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リトアニア最後の訪問先は「十字架の丘」世界無形文化遺産に登録されていますカウナスから移動中はのどかな風景が続きます雲がぽっかり浮かび下には畑が広がる…ず〜っとこの景色緑を眺めるのは落ち着きます…北海道のような?この景色の中シャウレイという街の近郊「十字架の丘」へ到着この頃から黒雲が立ち込めてポツポツととビジターセンターから直線で200m位?の丘へ振り返るとこんな距離感ですマリア像を目指し階段を上がり…その向こうの下った先にも沢山の十字架…帰りはマリア像の背中を目指
こんにちは、ひたすら書き続けても全く終わりそうにないな・・・(笑)まだ着いたばっかりだし、一年ぐらいかけてゆっくり書こうかなと、既に諦めモードですお昼ご飯をY君家でいただいて、そこからすぐにワンボックスカーで出発運転手さん付ですっヴィリニュスからシャウレイまでは200キロ越え高速道路もあるとはいえ、着いた瞬間からこの移動とにもかくにも何も無い、リトアニアの大平原夕方遅めの時間に目的地、シャウレイ十字架の丘に到着くっそ寒い門をくぐると・・・くっそ寒いのに、またもやのっ
十字架の丘凄い十字架の数!お墓ではありませんので、おどろおどろしい雰囲気はありません👻色々な意味で大小様々な十字架やロザリオが掲げであります。抑圧されることへの抵抗処刑された人達への鎮魂平和を望んで、、特に今はウクライナの独立を支持したい気持ちなどなどソ連時代にはKGBに何度も破壊されたそうですがまた復活を何度も繰り返したそうです現在も誰でも十字架などかかげる事が出来ますリトアニアへ行ったからには杉原千畝記念館へも現在は閑静な住宅街リトアニアの名物料理ツェペリナイホワ
前回に続いて「旅行日程表」が残っていたツアーの紹介です。⑨「中世の街並みを訪ねてバルト3国周遊の旅8日間」十字架の丘同行者なし出発日2004年9月8日(水)旅程成田→ヘルシンキ経由→タリン(泊)→タリン市内観光(昼食・夕食)→タリン(泊)→リガ(昼食・市内観光・夕食・泊)→カウナス(昼食・観光)→ビリニュス(夕食・泊)→トラカイ(昼食・観光)→ビリニュス(観光・夕食・泊)→ヘルシンキ(観光・夕食・泊)→成田リガの街並み
ヨーロッパを旅すると、「忘れられない風景」に出逢います。リトアニアのシャウレイの近くにある十字架の丘も、そのひとつです。この丘に初めて十字架が立てられたのは1831年。ロシアに対する蜂起が失敗し、亡くなった者たちの家族が立てたものだそうです。リトアニアがソ連に統治されていた時代、この丘の十字架は、3度ブルドーザーで破壊されましたが、その度に、人々は新しい十字架を立てたそうです。(2016年撮影)
近況:食器棚から食器が飛び出した食器棚の扉を開けたら、数枚の食器が滑り落ちてきて、ガシャーンと割れました。パニックマは、本人曰く「丸の上に三角を置いたり四角を置いたりする」ので、重ねた食器のバランスが崩れたようです。くま吉は「何で!?」と怒りの感情が沸いてしまいましたが、深呼吸をして、表情に出さないように努めました。しかし、パニックマは、周囲の感情に敏感なので、すぐに気づき、かつ、くま吉の怒りを感じたくないので、くま吉を追いやって片付けをしてくれました。怒りも抑えたのだからノーカンにしてほ
10年前の2012年5月、バルト3国とポーランドへ半月間ほど旅行した。バルト3国の中のリトアニアでロシアに対する怨念の十字架の山積みを見ました。リトアニアのシャウレイ郊外にできた十字架の丘と呼ばれる観光名所でした。周辺には何もない原野ですが観光用に歩道などは整備されていました。イモトも訪れたことがある観光名所です。最初は1831年ロシアの勢力下で苦しんだリトアニアが蜂起したが、押さえ込まれ多くの犠牲者が出た。その鎮魂の意味で十字架が建てられたようです。
仕事柄、政治的、宗教的には中立な立場で発信したいと思っているでも今回のロシアのウクライナ侵攻はひどいどう中立に考えようにもロシアに大義がない大国のメンツって何だろう?犠牲者のニュースを見る度にリトアニアのシャウレイにある十字架の丘を思うここは十字架が所狭しと林立している近くで見ると圧巻である事の始まりは1830年〜1831年の11月蜂起までさかのぼるポーランドとリトアニアでロシア支配に対する武装反乱が起きたその時の犠牲者の鎮魂のために家族がこの
楽しみにしていたコンサート会場で…受付でバックの内ポケットにしまっていたチケットを差し出すと「このチケット、違いますけど」と言われた。ウソ〜!返されたチケットを見たら、去年の年末に行った小曽根真のチケットだった。ちゃんと、入れたはずなのに。慌ててバッグの中を探す。あった!ふ〜、やれやれ。どうやらあの時と同じバッグだったらしい。最近、心身の疲れが取れなくてこの日をどれほど楽しみにしていたことか。
2011年7月にバルト三国のツアーに行きました。ご存知のようにこの年は東日本大震災の年。GWはアイルランドツアーを予約していましたが、仙台の実家(無人)の様子がわからず、交通が遮断されて確かめようもなかったため、やむなくキャンセルしました。GWにやっと仙台に行くことができ、昭和初期築の実家の被害は軽微だったことが確認できました。そんなとき、個人的知り合いの旅行会社さんからバルト三国ツアーの案内をいただいたことから有休をとって参加することにしました。バルト三国は以前、「ブダペスト・
おはようございます今日はくもり一時雷雨24度予報です。さて、旅行の続き旧市街観光の後、車で小高い山に上りました。通称、アンテナ山正式には、十字架の丘(Morrodacruz)山頂には、たくさんアンテナがあります。それほど高い山ではありません。30年前にももちろんあったんですが、今回、初めて上りました。多分…。ちょっと記憶が曖昧なんですが、紙の地図しかなかったので、道がわからなかったのかな?と思います。島と大陸を結ぶ橋がとてもきれいに見
これからシャウレイ、十字架の丘へ少しずつ階段を上がっていきます。高さ5m以上の芸術的な十字架から鈴なりにかけられたロザリオまでその数はリトアニアの生者の数よりも多いとか丘に登り切ったらと思ったらさらに向こう側にも丘が道を歩いていきます。しかし、ここは墓地ではないので死体は埋められていません。来た道を後ろから終わりの丘の上にはガラスケースにはいったマリア像が記録によれば、1831年ロシアに対する蜂起の後、処刑や流刑にされた人々の鎮魂のために建てられたらしい。ソ連時代はこの丘
リトアニアからラトヴィアへ向かう途中シャウレイへ寄ります。ラトヴィアのカトリック地域とリトアニアの十字架製作が伝統となり、自然崇拝となっています。リトアニアは十字架の国と呼ばれます。十字架の丘へ途中に見えるものは標識となっていました。ものすごい数の十字架ここから十字架の丘逆側は果てしなく道が続いています。大小無数の十字架が立ち並び、壮絶と言う言葉につきます。ご覧になった方は1票の投票をおねがいします。下の3つのうちいずれかに読んだよのクリックご協力よろしくおねがいし
いつのことなのか?わたしはどこにいるのか?偶像は片腕ロボットQooでもある
#いつかまた世界で…バルト三国の中で一番南にあるリトアニア。。。いつか何かの写真で見た光景が忘れられなくて。。。6年前の6月の初めに訪れた時の初めてのリトアニアの記憶です。。。日本からまず、バルト三国の1つラトビアのリガの毎年6月の第1土日に森の中で開催される手作り市を訪れた後長距離バスで国境を越えてリトアニアに入国しました。飛行機の中の様に各シートにテレビモニターがありwi-fi
奇跡はおこるのか!!奇跡は起こらなかった。ちーん。バスは満席で乗れませんでした。どうなるてぃえっこ携帯の充電も危うい!つんだ!!AnkerPowerCore10000(10000mAh最小最軽量大容量モバイルバッテリー)【PSE認証済/PowerIQ搭載】iPhone&Android対応2020年4月時点(ブラック)Amazon(アマゾン)1,929〜
てぃえっこです。十字架の丘にバイバイして駆け足で、ドマンタイのバス停へ急ぎます!同じ道を戻るだけ。スーツケースとも再開!再びさみしい思いさせてごめんよー!(絶対やったらあかんやつやで)行きにバスの時間を確認していたから、domantaiのバス停からのバスはスムーズに乗車!シャウレイのバスターミナルへ到着!急いで戻ってきたのは、この後。リガへ急がなくてはいけなかったから。どうやってリガへ行くか!時刻表を見てみましょう
てぃえっこです。これが十字架の丘です!十字架オンリーです。十字架しかでてきません。スーツケースを投げ出し。←あかんやつ急ぎ足でつきましたよ。十字架の丘決して怖いとかはありませんピクニックスポット?すごいっちゃ、すごいです。何本?あるんだろう。何体?ていうのかな。うむ。美しさはない。こんな感じで、しばし、お楽しみください。自分で十字架を購入しておけるとかなんとか。
てぃえっこです。ヴィリニュスから電車でシャウレイへ。着きました!これから、バスターミナルを目指します。↑鉄道の駅からバスターミナル。ちょっとはなれてます。仲間?十字架の丘目指してるだろうなーっていう人についていくとすぐ分かりました!バスターミナルで荷物を預けたかったけど、お昼休みとかあったような!と、悩んでる暇もなく。12番のりばにバスがとまっています!おなじみ、この子を持ってバスに飛び乗ります。バスはJoniskio行きでDomantaiで
てぃえっこです。さて。ヴィリニュスからリガへ行く途中に十字架の丘へ向かいます。前日にヴィリニュスの駅でシャウレイまでのチケットを買っていました。シャウレイの十字架の丘によって、シャウレイからバスに乗ってリガに行く予定実は、シャウレイ行きのチケットは入手したもののリガ行きのバスの予約が取れなかったのです。予約なしだと厳しい。ということでしたが、サイトからうまく予約できず。なのにこのまま出発してしまった。どうにかなるだろうと思って今から行く皆さん。シャウレイ
昨日のウエイト:71.60kg前日比:-400g死ぬ見て絶景Vol.52アンティグア(グアテマラ)中米はグアテマラのグアテマラ高地に位置するアンティグアという旧首都でもあった都市。写真は中でも1番のビューポイントでもある十字架の丘からの絶景。正面に見えるのはアグア火山という富士山のような山で高さも3760mと同じくらいです。ご覧のようにアンティグアの旧市街も一望できます。街はスペインのムデハム様式の影響を受けたバロック建築と植民地時代に建てられた多数の教会が残る世界遺産
新年明けましておめでとうございます。3日間家からほぼ一歩も出ませんでした・・・。旅行も昨年はバルト三国だけ。(国内旅行ゼロ)今年はもっと旅行に行きたい・・・・バルト三国旅行記の続きです。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~シャウレイのバスターミナルで荷物を預けて、ローカルバスにてこの旅行の大きな目的地である十字架の丘へ。朝8:25発のバスに乗った。乗る前にバスの運ちゃんに「ドマンタイ」と言ったらここで降りる観光客が多いらしく、「OK、OK」とわかりきったように答
リトアニアといえば十字架の丘!ということで、ヴィリニュスへ向かう前に十字架の丘がある都市、シャウレイに向かいます。リーガからシャウレイへは、バスで向かいます。2日前ほどにリーガのバスターミナルでチケットを手配しておきました。12ユーロです。私は十字架の丘へ行った後、その日のうちにヴィリニュスのホステルへ向かう必要があったので、朝6時の便を予約。午前中だと他に9時発もありました。朝5時にホステルを出て、バスターミナルへ向かいます。辺りはまだ暗いです。かなり早いにも
~前回の続き~何も無い道から少し歩いてみると三叉路がありこういう目印がありますこれが十字架の丘への入口というか、道しるべこの道を真っ直ぐ進むと見えてきた5万以上もある十字架からなる丘ちょっと異様な空気に包まれてました霊感は全く無いのですがパワースポット等に行くと手がビリビリ痺れたりしますその現象がここでもありました見渡す限り十字架ばかりの景色とにかく圧倒されるここは墓地では無くその発祥は不明だが、初めてここに十字架が建てられたのは1831年で数世紀を経て、十字架
リトアニアにはバックパッカーに有名な十字架の丘という観光地がありますシャウレイという街にありリガからヴィリニュスに来る間に位置するのでリガから移動する際に1泊(もしくは立ち寄り)してヴィリニュスに行くという手段が効率的ですこちらの写真参照ですがなーんにも考えてなかった私はリガからヴィリニュスに直で来てしまいましたその為日帰りでシャウレイに行くという選択肢しかなかった...たった12日間の旅行期間のため朝早くから駅に出向きシャウレイ行きの列車に乗り出発2時
絵画のような風景と十字架の丘へと続く道からの続きです。(にわか)巡礼者になった気分で、最寄りのバス停から歩くこと、約2㎞。2001年には「リトアニアの十字架の手工芸とその象徴」として、ユネスコの世界無形文化遺産にも登録された、リトアニアを代表する巡礼地に、到着しました。のどかな田園地帯で、存在感を放つ、この十字架の丘を目指して、世界中から人々がやって来ます。写真では見ていたものの、大小おびただし
シャウレイ町歩きからの続きです。翌日はバルト三国への旅行を計画した時から、とりわけ、楽しみにしていた、リトアニアを代表する巡礼地「十字架の丘」へバスで、向かいました。シャウレイの北東、約12㎞に位置し、長距離バスも発着するバスターミナルの⑫番乗り場からローカルバスが出ています。ほぼ、1時間に1本と運行本数が少ないので、利用される方は復路の時間も必ず、確認しておきましょう。窓口で、時刻表ももらえます。J
7月1日〜2週間のお休みを頂きました夫と休みを合わせ、リトアニア&ポーランド旅行へ行く事に🚗今回はかなりのんびりと準備を始め、それとなくホテルを予約し始めたのが出発前日あ、パッキングも前日(*´艸`)2人での車旅は3年前の東オーストラリア一周以来🚗(さんねんまえもうそんなに…)とにかく安全運転、無駄な車線変更と追い越し禁止そしてケンカをしないように心がける10時過ぎエストニアの自宅を出発し、お昼はラトビアのSiguldaという街で取ることにSigulda駅。小さなマーケットの中にあ