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”縁を尊び、果報を生む-①”安岡正篤「ご縁」といえば、古い言葉のようですが、やはり、人間には「縁」というものがあります。これは一番大事なもので、法華経の中に「十如是」という説があります。葬式の時に、坊さんの読経を聞いていますと、必ずこの法華経の「十如是」という言葉が、唱えられます。耳を澄ましておりますと、お坊さんが「如是相、如是性、如是体、云々」と読まれます。如是が十ありますので「十如是」といいます。これは必ずといっていいぐらい各宗派を通じて用いるものです。その「十如是」の中に、
お越しいただきありがとうございます2008年に最愛のひとを亡くしたことがきっかけで物理的なものやひとへの興味を失い、自分の内面をひたすら深くみつめ続けること15年、自分なりに見出した心理的な法則や魂とのつながり方などお伝えしておりますこのブログはクライエント様がお読みになることを想定して綴っており、セッションで使っているオリジナルの用語や、一般的な用語を独自の意味で使用したりしておりますPC版のブログ内検索(ブログ記事のページ右上にある【このブログを検索する】のところ)で語
法華経方便品第二の中の一節である「十如是」は、法華経の真髄として、天台宗の日常勤行でもよく読誦される。「仏所成就第一希有難解之法唯仏与仏乃能究尽諸法実相所謂諸法如是相如是性如是体如是力如是作如是因如是縁如是果如是報如是本末究竟等」ちなみに、書き下しは以下の通り。「仏の成就せる所は、第一の希有なる難解の法にして、ただ、仏と仏とのみ、乃ち能く諸法の実相を究め尽くせばなり。謂う所は、諸法の是(か)くの如きの相と、是くの如きの性、是くの如きの体、是くの如
【おうちで履きたい靴下、お持ちですか!】〜牡牛座シリーズ〜今日は、丸っと1日お休み。「自由な時間があるぞ!自分の仕事できるぞ」なんて考え、まだ眠たい体に鞭打って、今朝はいつもより早めに起きました。だけどなんだか、ぼーーーーーーーーーーーーーっと、やる気が起きず。。ご飯食べてみても、ストレッチしてみても、眠い。そしてふと気がつけば、おふとんのなかへ逆戻り。ストレッチ風なポーズで、お布団の中、映画見ながらうとうと…とうとう諦めて、疲れているからだと心を休ませ
こんにちはかんまにです。(^^)/数あるブログの中からわたしとのご縁を結んで下さり感謝申し上げます。また、お読みいただいて、『いいね』や『フォロー』ありがとうございます。(^^)/最近Twitterで、邪気祓いヒーラーとして活動しています。わたしのツイートは『邪気祓いの氣』を込めて発信しています。(^^)https://twitter.com/kandoumania5豪華特典付き☆学習体験型セミナー☆かんまに式【ヒーラー体質改善覚醒】健康運金運財運グレード
十如是の解説十界論、十界互具では心の変化を表しています。感情がどのようであるのかがわかるのは十界論です。十如是とはどのようなものか。如是とはこのようなと言う意味で十如是の十とは、相、性、体、力、作、因、縁、果、報、本末究竟等と言う十種類の影響【法】となります。諸法実相、所謂諸法(諸々の法の真実の姿、いわゆる諸法とは)からはじまり諸法実相、所謂諸法如是相、如是性、如是体、如是力、如是作、如是因、如是縁、如是果、如是報、如是本末究竟等。このような影響【法】を表すと説明さ
南カリフォルニアからこんにちは!さあ、今日は本題にすぐ入りましょう!仏教の教えには、「物事」や「人」は、全てが一貫しているという教えがあります。これは、生きていく上で大変参考になる教えだと思いますので、ここに載せて置きます。物事を判断する上で、自分の直感、つまり心の奥の声が聞きづらくなって迷ったら、この教えを思い出すと良いかと思います。人、物事等に当てはめて考えられると思います。ご参考にどうぞ。.仏教の法華経では、全ては一貫
梅雨が明けた地域、これからの地域、あると思いますが。災害のない梅雨はここ数年ないですね。心が痛みます。ボランティアに行こうにも、断られてしまいました。コロナ禍ですから仕方ありません。せめて寄付をと思っております。今日は「方便品:ほうべんぽん」というお経の一部に出てくる、「全てがわたしである」お話をしたいと思います。難しい言葉でいうと十如是(じゅうにょぜ)と言います。わたし自身、の全て=存在の全て①人相などの外面的特徴←顔の造作ではありませんよ。美人・不美人では
無上の悟りを得たお釈迦さまは、仏の悟りの世界はあまりにも難解で、私たち凡夫には容易に信ずることができないとお考えになりました。そこで仏道の修行者を、声聞・縁覚・菩薩の三乗に区分し、難しい教えである法華経を説くべき時期を待って、それぞれの修行のレベルに合った仮の教え(方便)を説き続けてこられました。この方便品に至ってはじめて、これまでの教えはあくまで仮の教えであり、これから説く教え(法華経)こそ最上の教えであることを明かされるのです。お釈迦さまは、方便品の中でこの世界に存在するも
【一念三千】仏の智慧は深く、その智慧の門は、入ることも信じることも難しいものです。ただ仏のみが諸法の実相(万物の真実)を見きわめています。真実においては人も物事も、如是相=その相(すがた)のようにあります。如是性=その性(性質)のようにあります。如是体=その体(形)のようにあります。如是力=その力(能力)のようにあります。如是作=その作(作用)のようにあります。如是因=その因(過去の由来)のようにあります。如是縁=その縁(置かれた状況)のようにあります。如是果=その果(
ツヨシ「仙人さん。ブッダは「怒ってはいけない」と教えますよね。怒ることは良くないことだと思いますが、、、それは、道徳上のことであって、宗教で言うことでしょうか?」仙人「朝早くから、厳しい顔をして、何かイヤなことでもあったのかい?」ツヨシ「朝起きてテレビをつけたら、毎日コロナのことばかりでしょ。暗くもなりますよ!」仙人「なるほどな。でも、暗い顔をしてたら悪魔が近寄ってくるから気をつけな!」ツヨシ「暗い顔をしたら、どうして悪魔が寄ってくるのですか?」仙人「この世は、縁起
一念三千⭐︎この世を変える力↑↑↑クリックしてね地獄あるがゆえに仏界があり仏界があるがゆえに地獄があるDr.Shu十×十の百通りの霊的な波動十×十の百通りの霊的な波動×十如是(個人の在り方)=千通りの霊的波動千如是(千通りの霊的波動)×三つの世間=人ひとりの一念の中にある三千通りの影響を与える力誰もがこの世に生きる間に進化するチャンスを持っている。仏教哲学を用いたDr.Shuオリジナル解説。収録2020年8月◉一
【諸経と法華経の比較】阿含経我空大日経等方等経我空法空般若経我空法空でありながら中道を加える。つまり、空仮中の三諦を示す。華厳経空仮の円融を示すが、唯識の立場で心によって造られると説く。法華経円融三諦を説くが、心に具わるとする。涅槃経法華経と同じ立場だけど、久遠実成の釈尊は説かず、法華経の教理には踏み込まない。【諸経と法華経の比較の解説】阿含経は諸法実相に達していないが、霊魂的なバラモン教に対応して、我空を説く。人間のどこを探しても「我」が見つからない。それでいて人間
『縁を尊び、果報を生む-①』ー安岡正篤🔯「ご縁」といえば、古い言葉のようですが、やはり、人間には「縁」というものがあります。これは一番大事なもので、法華経の中に「十如是」という説があります。葬式の時に、坊さんの読経を聞いていますと、必ずこの法華経の「十如是」という言葉が、唱えられます。耳を澄ましておりますと、お坊さんが「如是相、如是性、如是体、云々」と読まれます。如是が十ありますので「十如是」といいます。これは必ずといっていいぐらい各宗派を通じて用いるものです。その「十如是」の中に、
大乗経典が創作された時に、なんとかアーガマ経を貶めてやりたいと考えた。だがブッダその人を貶めるわけにはいかない。そこで知恵第一の弟子を卑しめる方便を思いついた。あんな、頭の良い弟子でも分からないような深遠・高邁な教えを、読んでいる私はなんて、頭が良いのであろうか、ブッダでも教えを説くのを躊躇した教えを受けている私は特別に選ばれたエリートなのだ。自己を正当化するもっとも簡単で有効な方法は他人を貶めることであるからだ。このように自己陶酔させるわけである。TVのクイズ番組で、難
天台宗において、法華経の神髄とされ、日常勤行でもよく唱えられる「十如是」は、法華経方便品の一部を抜粋した短いお経であり、天台教学をベースに成立した日蓮宗でも使われるお経だ。ちなみに原文は以下の通り。「仏所成就第一希有難解之法唯仏与仏乃能究尽諸法実相所謂諸法如是相如是性如是体如是力如是作如是因如是縁如是果如是報如是本末究竟等」その現代語訳や解説はここでは書かないけれど、以前にタイの高僧プッタタート比丘の「観息正念」の三橋ヴィプラティッサ比丘による
今この瞬間を大切にし、良き未来を受け取るために必要なことをブッダは十如是という内容で伝えています。良き結果、悪しき結果が出る時には必ず、「自分」と「縁=相手、条件、機会」が互いに結びつき、結果が現れます。ご縁によって、私の未来の結果は変化していくのです。では、良きご縁に恵まれるためには、どのような条件が必要なのでしょうか。①体②心③魂④能力⑤①〜④が働く力以上の5つは、自分の思った通りの現象として現れ、自分の内側に適した相手、条件、機会が現れます。そのご縁との結びつきによって
波動コンシェルジュあいこです。先日からFBで≪ブックカバーチャレンジ7日間≫というバトンが回ってきて、今日は立花大敬氏の『私って最高!自己否定の罠から抜け出すために』という本を紹介したんです。これは以前、心友のKちゃんがこの方の講演会に行き、わたしに買ってきてくれたもの。著書の立花氏は大学で生物工学を研究しながらも、19歳の時に禅に入門。以来、曹洞宗・臨済宗の諸老師に指導を受け、42歳の時に伊勢神宮で天命を知られたそう。内容には禅をベースにしながら、法華経の考えから想いの
ご訪問くださりありがとうございます。トミーです光静先生のオンラインサロンWEBサロン先日、光静先生がお釈迦さまの絵を描かれる様子を流してくださった。その中で十如是ってなんでしょうか?というご質問に答えられていました。十如是(じゅうにょぜ)如是相全てには姿(形)があること如是性姿(形)があるものには持ち前の性質がある如是体性質があるものには本体がある如是力本体にはエネルギーがある如是作エネルギーが働いて作用が起こる如是因作用により原因が生じる如是縁原
〖一つ一つの役割存在それぞれが意味ある集合体〗それぞれに意味があってそれぞれに意味がない空気を吐いて始まったら、空気を吸って終わるどの様に吸ってどの様に吐くか阿頼耶識という深層意識が外界を生み出す。それも又、一時の集合の瞬光まさに時空間を越える意識の証明を万人に判りやすく表現した映画「君の名は」現象である諸々の行動に於いて精神根底が精通していないと、ただの置物になってしまう。此処で言う精神根底とは判りやすく言えば、「コンセプト」価値とは共感から生まれるので、説明
永遠の生命を通じて私たちに呼びかけを続けるお釈迦様、......................久遠の仏陀釈尊の声、それが「法華経」です。釈尊が永遠のいのちを説いた「法華経」は、諸経の王と呼ばれています。そこで、大事な要点をもう一度振り返ってみたいと思います(^^)/一瞬一瞬の心の動きこそが.......◎天台の観心の継承(その3)「一念三千」とは要するに、修行者の一念(一瞬をよぎる心の動き)に三千の法界を具していることをいうのです。もともと、「一念三千」について「法華経」
赤根祥道著:法華経に学ぶより※方便品第二『法華経』を説くのをためらう唯仏と仏と乃(いま)し能(よ)く諸法の実相を究尽(くじん)したまえり。所謂(いわゆる)諸法の如是相(にょぜそう)・如是性……如是果・如是報・如是本末究竟等なり。ここまで説いてきて、釈尊は、急に黙りこみ、『復(また)くべからず。所以(ゆえ)は何(いか)ん』といって、自分が悟った法ーーこれから説こうとする『法華経』がどのようなものであるかを語る。『この法というのは、仏と仏の間だけで理解できるものであり、その法とは、この世の
今日は、お知らせですSaarahatさんと秋に行ったイベントのおいしい所をギュギュッと詰めた動画が発売中です自分の人生をもっと、もーーーーーーっと自分らしく生き生きと、喜びを持って生きていきたいどうすればいいの?と思う方に特におすすめです自分が主役のドラマの創造詳細&お問い合わせはこちらちょこっと紹介しますねタロットカードに隠された原始キリスト教の教え「悪い事は、悪い事じゃない」の意味、サアラが挑む新たなチャレンジ、五分五分だったらあ
意識の領域とは一念三千である。一念三千とは、仏教の教えの一つであるのだけど自分で説明するには難しいのでWikipediaより拝借してみた。=Wikipediaより=一念とは、凡夫・衆生が日常におこす瞬間的な心(念)をいう。三千とは法数(ほっすう)の展開である。十界が互いに他の九界を具足しあっている(十界互具)ので百界、その百界にそれぞれ十如是があるから千如是となり、千如是は五蘊(ごうん、ごおん、五陰とも)世間・仮名(けみょう、衆生とも)世間・国土(こくど)世間の三種世間の各々にわ
永遠の生命を通じて私たちに呼びかけを続けるお釈迦様、......................久遠の仏陀釈尊の声、それが「法華経」です。釈尊が永遠のいのちを説いた「法華経」は、諸経の王と呼ばれています。そこで、大事な要点をもう一度振り返ってみたいと思います(^^)/私たちの心は絶え間なく、この十界のどこかに合わしている。◎凡夫の心にある「三千の法界」「自己の心に三千の法界を具備している」という基本は、「法華経」方便品第二章の「諸法実相」、そしてそれを暗示する「十如是
永遠の生命を通じて私たちに呼びかけを続けるお釈迦様、......................久遠の仏陀釈尊の声、それが「法華経」です。釈尊が永遠のいのちを説いた「法華経」は、諸経の王と呼ばれています。そこで、大事な要点をもう一度振り返ってみたいと思います(^^)/「法華経」は、「絶対肯定」を表現しているといわれます。しかし、絶対肯定は単なる肯定ではありえません。「空」という現実の否定があり、そのうえでその否定の境地から再度現実を肯定する見方が示されるのです。「
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