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『苦』もない『楽』もない人生なんて人を苦しめるものの1つに『執着』ってものがある。お金名誉地位愛情なんかも『執着』を生み出してて一時は『安心・安堵』を得られるものの無くしてしまう怖さに不安を感じたり強く『執着』するあまり周りと衝突したりなどいいことばかりではないみたい『執着』をなくせば『幸せ』なのだろうか
「人生は修行の場」とは良く耳にする言葉ですね。しかしその意味はと問われると何をするのかが不明瞭で何となく・・・という人が多いと思います。私が考える人生の修業というのは単なる技術の習得ではなく、究極的には自己の内面を見つめ続けること。どんな環境の中でも自分を見失わず、自分自身の心の動きをしっかり観察することができれば、人生において大きな気づきを得られると思います。内観という自己観察を徹底することで、真の自分を理解できるようになります。それが、修業の本質だと思います。自
苦の正体を知る苦とは十二縁起より生ず「縁りて生ず」あなたがいるからわたしがいる「これあればこれあり、これ生ずればこれ生ず」これを順縁といいその逆は「縁らずば生ぜず」「これなければこれなし、これ滅すればこれ滅す」逆縁というつまり苦の正体はあらゆる物を持つがために生ずるのです。生まれて来ることは肉体を持って来るわけですから生まれて来ること自体が既に苦ということになります。では亡くなれば苦は無くなるかというとそうではありません。肉体は手放しても生前中
六道輪廻図(バヴァチャクラ)六道輪廻図というものが絵画がチベットやネパールにはあり、視覚によって仏教をわかりやすく伝えてくれています。サンスクリット語で言うと「バヴァチャクラ」、英語で言うと「ホイールオブライフ」とう言い、生命の車輪を意味します。なにやら恐ろしい怪物に車輪をつかまれ、どうやらその手中で我々の生命は回転しているようです。※ネパールのKhachoeGhakyilLingNunnery(カチョーガキルリン尼僧院)の壁画それでは、その車輪の内外に何が描
悟り一般的に言う「悟り」の中身は無我(或いは非我)なんだね。これが禅が求める「悟り」であり、多くの人が希求し、瞑想をする目的です。無我と非我の違いについては無我・・・今までの自分が消滅した(道元の言う心身脱落)非我・・・真我では無い(お釈迦様はこちら)通常、何かを知る。何かに気がつく事を「その時、コナンはターラーが犯人で無いことを悟った」などと表現しますので、「悟る」というのは「知る」とか「気づく」と言う意味合いを持っています。自分は無いと気がつい
2024年10月17日我々は、五感(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚)で感知された対象は実在していると素朴に考えている。これを「素朴実在論」という。直接の感知のみではなく、人間の直接的な感知が不可能な対象を、高度な機器を使用することにより人間の感知が可能なものに転換して間接的に感知した対象も、実在と考えている。(例えば放射線)さらに、感知された現象から演繹される対象も実在と考える。(例えば感知される以前の素粒子)このような「素朴実
お気づきかと思いますが、すべてに命がついています。天命は天からの命令で、天使は天の使いなので神使とは言いません。「人事を尽くして天命を待つ」とは、神との契約を(天地神明)守って、与えられた仕事を真面目に行えば、「お告げ」があって、一生かけて行わなければならない使命が来ます。😲😲八百万の神の意味です。その後に「果報は寝て待て」は、何もしないのではなく、寝ている時にスイッチが、あの世の幽体に入り潜在意識が中心となり、問題提起をすれば、その答えが朝起きた
無無明むむみょう亦無無明尽やくむむみょうじん乃至無老死ないしむろうし亦無老死尽やくむろうしじん(私訳)迷いの世界の姿を十二に分けて説いた十二因縁の要素もみな一つ。関わり合いつながり合って一連である。*十二因縁(十二縁起)=迷いの世界の姿を無明(むみょう)•行•識•名色(みょうしき)•六処•触•受•愛•取•有(う)•生(しょう)•老死の十二の因果関係から説いたもの。*無明=無知。真理に暗いこと。苦の根源。*老死=苦悩の代表である老いと死のこと。【十二因縁】〜浄土宗
今日の一日一読は第六章「関係についてーその無限構造の論理」に入って、183ページまでにしました。ここでは以前出た「縁起」に関して、「関係」を軸に解説されていました。竹村先生によると、縁起の立場に立つと、「世界の現実は、超越的主宰者によって操作されているのでもないし、あらかじめすべて決定しているという運命(決定論)によるのでもないし、またまったくの偶然によるのでもない、ということになる。」(180ページ)と言えるらしいが、根本的に大事だと感じたのは「人びとの主体的行為が、その人自身のあり方を
瀧本先生のラジオは毎週月曜日の23時からと、毎週土曜日朝8時から再放送されます。こちらのURLからラヂオきしわだのラジオが視聴できます。http://www.radiokishiwada.jp/simul/-------------------今日はご相談からスタートです。〜〜〜ご相談〜〜〜十二因縁という言葉をいくら調べても難しくてわかりません。あるお坊さんに自分の苦しみを相談したら「十二因縁だからね。」と言われましたがさっぱりわかりませ
最近、当院は根本原因を施術する的なホームページや、根本原因を治療する方法を教えますというようなSNSの広告をよく見かけるようになった。もっとも私自身のホームページも「あなたのその症状の隠れた原因を、もう一度一緒に探してみませんか。」というキャッチフレーズなのだが。根本原因を治すという原因療法家は、例えば痛み止めの薬やブロック注射のことを指して対処療法という言い方をしている。症状を追いかけるだけで原因を追究していないと。本当にそうだろうか?たとえばどこかに炎症が起こって痛みが出
十二縁起(十二因縁)1)無明→2)行→3)識→4)名色→5)六入→6)触→7)受→8)渇愛→9)取→10)有→11)生→12)老死憂悲苦悩一般的には、十二縁起は1)から順に12)までひとつずつ前の因子が次の因子の原因:因となり、次の因子は前の因子の結果:果になっている。1)の無明が大元おおもとの原因となり12)の最終的な苦悩が順々の因果のつながりの結果として発生する、
人生を豊かにする仏教の知恵【目次】1.原始仏教は幸せ哲学2.現実世界や人生の捉え方3.煩悩:幸せな人生を妨げる心4.幸せに生きるスキル5.仏教と関係の深いセラピー原始仏教について、色々と調べていたらこんな素敵なホームページを見つけてしまいました・・・素敵過ぎて、仏教の記事を書く意欲が萎えかけましたが、私は仏教の知恵を実生活に活用する着眼点で続けます。これは、「言い訳」という煩悩かもしれませんが・・・https://buddha.pink/煩悩
暑い日が続いておりますが、いかがお過ごしでしょうか?ミャンマーで有名なモーゴゥサヤドーはヴィパッサナー瞑想をする前に十二縁起をしっかりと理解するようにと指導していました。縁起の理解によって永遠の魂があるという常見と死んだら終わりだという断見を取り除きます。本当に瞑想を通して縁起の法を理解できれば悟るのでしょうけれども、少なくとも知的レベルであっても理解する必要があると思います。6月16日の瞑想会では縁起についてお話させていただきたいと思います。会場が天王寺区民会
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もう少し短くまとめた新しい記事はこちらをクリックして下さい。十二縁起(十二因縁):前編1)無明→2)行→3)識→4)名色→6)六入→6)触→7)受→8)渇愛→9)取→10)有→11)生→12)老死憂悲苦悩「十二縁起から五縁起へ」という記事で、十二縁起について考察した。考察するうちに色んなことが観えてきて、かなりスッキリと自分なりに理解が
https://nyabecch.blogspot.com/2018/10/1.htmlhttp://nyabecch.blog47.fc2.com/blog-entry-4045.html
十二縁起から五縁起(または三縁起)へ(わたしの縁起論から)[十二縁起]1)無明→2)行→3)識→4)名色→5)六入→6)触→7)受→8)愛→9)取→10)有→11)生→12)老死憂悲苦悩1)無明無明とは、真理を知らないことである。真理とは、あるがままのことであり、三相(無常・苦・無我)のことである。無常:この世のことはすべて変化し、生じては滅し、移ろう。永遠には続かない。あなたもわたしも、永遠には続かない。苦:この世に生きてい
知らざるの無明(むみょう)に知らむの行(ぎょう)立ちて十二縁起(えんぎ)を知らずて出でむ
私の縁起論(縁起という見方)[四聖諦]まず自分の中にある「苦(苦悩)」を認めることが、幸せへの道のスタート地点であり、仏教の始まりであった。苦悩には原因(集)があり、正しい(適切な)八つの修行である「道」を行えば(マインドフルな生き方をすれば)原因を消し去り、その結果として苦悩をなくす(滅)ことができる。『苦と行と苦悩の「勝義諦」』という記事の中で、この原因(集)は「行(サンカーラ)」であり、行とはリアルな現実の「苦という受」を否定しようとして人類が発展させてきた非リアルの(
古に御仏林に入り給ひ御供の弟子らに斯く告げ給はく此処に落ちたる落ち葉をよ掴み数へよ弟子しやがみ落ち葉掴みて数数へ仏に答へ奉りたり答聞き御仏次に問ひし給はく此の林落ちたる落ち葉の数はし如何弟子答ふその数誰が得数へませうや御仏は此を聞き弟子らに斯く説き給はく我説くは一掴みのよ落ち葉の如くよ我知るは林の落ち葉の如くなるをと御仏はまた斯くの如説き給ひたりすべてをば残さず説くは叶わぬに仏に成る道のみ
一昨日、テレビで映画『君の名は』を放送していましたね。それで思い出したことがあって、何年か前、友人がこんなことを言っていました。その友人ははとても深く目覚めている人で、「名前って、何やろねえ?なんか名前にすごく違和感を感じるんだよね」って。それは、よく理解できますね。私も自分の名前を呼ばれても、自分という感覚がないし、自己紹介で自分の名前を言ったところで、それが自分という感覚がないんです。すごく違和感があるんです。じゃあ、改名したら?と思われるかもしれませんが、そういう
門門不同八万四(もんもんふどうはちまんし)それぞれに異なる仏教「八万四千」の法門は、為滅無明果業因(いめつむみょうかごういん)「無明」によって生じる「業」を消滅させます。利剣即是弥陀号(りけんそくぜみだごう)利益をむさぼる剣「利剣」を、すぐに弥陀の名前「名号」にもち変えて一声称念罪皆除(いっしょうしょうねんざいかいじょ)ひと声、念仏(南無阿弥陀仏)を称えるなら、罪はみな除かれます。八万四千・・・仏教の経典の数。無明・・・十
十二縁起(十二支縁起、十二因縁)とは、お釈迦さまが苦しみの原因を見つけ出したときの十二個の因縁関係のことです。老死→生→有→取→愛→受→触→六処→名色→識→行→無明人間が老死で苦しむのは、感情が生じるからで、感情が生じるのは取るからで、取るのは愛があるからで、愛があるのは受けるからで、受けるのは触れるからで、触れるのは六処があるからで、六処は名色により、名色は識により、識は行により、行は無明に縁ります。無明→行→識→名色→六処→触→受→愛→取→有→生→老死老死とは、この世の
【仏教用語集】※少しずつリンクを増やしていきます三宝(仏・法・僧のこと)仏・・・真我・ワンネス・大日如来・阿弥陀仏・宇宙のこと法・・・真理のこと僧・・・僧団・仲間のこと三法印(四法印)諸行無常諸法無我一切行苦涅槃寂静四諦(四聖諦)苦諦集諦滅諦道諦十二縁起無明(現象が無我であることを知らない根源的無知)行(潜在的形成力)識(識別作用)名色(心身)六入(六感覚器官)触(接触)受(感受作用)愛(渇愛)取(執着)
とにかく生きていたいとかとにかく幸せになりたいってエゴでしょう?渇愛でしょう?苦しくなるでしょう?普通に「幸せに生きたい」はいいのにね。師匠に初めてお会いした時、「仏教ゆうてもあまり頭でっかちになるな。せいぜい十二縁起までにしとけ」と言われました。10年経ちました。師匠、十二縁起これから習います。