ブログ記事152件
菅江真澄像※秋田県立博物館蔵菅江真澄は、江戸時代後期の紀行家・本草学者です。(三河国生まれ、本名:白井秀雄)菅江真澄(すがえますみ)—日本民俗学の先駆者—apec.aichi-c.ed.jp菅江が著した紀行文集は、国の重要文化財に指定。西光寺は、紀行文集の一つ『あきたのかりね』に登場。菅江真澄と西光寺について、昨秋に某民俗学会の場で発表する機会も頂きました↓『先日..発表しに行ってみたpt.1』おは・こんにち・ばんは先日、お誘いがあった民俗学会・地域史会
↑は、曹洞宗の大本山總持寺にて毎年7月に行われる『御霊まつり』の一場面。盆踊りですが、フェスか何かと見間違うレベル。11年前の7月大所帯であった總持寺同安居(※同期)は80名ほど居たが、私も雲水(※修行僧)のひとりとして熱狂の中に居た。正確に言えば、熱狂を離れた場所から観ていた。・踊り係・救護係・警備係↑御霊まつりの際、雲水は希望制に則っていずれかの係に振り分けられる。(※希望する係に必ずなれる訳ではない)私は典座寮員であったし、盛り上げキャラでもない。積極的に警備係を希
兼業僧侶として10年目。原則.土日祝休みとなった33歳の秋。行ける時に行ける場所へ行っておきたい。人は誰しも、必ず明日が来るとは限らないのだから。スズキの韋駄天号を駆りて県外へ。今回も目的地はバレバレだwガチャガチャと聴こえる音は、1速→(ブレーキ)→N→1速とシフトレバーを動かす音。お気に入りの喫茶店タバコの煙は別に嫌じゃないし、何よりも席が区切られてるのはポイント高い(笑)読書に集中できますね♬喫茶店を出て歩いていると、街のあちこちから選挙演説の声が聴こえる。
あら・・?もしかして秋なのか?穏やかな日和。本堂でミニマム坐禅。※先週半僧半職=兼業僧侶の生き方。目的や結果を求めない坐禅...。blogで公開しなくても良いけれど、気持ちの整理にもなる。休日は対極となる姿勢でありたい。坐禅後に撮影※西光寺本堂内坐禅後に外出した先の喫茶店。静かな店内とコーヒー。日頃から持ち歩いてる本..。手放したくない本だから、考えさせられる事ばかり書いてある。・・他者に本音を言えない人ほど、勝手に敵を作っている。自分の感情を抑え続けると、相手の
出勤したら職場モード帰宅すれば僧侶モード江戸幕府が庶民統制を目的とした寺請制度に端を発し、開国後→現代も続く『檀家制度』※ネット記事より引用https://dot.asahi.com/articles/-/198273?page=2↑の寺請制度から、檀家と寺院の関係性を固定化したのが『檀家制度=寺檀制度』幕府は制度を応用し、各寺院に檀家リストを作らせ、戸籍の把握も行ったのです。嘉永5年.西光寺作成人別帳=檀家リスト(※温海町史より引用)かつては庶民統制、開国後は寺
夏なのか秋なのか。四季が崩れつつある?近年ですが、今年も秋彼岸の時期。令和7年(2025)秋彼岸9/20(土)〜9/26(金)彼岸の数珠廻し[日時]入り・中日・結岸の朝7:00〜※例年.15分〜30分ほどで終了[場所]西光寺本堂江戸期に流行した『百万遍念仏』の名残であると考えられています。明治中期までの小岩川では、村の十王堂で彼岸中の毎朝・夕行われていました。他、集落内有線放送の通り。法要は、入り・中日・結岸に住職or副住職のみで行います。※例年通り⭐️オマケ
穏やかな休日。本堂でミニマム坐禅。"寺院あるある"ですが、よく質問される事への回答を一つ。坐禅とは?SNS等で「リラックス効果を謳う」など、商売気のある寺院の数だけスタイルも様々です。仏陀坐像https://www.miho.jp/booth/html/artcon/00005902.htm仏教における修行とは、須くBuddha(仏)のような聖者を目指すために行います。坐禅の姿は仏の姿そのものだから、坐禅じたいに目的や意味を求めません。要らねこと考えんなや。黙っ
『首都圏へ(先日)』台湾🇹🇼の友人から届いた映像。家の防犯カメラ...?二林鎮を訪れた際の映像。※2024年12月ソファーに友人と私。友人の父君は座らず、二人に茶を振舞うと言う…ameblo.jp↑先月の首都圏行き不思議な縁により、里帰りを果たした『名号掛軸』について。善寶寺29世中興大令大和尚真筆①名号掛軸とは?仏や菩薩の名号を文字にした掛軸。名号とは、称号or名前そのものを指す。ex)南無釈迦牟尼仏、南無阿弥陀仏②東方薬師如来とは?薬師如来の正式名称は、東方浄瑠璃
台湾🇹🇼の友人から届いた映像。家の防犯カメラ...?二林鎮を訪れた際の映像。※2024年12月ソファーに友人と私。友人の父君は座らず、二人に茶を振舞うと言う。「ソファーは申し訳ない。私はパイプ椅子で良いよw」と伝えるも..大丈夫。クゥーレン(客人)ダカラ気ニシナイデ!!家ニ日本人ガ来タノハ、〇〇(私)君デ..二人目デス。welcometoErlin..!!(ようこそアーリンへ)友人は台湾🇹🇼の文化や二林鎮の話。私は小岩川や西光寺の話。地酒(栄光冨士)もプレゼント。友
終戦から80年。『西光寺とひとりの海軍将校①』おは・こんにち・ばんは。盆の棚経は本日で終了。地域の温かさも感じました。深く感謝申し上げます。残すは..明日の森供養のみさて..告知通り、戦後、本…ameblo.jp一昨年、西光寺に居候していた元.海軍将校(親戚)の自伝を取り上げました。親戚の自伝終戦から80年の節目ですから、自伝の中から2つ抜粋して紹介。・兵学校同期とのエピソード(笑い話)・機銃掃射と爆弾の炸裂音※旧字体&当時の表現→新字体や現代の言い回しに修正した
8/18午前、心巗上人(即身仏)供養が、遺品を保管している檀信徒宅で行われました。心巗宗旭(?〜1736)元禄15年(1702)頃、遠方の高野山より3名の僧が奥羽(東北)の地を目指した。うち1名が、小岩川南沢にて庵を結び住み着いた。それが、心巗上人である。心巗は、即身仏となるべく"木食行"を重ねた。現在の供養塔周辺のカヤの木は、心巗が植えた木であるという。元文元年(1736)心巗は死期を悟るや、「百年後掘り起こすように」と遺言し、甕に入り生き埋めとなった(信者の助けを得て)土中入
『令和7年小岩川モリ供養』が行われました(8/16)場所:西光寺本堂多くの方々に参列頂き、深く感謝申し上げます。モリ供養の1コマ読み上げられた年忌(経木塔婆)梵天&経木塔婆&笹仏読み上げ処受付処本堂にて"モリ供養"が行われた後、住職と二人でモリノヤマ(霊場)へ。年忌仏(経木塔婆)+五色の梵天をお焚き上げ。猛暑日でしたが、霊場からの眺めは最高でしたモリノヤマ(霊場)お焚き上げ(霊場にて)小岩川を含む『庄内地方のモリ供養』は、平成12年に国の無形民俗
盂蘭盆会.3日目🍀終戦の玉音放送から80年。国内の終戦記念日は8/15国外の終戦記念日は9/2『盂蘭盆会の準備+終戦から80年』もうすぐ盂蘭盆会盂蘭盆会-日程-8/13棚経(旧市内・集落内)8/14AM:施餓鬼会(本堂)PM:棚経(集落内)8/15棚経(集落内・鼠ヶ関)8/16…ameblo.jp↑のように、8/15は親戚の逸話を取り上げる予定でした。親戚の元海軍将校の終戦は、8/21であったと考えられるので、21日に書こうかな..と。8/16はモリ(森)供養庄
盂蘭盆会.2日目午前は施餓鬼会(せがきえ)暑い中、多くの方に参列頂きありがとうございました。午後:棚経の続き過去帳ってありますよね?(故人の法名・没年月日・俗名が記載された帳面)読経後に読み上げますが、同時に行っている事があります。西光寺本堂.棟札(1832年)棟札の裏書本堂.須弥壇の棟札↑の3枚は本堂再建にあたっての棟札。記載された名前&屋号の特定・確認作業中..。棚経は良い機会。読み上げと確認作業を、同時に行おうと考えました。足りない家々は、西光寺
石燈籠を灯してみた(※6月に寄進された燈籠)本堂を撮影している方々..線香の香り..。帰省された方々の笑い声..磯の香り..。気温も暑くなく、穏やかな初日でありました。寺庭の墓碑墓碑と地蔵龍王殿の裏手、ひっそりと佇んでいる墓碑について。裏山墓地へ登る際、視界に入ると思います。東岳明川居士(とうがくみょうせんこじ)西光寺の本尊を救った人物墓碑(別角度)↑墓碑に刻まれた没年月日"天保三年辰六月十九日"(1832年6月19日)記録も残っていま
もうすぐ盂蘭盆会盂蘭盆会-日程-8/13棚経(旧市内・集落内)8/14AM:施餓鬼会(本堂)PM:棚経(集落内)8/15棚経(集落内・鼠ヶ関)8/16令和7年モリ供養(場所は当日決定)※8/14施餓鬼会は午前10時打ち出し先日、本堂のセッティング。施餓鬼幡・萬霊等・施餓鬼棚↑に絞って紹介(歴史・意味等)施餓鬼の意味は、世間に情報が溢れているので割愛。※曹洞宗では施餓鬼を"施食"と称していますが、地域に馴染みのある施餓鬼で通しています。西光寺本堂内(施
「お前は自分軸が無い」と言われました。他人の考えに流されてしまう自分。生活費を稼ぐため、とりあえず就職しましたが、自分は何がしたいのか未だにわからないです。↑以前頂いたDM"軸"とは何でしょうね。前提として、"自分が無い"人はいないです。お話の内容から、「お前は何がしたいのか?」「仕事に対する主体性が無い」という意味の指摘を受けたのでしょうか。実を言うと、私も悩んだことがあります。二足の草鞋(半僧半職)人生なのですが、僧侶として何がしたい?仕事の方はどんなキャリアを歩みたい
『岩川大工の作例(江戸後期〜明治中期)』空き時間にSNS発信している。ブログへのアクセス数は、月平均:350〜850名か..。Instagramへのアクセス数は、月平均:5,600〜10,500名…ameblo.jp↑の続編。休みの先日(8/3)さっそく突撃。対象の寺院がある場所とは?砂谷(いさごだに)曹洞宗寺院名鑑→Googlemaps→あれ?無いぞ→何故だ!?→現在も存在するのか..?『子安地蔵砂子谷』こんにちは。先日、砂子谷子安地蔵の掛け軸を手に入れたムコ旦那です
空き時間にSNS発信している。ブログへのアクセス数は、月平均:350〜850名か..。Instagramへのアクセス数は、月平均:5,600〜10,500名か..。「西光寺SNSを閲覧→小岩川へ→ついでに西光寺へ」←昨年から結果が出始めてる。西光寺本堂(岩川大工)・モリ供養・龍王殿へ、関心が多く寄せられてますねイベント企画?御朱印のPR?そんな事しなくても、習俗・歴史ネタで勝負できますよ。さて、本題。庄内地方の寺社を中心に、岩川大工の作例を紹介。作事年はバラバラですが、
先日のクソ暑い日に都内へ。大切な用事もあり、0泊1日の弾丸スケジュール。schedule.1夜行バスで渋谷へ職場→ネカフェ(シャワー浴)→駅前のバスターミナルへ。夜行バス好きなんだよなぁ..。何時だろうか..車内アナウンスで起床渋谷マークシティ(時刻5:50)(すでに暑いな..)(私の心は夏模様〜♬)←バカwschedule.2センター街のネカフェへ(そうだ...あの頃)(暑い日はネカフェから...ってのがルーティンだった)(朝のセンター街.
西光寺本堂(1832年再建)は、岩川大工による建築です。本堂内部には、様々な彫刻が施されています。桁下の力士像内陣.欄間(西序側)内陣.欄間(東序側)西序は本尊に向かって西側、東序は東側のことです。中央の欄間もあり、中央に施されている鳳凰(彫刻)は、古刹.善寶寺の彫刻と一対・製作者同じと伝わっています。私は大工ではないので、技術的な事はわかりません(書けません)技術的な事はわかりませんが、淡々と鳳凰(彫刻)の作者を追っています。作者は誰なのか?詳細な資料は残さ
『小岩川の森供養vs首席のO君-前編』「言わなくてもわかるわ!!」ってくらい猛暑が続いてますね。今年の森(モリ)供養は大丈夫かなぁ...と思う近頃。庄内のモリ供養の習俗文化遺産オンライン庄内地…ameblo.jp↑の続きゼミ夏合宿→その後の裏話。当時の配布物(2013年)義務教育ではないので、"合宿への参加は自由"でしたが、ゼミの4年生は9割参加。首席の彼の名が名簿に無い..。(強者は余裕か?彼の目の前でキメたかったが...)(他人の事はいい。ここで評価爆上げしとかな
「言わなくてもわかるわ!!」ってくらい猛暑が続いてますね。今年の森(モリ)供養は大丈夫かなぁ...と思う近頃。庄内のモリ供養の習俗文化遺産オンライン庄内地方では、里近くにあるそれほど高くない山や樹木がこんもりと茂った森などをモリなどと呼んで、死者の霊が一定期間とどまるところとされてきた。モリ供養は、毎年旧盆あけの8月20日頃から人びとがモリに花や供物などを持って訪れ、有縁・無縁の死者...bunka.nii.ac.jp小岩川を含む『庄内地方のモリ(森)供養』は、平成12年に国の無形民
本日、『令和7年西光寺大般若会』が行われました。護持会役員&当番組の皆様をはじめ..申込・参列下さった方々、他地域よりお越し下さった方々、随喜下さった12ヶ寺の御寺院様方へ深く感謝申し上げます令和7年西光寺大般若会令和7年7月6日(日)午前10時打ち出し場所:西光寺本堂受付:午前8時30分〜一、大般若会(祈願各家・希望者読み上げ)一、檀信徒総供養一、護持会長挨拶一、住職挨拶(寄進された石灯籠
半僧半職の休日..本堂にて檀信徒葬儀→大般若会の準備(住職と)西光寺本堂内①西光寺本堂内②大般若会の受付(東序室中)御詠歌の席(西序室中)本堂内.内陣の前机(華皿・酒水器・柄炉)茶湯器・菓子器あとは、当日の仕上げ。私の役割(準備の)は..・八大龍王の旗を立てる(↑護持会役員さんと一緒に)・本堂入口のセッティング(↑護持会役員さんと一緒に)・十界図を掛ける・十六善神図を掛ける・大般若経を各位の席に上げる・龍王殿のセッティング⭐️追記
『令和7年西光寺大般若会』の日が迫っています。大般若会の例(※フリー素材)令和7年西光寺大般若会令和7年7月6日(日)午前10時打ち出し場所:西光寺本堂受付:午前8時30分〜一、大般若会(祈願各家・希望者読み上げ)一、檀信徒総供養一、護持会長挨拶一、住職挨拶一、御祈祷札・御膳配布(会食なし)◇護持会役員:7名◇当番組:7号組・8号組◇配役導師:西光寺
7/6の大般若会・8月の盆を迎えるにあたり、裏山墓地と境内の草刈りが行われました(6/22)役員の方々+有志の方々↑深く感謝申し上げます↑西光寺本堂護持会長の指示のもと、草刈り機が一切に始動。草刈り後の裏山こういった場合、住職は動きません(全体を観るため)私は、刈られた雑草を集積場へ運ぶ..等を繰り返してました。海も見える貴重な休日を割いて協力して下さるのです。ならば..速やかに終わるよう支えるのが寺院の役割。永代供養墓前午前8時開始→午前10時終
毎年..ドキドキの瞬間。一度も故障することなく...57回目の夏を迎えました。我が家の扇風機(1968日立製作所)僧侶兼教員であった先代住職が、昭和43年に集落の商店から購入した物。"小岩川なわや"と出して・入れて(箱)を..毎年。"さわ風"と今年も箱から出した日を記入。今年は暑い?ちなみに...50年前に出した日は、6月22日(1975.6/22)と。気温は27℃であったと。記録って面白いね。(地球温暖化とはww)木目調の操作パネル小さ
休日、住職と共に酒田市へ。先々代住職の師寮寺さん...。※師寮寺=師僧の寺大般若会でありました。南陽山光岩寺光岩寺山門光岩寺様について、超絶あっさりとまとめてみました↓酒田市北西部、宮内地区にある曹洞宗寺院。南北朝時代に浄土宗寺院として開山→江戸時代に曹洞宗寺院となった(遊佐町の古刹である永泉寺の末寺)先代住職の時世、法要作法の勉強会を主催していた事でも有名。光岩寺様と西光寺の関わりは、先々代住職の頃からです。西光寺先々代は、旧南平田村の農家生まれ。宮城県の龍谷院
石灯籠の寄進がありました。おは・こんにち・ばんは石灯籠について寄進された石灯籠(※永徳寺型灯籠)先だって、寄進があった事実を住職から護持会三役の方々へお伝えしました。檀信徒の皆様への正式なお披露目は、大般若会の日(7/6)を予定しております。詳細は明かさないで欲しい。↑寄進者の強い希望があったことから、石灯籠に寄進者の名は彫られておりません。よって、住職や私も詳細は明かしません。※別角度からこの度の寄進は、皆様の先祖が築いた遺産(西光寺本堂)&貴重な行事を受