです。『【参拝】不破郡・垂井町「南宮大社…ameblo.jp↑の記事の続きをば。以前、五月雨の日に撮った
関ヶ原町で歴史探訪を終え、レンタカー🚙返却時間が迫る前に垂井町へ。昨年、母親と訪ねた南宮山の麓にある南宮大社と真禅院に今回は兄妹も行きました。真禅院天平11年(739)行基により創建。延暦年間(790)勅命により、最澄が南宮神社と神仏習合し神宮寺と改められる。文亀元年(1501)火災で焼失。永正8年(1511)美濃國守護土岐政房により再建。慶長5年(1600)関ヶ原合戦で、南宮大社と共に兵火にあい焼失。寛永19年(1642)徳川第三代将軍徳川家光により南宮大社と再建。明治元年(
岐阜県不破郡垂井町に有る南宮大社から南宮山、朝倉山を周回コースで歩いてきました。滋賀からは国道21号線で関ケ原の町を越えて、もう直ぐ垂井の町に入ろうとする頃、右に「しまむら配送センター」の有る信号を右に入ります。(南宮大社の大きな看板有り)広大な朝倉運動公園を通り過ぎ、県立不破高校に突き当たったT字路を左へ進むと僅かで南宮山登山者用駐車場が有ります。南宮大社境内に入り、左から奥へ進むと南宮稲荷神社の赤い鳥居が有ります。赤い鳥居が過ぎた左が南宮山の登山口です。この登山口付
はてなブログ更新しました(^_-)-☆初登頂のはずが山頂に行けてなかった南宮山【岐阜県垂井町】-山と空と~50代を心地よく過ごす~南宮山は、岐阜県大垣市、不破郡垂井町、関ケ原町、養老郡養老町にまたがる標高419mの山。山頂は大垣市と垂井町の境界にあります。別名は美濃ノ中山だそうです。※Wikipediaよりということで1/8曇りだけど好山病が出てしまったので行ってきました🚗³₃12月から山に行けてなかったからね😅南宮山は麓に南宮大社があるので、そこの臨時駐車場
あけましておめでとうございます😊今年もよろしくお願いします🗻今日は、7時に起きて南宮山に初詣に行きました⛩早起きできて嬉しかったです✨手水鉢が綺麗でした🌸
326/(3884局目):栗原【くりはら】簡易郵便局(岐阜県不破郡垂井町栗原1588-2)24848岐阜県にある簡易郵便局ですが…西宮酒造吟醸を扱っている商店に併設されている。栗原簡易局の前からは…関ヶ原合戦の時、毛利秀元や吉川広家、長宗我部盛親などが陣を構えていた南宮山が見える。♡カルミヤさん…北国の珍しいポストありがとうございます(^^)郵便差出箱2号は見た事ありますが、今はとても数が少ないようです。何年か前に田舎の方の切手などを扱っている商
南宮大社美濃国不破郡岐阜県不破郡垂井町宮代峯1734-1(P有)■延喜式神名帳仲山金山彦神社名神大の比定社■社格等[旧社格]国弊大社[現在]別表神社美濃国一宮■祭神金山彦命[配祀]彦火火出見命見野命「南宮山」を御神体とし、その北東麓に鎮座。金属神である金山彦命を祀る総本宮、旧国弊大社でもあり、美濃国一ノ宮でも。◎「南宮山」は標高419mの美麗な山容、典型的な神奈備山といったところでしょうか。当社奥宮とされる椿姫宮が鎮座しています(未登拝)。南東部の「象牙山
南宮山麓には、関ヶ原合戦で西軍の陣地が数ヶ所置かれました。毛利秀元1万6千、吉川広家3千、安国寺恵瓊1千8百、長束正家1千5百、長宗我部盛親6千6百の軍勢が布陣。東山道を西進する東軍の徳川方を牽制。ある意味、南宮山が関ヶ原合戦の勝敗を握っていたと言っても良いと思います。吉川広家戦国時代後期から江戸時代初期の武将。吉川元春の三男として生まれる。関ヶ原合戦では、西軍総大将に毛利輝元が就任。吉川は、東軍勝利を唱えるも主家毛利は西軍に参加。主家存続を願い東軍に内通。開戦後、南宮山北側
はじめに今回の旅は、ある目的がありました。歴史探訪と言うのは建前上です。詳細は後日、改めて書きます(時系列通り)岐阜県垂井町にある、美濃國一之宮南宮大社へ行きました。大鳥居南宮大社金山彦大神は初代神武天皇東征のさい、八咫烏を輔けて霊験を顕わされ不破府中に祀られます。国府から南方に位置するため、南宮大社と云われるように伝わります。第十代崇神天皇の御代に当地に鎮座。慶長5年(1600)9月15日の関ヶ原合戦の兵火で焼失。寛永19年(1642)春日局の願いにより、徳川三代将軍徳川家光
先日、三重県伊賀市の南宮山に行きました。岐阜県西濃地方、大垣市・垂井町境の南宮山は、美濃国一宮の南宮大社が登山口。それに対して、三重県伊賀市の南宮山の登り口は、伊賀国一宮の敢国神社です。ただ、以前のブログ「敢国神社」に書いたことと重なってしまうのですが、『源平盛衰記』巻三十五**の「範頼義経京入事」に、當國ノ一宮南宮大菩薩ノ御前ヲハ心計ニ再拝シテ室町時代の成立とされる「大日本國一宮記」*に、敢國神社號南宮。金山姫命也伊賀阿拝郡吉田
岐阜の神社紹介美濃國一宮南宮大社ご祭神は金山彦大神ですがたーくさんの神様がいらっしゃいますもうお正月モードになってました本殿は広くてスカっとしてますただお稲荷さんがある山のほうは静かな感じでめちゃ晴れた日のほうがはいりやすいわりと薄暗いんですよねぇ南宮大社から南宮山のハイキングコースが繋がっていてかなり登山の人が多いです私も一度登りましたがそれほどハードではないので大丈夫ですhttps://youtu.be/0BxQdU8SavM【美濃國一之宮】南宮大社
午前4時ごろ、空腹を訴える猫に起こされてしまったので日の出でも見に行こうかと思いましたが寒かったのですよ。なので、暖かくなってからふらりと南宮大社へ行ってみました。南宮さんの空はいつも遠くて青くて懐かしく感じます。青い青い空に少し欠けた半月が残っていました。人の多い境内回廊を通り抜けて南宮稲荷社に向かいます。なんだかこの南宮山の森に来たかったんですよね。登山姿の中年男性が、伊勢両宮社や荒魂社など道沿いの社殿にていねいに時間をかけて祈っていらして、その真摯な姿にちょっ
第3回お隣の垂井町と毛利秀元古戦場記念館で見て気になったのはあまり記念館の内容なので詳しくは書けないのですが関ヶ原町の東隣の垂井町に位置する南宮山周辺にいる毛利秀元を始めとする西軍勢また家康の陣のはるか後ろにいて南宮山を警戒していた東軍の浅野長政や池田輝政あたりの影が薄いんですけど簡単な地図を載せると現在の垂井町は細い赤線で囲まれた町ですが(菩提山は竹中半兵衛の居城があった場所です)関ケ原町にある記念館だしそれに南宮山の面々はさしたる働きもなく戦は終わってし
このところ続けております関ケ原合戦御朱印めぐり。前回で終わりを告げたところでしたが、よくよく考えてみたら、今回入手した武将印の中には南宮山勢もいましたし、ウォーランドの南宮山の猛者たちも紹介しきれていませんでした。ですので、今回は「関ケ原合戦御朱印めぐり」の番外編=南宮山編をやっていこうかと思います。ちなみに陣跡印(?)は、関ケ原観光協会ではなく、垂井町観光協会が出したもの。入手したのは1年以上も前のことですが、ウォーランドのコンクリ像は最新ですので、こちらで堪忍願います。よろしくどう
ようこそ、大渓水です。岐阜県の南宮大社にやって来ました。花手水がとても美しいですね♪こちらは美濃国一之宮でして、御祭神の金山彦命様にご挨拶させていただきました。境内奥にいらっしゃるお稲荷様と、引常明神こと豊玉彦命にもご参拝。こちらの神体山は南宮山。昨日お伝えした伊賀國一之宮も南宮山でしたが、こちらも次回は登拝させていただこうと思います^^それではまた、いつもありがとうござ
登山したことある?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう語呂合わせにて「登(10)山(3)」ということですね。岐阜県岐阜市金華山(稲葉山)岐阜城(稲葉山城)金華山から見た鷺山(さぎやま)斎藤道三の隠居した城址関ケ原の合戦にて西軍を率いた石田三成の本陣である笹尾山(写真中央上の幟が石田三成本隊)(右側が蒲生郷舎・左側が島左近)笹尾山の石田三成の本陣その他としては登山した場所と言えば、関ケ原の合戦の前哨戦
南宮山の最終回は南宮大社ウィキペディアより↓南宮大社(なんぐうたいしゃ)は、岐阜県不破郡垂井町にある神社。旧称は南宮神社。式内社(名神大社)、美濃国一宮。旧社格は国幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。岐阜県西部、南宮山の山麓に鎮座する。「国府の南に位置する宮」として「南宮」を名乗るようになったとされる。鉱山を司どる神である金山彦命を祭神としており、全国の鉱山・金属業の総本宮として古くから信仰を集めている。境内には江戸時代の遺構18棟が残っており、国の重要文化財に指定