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今日は防災の日。「政府、地方公共団体等関係諸機関をはじめ、広く国民が台風高潮、津波、地震等の災害についての認識を深め、これに対処する心構えを準備する日」とされていて、台風の襲来が多いとされる二百十日にあたり、「災害への備えを怠らないように」との戒めも込められています。そして、1923年(大正12年)9月1日に発生した関東大震災にもちなんでいます。新井旅館に残る昔の絵葉書浅草公園十二階十二階とは、明治期から大正末期まで浅草
京都の大原女と天の橋立の股覗きの絵葉書です。大原女の笑顔が、素敵ですね。現代では見られない笑顔が、とても良いですね。天の橋立の股覗きは、昔からやっていたんですね。しかも、着物姿で…郷愁を呼びますね。浅草寺は、今でも人気がありますが、昔も凄かったですね。この時代の服装が、風情がありますね。洋服でなく、和服の方が多いのが、今とは違うのも良いですね。☟今はありませんが、浅草の凌雲閣です。日本初だと思うのですが、エレベーターがありましたが、よく故障していて使えないので、螺旋階段を使って上り下
2016年2月に出版された、佐藤健二さんの『浅草公園凌雲閣十二階失われた<高さ>の歴史社会学』を読み終わりました。明治時代に建てられ、関東大震災で8階以上が崩れ落ち、工兵によって爆破された建物、凌雲閣について書かれた本です。爆破の模様を寅彦さんも、見物しに行っていたようです。物理学者だから興味ありそう。本の後半は、建設計画や出来事が新聞などに掲載された文章を紹介しながら、時系列で説明しています。十二階の研究者喜田川さんの語りもあり。目玉だったエレベーター(エレベー
大正時代大金持ちの息子タマヒコ様は交通事故で右手が使えなくなり父親に捨てられるように田舎へ引きこもりますそこへユズという14歳の女の子はお嫁さん兼お手伝いとしてタマヒコの所へお金で買われてやってきます純粋で愛らしいユズはタマヒコ様や義理の妹、村の人々など心を溶かしてゆきますタマヒコ様が我儘で序盤はイライラしまくりでも古風な絵柄と言葉遣いが朝ドラみたいに癖になるの大正ロマンってあるよね映像も風景が水彩画みたいでとても綺麗だし顔も嫌いじゃない
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先日ポチッた本が昨日の配信前に届きました知らなかった浅草が盛りだくさんです所々に現在の風景も入れてありますねこれだけ沢山の絵葉書があるとは…凄いとしか言えないですこれからゆっくり見ていきますよ~
先々週、山口市秋穂を訪ねたRieruです★その後湯田温泉にあるジェラート専門店『ペロ』さんへ行き、美味しいジェラートに舌鼓を打った後、山口県立山口博物館へ。はい、椎さんが予めネットで予約をしておいてくれました。少し早い時間に着きましたが、空いているのか?予定時間より早く案内されました。ワーイ!楽しみすぎるー!(←子どもか?)こちらでは特別展の前に、常設展示が観れます。観た事あるけど久しぶり目の前にすると、新鮮なものがあります。例えば、この『エジソン電球(複製)』。竹の繊維をフィラメ
明治24年(1891)7月に浅草凌雲閣で開催された〈日本初のミス・コンテスト〉〈元祖AKB総選挙〉の「東京百美人」で、小川一眞に撮影された新橋芸妓の伊勢屋とん子。当時16歳。その頃の芸妓は、まさに現在の〈会いに行けるアイドル〉的な存在だったことが分かる。
手元にある、明治期の浅草十二階こと凌雲閣の写真絵葉書。看板を見ると「東京百美人写真」が展示中であることが分かる。
手元にある、明治24年3月の「東京名勝浅草公園凌雲閣之真景」の刷り物。〈閣内に電気の器械を設け観客を昇降なさしむ〉とあり、日本初のエレベーター(エレベートル)のことが紹介されている。この時のエレベーターは間もなく廃止され、大正に入って復活している。左奥に花屋敷の奥山閣、右奥に浅草寺の本堂と五重塔が見える。
こんばんはいつもお読みくださりありがとうございます今日は簡単に"とつけむにゃあ"は"とんでもない"ということらしい!そうかあ第3話汽車のシーン、好きなのですが映画『銀魂2』を思い出します!このドラマでは獅童さんが、すごいお顔になってましたけども色々たのしいなあハマってきている予感…※画像加工しております↑こちらは1話より十二階のある風景。素敵。それでは素敵で無敵な夜をお過ごしくださいませ!また
こんにちはいつもお読みくださりありがとうございます大河ドラマ『いだてん』見はじめました☆憧れの十二階!や当時の街並みすき!そこに役者さんたちが生き生きと!ワクワクします!寄席の雰囲気なんかあ、行きたいなって思えてすてきすてきすてき芝居小屋も登場するかなあ歌舞伎すきとしてはね、それも楽しみだったり1話2話見て時を経て金栗さんがジゴローさんに抱っこしてもらえて良かったああああああと号泣獅童さんのおにいちゃまにもなみだ両ヒロインのかわいさとか足袋だ!役所さんだ
手元にある、昭和初期の浅草・旧十二階下の水泳場跡で興行された〝拳闘ト拳闘柔道ト拳闘大試合〟〝超人的大冒険怪力技公開〟のビラ。日本人の柔道有段者と英米獨仏露の拳闘選手が出場し、当時〝柔拳〟と言われた柔道対ボクシングの異種格闘技戦やボクシング試合、レスリング試合が行われた他、写真にあるような鉄鎖切断、自動車背上通過などの怪力技・超人技も披露されたようだ。主催は東京拳闘協会。顧問には、日本における民間の国家主義運動の草分け的存在で右翼の巨頭であった頭山満の名前も見られる。同じく顧問の小泉
ホッピー通りの正ちゃんを出て、歩いて山谷方面へ。途中、浅草〈凌雲閣〉跡地の前を通っていく。今年2月の工事中に十二階こと凌雲閣のレンガ造基礎が発見されたのを記念して、そこに立てられたビルの壁面に十二階の絵図を拡大して表示し、その下に発掘されたレンガが展示されている。台東区教育委員会の協力で凌雲閣基礎遺構図を含めた解説プレートが表示されているのも良いことだね。
手元にある、明治中期の浅草公園第六区常盤座のビラ。十二階、花屋敷、パノラマ館、撃剱、常盤座など当時の浅草六区の名物を折り込んだ浅草拳と共に、百姓大隠居の十作中村嘉十、庄屋正直正右エ門勝川又吉、畦端のおいろ婆ァ市川紅車という三人の役者の姿が描かれている。〈浅草の観音さまは一寸八分高いは高塔十二階植六四季の花屋敷虎はまじめでよつんばい景色は油絵パノラマ館撃剱ヤットウ志ない(竹刀)打ち常盤座芝居は大勉強年がら年中休みなしつづく延喜(演技)り繁盛のお蕎麦は更科手打ちでまいり
手元にある、明治期の浅草・十二階こと凌雲閣の鶏卵紙写真。凌雲閣は明治23年(1890)に竣工し、大正12年(1923)の関東大震災で半壊するまで、浅草のシンボルタワーとして親しまれた。明治44年(1911)には、通りに面した門から入口までの間に十二階演芸場が建てられた。今年2月に、浅草2丁目のビル工事現場から凌雲閣の基礎部分の煉瓦と八角形の土台のコンクリートの一部が掘り起こされたのは記憶に新しいところだ。
手元にある、明治20年から大正12年の関東大震災まで浅草・花屋敷(花やしき)内にあった五層楼の奥山閣(鳳凰閣とも言った)の立体写真。奥山閣は明治23年に建てられた凌雲閣(十二階)と共に浅草のシンボルタワーとして親しまれ、最上階には客寄せのために蓄音機が置かれていた。今ならVRを売りにするようなものか。
今日は昼前から、おかみさん会発行の冊子「おかみさん」の浅草トリビア特集取材撮影のため、浅草公会堂前~木馬亭前~花やしき前~十二階跡~ひょうたん池跡~ロック座前~東洋館前~仁丹塔跡など六区周辺を撮影して周りました。
手元にある、昭和37年に開催された納札文化保存会による「浅草よもやま咄」。十二階、三館共通、花やしき、ひょうたん池、ルナパーク、江川玉乗り、金車亭、松井源水、木村時子、東橋亭、長井兵助、生駒雷遊、宮戸座、十二階下、オペラ館、カジノフオリー、田谷力三など浅草関連のキーワードが並んでおり、僕はこれら全てに関する当時の資料の現物を所有している。
手元にある、大正期の浅草十二階こと凌雲閣と劇場街を撮影した二枚の写真絵葉書。ほぼ同じ風景の中で一ヶ所だけ大きな違いがある。さて、何か、お分かりでしょうか?正解は、上の写真で凌雲閣の手前にある遊楽館(もとは浅草国技館)が下の写真では無くなっていることだ。一番左の落語常設館と書かれているのが萬盛館で、ここは昭和に入って吉本の東京花月劇場になった。その右が東京館、キネマ倶楽部、玉乗りの江川大盛館である。
手元にある、浅草十二階こと凌雲閣の写真絵葉書。六区の通りの突き当たりに十二階と書かれた入口があり、演芸場が作られていた。その右隣りは、もともと浅草国技館として作られて映画館に転じた遊楽館だ。この辺りは、のちに吾妻座、昭和館、浅草東映を経て現在はパチンコ屋に。右の手前には江川の玉乗りが見える。
手元にある、浅草十二階こと凌雲閣から、瓢箪池を見下ろした風景写真絵葉書「上空ヨリ俯瞰セル浅草公園全景」。右下の建物は浅草国技館(のちに遊楽館)で、右上の白い建物がオペラ館だ。今、瓢箪池の手前はウインズ浅草、向こう側はまるごとにっぽんになっている。
明治24年(1891)7月に浅草凌雲閣で開催された〈日本初のミス・コンテスト〉〈元祖AKB総選挙〉の「東京百美人」では、小川一眞が撮影した東京の有名芸妓百人の写真が展示され、人気投票が行われた。見事2,162票を集めて一等となったのが、17歳の新橋の芸妓の玉川屋玉菊であった。さすが、可愛いね。百人の写真は、凌雲閣と書かれた団扇を手に、横には凌雲閣と書かれた扇子が飾られ、同じセットとほぼ同じポーズで撮影された。
手元にある、震災後浅草十二階爆発後の残骸と群集の写真絵葉書。95年が経とうとしている今、凌雲閣跡の工事現場から基礎部分のレンガが見つかり、多くの人が集まったことに不思議な感慨を覚えた。
大正期の浅草十二階演芸場の公演プログラム。舊派やバンカラ滑稽など。ここに名前のある都櫻水、有田松太郎、バンカラ辰三郎、港家小龜などについては正岡容らが書き残している。〈最新大望遠鏡〉〈美人のお給仕〉〈サイダーの接待〉〈エレベーター開業(片道三銭往復五銭)〉。
浅草十二階こと「凌雲閣」の基礎部分とみられるレンガと八角形のコンクリートの土台の一部が見つかった浅草二丁目の工事現場へ。多くの人たちが見に来てました。
株式会社EwilJapanの社長飯島邦夫が、日本初のエレベーター付きの建物。関東大震災で倒壊した“凌雲閣十二階”の基礎部分が工事現場で発見との知らせがあったと報告した!http://time-az.com/main/detail/63190場所は米久の裏辺りです。赤いレンガが当時の建物の色かもしれないと伝えている。文化財発見である。浅草に12階建てで、初めてエレベーターを導入した凌雲閣は、1890年11月13日に完成した。10階までが八角形の総レンガ造りで、1