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古田哲也さんは、謝罪には「混んでいる電車が揺れた時にたまたま隣の人の足を軽く踏んでしまう」ようなときの「軽い謝罪」「たまたま相手の大事にしている花瓶をこわしてしまった」ようなときに必要な「重い謝罪」とがあると書いています。重い謝罪の場合には、「それにみあう言葉遣い・態度、速やさ、責任の所在、償い」、つまりは誠意が求められるのです。(『謝罪論謝るとは何をすることなのか』1)柏書房2023)医者の謝罪がしばしば受け入れられない、かえって不快なものと患者に受け止められるのも、医者と患者
今日は、病院の控訴審の判決を聞きに行ってきました。やはり、座学だけでは、現場に戸惑ってしまいます。無知の極みという、やるべきことをやらずに、本人訴訟のに臨んでしまったので恥じのかき捨てです。一審の判決日の時は、裁判長が被告にだけ判決日の都合を聞いて、私には聞かない、ちょっとした意地悪を感じ、「わたしの都合は聞かなくていいのですか?」と聞いたら、表面的には、優しい声で、「では、都合はどうですか?」と聞かれ不可解でした。後で調べてわかったことですが、民事の判決は、
ある対談集で「アイヌの出自をお持ちでオートエスノグラフィーを書かれた石原真衣さんが・・・」という言葉が出てきたところで、私は少し引っかかってしまいました。石原さんはアイヌのクォーターですが、アイヌとして育てられてきてはおらず、そのような自覚も持っていなかったそうです。でも、自分の出自を語ると、とたんに周囲から「アイヌ」として認定され、「アイヌとしての自覚が足りない」と責められたりしたとのことです。そのような彼女は自らのアイデンティティに悩み続け、そのことが『〈沈黙〉の自伝的民族
「ヒポクラテスたち」という映画は、医療現場でのリアルな人間ドラマを描いた作品であり、観客に医療従事者の苦悩や喜び、人間関係の複雑さを深く考えさせる素晴らしい映画だと感じました。まず、この映画の最大の魅力は、登場人物たちの深みのある描写です。主人公の医師たちは、医学の知識と技術だけでなく、人間としての葛藤や倫理的なジレンマにも直面します。彼らは時には自分自身の欠点や過ちに向き合い、それでも患者のために最善を尽くそうとする姿勢が感動的でした。特に、若手医師とベテラン医師の対比や関係性が、物語に奥行
今から50年ほど前(私が医者になったころ)、ある公立病院で妊婦を対象とする母親学級で助産婦(助産師)が「陣痛の痛み1)に耐えられないようでは、朝鮮人にも劣る」と講義したことについて、参加者から抗議があったと新聞で報道されました。敗戦から28年経っていましたから、まだこんなことを言う人がいるのかと驚きました。しかも、少し縁がある病院だったので、その言葉は今でも私の心の中にとげのように刺さっています。30年くらい前、葛西臨海水族園に行った時、若い母親が子供に「朝鮮人みたいな話し方をしな
一日が早くて、土曜日が来て、すぐまた土曜日なので、日にちも、曜日も、あやふやになって、一週間の過ぎるのが早いです。すぐやってくる土曜日の驚いて、…当然、今日は日曜日となり、深夜になりました。そして、とうとう、今週の木曜日は、病院の判決が出ます。一審の判決は諦めて控訴審に目を向けていたけどさすがに控訴審は、正義であってほしいと願って、ちょっと、ジャッジにドキドキします。この判決は、マイナバーカードと健康保険証を紐づけるマイナ保険証の問題点に関係します。インターネット
https://youtube.com/shorts/quGsQRArmis?si=fYTOtxA5lcywZwX9国民皆保険制度闇深い4つの問題点#アベプラ#shorts-----------------------------------------------------------#宇佐美典也#医療#保険◆ニュース公式SNSニュースCh:https://www.youtube.com/@News_ABEMAX(旧Twitter):https://twitter.com/..
患者・家族の心が和らぐことがなければ、そして、医療者のことを自分が一歩前に歩みを進めるための同伴者であると患者・家族が感じられることがなければ、その説明はインフォームド・コンセントになっていないのです。希望とは、「あかり」です。面談室での説明だけではなく、折々の場面で患者・家族の心に「あかり」を灯し続けていくことが、インフォームド・コンセントの過程です。「あかり」は、言葉だけで生まれるものではありません。言葉を支える関わりがなければ生まれません。それは医療者と患者との共同作業であり、出
前回の文章との関連で、あらためて「しつこく」インフォームド・コンセントの意味を確認したいと思います。〈2022.4.7〉〈2022.10.29〉〈2023.6.13〉〈2023.10.27〉などに書いたもののと同じです。すこしだけ文章に手を加えました。「希望だ。それがあれば、人間は生きていける」。先の戦争でシベリアに2年あまり抑留された老人は、「未来がまったく見えないとき、人間にとって何がいちばん大切か」と息子に問われて、このように答えました(小熊英二『生きて帰ってきた男ある日
最近ある政党が、高齢者医療についての政策を発表しました。・「高齢者窓口負担3割に。〈←受診抑制効果もあると説明していました。「年寄りは受診しすぎないように、そのほうがQOLが上がる」とも〉・高額医療制度見直し(現行の高額療養費制度における70歳以上の月額の医療費負担上限額の見直しを行い、個々の経済状況に応じた負担上限額の設定を再検討。高額療養費制度の利用条件や範囲の見直し。)・低所得者等医療費還付制度の創設(低所得者・生活困窮者等への負担増に対して、医療費還付制度「低所得者等医療
GDPが4位になったということが話題になりました。どの報道でも、「4位に転落」とされていたのですが、どうしてわざわざ「転落」という言葉が選ばれているのか不思議になりました。順位が一つ下がっただけなのに(そのうちもう一つくらい下がりそうですが)、まるで山頂から麓まで転げ落ちたような言葉を使うのは、そこに秘められた意図があるのでしょう。「経済大国」だという言葉を失いそうで怖いのでしょうか。「大国」といわれることで満たされていた自尊心が失われそうで怖いのでしょうか。そうだとすれば、そこには大
病気になると、患者さんは自分が世界で「たった一人の少数者(1対80億です)」になってしまいます。あるいは、もともと「ただ一人の少数者」であったのだけれど、病むことでそのことをはっきりと思い知らされると言うほうが近いでしょうか。とてもたくさんの人が罹っている病気であっても、治る病気であっても、周囲に支えてくれる人がいても、きっとそうです。こんな大上段から、ひとくくりにして言ってしまって良いのでしょうか。大上段から語ることには危うさが付きまといます。それに「多数者」対「少数者」のように
日本占領時の連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサーが日本人のことを「likeaboyoftwelve」と米上院公聴会で証言したという話があります(boyで人を代表させていることは差別です)。その解釈についてはさまざまな意見が交わされていますが、コールバーグと同じような感覚を抱いていたかもしれないと思います。「ドイツの問題は、完全に、そして全面的に、日本の問題とは違っています。ドイツは成熟した人種でした。もしアングロ・サクソンが人間の年齢で、科学や芸術や宗教や文化の面でみて、ま
今日の朝のヤッフーニュースのコピペ「入院中の女性患者にわいせつな行為をしたとして、兵庫県警葺合署は5日、不同意性交の疑いで、神戸赤十字病院の内科医の男(34)=神戸市東灘区=を逮捕した。逮捕容疑は昨年9月10日、同病院で入院中の20代女性の下半身を合意なく触った疑い。」現職医師の不祥事のニュースや国会議員の不倫ニュースからその謝罪ニュースという、もはや、医療倫理も職業倫理も関係なく、人それぞれの業の成す悪業かと。ときどき判決が頭をよぎりながら、のんびり、手作り作品の整理を
キャロル・ギリガンの『もうひとつの声――男女の道徳観のちがいと女性のアイデンティティ』(川島書店1986)が日本で出たのは1986年のことです。L.コールバーグは『道徳性の発達と道徳教育』のなかで、〈他人の期待に沿い良い対人関係を保つこと(「良い子への志向」と言っています)を正しいと判断する水準〉を、道徳性の6つの発達段階の3段階目(という低い位置)に置きました。それに対してギリガンは、「他人を傷つけたくない」という責任と心くばりからの「対人関係の調和」を「配慮と責任感の道徳性」と
小澤征爾さんが亡くなりました。この20年、近くに住んでいるのですが出会わずじまいでした(家の前を通ったことはあります)。『ボクの音楽武者修行』(音楽之友社1962年)は、中学生のころ読みました(おおば比呂司さんの挿絵が楽しかった)。1989年ボストン交響楽団と来日した時に、東京文化会館でマーラーの2番交響曲を聞きました。演奏終了後のカーテンコールは続き、団員が引き上げた後も何度も小澤さんは舞台に出てきました。その時の笑顔は忘れられない。小澤さんは旧満州国の生まれで、訪中して19
お茶の水にある“山の上ホテル”が、12日に休業しました(山の上ホテルについては、〈2022.7.24「誠意と真実」〉にも書きました)。大学病院に勤めているころには、近いのでしばしば訪れましたし、その後も誰かと待ち合わせするときにはロビーを使わせてもらい、泊ったこともあります(ルームサービスの“洋風おじや”がおいしかった)。ホテルの規模に比してたくさんのレストランがあったことでも有名でしたが、中でもフランス料理についていろいろ教えてもらった「ラヴィ」(“人生”“いのち”という店名が素敵
政府は2024年度、乳幼児の健康状態などを記録する「母子健康手帳」のデジタル化を加速させ、25年度をめどにアプリを正式な手帳に位置付けるよう制度を見直す方針だとのことです1)。あれもこれもマイナンバーカードに取り込みたいという狙いが先立っているのでしょう。でも小児科医の国会議員もいることですし、小児科学会や小児保健学会、日本小児科医会などがあるのですから、完全に紙の母子健康手帳を無くさないように活動してくれることと「期待」しています(期待は裏切られがちですが)。私は、今も自治体の乳
「ゲド戦記」を読んでいたころ、小原信さんの『ファンタジーの発想』(新潮選書1987)も読みました。その中から。「見ようと思えば見えるものがそこにあっても、見ないであげるとか見ないでおくということがあっていい。・・・・見ようと思えば見えるものが、たとえそこにあっても、自分としては見ないことにするというのは、その人の見識の一つなのだ。」「やさしさはおせっかいとはちがう。だから、見えるけれど見ないとか、聞こえるけれど聞かなかったことにしてあげる、ということがあってもいい。・・・・プライバ
「目に一丁字なく」という言葉に対して「リテラシー」という言葉を最近よく耳にします。また、横文字です1)。「病院の言葉をわかりやすくする」活動をしている人の講演を聞いたのですが、「腫瘍には悪性と良性とがあることを患者によく理解させてから」という言葉に、そんな目の高さからの活動だったのかと戸惑いました。(「させる」については、〈2022.8.13「「させる」医者「させられる」患者」〉に書きました。)講演のなかで「リテラシー」という言葉が2回も出てきました。このような言葉を使うこと
放送の中で、清水さんは次のようにも言っています。「ヒントは、第5巻の『アースシーの風』の中の言葉が与えてくれた。「世界に希望が残されているとしたら、それは名もなき人々の中に見出される」って。グウィンに会った時、この言葉が一番好きといったら、彼女もこれが一番言いたかったことだ、と」中川米造さん(元大阪大学教授/医学概論)が死を間近にして、「自分というものの生物学的終わりに対して、残るものがあるという発見は個の発見でもある。この残るものを見据えて、それを中心に残りの日々を生活することで、
『子どもの本の現在』からの引用(続き)「「障害」があろうがなかろうが、生きるということは闘いである。」「戦って敗れていった者たち、今敗れつつある者たちのくやしさを、誇りを、自尊心を、愛を、あるいはその気高さを、・・・とうとうと流れる人間の歴史のあぶくのひとつとして自分自身を位置づけ、そこで今何ができるかを考えている・・・。敗者の生をさわやかに主張することは、自分をあぶくととらえることと対立しない。あぶくととらえるということは、個をこえた人々の存在、過去から今日にいたる人々の歴史が見え
NHK・Eテレ「こころの時代ライブラリー」(つまり再放送です)に、児童文学者の清水真砂子さんが出ていました。その中で、清水さんが「教育は祈りのようなものだ」と言うのを聞いて、「教育は祈り」と書いてきた(〈2022.12.31〉〈2023.1.30〉)身として、そして清水さんの本からいろいろ教えを受けてきた身として嬉しくなってしまいました。清水さんの本との出会いは『子どもの本の現在』(大和書房1984)でした。それまでも灰谷健次郎や今江祥智の本を読んでいた私は、“ショック”を受け
NHK「みんなのうた」に「さあ太陽を呼んでこい」という歌があります(1963年12月~1月と1965年12月~1月に放送)。作曲は山本直純、作詞は石原慎太郎です。【1番】夜明けだ夜が明けてゆくどこかで誰かが口笛を気持ち良さそに吹いている最後の星が流れてる暁(あかつき)の空明けの空もうじき若い日が昇るラララララララララララララララララ…ref……【3番】この世に夜はいらないぜみんながこの手で暁の扉を空に開くんださあ太陽を呼んでこい暁の
1999年、重度障害者たちが入所している施設を視察した石原慎太郎都知事(当時)は、会見で「ああいう人ってのは、人格があるのかね」「絶対よくならない、自分が誰だかわからない、人間として生まれてきたけれど、ああいう障害で、ああいう状況になって」「ああいう問題って、安楽死につながるんじゃないかという気がする」などと発言しました。「ああいう人ってのは、人格があるのかね」という主張は「パーソン論」としてこれまでも多くの議論があるところですが、むしろその「陳腐さ」を超えようともしない感覚の人が(人
NHK・Eテレ「こころの時代」(2024.1.28)の「今、ともに在ることを-大仏様のお膝元にて-」で、奈良・東大寺境内にある「奈良親子レスパイトハウス」が放送されました。病気や障害のある子どもたちと家族に、しばしゆったりとした時間を持ってもらおうと作られたのがレスパイトハウスです。レスパイトハウスを運営する東大寺福祉事業団の理事長で小児科医の富和清隆さんの言葉(一部言葉通りではありません)。「ここでは重度の障害を持ちながら長く入院している子どもたちがいて、その子たちが生活し
NHK日曜討論(2023.5.7)での、岩本菜々さん(NPO法人POSSE学生ボランティア)の発言(一部、言葉を修正しています)。「少子化対策のみならず、生活保護の話とか社会保障の話になった途端、いつも財源の話から入るように思うんです。「財源がないから難しい」とか「やるんなら財源をどこかから取らないといけないから無理」だとかそういう話になって、いつも社会保障の話って要求が封じ込められていくと思うんですね。ただその一方で「オリンピック開催しますよ」とか「防衛費増額しますよ」ってな
●大学で公衆衛生学を履修しましたこんにちは!白水(しらみず)一郎です。私は何年か前から、大学や大学院で、仕事にも役立ちそうな授業を取り始めました。その中には、医学部の教授による「法医学」「医事法」なども、含まれています。法学部内に設置されている科目なので、医学部で習う内容とは異なっています。しかし、その息吹は感じられます。大学には、正規の学生の他に、私のような社会人にも一定の手続きを踏めば、授業に参加し、単位を取得できる科目等履修生という制度があるのです。それを利用し、授業に参加
大学の多摩地域の同窓会に出たところ、療養型病院に勤務している医師や高齢者医療に携わっている医師たちが、異口同音に「終末期の治療」についてガイドラインが必要だと言っていました。それだけ高齢者の医療では難しい(困っている)ことが多いのでしょう。ちょうどそのころ『生命維持治療と終末期ケアに関する方針決定』(前田正一監訳金芳堂2016)を著者から贈っていただきました。この本が、すぐに同窓会で悩みを開陳していた医師たちに役立つかと言えば、そうでもないようです。この本は、どちらかと言えば
ある医師(木村至信さん)が、父親の最期についての思いを書いています。(m3m2024.1.24)「転院先で必死の治療を受けるも1週間で意識がなくなり、大学病院のICUへ。重度の脱水症状でした。施設にいる頃から徐々に進んだ脱水で、発熱も出ないくらい、尿もほとんど出ない状態でした。そこで3回「ご家族を呼んでください」と言われる危機を乗り越え、父は再度慢性期の病院へ移れる状態まで回復しました。そこでの受け入れ問題として、DOAに同意し誓約書を書く場合、または積極的な治療を希望しな