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江戸時代から、日本によって犠牲を強いられてきた沖縄です。先の戦争では国は沖縄を「捨て石」にしました。若者だけではなく自決を迫られた住民を含めて、本土決戦を遅らせるための沖縄戦で14万人(当時の人口の4分の1)の島民が亡くなりました。「国を、家族を守ろうと戦って斃れた若者たち」という言葉は、その14万人の「無念」の思いに目を瞑っているのではないでしょうか。「今日私たちが享受している平和と繁栄は、この地で命を落とされた方々の尊い犠牲と、沖縄の歩んだ筆舌に尽くし難い苦難の歴史の上に築かれたも
「国を、家族を守ろうと戦って斃れた若者たち」と言いますが、そうでしょうか。「死にたくない」「戦争は嫌だ」と思いながら、その思いを口にすることすら許されない統制のもとで戦いに駆り出された人も少なくないのではないでしょうか。「死にたくない」「戦争に行きたくない」というのがホンネだけれど、タテマエとしては「国を守る」と言っていたというよりは、どちらもホンネだったのだと思います。「国家」や「国王(天皇)」といった「超越的なもの」にのに(多少なりとも)自己のアイデンティティを置く人はいますし、心
もう「五山の送り火」も済んでしまいました。テレビ中継を見ていても祇園祭の山鉾巡行ほどは「面白く」ないのですが、それでも毎年見ています。このところ8月になると毎年書いていることですが、しばらく「平和」について思うことを書きます。「多くの夢や希望を抱きながらも、国を、家族を守ろうと戦って斃れた若者たち、我が子の無事を願いながら息絶えたお父様・お母様。全ての戦没者の皆様の無念と残された御遺族の方々の悲しみを思うとき、本当に胸が締めつけられる思いでございます。今日私たちが享受している平和と繁
〇オプテラムとコアラインソフト、肺結節検出AIプラットフォーム連携〇米テレダイン、バレックスを買収、次世代CT検出器の供給基盤を強化〇CorelineSoft米総合病院にAI胸部CT導入〇アルツハイマー病、血液検査キット、ロシュが承認申請〇PSP、クラウドPACS「NOBORI」で医療情報活用を推進〇CT・MRI検査数と画像診断管理加算等の推移〇医療機器会社、X線画像を使って営業か「医療倫理に反する」指摘も-----------------------------------
〈2022.4.25「セルフ・パターナリズム」〉の再掲です(少しだけ加筆しました)。ACPについて、「将来の意思決定能力の低下に備えて、患者の意向を叶えるために話し合うプロセスの全体」と説明している文章に出会いました。「(今の自分より)意思決定能力が低下してしまった」未来の自分は頼りなげですし、今のうちに自分の願いを言っておかなければ医者からとんでもないことをされてしまうかもしれません。そのようになったら周囲の人から尊重されないかもしれないという懼れもあります。そうした思いが「今
斜めであっても「上から」であれば、パターナリズムを免れないのではないでしょうか。信田さよ子さんは「パターナリズムは、二つの要素から成り立っています。それは、「相手の意志と自分の意思が一緒であると思うこと」と、「自分の好意は善意と良識に従っていると思うこと」ですね。」と言っています(『なぜ人は自分を責めてしまうのか』ちくま新書2025)。「権力は状況の定義権である」とフーコーは言います。医者自身、患者さんに対して自分の「力」が大きいことはわかっています。でも、「権力」の圧倒的な強
〈2022.11.1「サーバントリーダーシップ」〉の再掲です。少し加筆してあります。「チーム医療」とは、たくさんの診療科の医師が集まってすることだと思う人はもういなくなったでしょう。でも、チーム医療は、受け持ち医師が中心になって、他の医師や看護師、その他のメディカル・スタッフが集まって患者さんのことを考えることだと思っている人はまだいっぱいいそうです。「医者はリーダーとして・・・・」というような言葉は、いまだに耳目にします(研修医採用試験でそのように言う医学生もいました/今はどうでしょう
松本卓也さんは『斜め論空間の病理学』(筑摩書房2025)で、「「指示」という上からの・・・・垂直的な権力の発動」は、同時に「「わたしはあなたの味方です」という水平的な横のつながりを前提としたものでなければならない」と書いています。ブレイディみかこさんは「人間って、水平な関係性のなかじゃないと、互いをケアしづらくなるんです。垂直の関係性のなかにもケアはありますけど、それは結局、義務や命令、支配や被支配にもとづくものになって、人間の本性にもとづく思いやりとか、誰かを放っておけないとかい
〈2022.11.13「「ことばを交わす」おつきあい」〉の再掲です。コミュニケーションにあいまいさは避けられません。人は、自分の想いをある言葉に託しますが、想いが言葉にぴったり納まるわけではありません。はじめから心と言葉はずれています。ある言葉に込める(思い浮かべる)意味は人によって異なりますから、言葉を受け取る人の中で言葉は話した人の想いとずれます。自分の心には、自分で意識できる部分以上に、自分にわからない無意識の部分があります。言葉にならないところで心が蠢いています。
私がコミュニケーションについて考えだしたのは医者になって間もなくからのことでした。患者さん(家族を含む)の人生をかけがえのないものとして尊重する医療を行いたいと思って医者になったのに、現場のコミュニケーションを見ているととても患者さんを尊重しているとは思えない事例を見聞きしました(医者に限ったことではありません)。なによりも自分自身が問題でした。患者さん(とりわけがんの子どもたち)の親御さんとのお付き合いが「うまくできない」ことに悩むことが少なくありませんでした。看護師たちとの間で
〈2022.7.2「並んで同じ方向を見る」〉の再掲です。医学的に正しいと思われることを説明しても、患者さんが納得してくれないことは珍しいことではありません。そんなとき、どうしても医者は自分がいかに正しく適切な判断をしているかを必死に伝えようとしがちです。でも、そうすればするほど、相手の人は遠ざかります。「あなたはわかっていない」「あなたは間違っている」とばかりに「正しい」こと(「あなたはこのようにすべきである」)が迫ってくることは、しばしばその人にとっては攻撃的なものと感じられま
もうずいぶん前のことですが、医学教育学会の演題で、患者さんへの親近感について、電子カルテの端末をどちらに(患者さんの側か医者の側か)置くかというものがありました。「どちらが良いかというエビデンスがない」というようなことが言われていたのには少し驚きました。エビデンスというより医療者の姿勢として、端末は患者さんのそばに置いて、患者さんと医療者が同じ画面を一緒に見ることができるようにすることが、医療を患者さんと医療者とが一緒に行っていくために必要なのだと私は思っていましたから。だからこの
信じられない事態だ‼️RFKJr.氏、「NetworkforHope」の認定取り消しを発表――生存の兆候がある患者に対して臓器摘出プロセスを開始するなど、患者の安全に関わる重大な不備が判明同団体は、ケンタッキー州およびオハイオ州、ウェストバージニア州、インディアナ州の一部地域を管轄する臓器調達機関です。HHS/HRSA(保健福祉省/保健資源事業局)、CMS(メディケア・メディケイド・サービス・センター)、および議会による調査の結果、患者の安全を脅かす不備が常態化していたことが判明しま
国営放送で爆弾発言!RFKジュニアが、誰も生放送で口にしなかった最も生々しい真実を今、ぶちまけた:ライム病…RSV(米国で最も多くの子供を殺すウイルス)…そしてコロナ…これらすべてが機能獲得ラボで生み出された!彼の言葉、そのまま、フィルターなし:「彼らは我々を破壊する病気を設計してきた…そしてそれを『科学』として売りつける。」これはもうインターネットの噂じゃない。これは米国の保健長官が全国民の前で自ら告白したことだ。「ライム病はほぼ確実にその実験から出てきて、我々の
〈2023.10.10「お医者さま」?〉の再掲です。かなり加筆修正しています。テレビなどを見ていると、いまだに「お医者さま」と言う人がいます。目の前の医者に対しては「先生」1)と言う人が多いので(「○○さん」とは言わない)、総称として用いられる場合の言葉です。「お医者さま」という言葉が心から尊敬してのものだとも思いにくいのですが、他に言いようがなく、かつ無難なのでしょう。でも、私は「おしりがムズムズする」感じです。教師に対して「先生さま」という人が昔はいたような気がしますが、今
「患者は、医療は必ず治してくれるものだという過大な期待を抱いているのではないでしょうか」と言う患者相談窓口の職員がいました。現場がたいへんだろうということは想像できますし(本人から直接話も聞いていました)、そう感じさせられる言葉に何度も出会ってきたのでしょう。こうした患者の「勘違い」が医療を悪くしている(医療を崩壊させる)と言う人もいます。でも、こうした言葉に私はずっと違和感があります。医療崩壊の責任は患者なのでしょうか。そもそもこの言葉は、患者が無知蒙昧な民であるというところから
〈2024.7.18「信頼もリスペクトも遠のく/「患者側も理解して」?(3)〉の再掲です。一部加筆してあります。(この文章は〈2024.7.16「患者側も理解して」(1)〉〈2024.7.17「患者側も理解して」?(2)〉に続いています。)「「おいでなさいな、こちらへ、お菓子をあげるから」。祖父母の家を訪れた婦人客が幼児を手招きする。手招きは、表徴である。表徴するものは、「こちらへおいで」である。表徴されるものは「親愛」である。それは幼児にも判る。だが、この幼児は、すぐには行かない。しば
講演のあとの質疑で、「先生は『患者さん』と言っておられましたが、『患者さま』ということばをどう思います」と尋ねられたことが何度かありました。私としては、「患者さま」という言葉が日本語としてどうかと思っていますので、これまで使ったことがありません。固有名詞に「さま」を付けて声かけすることは適切だと思いますが、それも私は使っていません。「さま」か「さん」かではなく、温かく声をかけられたと患者さんに感じてもらえる言葉の表情があればよいと思っています。「患者さま」という言葉にしても、そ
〈2022.5.21「お礼とお詫びが言えなければ」〉の再掲です(一部加筆してあります)。丁寧なあいさつに加えて「お礼」と「お詫び」、この3つがきちんとできることがマナーの基本です1)2)。「お礼」も「お詫び」も、「きちんと」言わないと思いが伝わりません。なんでも「どうも」「すみません」「ごめんなさい」で済ませる人がいますが、そればかりでは困ります。患者さんから「ありがとうございました」と言われて、「はーい」などと言うのは返事ではありません。日本語には「どういたしまして」という言
7月28日の熊本地震に遭われた皆様に、お見舞い申し上げます。以下は、2022.5.20「挨拶が開ける扉」の再掲です。2016年の第48回医学教育学会大会のシンポジウム「共用試験OSCE10年を考える」で、「医学生は変わったか」と問われたシンポジストが「挨拶ができるようになったことは確かだ」と答えたことに対して、「それだけなのか」と言いたげな笑いが会場に広がりました。ここで「それだけのことしかできていないのか」と思うことは大きな勘違いだと思います。「たかが挨拶、されど挨拶
「お客様は神様なんて言っていたら患者が“つけあがる”」というような声がどこかから聞こえてきそうです。「過大な要求」を言う人はいます。でも「過大な期待」を持たせてしまったのも「医学はすごい」という幻想をこれまで医者たちが振りまいてきているからです。すごいんだからから「医者に任せろ」?。すごいんだからから、患者を見下ろす医者の尊大な態度が当たり前??ペイシャント・ハラスメントも確かにあります。でも、その「火種」は病気になった人の誰もが抱え込まざるを得ないものです。その火種に火を
津久井やまゆり園の事件から10年が立ちました。朝起きてテレビをつけた時、本当に驚きました。以下は〈2023.4.22「津久井やまゆり園の事件について」〉の再掲です。「・・・・容疑者は『障害者はいなくなればいい』と話していたそうです。みなさんの中には、そのことで不安に感じる人もたくさんいると思います。そんなときは、身近な人に不安な気持ちを話しましょう。みなさんの家族や友達、仕事の仲間、支援者は、きっと話を聞いてくれます。そして、いつもと同じように毎日を過ごしましょう。不安だからと
三波春夫さんが「お客様は神様です」と言ったという話は今でも有名でしょうか(若い人たちはもう知らないかも)。娘の三波美夕紀さんによると「これは自分の歌を、芸を完璧な形でお客様と視聴者にお届けしなければならないという心構えを表したものでした。「歌う時に私はあたかも神前に立って祈る時のように雑念を払ってまっさらな心にならなければ完璧な芸はできないのです」という信条でした。お客様を神様とみて、神前で祈る時のような気持ちで歌を歌う、これが「お客様は神様です」の真意です」とのことです。それ
「コミュニケーション能力」「コミュニケーション技法」という言葉にはいささか抵抗があります(だんだん馴染めなくなってきたということです)。「コミュニケーション能力」という言葉の裏には「能力主義」がありますし、その向かい側には「コミュ障」という言葉が見え隠れします。貴戸理恵さんは、「私はかつて、コミュニケーションのように『他者や場との関係によって変わってくるはずのもの』を、『能力』として個人の中に固定的に措定することを『関係性の個人化』と呼んで批判した。そこには意思疎通というコミュニケ
ここまで、オリエンテーション参加者・研修医の感想を縷々掲載してきました。優等生的なコメントだなと思う面もありますし、「否定的」な感想は全体にとても少ないのが例年のことです。講師・企画者に気を遣ってくれてもいるのでしょう。どのようなことからもポジティブなものを学ぼうという姿勢の表れかもしれませんが。「おだて」「気遣い」に乗せられているだけかもしれないと思いつつ、それでも読んでいて確かに嬉しくなります。「こんな感想を持ってくれたのか」「こんなふうに考えることのできる人がいるんだ」などとワ
タスキーギ梅毒研究は、今もなおアメリカ医学史上最も悪名高い倫理的過ちの一つ。NEW!2026-07-1915:15:49テーマ:ブログ公式ジャンル記事ランキング:シニア258位RaelMaitreyaKoichiRaelian訳·picture1932年、399人の黒人男性が失明し、正気を失い、死亡した。米国政府は彼らに梅毒を感染させ、その経過を見守っていた。彼らの妻にも感染させ、障害を持つ子供たちが生まれた。40年もの間、政府は治療法をずっと持
「温かい病院温かいコミュニケーション」と題して、新入職員研修(3日間)で医療コミュニケーションについての話を、定年後もずっとさせていただいています。このような機会を与えて下さっている病院には感謝するばかりです。(私と「反りが合わない」院長の時代も、新入社員研修と研修医オリエンテーションのお手伝いは続きました、不思議だ。)講演をするたびに、自分としては今回の講演がこれまでで一番内容が良いと感じます。この25年ほどのあいだ、ずいぶん多くの病院や研修会でお話しさせていただいたのですが、振り
土曜日(11日)に、藤田医科大学病院の被告らの準備書面を受け取って、今週は、反論の準備書面の下準備に時間を費やしていましたけど、まとまりませんでした。訴状を作成する予定の今年の年明けから、娘の産後の手伝い、コロナに感染、そして、SEウィルス感染と体調不良でも、時効が迫っていて、必死に作成した訴状の書き方に問題があったよう。最初を間違えると後が大変。気づかずに脳にはストレスのようで…無意識に脳は睡眠中もこのことの活動をしているよう。目覚めたとき、新たな発想がうかびます。自身でありながら、
2025年12月に開院した武蔵野赤十字病院の新棟には、全室個室ということもあり、すべてのベッドにスマートベッドシステム・眠りスキャンが設けられました(〈2025.12.21「見守りカメラ」と「看護り」〉に書きました。)技術の進歩です。患者さんの安全は向上するでしょう(それでも何件かは“トラブル”があったらしい)。でも、これは「監視」技術の進歩でもあります。「看護り」の「看」と「護り」とが薄れてしまわないでしょうか。もちろん、これからも看護師は患者さんと笑顔で話してくれるでしょうし、
ディスカッションの最後で話すことを予定していたパワーポイントについては、配布資料として全員に配りました。配布資料には、次のような説明を添えました。①医療の本質はケアである。ケアとは、身の回りの世話を含めて、人が人を見守り(看護り)、その人の生きることを支えるということ(人間の暮らしのすべての場面に当てはまる)。ケアする人も、ケアを受ける人からケアされるという、お互いにケアしあう(支え合う)関係にある。②CureとCareと二項対立的に言われることがあるが、CureはCareの一部。