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【食育クイズ:Vol.1603】「京都府」の「恵比寿神社」おさらいクイズ!栄西禅師が京都に建立した「恵比寿神社」を鎮守社とする「寺院」は?↓↓↓↓↓↓問題は下記から↓↓↓↓↓↓∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞コッチラボ国産大豆100%大豆ミートプレミアムソイミンチ粗挽き鶏ミンチ風サラダ・スープに大容量サイズ1kgAmazon(アマゾン)大豆コーヒードリップパックAmazon(アマゾン)
役人達が居なくなると、男のところに行き、尋ねた。「お前は本当に金国の間諜なのか?」「いいえ!とんでも無い。私は金国の商人でこの南宋に金塊を売りに来た者です。」古い中国の金塊「何?金塊!見せてみろ!」「すみませんが、貴方方は?どちらの国の方ですか?」「私達は倭国日本の博多の商人で、南宋の皇帝に朝貢しに来た者だ。それに金塊を購入したいと思っている者だ。」「そうでしたか!それでは私の金塊を買って下さい。助けて頂いたお礼に安くいたします。それにこの南宋の市場を通さず
対話検索型人工知能のBINGCHAT、本日も対話の結果を、掲示していきます。本日第1の話題は、国家民族間の、力による支配です。私は犬養毅ではないので、「話せば分かる」などとは全く思っていませんが、歴史上は堺の町や南宋が、それぞれ自治や良い文化を持っていたにもかかわらず、力でねじ伏せられました。そしてこれと同様のことが今ウクライナで起こっていることが、残念です。池上彰さんとか舛添要一さんと言った著名な評論家が、「この戦争はロシアが勝ってウクライナは分割される」と、断言しています。
出光美術館で開催中の「青磁ー世界を魅了したやきもの」展へ行って来ました。若草色、碧緑色、天青色、橄欖色。青磁の色の違いを表すこれらの言葉は、作られた場所や時代の特徴を表しており、一言で青磁といっても実に多様です。いまから3800年前頃の中国で、灰釉がかかったやきものである灰釉陶器が誕生します。それまでの土器とは異なり、うつわの表面に釉薬をまとったやきものは、より堅牢でまた光沢があることから当時の人々をとりこにしたに違いありません。中国で生まれた青磁はシンプルな造形と艶やかな色調を融
雑誌ミステリーボニータで連載中の青木朋先生の漫画です。舞台は1123年の中国。今よりちょうど900年前です。宋、遼、金の時代です。天上恋歌~金の皇女と火の薬師~【分冊版】1(ボニータ・コミックス)Amazon(アマゾン)165円ミステリーボニータは時々青池保子先生の「ケルン市警オド」が掲載されるので読んでました。そこで発掘❗️ミステリーボニータ2023年12月号【電子書籍】[市東亮子]楽天市場703円中国の金や遼や宋の時代の物語。可愛いらしい絵なのです
重要文化財《青磁輪花鉢》中国南宋官窯12−13世紀今日の一枚のアート(←勝手に名付けた)一枚じゃないけど、東京上野。東京国立博物館の東洋館。重要文化財に指定されている、中国陶磁器の名品です。●作品貫入が鉢の中いっぱいに現れていて、その光の反射がとても美しいです。また、すごい高度な技術で作られているようで、紙のように薄い作品。中国の南宋時代、現在の浙江省杭州には都が置かれ、そこには官窯が置かれ、北宋時代をし
実は9月も1回、高瀬へ出向いて1個の青磁片を見つけていました。8月のときはいい収穫でしたが、9月はいかにも無さそうに見えるくらい中州の様子が変わっていました。(砂でなく泥質がおおっていました。)何とか見つけた1片は南宋から元にかけての青磁片ですが、小さいです。8月に見つけた1辺と一緒に撮ってみました。
2023年中秋の名月はご覧になりましたか?旧暦8月15日の月今年は9月29日でしたね2023年中秋の名月・十五夜は満月でしたねレアなお月様私もお月見にご近所の広い公園までお月見散歩しました公園に到着した頃にはすっかり雲がはりだして月は全く見えなくなっていましたせっかくここまで来たのにと残念に思っていたところ公園で遊んでいた子供達が寄ってきて「月、見た
東京国立博物館の企画展巡り2つ目。「常盤山文庫の名宝展」東洋館8室で開催。個人コレクションの中国禅僧の墨跡と工芸品の展示です。総合文化展のチケットで鑑賞できます。南宋時代の名品と静かに向き合える空間です。展示替えもあるので、もう一度来てみたいです。最後の表慶館へ続く。
撻懶(ダラン)が病没し、丞相を引き継いで五年がたっていた。撻懶にはよく決断の優柔不断さを叱責されていたが、この五年、無我夢中で職務に当たるうちに、決断で迷うことはあまりなく、自信が持てるようになった。役職が人を育てるというか、環境が変われば人の欠点も知らず知らずのうちに克服できる、という事なのかもしれない。そう思うようになってから、析(せき)律(りつ)は実力が出せない部下がいた場合、しばしば配置換えをすることがある。よく部下と話し合ってみると、その性格や適正がぼんやりと見えてくのだ。
※こちらの記事は、令和2年11月28日に書かれたものです。皆さんこんばんは。今回は断続的に続いている「平成28年鎌倉(かまくら)旅行シリーズ」の第8弾で、「円覚寺(えんがくじ)」について記事の初回となります。【今までの記事】・鎌倉ですごい神社を見つけた!(甘縄神明神社)・平成28年の小町通り(1)―光輝くシラス丼と極上のクレープ・平成28年の小町通り(2)―垂涎の腸詰と宝石のようなマカロン・平成28年の小町通(3)―原点回帰したい人のためのおしゃれ団子・鶴岡八幡宮を味わう(1)
趙眘(ちょうしん)は咄嗟に馬にしがみつき矢を躱すと、原野に向けて方向を変えた。共の百騎からは死角で見えない。「殿下」岳霖(がくりん)もすぐさま駆け出した。五人。駆け寄りながら、岳霖はまず一人を射倒した。矢はそれで尽きた。趙眘の馬は、放たれて来る矢に興奮して棹立ちになり、趙眘はそれを何とか抑え込もうとしている。残りの四人は短剣を抜き、低く身を屈めながら趙眘に駆け寄る。速い。並みの動きではない。相当訓練された刺客のようだ。岳霖が最後尾の刺客に追いつく。馬を横から寄せ剣を一閃、一人
千佳何があったんですか?お知らせって。長戸しかもテーマが『正気の歌』になっているしな。豚白さて、『正気の歌』では、俗にいう『アイドル冬の時代』を堂々と生き抜いた水野あおいさんの話を、一ファンだった私の体験談を通して書いているのはご承知の通りだ。千佳とんぱくさんが当時南宋の忠臣・文天祥にハマっていたのがタイトルの由来でしたっけ。長戸というか、あおいさんを南宋、本人を文天祥にあてこんでいるともとれる、かなり不遜なタイトルだよな。豚白自分を文天祥にあてこんでいるように見えるのが不
幕舎の中で、逆立ちの姿勢で二刻(一時間)。その後、一抱えの岩を肩に担いで二刻。これは岳霖(がくりん)が調練の後に自ら課した鍛錬だった。父、岳飛(がくひ)が昔この鍛錬を行っていたのを、そのまま自分にも課している。初めは四半刻も耐えられなかった。耐えられない、と思うことを自分に禁じた。岩を担いだまま気を失い、気が付くと倒れていて、肩の骨が岩に潰されて折れていたこともあった。しかしこの鍛錬をやめようとは思わなかった。これしきの岩に負けて、盡(じん)忠(ちゅう)報国(ほうこく)の志など実現でき
先週のことです。サイクリングロード終点17回目から戻っている途中、コース横の菊池川に目をやりましたら、いつになく干上がっています。いつも見ない砂地が広い範囲にでています。陶片ハンターの感が働きました。そこは国道3号線山鹿大橋の下流側です。向こうに見えるのが山鹿大橋です。そしてこの砂地にありました。手前側を探して何も見つからず、ただ気配は感じて先に行くといつもの目線にかかりました。色のきれいな方を先に見つけ、洗いに行った水の中にもう一つがありました。ここは菊池川中流域です。いつも
いつもご覧頂き有難うございます。GW休廊期間、休廊とさせていただきます。4月29日(土)~5月7日(日)開廊時間11:00~18:00日曜・祝日休廊展示会期中は休まず営業致します。お待ち申し上げております。赤坂游ギャラリー公式ホームページ(akasakayugallery.com)OpeningHours11:00~18:00ClosedonSundaysandpublicholidaysWewillbeopenwithout
2018/08/28チャンネルくらら
6月に行った出光美術館の板谷波山展。すでに一部感想などを書きましたが、ちょっとその続きを。板谷の作品というと圧倒的に葆光彩磁のイメージ。葆光彩磁=下のポスターにあるタイプの作風で、私が以前使った形容表現でいうところの「スモークがかった作風」=マットな風合いです。でも、さすがに出光美術館による葆光彩磁の説明は極上で、「光を薄絹で包み隠す優しさ」と表現していました。薄絹!!あいかわらず惚れ惚れする言い回しです。もっとも、本展覧会ではエース級ともいえる葆光彩磁
ここ2ヶ月ほど何となく気が乗らずブログアップしていませんでした。そこで思い立って昨日(日曜日)行ってきました。短い梅雨が明けた後に大雨も降りましたので中州はまだ水没かと思っていましたが、待っていたように現れてくれていました。いつもの菊池川高瀬大橋下の中州です。やはりありました。本命の中国古青磁陶片です。2片とも南宋前後でしょうか。(およそ800年前のものです。)何と今回はかつてない土器にも出会いました。古墳時代の土師器大壺の口部です。最長28cm程あり
岳飛伝番外編欽宗が南宋に戻ったのかを調べました_φ(・_・Wikipediaありがとう!(^ω^)欽宗|Wikiwand欽宗(きんそう)は、北宋の第9代(最後の)皇帝。徽宗の長子で、南宋で即位した高宗の長兄に当たる。www.wikiwand.comやはり、同時期に陛下が2名存在すると困るため高宗は金と南宋との和議が進められても、やんわりと金へ欽宗の抑留継続の要望を出し金はそれを受託。結局30年以上に渡って監禁され続けたそうです_φ(・_・高宗は本当に酷い人だな
「岳飛伝」を見る前から岳飛が死んでしまうお話なのは承知していました_φ(・_・そして、岳飛がどういった人物なのかもWikipediaで履修済です(^^)岳飛死去80年後に岳王廟が建立され、現在は観光名所となっていますよ_φ(・_・聖地巡礼したい!杭州にあるそうですが中国の地理(?)がさっぱりわかりません_:(´ཀ`」∠):入門編として地図↓「杭州無いじゃん?!」と思ったら、杭州は「浙江省杭州市」だそうです_φ(・_・え?知ってるって?ワタシは知りませんでした
こんにちは。TOSHです。今回は「杭州西湖の文化的景観」についてまとめてみたいと思います。基本情報登録年:2011年登録基準:(ⅱ)(ⅲ)(ⅳ)概要西湖とそれを囲む三方の丘からなる文化的景観。山水画のような世界は唐の時代から詩人や学者、芸術家たちの想像力を刺激してきた。13世紀に首都となって以降、中国の伝統的景観の最高例となった。西湖は、数世紀にわたって中国内だけでなく、日本や韓国の庭園意匠にも影響を与えた。西湖その他の世界遺
江戸幕府が広めた「朱子学」で、商業は卑しいという思想が広まったんだ、という言い方は、間違いです。なにも「朱子学」の本に書いてあるから、商業が卑しいという考えが広まったわけではありません。逆です。農業は商業より尊い、国の根幹は農(第一次産業)であり、工(第二次産業)や商(第三次産業)はそれより価値が低い、という思想は、古代中国から連綿とあって、それが「儒教」の教えの根本なんです。その儒教のエッセンスを過激化したのが「朱子学」ですから、「士農工商」という概念(身分制度ではないが、国民はだいた
📩◾️『新版禅-----現代人の生き方のために』(古田紹欽/現代教養文庫)▪️『無門関』について第一趙州狗子(じょうしゅうくし)趙州和尚因みに僧問ふ、「狗子に還って仏性有りや也(ま)た無しや。」州云く、「無。」・この趙州狗子の一関がこの無門関四十八則の眼目です。これが分かれば後の四十七則はやる必要がないようなものです。しかし、この第一関を説くということが容易ならぬことで、おそらく無門関の著者である南宋の無門慧開(1183〜1260)は、この第一関を説明するため
『安徳天皇漂海記』からの連想(&妄想)です―年の瀬なのに、呑気なワタクシ第2部には、南宋第9代皇帝・趙昺(ちょうへい)が登場します。太祖趙匡胤(ちょうきょういん)に始まる宋王朝は北宋が9代で行き詰まり、都を変えた南宋も辛うじて9代まで続きましたが元に滅ぼされました。趙昺は宋王朝最後の皇帝になります。耳なし芳一が平家の亡霊たちに平曲を聞かせたように、マルコ・ポーロがこの少年皇帝にせがまれ(既に元の支配下に置かれたかつての南宋の都)臨安府(浙江州:杭州)の栄華を語る場面があります。
皆様、ご機嫌YOです!さて、いきなりですが中国史上において今も最大の英雄とされている人物は誰でしょうか。諸葛孔明?項羽?残念!彼らも英雄ではありますが中国史上においては彼らをも上回る国民的ヒーローとも呼ぶべき人物がいるのです。と言う事で正解は…このままスクロールダウンしてください!その先の動画の主人公こそ今回の問いの正解です。ちなみにこの動画の作成者は鳥人間さん、中国史の様々な人物を取り上げています。少々長くなりますがご覧ください。
やはり先の龍泉窯青磁蓮弁紋碗の余韻が強くもしかして残り半分は出ないか、、、、そんなに甘くはありません。でも、青磁の後には白磁、出てくれました。北宋から南宋にかけての白磁陶片です。何か、ためされている感じです。でも、私は見逃しません。
ティェンタオの自由訳漢詩2270semijocular56.rssing.com南宋23ー楊万里憫農農を憫む稲雲不雨不多黄稲雲(とううん)雨ふらず多くは黄(き)ならず蕎麦空花早着霜蕎麦(きょうばく)空(むな)しく花さきて早(つと)に霜を着(ちゃく)す已分忍飢度残歳已(すで)に分(ぶん)とす飢えを忍んで残歳(ざんさい)を度(わた)るを更堪歳裏閏添長更(さら)に堪(た)