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「豊後の王」こと大友宗麟は、最盛期には九州一の大大名でありました。しかし天正6年(1578)に薩摩島津家との決戦(耳川の戦い)に敗れて以降、九州制覇の勢いで北上する島津勢に抗することができず、ついに天正14年(1586)3月、自ら上洛しすでに関白となっていた天下人・豊臣秀吉に救援を懇願しました。得たりとばかりに秀吉が応えたのは、天下統一に避けて通れぬ九州平定のよき口実となったからでありましょう。同年7月。島津征伐を決定した秀吉は、まず先遣隊として土佐の長宗我部元親、讃岐の十河存保ら四
2024.2.6.引田城跡の後は~初登城。十河氏の居城だった「十河城跡」へ『南北朝時代からの約230年、十河氏の居城。城は東西を谷に挟まれた舌状の台地上に所在し、南に大手を設け、他の三方は湿田に囲まれ、五重の土塁と深く切立った堀があり、攻め入る隙がなかったと言われている。(現在、西側にある池は後のもの)称念寺のある約60メートル四方が主郭で、西と北側に腰郭の平坦地が付属している。北側に空堀(堀切)を造り、土橋で北の郭とつないでいる。十河氏は神櫛玉の末裔で、植田氏の一族と伝えら
【問題】十河存保と十河存英の関係として正しいもの、は次のうちどれか?【選択肢】兄と弟親と子祖父と孫叔父と甥【正解】親と子【解説】十河存英(そごうまさひで)は、存保(まさやす)の子である。父が戦死すると幼くして浪々の身となり、大坂の陣が始まると豊臣方として参陣し戦死した。
友よAmazon(アマゾン)1,431〜5,140円長宗我部元親の嫡男・信親の清冽な生涯を描いた作品です。(清冽:水などが清らかに澄んで冷たいこと。また、そのさま。)学問・武技・文芸その他すべての点で優れ、誰の目から見ても好ましい若武者である信親は、味方はもちろん、敵に対しても誠実な心を持って接します。讃岐の羽床城攻めでは、信親の献策によりひと畦おきの麦薙ぎで羽床の民に長宗我部の心を伝え、降伏を受諾させることに成功します。「戦の後なのに、高揚よりも幸福に近い感覚を皆で分かち合
こんそらぁ✨本日は3年ぶりの開催『三好長慶武者行列まつり』でした生誕500年を青い空も祝福してくれるかのようあれ!!?これでよし!っと❤️いやぁぁ✨気持ち良いっっっ三好長慶武者行列まつり実行委員長のしのはらさんと❤️忍者水影さんと❤️司会のらんちゃんと❤️ステージ前のバタバタ(笑)盛り上げてくれた皆様ありがとうございました❣️【本日のセットリスト】・「あしたからまたがんばれるように」・三好長慶武者行列まつりテーマソング「戦国華風〜三好長慶其の人生をゆく〜」
おはそらぁ香川のコミュニティラジオ「エフエムサン」(76.1MHz)毎週水曜日の番組『weekdayみっくす(11:00〜12:50生放送)』今月のエンディング曲にゆりり「十河武勇伝」を選んでいただきました!リスラジオでも聴けますのでぜひ#十河戦国お城まつり#テーマソング#十河一存#十河存保
拙ブログでは、阿波の「鑓場の義戦」で名を残す久米義広のことを、肥後―阿波―尾張を繋ぐ久米のレイライン|久米の子の部屋(ameblo.jp)や、阿波の芝原八幡神社の周辺|久米の子の部屋(ameblo.jp)などに書いてきました。そして、宝賀寿男氏の「阿波の名東郡芝原の久米一族は、三好長慶の同族で、伊予国喜多郡久米荘に起ったと伝えるから、古代久味国造の末流とみられる」という系図研究の結果をご紹介したのですが、最近の三好氏-Wikipediaの脚注に〔宝賀寿男「三好氏の
こんそらぁ本日はゆりりの音楽教室「ONLINESONGS」を終えて十河の郷へ十河の郷名物のナポリタンで遅いお昼を食べて完成したCDをお渡し!ゆりりが作らせていただいた十河戦国お城まつりテーマソング『十河武勇伝』たくさんの皆様に聴いて覚えて歌っていただきたいなぁଘゆりりଓ
今日は関西を出発してから石垣原古戦場、日出城、杵築城をすでに攻略を終え、あとは本日の宿泊予定の大分市内へ向け再び南下・・・・・・と思わせておいて、、杵築城から帰りは高速道路に乗り、大分市も通り過ぎ、返す刀で戸次川(へつぎがわ)古戦場まで南下、攻略する。(官兵衛か)↓道路標識このように史跡が交通標識で案内されているので、分かり易い。粗品「いや、超有名スポットの扱い方っ」*****1585(天正13)年、長宗我部家は豊臣秀吉の四国攻めを受けると降伏し、所領は土佐一国
【問題】天正12年6月、十河城・虎丸城が落城した際、城主・十河存保はどのような行動を取ったか?【選択肢】敵陣に突入して討死した出家して高野山へ入った羽柴秀吉の下に落ち延びた長宗我部氏の客将となった【正解】羽柴秀吉の下に落ち延びた【解説】天正12年(1584)6月、十河存保(そごうまさやす)の十河・虎丸両城は、長宗我部元親の攻撃によって陥落した。存保は秀吉を頼って大坂へ落ち延びている。
こんそらぁ三好長慶の曲に続き十河戦国お城まつりテーマソングを作らせていただきました!タイトルは『十河武勇伝』です!完成したCDも無事にお渡しすることができました!十河の郷の美味しいナポリタンをいただき鉄砲を構えさせていただいたり大砲を体験させていただいたり歴史資料館には見どころい〜っぱい!曲をつくるにあたり十河一存、十河存保についてたぁくさん学びました!!『十河武勇伝』曲のお披露目の日をお楽しみにーっ!!予告編はこちら⬇️https://youtu.be/
これも1ヶ月以上前にクリアしていました。「戸次川の戦いに参戦した武将を10人登用せよ!」なかなか出てこなかった上井覚兼がやっときました。「戸次川の戦いに参戦した武将を10人登用せよ!」クリア!貴殿も嗅ぎ取ったであろう敵将只事に非ず!我が殿軍承る故直ちに全軍退却せよ!決断須臾遅らせば一人残らず討死する!貴殿は未だ若輩ッ!だがいずれわかるッ!恥も汚名も誹りも些事ッ!為すべきを為せ!守るべきを守れ!!退き太鼓だっ!打てっ!しかしウチの大将がまだ・
ゆゆNO.521(2020年8月12日)えりりCode:な409<十河戦国お城まつりテーマソング>『十河武勇伝』作詞:ゆゆ/作曲:ゆりり/編曲・演奏:えりり広い大地に風が吹き抜ける今がその瞬間(とき)だ魂(いのち)始まる耳を澄ませよ戦の鬨が響く十河一存(そごうかずまさ)力尽くし戦う別れの盃に揺らめく十河額戦場に情けはいらぬ我は鬼十河伝えよ語ろう十河武勇伝広い大地に風が吹き抜ける今がその瞬間(とき)だ魂(いのち)始まる
今週も積読本解消です。今回はかなり古い(2013年10月刊行)の、「戦国三好氏と篠原長房」です。三好氏家臣の隠れた名将・篠原長房について書かれた本で、平成元年に刊行された本を復刊させたもののようで、著者も故人です。史料の制約上、軍記物や後世記録からの記述が多い印象でしたが、それでも巻末の参考文献の数は圧倒されます。篠原氏は、長房の祖父の代から三好氏に仕え、三好之長、元長、長慶三代に渡って重用されたようです。阿波の実質的な国主である、長慶の弟義賢(近年の研究では、実名は之虎、出家名は実休
上佐山城レポ第2弾です。その1はからリンクしています。---------------------------------------見所となる遺構(土塁など)はブルー、名前のある場所(本丸など)はパープル現存建築物(移築建築物含む)はピンク、再現建築物(模擬建築物含む)はオレンジ跡地(櫓跡など)はグリーン、その他(銅像など)はブラックで表記します。---------------------------------------
三好長慶(1523-1564)将軍・足利義晴や管領・細川晴元から実権を奪った守護代。「ながよし」とも「ちょうけい」とも読まれる。支配国戦国の動乱(長慶)摂津、阿波、讃岐、大和飛躍の時(長慶)阿波、讃岐、大和信長包囲網(義継)阿波、讃岐覇王の後継者×群雄集結(長慶)讃岐夢幻大転封(義継)伊勢天下布武(義継)阿波、讃岐手取川合戦(長治)阿波、讃岐本能寺の変×信玄上洛(義継)阿波、讃岐戦術看破・混乱・連撃難易度☆☆☆攻略法財力、
大分市の戸次(へつぎ)と言うと全国的にはほとんど知る人もいないと思いますが、ここは約400年以上前に豊臣秀吉の支援を受けた大友軍と薩摩の島津軍との間で九州の統一をめぐって激戦の舞台となった歴史的にたいへん意義深い場所です。今回はその激戦の地である鶴賀城を目指したウォーキング大会があるとのことで参加させていただきました。ウォーキング大会のチラシです。午前中には歩き終わる約9.5キロメートルの距離になります。集合場所となる大南市民センターです。日曜日の朝8時集合です。参加者が集まって出発式が始
⚫今年も残すところ2ヶ月!早いもんですねぇ~♪⚫↓♪こちらからどうぞ♪↓豊富な品揃え!!ショッピングモール☆FREEDOM☆入口↑こちらをクリック↑入口★11月のおすすめ商品★【ブラックサンタ】⦅ブラック⦆『昨年大人気だったブラックサンタコスプレ』サンタコスプレ黒ブラックレディース<帽子&ベルト&…¥3,980(税込)速攻簡単パーティーの主役、お手軽&本格派コスプレ!シンプルだけど絶対に外さない定番のコスプレ衣装。ブーツやアクセを合わせて、オリジナルサンタを演出
うっちーこと宇都宮芳綱ですワールド1の影城主に降臨した信長さんですが(詳しくはこちら)、ちょっと前ですが、こんな合成をしました政勝さんは信長さんより前にくじから引いていて、育成しようか売るか譲与するか決まっておらず、ほぼ放置状態だったのですが、信長さんに使うならおあつらえ向きの素材だったので、溶かすことにしたのです前置きが長くなりましたが、どちらが付いてもOKです果たして結果はグッジョブ♪('-^
【問題】次のうち、十河存保が戦死したのはどの合戦か?【選択肢】上桜城の戦い中富川の戦い十河城の戦い戸次川の戦い【正解】戸次川の戦い【解説】十河存保(まさやす)は豊臣秀吉の家臣として九州征伐を前に豊後で島津軍と激突した。仙石秀久を軍監とした混成軍に属した存保は、島津軍と激闘の後に討ち取られた。
こんばんは、Heleneです高松に来た理由のひとつは、十河一存のお墓があるというので。十河一族のお城跡の称念寺を訪れ、その近くの十河一存のお墓に行くことだったのですが。ちょっと前に、宇宙塾などでご一緒していたケイさんに、過去生拝見をしてもらったとき。私が、十河一存だった、ってのが出てきまして💦十河一存の話を読むと。自分、これ、やりそうだな、と、確かに思う。ジョヴァンニの日本人版だと思うし。もともと。私、戦国武将あんまし、好きではないのですよ。特に、豊臣秀吉、織田信長、徳川家康
ちょいと前の漫画のハナシ『ムダヅモ無き改革プリンセスオブジパング(1)』大和田秀樹(竹書房)麻雀漫画で少年漫画的表現、展開を滑稽な程にあざとくやってヒットした作品の続編。ド直球に皇族をヒロインにするのはビビったみたいですけど、表紙の子は実質プリンセスです。「女子高生達を男性的な分野で活躍させる」というのは、ここ最近のトレンドであり、今や「古い」感すらありますが、本作もその文法に沿ったものだと思います。大和田さんの『疾風の勇人』が中途半端な終わりで、直後にほぼ同じキャラの吉田や白州が出
大友氏や龍造寺氏を破って九州北部に迫った島津氏に対して、大友氏は豊臣氏に支援を要請し、仙石・長宗我部・十河氏などの連合軍が対峙したのが戸次川で、統制のとれない連合軍は島津氏の術中にはまり、長宗我部信親や十河存保が戦死した。大野川の河畔に古戦場の看板があり、その東の台地上に信親や戦死者の墓がある。
まいど。予告編の本編まいります。出張では行くけど寄り道できないので・・・自腹切って四の国へ行きました。まずはうどん県東かがわ市にある引田城(ひけたじょう)攻めました。ボケボケ画像になってもた港の向うに見える瀬戸内海に面してる小さな半島になってる比高100mの城山へ挑みます。因みにわしはまだボケてない登城口は幾つかあり、引田湾を回り込んだ所に登場口があったのでそこから取り付くとする。しかしまたボケとる帰ってきてPCで画像確認するま
仙石秀久は秀吉最古参の武将です。織田氏と浅井氏との戦い=姉川の戦いから秀吉に付き従います。信長の命令を受けて秀吉の旗下になります。秀久14歳。秀久は順調に出世を重ねていきます。秀吉が近江の領主になると野洲に領地を得ます。後に淡路洲本4万石になります。秀吉の九州攻め、『戸次川の戦い』の際に、属将長宗我部信親、十河存保を戦死させた上、軍を取りまとめることなく、逃げ帰ったので秀吉の逆鱗に触れて領地を没収されます。秀久は高野山に追放されます。実は秀吉からの密命を帯びていたと言われます。四国攻
まず朝倉義景という人物・・・・・この人は、人間として正直なのか愛しい者には、正面から愛情をぶつけていく人だったようだ。越前国朝倉氏の第11代当主として、最後の朝倉家を率いた戦国武将だった。そんな彼が、最後に会いした女性・・・・それが、今回紹介する方です。名前は小少将と書いて、こしょうしょうと読むらしいです。義景には小少将の他に、これまでも3人の女性が確認されています。1人目は、細川晴元の娘しかしこの女性とは、女子を1人産んだ後に、病死されてしまいます。2人目は
大分は第13回大野川合戦祭りというのに行ってきました。大野川合戦というのは、HPから引用しますと「今から423年前の1586年12月12日、鶴賀城の麓、戸次川原で、長宗我部・十河・仙石三大名の連合軍に大友軍を加えた六千余と島津軍二万五千が激突するのです。大友方は多勢に無勢の上、仙石秀久の無謀な戦術に巻き込まれ全滅に近い憂き目にあうこととなったのです。」この歴史は戦国時代好きであれば司馬小説にもよく出てくるので分かるのですがまさかこの舞台の大野川で合戦祭りをやるとは・・と最初は驚きでした。この戦
先に断っておきますが、本日は文書が多いので、ご興味やお時間あればどうぞ(笑)戦国時代はまさに争いの時代。実力が無ければ、生きる権利さえ奪われる時代。力ある者が歴史を作り、力なき者は存在さえ消される…そんな戦国時代に暗愚な君として伝わるのが…武田勝頼、今川氏真(尾上松也さん演技上手いですね)、北条氏政といった先代が実力者であったため、お互いに強固な同盟関係を築いていたのに、先代亡き後、それぞれに家を滅びの道へ進ませてしまった、この三名は有名ですねしかし、地方にもそんな逸
今日は特に長いので(;^_^Aお暇な時やご興味あれば、お付き合いください(^▽^;)来週は50kmレース最近、寝込んだり、疲れたりと、不甲斐なかったので(怒)今日は朝から気合を入れるつもりで、二部練習午前中は28kmをレースペース走(1km=4分45秒設定)夕方から22kmをジョグ午前中の練習での余裕の無さにガッカリ(><;)(一応、1km=4分40秒で目標はクリア)一週間近く寝込んだロスは大きく、未だ本調子には戻らず…でも、距離への耐性がある
昨日は、僕の決意を励ましていただいたり、アドバイスをいただいたり、本当にありがとうございます(≡^∇^≡)会社では、すっかり猫を被り(笑)温厚ながらも、挫折は許さないという上司の姿勢を貫いています。ただ言葉で無く、行動で引っ張ります。でも、それは本当の自分ではありません(^▽^;)そこまで気持ちが強くないので(笑)本当は、もっと思いのままに感情を出したいけど、我慢することが優先されるようになりました。なので、身内である両親にはキツイことを言ったりします。明日は実家