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いつも静かな神棚の鳥さんが、今日は今朝から連続して鳴いています。今日は十条の先生のお誕生日なので、来てくださったのでしょうか?😄
大概の『人間』や『霊能者』そして『ユタ』は、他人の事は分かっても、自分自身の事は分からないと言います。しかし、そんな事は無い。『霊能者』ではないが空海さんや私の師匠(十条の先生と言われた霊能者)は自分自身の命日を予言して亡くなりました。私の場合は毎日【夢】を見ていますので、その【夢】によって危険が迫っている事やこれから良い事が起こる事が分かります。ただ、これまでの私の人生においての失敗の原因は、その【夢】を無視して暴走してしまったがための事です。今までの私は、何事もやる事が約10年程早
往年の大スターであった『長谷川一夫』さんに「今の私があるのは貴女のおかげです。」と言わせたのが私の師匠である【十条の先生】です。『長谷川一夫』さんは、出世したお礼にと家一軒を建てて師匠にプレゼントしたそうです。『長谷川一夫』さんは太っ腹だったと思います。さすが大物です。私の師匠は自分自身の命日まで私に告げておりました。そのお告げはまさにその通りとなりました。【先を見通せる人】というのは凄いとしか言いようがありません。あのメジャーリーガーのパイオニアと言われた『野茂英雄』
映画『ナミヤ雑貨店の奇蹟』で女優・尾野真千子さんが演じた孤児院の少女から女社長になった人物がおります。この人物がもし未来を示す人の言葉を信じる事なく、お金を稼ぐ事を目指し水商売を続け愛人になっていたら、あの映画のような幸せな生き方をする事は出来なかったでしょう。【本物の霊能者】というのは時代の先の先まで視えています。だからその方の言葉を信じて≪すべき事≫をしていくと、【本物の霊能者】が言った通りの人生になっていくのです。その【本物の霊能者】の言葉を信じられずに、自分の信じる道
この十一面観音様は、あるお寺の御本尊でした。今から約30年前、師匠(十条の先生)と私がそのお寺へ《お祓い》に行った時の事です。師匠が本堂でこの観音様を見てすぐに「この観音様は佐藤(日宗)さんのものになるよ!」と告げたのでした。当時の私はいくらなんでもお寺の御本尊が我が家に来るなんて・・・と思いました。しかし、それから10年後に本当にこの御本尊だった観音様が我が家に来たのでした。【本物の霊能者】というのは、時代の先の先まで見通しているのです。ですから侮ってはいけません。昨年、残念なが
「私は人のために○○をしています・・・」などと軽々しく口にするような人間は疑わしい者が多い。なぜなら、人の為と書いて『偽(いつわり)』と読むからです。私の大好きな映画【壬生義士伝】の『義』とは、大きくかけ離れた『ぎ』です。策をめぐらすのは【人為】です。人為の反対が【天為】なのです。【天為】とは、天がなすところという意味です。たとえば、誰かに負けまいとして何かに挑戦したとします。しかし、残念ながら目的を果たせなかった・・・という事はよくある事です。こ
私は4歳になるまで、この古舘(ふるだて)の【大けやき】がある村に住んでいた。この【大けやき】の所には稲荷神社が祀られているのだが、その場所には沢山の『庚申塚(猿田彦の命)』があるのです。この場所は私にとって重要な所と師匠(十条の先生)の霊視で指摘された事がありました。やはり【縁】のある場所は大切です。
今から約26年前、私は十条の先生と一緒にあるお寺へ霊視とお祓いをするために訪ねて行った事がありました。私たちがお寺の本堂の御本尊様の前に座った時、十条の先生が私に小声で「佐藤(日宗)さん、この本堂にあるあの観音様はいずれあなたのものになるよ!」と囁いたのです。当時の私はいくら何でもそれはありえないだろうと思い、私の心の中にだけしまって置きました。それから約12年が経った3月5日の朝、私は十条の先生が仰った通りに、御本尊であった十一面観音様を頂く事になったのです。私が和尚さんに事の次第
良い出会いは人生をバラ色に変えてくれます。私の人生はわが師(十条の先生)との出会いによって180度違うものに変わりました。たった一人の人間に出会う事によって、人生が一変する事があるのです。是非、皆さんにもそのような出会いをして頂きたいと思います。【朱(しゅ)に交われば赤くなる】人間は関わる友によって善にも悪にも感化されます。最近の芸能ニュースを見れば分かるように、覚醒剤などの薬物常習者に関わってしまったら、一生を棒に振る事になってしまいます。一時の快
私が師匠(十条の先生)のもとへ通い始めてから28年が過ぎ、その師匠が亡くなられて19年が経ちました。今しみじみと師匠の言葉を噛みしめている今日この頃です。私が師匠によく言われていた事は、「佐藤(日宗)さん、最後まで真剣に取り組めるのは、100人に1人だよ。」とか「疲れるから仕事が終わったら一杯やりなさいよ!」という事でした。私は今頃になって、ようやく師匠の言葉の本当の意味が解って参りました。霊視をするという事の大変さ・・・これは相当な覚悟が無ければ続けられないからです
我が師匠(十条の先生)が健在の時、私の優先順位の第一位は【師匠の霊視】を受ける事でした。なぜなら、師匠の霊視を受ける事で、私の優先順位の第一位である【今すべき事】を知る事が出来たからです。私はその【すべき事】を一週間以内にこなし、また次の【すべき事】を聞きに行く。これが私の日常でした。その積み重ねをして来た事によって、今の私がいるのです。この【優先順位】を間違えると、取り返しのつかない事態になってしまう事があります。時間というのは無制限にあるわけではありません。
私の師匠(十条の先生)は、『霊能者』として54年間生きられました。まさに【本物】の霊能者でした。しかし、その【本物の霊能者】に対しても100人に1人ぐらいしか霊視を受け続ける相談者がいなかったのですから、この世には【本物】を見極められる人が本当に少ないと思います。あの『座敷わらし』に関しても同じ事が言えます。岩手県二戸市の【仙養舘】には【本物の座敷わらし】がおります。しかし、その事は殆ど知られていない。だから【仙養舘】を訪ねる人も少ない。【本物】が認められず【偽物】が世に蔓延るよう
これはもう26年も前の話です。私が七面山の神様にお尋ねをしながら登詣している時の事でした。私が敬慎院でお詣りを終え歩いていたら「佐藤(日宗)さん!」と私を呼ぶ声がしたのです。振り返るとそこには敬慎院でお勤めをしている仏師の方が立っていました。そして、その仏師の方が「佐藤さん、この赤い実は食べられるのですよ!」とイチイの木を指さし教えてくださいました。私がそのイチイの赤い実を取って食べていると、この仏師の方が突然「佐藤さん、人間同士のトラブルなどは謝る事ないですよ。神様に対
私自身に『身の変化』が起きたのは28歳の時でした。それから私は師匠(十条の先生)のもとへ通い【霊能者の道】を歩き始めました。その当時の私は毎週1回~2回師匠のもとへ通い続けておりました。そんな私がある時の事、たった一度だけ師匠の指示に従わなかった事がありました。それ以来、私は6年半の間、師匠に≪干される事≫となったのです。私が「自分が間違っていた・・・」と気付いたのは干されてから3ヶ月後の事でした。私は自分の判断ミスに気付きましたので、師匠のもとへ謝罪をしに行きましたが、状況は変
今日は我が師匠(十条の先生)の祥月命日なので、今朝は4時半に起床してお墓参りをして来ました。お墓参りの帰り道では本当に久しぶりに『立ち食い蕎麦』を食べて参りました。なんとも懐かしく美味しかったです。今日からはいよいよ【東京(小岩)開運相談】が始まりますので、出会いを楽しみに集中して霊視をしたいと思います。十条の先生の唯一の後継者と言われた私ですから、しっかりと【お粗末な人生】にならないように努めたいと思います。あの真田信繁は関ヶ原の戦いで豊臣方に付いたために、14年
今日は私の師匠である十条の先生の19回目の祥月命日です。月日が経つのは早いものです・・・。大切な人を失くすという事は本当に悲しい事です。しかし、悲しんでばかりはいられません。その大切な人を安心させるためにも喜ばせるためにも、残されたものはしっかりと生きなければ亡くなられた人に申し訳が立ちません。私は師匠が亡くなった事を機に【治療師】と【霊能者】の二足の草鞋から【霊能者】の道一本に絞りここまでやって参りました。私はまだまだ亡くなった師匠に褒められる程の人物にはなって
霊視というと、霊障がひどい人とか、霊障に悩まされている人だけが霊視を受けるものだと思っている人が多いのではないでしょうか?実際はそうではありません。『日宗庵』や『妙光庵』には恋愛の相談・家庭の問題・進学や就職の相談・家の建築の相談など、様々な問題を抱えた人達が訪れてきます。言うなれば、霊視は【心配ごと相談】であり【よろず相談】と言ってもいいと思います。ですから、皆さん気軽にお越しください。霊視ができる人というのは、別に特別な人という事ではありません。世の中には結構【霊】が見える人がい
私たちは知らず識らずのうちに、似たような要素を持っている人を友達にしています。つまり【類友】の事です。『良い友達』を得るためには、自分自身を成長させて行かなければ『良い友達』には巡り会えません。特に前世(過去世)において呪詛をかけられたままになっていたりすると『自分自身を成長させていく事』がなかなか出来ません。つまり、自分自身を高めようとすると邪魔が入ってしまうわけです。そんなわけで、いつまで経っても結局は悪い要素を持っている友達が集まって来てしまうのです。そして、悪いヤツを悪
この世の人は大概【熱しやすく冷めやすい】人ばかり・・・、【困った時の神頼み】・・・そして最後は【喉元過ぎれば熱さを忘れる】のです。だから困った時には毎月『日宗庵』に来ますが、ある程度、困った事が収束に向かい出すと足が遠のき出すわけです。『日宗庵』に10年間ほぼ毎月通って来ている相談者の中でも、ちゃんと私たちのブログを読んでいる人とそうでない人では理解度が【雲泥の差】です。そして≪夜会≫や≪瞑想会≫に参加する人とそうでない人との差も歴然です。これは当然だと思います。毎
今しがた突然に『多七さん』がやって来た。『多七さん』というのは、私の父方の祖母の弟子で毎日8㎞程歩いて【中野不動尊】で修行をしていた霊能者です。この『多七さん』はもう随分前に亡くなられていたのですが、私が師匠である十条の先生の所にお世話になりだした頃に、霊視の最中に現れ私に向かって「私(多七さん)の後継者になってくれ・・・」と言って来ていると十条の先生に教えられたのです。それ以来ですから、28年ぶりです。なぜ今夜現れたのかは謎です・・・。
私の師匠(十条の先生)にお世話になっていた往年の大スター長谷川一夫さんは「今の私があるのはあなたのお陰です・・・」と言って、家一軒をわが師匠にとプレゼントして下さったそうです。流石に大物は違いますね!それに比べて現代の日本人は小物になったものです。本当に情けないです。たとえば、お酒を誘って来ても、誘ってきた者がお勘定を払う時になると、なかなか財布を出そうとしないらしいのです。あまりにもグズグズして見っともないので、結局、払うのは大概その他の人になるそうです。
私はいつも師匠である『十条の先生』のそばにいれば、どんな天変地異があったとしても大丈夫だと感じて過ごしていた。それは天変地異に限らず、日常生活においても安心しきって生きていたのだ。ちょっと恥ずかしい事だが、まるで『虎の威を借る狐』のようだったと思う。それほどに信頼しきっていたという事だ。相談者の皆さんにも【霊能者の開運霊視】のメンバーである日宗・妙光・一徳に、同じように感じてもらえるようになったなら、私たちも【本物】になるのだろうと思う。そう思って頂けるように精進してい
今朝は夢の中に十条の先生が現れ、妙光と一徳そして下照大御神様・ニギハヤヒマメ子様と私の6人で座敷わらしの宿【仙養舘】へ行こうという事になり、なぜか飛行機で岩手県へ行く事になったというものでした。夢の中では不思議な出会いが沢山ありました。これからの人生の流れが楽しみです。
今『24時間テレビ』で【人生を変えてくれた人】というものをやっているのですが、私にとって人生を変えてくれたのは、なんと言っても《十条の先生》です。あれほど臆病だった私を、夜中でもお寺や霊山を登れるようにしてくれたのは《十条の先生》ですからね!そして、なんと言っても私の中に眠っていた霊能力を引き出してくださり、私を霊能者に育ててくださったのですから、感謝しても感謝しきれない程です。心から「ありがとうございます。」と言いたいです。
人間は【生きる目標】を見失うと、魂がドンドン曇って行くものです。私も中学生辺りから22歳ぐらいまでは自分が自分でなくなってしまっていました。そんな私が自分を取り戻したのは十条の先生と言われた霊能者に出会ってからの事です。私は十条の先生に出会うまでは、ほとんど神社へ行った事がありませんでしたが、十条の先生に出会ってからは北は北海道神宮~南は鹿児島県の新田神社まで全国各地の神社を参拝いたしました。そして様々な霊山を登詣しているうちに自分というものを取り戻したのです。やは
私は私が至らなかったばかりに、師匠(十条の先生)に6年半の間干され続けた事がありました。それでも私は山梨県の七面山を登り続け、師匠の元へも通いました。それはなぜかと言うと【私の師匠】だからです。本当に皆さんはその所を分かっているでしょうか?叱られても突き放されても「この師匠についていく!」と本当に思っていれば、そう簡単には師匠の元を離れないと思います。人間の本性というのは、そういう所に現れてしまうのです・・・。
今日、約1年ぶりに【赤ちゃんの命名】の依頼がありました。一般的には【赤ちゃんの命名】を重く感じている人は少ないのではないでしょうか?しかし、この【赤ちゃんの名前】こそが人生そのものを決めてしまう結果になり兼ねない程の重要性があるのですから、安易に【赤ちゃんの命名】をすべきではありません。私の息子である『一徳』という名は、わが師匠である十条の先生に決めて頂きました。この十条の先生というのは、スリランカにいるスランさんと一緒で、出会った瞬間に相手の事を見通してしまう方
私が自分自身の【霊能力】に目覚めたのは28歳の時。そして、その【霊能力】を伸ばしてくださったのが私の師匠である十条の先生でした。私が【霊能力】に目覚めだした頃というのは、病院で検査をしても「異常なし!」と言われてしまうのですが、もの凄く体調が悪く、食事も喉を通らず、吐き気が襲い、満足に仕事も出来ない状態だったのです。そんな状態でしたから頼れる場所というのは師匠(十条の先生)の所しかありませんでした。当時の私は特に『吐き気』が酷かったので、師匠のもとへ1週間に1度・・・多い時で2度通っ
私は今もそうですが、ほとんど休むことなく働いて来ました。しかし・・・霊能者の師匠(十条の先生)に出会うまでは、頑張っても頑張ってもいつも【空回りの人生】でしたが、【霊能者の師匠】に出会ってからの私の人生は一転したのでした。私が師匠に出会ってからしてきた事というのは至って単純なことです。それは・・・・先祖がお参りしていた神社・仏閣への【お礼参り】・自分の前世でお世話になった神社・仏閣・恩師への【お礼参り】・霊山に登る事・【霊能者(師匠)】による≪お祓いと霊視≫を受ける事たったこ
私が【本物の霊能者】であった師匠(十条の先生)と一緒に、【七面山】や【誕生寺】などへ行った際には、参加者全員で師匠の宿泊費・交通費・食事代そして日当分を用意したものでした。それが当時の当たり前の姿だったのです。なぜなら、師匠は普段の仕事(霊視)をお休みして、私たちと行動を共にしてくださるわけですから当然の事でした。しかし、今はそういう心遣いが出来る人が本当に少なくなりました。私の周りでは3人程度しかおりません。これは数年前までの事ですが・・・、≪パワ