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七曰七に曰く、人各有任人おのおの任あり。掌宜不濫掌(つかさど)ること、濫(みだ)れざるべし。其賢哲任官それ賢哲、官に任ずるときは、頌音即起頌(ほ)むる音(こえ)すなわち起こり、奸者有官奸者(かんじゃ)、官を有(たも)つときは、禍乱則繁禍(わざわい)乱(みだれ)すなわち繁し。世少生知世に、生まれながら知るひと少なし。剋念作聖よく念(おも)いて聖となる。事無大少事、大少となく、得人必治人を得てかならずおさまる。時無急緩時、急緩(きゆうかん)となく、遇賢
五曰五に曰く、絶餐棄欲あじわいのむさぼり<餐>を絶ち、たからのほしみ<欲>を棄てて、明弁訴訟明らかに訴訟(うつたえ)を弁(さだ)めよ。其百姓之訟それ百姓の訟(うつたえ)は、一日千事一日に千事あり。一日尚爾一日すらなお爾(しか)るを、況乎累歳いわんや歳を累ねてをや。頃治訟者このごろ訟を治むる者、得利為常利を得るを常とし、見賄聴謔賄(まいない]を見てはことわりもうす<謔>を聴く。便有財之訴すなわち財あるものの訟(うつたえ)は、如石投水石をもって水に投ぐる
一曰一に曰く以和為貴和をもって貴しとし無忤為宗乍(さから)うことなきを宗とせよ人皆有党人みな党(たむら)あり亦少達者また達(さと)れる者少なし是以ここをもって或不順君父あるいは君父に順(したが)わず乍違于隣里また隣里(りんり)に違(たが)う然上和下睦かれども上和ぎ下睦びて諧於論事事を論(あげ
本日は旧暦の3月14日ですが、新暦に替わる前の明治元年三月十四日(1868年4月6日)、五箇条の御誓文が渙発されました。明治天皇が天地神明に誓約する形で公卿や諸侯に示した政府の基本方針です。これは昭和天皇が終戦後に「新日本建設に関する詔勅」で引用されており、内容からしても政治家はもとより日本中で今でも意識したい内容です。五箇条の御誓文一広く会議を興し、万機公論に決すべし。一上下心を一にして、さかんに経綸を行うべし。一官武一途庶民にいたるまで、おのおのその志を遂げ、人心
第三十三代推古天皇は、飛鳥時代の天皇です。また、日本初のみならず東アジア初の女帝です。ただし神功皇后を入れれば、神功皇后こそが初の女帝なんですけれども・・・。現在の歴史教育できちんと天皇として最初に教えられる天皇として、日本人なら誰もが知っている天皇でもありますが、既にこの時三十三代目となっています。何事も始めがあるわけですから、突然天皇が登場する歴史教育はやはりおかしいと言わざるを得ません。御名は額田部(ぬかたべ)、豊御食炊屋姫(とよみけかしきやひめ)。欽明天皇十五年(554年)
今週末いよいよ臨済宗佛通寺派大本山佛通寺様にて広島県立世羅高等学校書道部の皆様による世界平和と能登半島地震被災地の復興を願っての奉納揮毫が行われます。4月20日(土)午前11時〜会場:佛通寺大方丈桜の花の次は新緑の美しい季節是非お参りにいらしてともにお祈りくださいませ。主催和プロジェクトTAISHI聖徳太子が制定された「十七条憲法」第一条で強調する「和」の精神は、世界が今、最も必要としている思想です。十七条憲法制定の日4月3日にちなんだ4月に、全国で42ヶ寺と杉
本日は歯のメンテナンスの日。3ヶ月に一度行くのだが前回飛んで半年ぶり。おかげで若干歯茎の腫れを感じる今日この頃でしたがスッキリしました。そしてまだ12時。前々から行ってみたかった四天王寺へ行くことにしました。天王寺と言えば聖徳太子。「和を以て貴しと為す」という十七条憲法の第一条は今の日本人の精神に深く刻み込まれている気がする。平日の天王寺はがらがらでゆっくり参拝ができる。過去にどんな偉人がここを訪れたのだろうかと感慨にふけながら境内を歩く。天気は快晴、桜もまだ残っており
今は根気が必要ですみなさん、おはようございます嵐のような雨も去り再び春がやって来た感じです新年度のスタートはいかがでしょうか根気続けることも大切ですとりあえず5月の連休まで今の環境を続けてみるのもいいでしょうアリガトウ「4月10日」の國史です「聖徳太子、摂政になる」推古天皇元年(593年)用明天皇(31代)の皇子聖徳太子は推古天皇(33代)の摂政となります大臣は蘇我馬子です聖徳太子は、政体は蘇我氏にゆずっていい国体(=國體)を守ろうと
十七条憲法は、訓戒!今から1420年前の本日、604年4月3日は、十七条憲法が制定された日でした。https://profile.ameba.jp/ameba/warmheart2003アメブロのブロガー、ナベちゃんの徒然草さんが、本日2024年4月3日5時47分7秒に投稿しました。アメリカバイデン政権やパヨクマスコミが異常に持ち上げている上川外相は、外務省の役人の代弁をするだけ、中国や北朝鮮の脅威から国民を守ろうとする姿勢は、全く感じられません。国会答弁聞いていて、本当に腹立たしくな
皆さんにも、学校で聖徳太子の偉業のひとつとして十七条憲法があったことを習った方も多いでしょう。これが制定されたのが、今からちょうど1,420年前の今日・604(推古天皇12)年4月3日といわれています。その根拠は、『日本書紀』・『先代旧事本紀』の推古天皇十二年四月三日の条に〝夏四月丙寅朔戊辰皇太子親肇作憲法十七條〟と記されているから。(皇太子は厩豐聰爾皇子すなわち聖徳太子のこと。)しかし十七条憲法という固有名詞は憶えていても、その中身につ
厩戸豊聡耳皇子命(うまやどとよとみみのみこのみこと)、斑鳩宮(いかるがのみや)に薨(かむさ)りましぬ。是の時、諸王、諸臣、および天下の百姓は、ことごとく、長老(おきな)は愛児を失うがごとく、塩酢之味口(あじわいくち)にあれども嘗めず、小幼者は慈しめる父母を失うがことく、哭(な)き泣(いさ)つる声、行路に満てり。すなわち耕夫は耜(すき)を止め、春女は杵(きおと)せず。皆いわく、日月輝を失いて、天地すでに崩れぬべし。今より以後、誰をか恃(たの)まん哉。日本書記では、聖徳太子薨去のありさまを上記
第八十八代後嵯峨天皇は鎌倉時代の天皇です。後嵯峨天皇の二人の皇子により、朝廷は二つに別れていきました。これが南北朝時代、また後南朝まで続く200年に渡る大乱の原因となっていきます。承久二年(1220年)生。御名は邦仁(くにひと)。御父は土御門天皇、御母は源通宗の娘通子。在位、仁治三年(1242年)~寛元四年(1246年)。土御門天皇の第三皇子の邦仁王は、承久の変で父が自ら土佐に流された時は二歳で、母の叔父や祖母のもとでひっそり暮らしていました。二十歳を過ぎても元服せず出家する予定だ
天慶三年二月十四日(940年3月25日)は、平将門公が亡くなられた日です。新暦以前に起きたことは、基本旧暦の日付でアップしている本ブログです。平将門公とは、日本の三大怨霊に数えられており、今では神社の神様ともなっている歴史上の人物です。三大怨霊とは、年代順にいうと、菅原道真公、平将門公、崇徳天皇となります。このうち、菅原道真公は学者の家系から右大臣にまでなったお方で、皇族以外で最大の怨霊となりました。平将門公は京都に遷都したことで有名な桓武天皇の孫の高望王が、宇多天皇の勅命により臣籍降下し
日本交渉協会Podcast「トレードオンの交渉学」に引き続き、今般、燮(やわらぎ)会の特別講演動画として、別途収録された講演が日本交渉協会のHPで公開されました。(燮(やわらぎ)会は、交渉アナリスト1級会員限定の交渉勉強会です)燮(やわらぎ)会特別講演動画「日本の歴史に見る統合的解決のヒント~調和・融合の世界~」田口泰規氏|特定非営利活動法人日本交渉協会日本交渉協会Podcast「トレードオンの交渉学」では、2月17日から3回にわたり、弁護士であり日本交渉協会相談役(交渉アナリス
【十七条憲法と敬神の詔】〜十七条憲法に敬神が表記されなかったわけ〜聖徳太子は、新しい国のしくみを整えることに取り組みました。色々な豪族たちの中から能力のある者をとり立て「役人」としたのです。豪族と言っても十人十色、氏族の違いもある構成ですから、役人の心がまえを示すために、聖徳太子が自ら定めたといわれるのが十七条からなる憲法です。この当時、仏教という宗教を取り入れたのは、当時の国の政策です。また、敬神とはそれ以前から普通に行われてきた信仰であり、神道は宗教ではありません。憲法十七条に
『Let'sstartbytalking』—日本が誇れる合言葉—語りかけが肝というのは、太古の昔から言い聞かされたことだったりくつが整合するよう、睦まじく話し合って何事も決めてきた日本合言葉は、和を以て貴しと為し、忤ふること無きを宗とせよだったわかりあうまで論じ是非を弁えてゆくならば道理に適うはずであるなかったことにして水に流すのも清々しく輝かしい未来への第一歩けして恩義などを忘れたわけでもなく、リスペクトして敬ってきたれきしに思想や
聖徳太子の「和」は議論の重視…中華帝国への独立の気概|賴住光子テンミニッツTV-1話10分で学ぶ大人の教養講座#賴住光子#日本史#聖徳太子続きはコチラ⇒https://10mtv.jp/pc/content/detail.ph...テンミニッツTVについて⇒https://10mtv.jp/lp/v21/?utm_source=y...「和を以て貴しと為(す)」に始まる聖徳太子の「十七条憲法」。これほど有名で、内容の一部も広く知られている日本
仏法僧を篤く敬え十七条憲法
しっかり雨が降っている中、法隆寺へ行ってきました。何年ぶりかなあ?🤔主人と2人で、ゆっくり参拝しました。何年か前に訪れたときも確か…梅の花が咲いていた。雨だから、人があまりいないかな?と思ったけれど、さすが法隆寺です。いくつか団体様が参拝されていました。ゆっくり見た後は、久しぶりにおみくじをしました。十七条憲法が書かれている干支みくじ。私が取ったおみくじは、、、十七条憲法第十条『いかりをたちいかりをすて、ひとのたがふをいからざれ(前文)』〈現代意訳〉こころの怒りをなく
聖徳太子(厩戸皇子、厩戸王)聖徳太子(しょうとくたいし)本名については同時代史料には残っておらず、和銅5年(712年)成立の『古事記』では「上宮之厩戸豊聡耳命(かみつみやのうまやとのとよとみみのみこ)」とされている。また養老4年(720年)成立の『日本書紀』推古天皇紀では「厩戸豊聡耳皇子命(うまやとのとよとみみのみこのみこ)」とされているほか、用明天皇紀では「豊耳聡聖徳」や「豊聡耳法大王」という表記も見られる。別名:上宮王、豊聡耳、上宮之厩戸豊聡耳命、厩戸豊聡耳皇子
😊まずは笑って幸せ先取り🍊笑いヨガリーダー笑ちゃんです💞おかえり〜🌈ゆっくりしていってね✨今日も、笑ちゃん流、人生の楽しみ方伝授します✨✨✨公式LINEが新しくなりました😊癒しの家響オンライン笑いヨガ笑の輪くらぶの情報などいち早くお知らせしますので、ぜひ登録お願いいたします✨以前の公式LINEに登録してくださっていた方も、改めてこちらに登録お願いいたします😊✨登録者数11名になりました✨11/15の喫茶室で抽選会を開催しました✨次は25名を目指してまた楽しい企画
朝の雨はなんだったのかというぐらい昼はいい天気になった。昨日のエントリーを上げた後にニュースをチェックしていたら、+++++++++++++習氏「1ミリも領土は譲らない」尖閣諸島の闘争強化を指示中国の習近平国家主席が11月下旬、軍指揮下の海警局に対し、沖縄県・尖閣諸島について「1ミリたりとも領土は譲らない。釣魚島(尖閣の中国名)の主権を守る闘争を不断に強化しなければならない」と述べ、領有権主張の活動増強を指示したことが30日、分かった。これを受け海警局が、2024年は毎日必ず尖
2章に入ります。流れが分かると歴史ってとても面白いですよね。法隆寺と聖徳太子この時代に、日本は独立した国として歩み始めます。第33代推古天皇を摂政(君主に代わって政務を行う)として補佐したのが聖徳太子です。聖徳太子は、隋と良好な関係を保つため、遣隋使を送ります。その時の国書に「日いづる処の天子、署を日没する処の天子に致す、恙無きや」と記し送っています。これに、隋の皇帝は激怒します。「天子」は中国の皇帝を意味する言葉で、世界で唯一の存在だからです。聖徳
去年までは、毎週サテライト事業所に巡回に行っていたのが、今年は業務内容の変更で、すっかり行かなくなった職場の近くのお寺の掲示板。今日は久しぶりにサテライト事業所に行ったついでに、しっかりとお寺のメッセージを拝見させて頂きましたまずは、浄土宗瑞泉寺のお寺の掲示板です。高いつもりで低いのが教養低いつもりで高いのが気位では、続いて、真宗大谷派通入寺のお寺の掲示板です。
第三十二代崇峻天皇は古代飛鳥時代の天皇です。御父は欽明天皇、御母は蘇我小姉君。御名は泊瀬部皇子(はつせべのみこ)。在位、用明天皇二年(587年)から崇峻天皇五年(592年)。泊瀬部皇子は欽明天皇の第十二皇子で、兄には異母兄の敏達天皇と用明天皇がいます。敏達天皇の後即位した用明天皇が数年で崩御されると、物部守屋が即位させようとした泊瀬部皇子の同母の兄、穴穂部皇子を蘇我馬子が殺してしまいました。そしてその後物部氏も攻め滅ぼしたのです。泊瀬部皇子はそれから即位しましたが、わずか
こんばんは。今日は0の日、夜のワンオラクルです。本日はこちらで行います。推古天皇12年(西暦604年)に聖徳太子が作ったとされる十七条憲法を、現代語で一言解釈した栞です。法隆寺4枚並んだ栞の中から1つお選びください。よろしいですか?1枚目第三条上の者に習いなさい2枚目第二条三宝(仏・法・僧)を敬いなさい3枚目第十六条時期をよく見計らいなさい4枚目第十五条私利私欲に走ってはいけません最後にアドバイスです。第十四条嫉妬の気持ちを持ってはなりません
最近私が感銘を受けた文章があります。それが聖徳太子の十七条憲法です。十七条の憲法自体は、小学校の社会科の歴史の教科書から登場します。その内容について解説されることはほぼありません。しかし読んでみると、十七条の憲法はこれまでご先祖様たちが大切にしてきた価値観が強く反映されていて、今の時代にも通ずる大切な内容が多く含まれています。この度、特に私が感銘をうけ考えされられた第十条について紹介したいと思います。<原文>十に曰いわく、忿いかりを絶たち瞋いかりを棄すて、人の違たがう
「和を以て貴しとなす(わをもってとうとしとなす)」ブログのタイトルが思いつかず、とりあえず聖徳太子が十七条憲法の冒頭に掲げたこの言葉をタイトルにしてみました。後で変えるかもですがこの言葉には「和を大切にしなさい」という意味と「話し合いを大切にしなさい」という意味があるそうです。和(やわらぎ)を大切にすることは良いことだよ!みんな仲良くしてね!ということを言っているのだと思っていたのですが、そこに「話し合いを大切にしなさい」という意味も含まれているとは知りませんでしたたしかに、人
教科書に載ってない十七条憲法の嘘|小名木善行===11/7(日)スペシャルオンラインセミナー開催!===テーマ「隋の時代から続く日本の国家戦略」講師:小名木善行・隋の煬帝の統治と横暴・対等な関係を求めた日本の外交戦略・中露の軍○演習の脅威と現代日本・日本が狙われる理由など、オープンな場所では決して話すことの出来ない「真実の歴史」をお伝えします。▼詳細とお申...www.youtube.comおなぎ