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コミュニケーションは、言葉・態度のやりとり、情報の提供などを通して、お互いが少しずつ信頼を育むためのものです。信頼は、相手のいうことに虚心に耳を傾け、丁寧な分かりやすい説明を根気よく積み重ねていくことなしには生まれません。雑談を通しての信頼は、その先に生まれるものです。だからインフォームド・コンセントは、結論のことではなく、病気について話し合っていく「過程」のことです。それなのに「結論」ばかりが注目されます。「ICを取る」などと言うのは論外です。(「ICを取る」という言葉を聞くたび
患者さんが自分の症状についた診断を受け入れ治療方針を選んでいくとき、患者さんは「医師」というよりその「人間」を選んでいるはずです。医者は患者さんから選ばれる立場です(そのこと自体を不愉快に思う人もいます)。「こんな医師なら」という期待が、そこにはあります。現実には医師への「過剰な期待」、目の前の医師への「過大評価」があると思いますが(それが生れるのは必然です)、それにしても私たちはその期待に応えようとしているでしょうか。期待に応えられる医師であろうとしているでしょうか。「こんな
インフォームド・コンセントとは「納得と合意」だと考えるように私はなりましたけれど、はじめのうちは、まだ「患者さんの気持ちを聴くこと。そしてわかりやすい言葉で、時間をかけて、丁寧に説明した上で話し合って、患者さんに納得してもらう」というところに留まっていました(今でも、講演ではその部分の比重が大きくなっています)。でも、医者になろうと決めた時から、私がずっと考えてきたことは患者さんと医者との関係です。「医療の仕事は、患者さんの「このように生きたいという思い」を支えるもののはずだ。患者
医者になった時から、私は、医者(自分を含む)の言葉が患者さんに届いていないことがずっと気になっていました。あんな難しい言葉を、あんな「雑な」言い方をして、短い時間で(逆に「拷問」のような難しい話を長々とする医者もいました)、あんな上からの雰囲気で、患者さんが気を遣って身を低くしていることを無視して、・・・・。それなのに、一度説明したらあとは「医者の言う通りして」という雰囲気が溢れて。優しい説明、スマートな説明をする医者にも、その雰囲気は同じようにありました。だから医者になっ
イベント報告です。4月11日はーーーーーーーーーーーーーーー医療を考える会シンポジウム:医療倫理と延命を問うーーーーーーーーーーーーーーー超高齢社会のがん診療と延命の意義~「そんなにまでして生きる意味がわからない」と言われたときに役立つ話~と題して、最前線で診療する外科医の講演でした。■外科診療の課題昼夜分かたぬ厳しい研修医生活を経て、外科医として独り立ちして見えてきた世界は―――――手術すれば助かるのに、死を選ぶ高齢患者さんでした。高齢者は併存疾患が多く、術後に合併
「病い」の対極にあるのは、「健康」ではなく「日常性」だと、私は思っています(40年ちかく前に気づきました)。この日常性は、「もとの生活にもどる」ということではなく、「病む」という新たな事態をふまえて「(もとの生活よりは不安定なものにならざるをえませんが、それなりに)落ち着いた/納得できる」生活に辿り着くということ。それをアイデンティティの再構築と言うこともできると思います(エリクソンの言うアイデンティティとは少し違います)。それは、自分が納得できる「自分についての物語」を、自分で
施設名・クリニック名が不適切**「ウナうなじリスク病院」「クリニックあんあんパコパコ」という名称は、医療機関として到底ふさわしくなく、医療法上の品位保持義務に抵触する可能性があります。▶架空の求人だからね実在するなら行政指導対象レベルです。▶指導されるだけで罰与えられないならラッキーじゃん勤務体系が現実的でない「19:00〜翌5:00」の夜間シフトがある-ローテーションで「全時間帯対応できる方を優遇」-これは実質的に**24時間365日稼働**を医師10名でカバーする体制を示唆しており、
患者さんは、病いのために心が千々に乱れる中で、分かりにくい医学の説明にとり囲まれます。インターネット、SNS、AI、身内/友人の医療者、・・・、情報源が溢れる時代であるだけに、混沌は大きくなります。そんな中で「早く,早く」と結論が迫られることも少なくありません(相手に余裕を与えずに対応を迫る「特殊詐欺」の手口とどこか似かよっているような?)。混乱した思いの中で「決断」を迫られた末の言葉であっても、それが「自分の選択だ」と言われれば逃げ出しにくくなります。人生を選ぶと言っても
患者さんの「自己決定権(の尊重)」という言葉は、もう「あたりまえ」のことになっているようです。「自分のことは自分で決められる」ということが大切なのは確かです。でも、自己決定権という言葉は自己責任論でもあります。「自分が決めた」「自分の意思だ」と言えば「それを尊重する」と言ってはもらえます。けれども、その自己決定からもう逃げ出せなくなります。「あなたが決めたことですよね」と。患者さんの言葉が、言質にされかねません。混乱し迷い、その状態が続いているままま「意を決して」発した言葉
「貧困を抱える親子は「助けてほしい」と訴えて目の前に現れることは少ない。むしろ困難を抱えた親子は、医療者など支援する側に陰性感情を抱かせやすい。和田は「イラっとしたとき」、すなわち患者に対して陰性感情や違和感を抱いたときこそ、患者が何らかの困難を抱えており、その背景に貧困を考慮すべきだと述べている」。「親子の困難はその困難事態だけでなく、「その困難を誰にも話せない」という孤立の影響が大きい。必ずしも医師がすべてを解決する必要はなく、「こんなことでも否定されずに話してよい」「一緒に考えてもら
「「私は、バカと話したくないから医学部に行きました」。以前取材した、ある現役医学部生の方から放たれた一言でした。彼の言う「バカ」とは「論理的思考力がなく、知識量も乏しく、知的好奇心もない上に、その場限りの感情に振り回されて生きる人・・・」。(布施川天馬日刊SPA!2025.12.14)ちょっと出来過ぎた話のような気もしますし、もし本当にそのように言ったとしても「露悪的な」人だったり、綺麗な言葉を言いたくない衒いからのものだった可能性もある1)と思いますが、そうした保留をしたうえで、
医者は、患者さんとの会話でも「暮らし」からかけ離れた「堅苦しい/難しい」言葉で話していることが多い。病気の説明だけでなく、しばしば雑談でもそうです。患者さんの暮らしとかけ離れた言葉での会話は、どこかで空転しているはずです。そして、患者さんは医者のことを「面倒くさい人種」と思いながら、半ばあきらめて付き合ってくれているのだと思います。「安楽死」の定義、実施の条件などを詳細に規定することは事態の解決に役立つかもしれません。けれども、その「緻密さ」は、同時に、患者さんへのケアとは隔たるこ
「(自分は)医者でなくて良かった」と、参加した看護師の一人が休憩時間に言っていました。ディスカッションの場で、医者たちは「この言葉の定義がはっきりしないから、どう話し合って良いのかわからない」というところで話しはじめ、「この言葉とあの言葉は同じことを言っている」「いや微妙に違う」などと言い出す。そこにはマン(ドクター?)スプレイニングもありそうです。「あんな面倒くさい人種じゃなくて良かった」ということのようでした。医学に限らず、学問とは「面倒臭い」言葉の羅列です。私が学生だった
講習会の休憩時間に、このブログを読んでくれている武蔵野の研修医がいるということを参加者の医師(武蔵野の研修修了者)が教えてくれました。先日の研修医同総会で、入職時の研修医オリエンテーションの際に、「チーム医療とは患者さん本人と医療者とが輪になって「患者さんのいのち」の問題に向かい合い対処していくことだ」という私の説明が印象に残っていると言ってくれた12年前の研修医がいました。(〈2023.3.15「夢を交わらせたい」〉〈2025.2.10「チーム医療(1)」〉〈2025.2.11「チーム医
コロナや病院新築など諸々が重なったために7年もの間開催されていなかった武蔵野赤十字病院の臨床研修指導医講習会が、先日やっと開催されました(それまでは毎年開催していました)。「カリキュラム・プラニング」(えらんだ研修テーマについて「目標」「方略」「評価」を選んでいく)が講習会の中心なのですが、厚労省のガイドラインが具体的に提示されてからは、どこの講習会でもそれを自分たちで一から考えることは少し「軽視」されるようになってしまいました。企画者にとっても、せっかくガイドラインがあるので
今回の首相のアメリカ訪問では、首相はよく頑張りました。なにしろ、大統領から「責められず」に済んだのですから。頑張ったおかげで、とりあえずの危機は回避したようですが、トランプ相手ではこの先どうなるかわかりません。頑張りが水泡に帰す可能性もあります。国際法違反の戦争を始めた大統領に抱き着き、平和の担い手と褒め上げ、前大統領を侮蔑している写真を笑いながら見る(国会で言いわけをしていましたが)。媚びを感じさせる表情、目つき、身のこなし。このことは今回に限らないので、この人の「通常運転」なの
ヤフーニュースに寄せられたコメントを読んでいると、ほんとうに「善意」「同情」から言っているのだろうと感じるものも少なくありません。でも、コメントの言葉は、現に今を生きている誰か(ALSの人、障害者・障害児、終末期にある人)の人生を「否定」しています(気づいていないのでしょうか、気づかないふりをしているのでしょうか)。ガイドラインが善意から作られているとしても、このような、現に生きている人を「踏みにじる」ような言説で支持されて良いのでしょうか。短い文章のためもあるでしょうが、
イベント案内です。★現地&Zoom同時開催★65歳以上の人口が21%を占めている社会を超高齢社会といわれます。世界に先駆け、超高齢社会に突入している日本は、2025年には高齢化率30%、2040年には40%に達すると目されています。高齢患者の急変は避けられません。「できる限りの延命処置をしてあげてください」という家族もあれば、「蘇生処置はしないでください」と言われることもあります。「私だったらそんなにまでして生きなくていいかな」という医療者もあります。命を助けるための技術を身
救急や集中治療などの関連4学会が、2014年11月に策定され終末期医療に関する指針を改訂した「生命維持治療の終了/差し控えに関するガイドライン」(案)を作成しました(先日までパブリック・コメントを受け付けていました)。ある医師の言葉です。「今回の改訂は、「終末期かどうか判断して治療を終了する」という発想から、「どのようなプロセスを経て生命維持治療の終了を判断するか」へ軸足を移した点に大きな意義があります。救急・集中治療の現場では、回復が見込めないまま装置依存が続く症例に日々向き合っ
柏﨑郁子さんの言葉。「医療の目的を「生存」以外に求めることは、存在論的に明らかに矛盾しており、不合理である。また、「健康」概念を拡大し、「人生の目標」といった論争のある「規範」を医療の目的の中に含めることは「傲慢」とも言えるし、まさに「ほとんど達成不可能なゴール」を目指すことになるかもしれない。」「患者が「残酷」「無情」「無慈悲」と見做されるような状態であると「感情」のレベルで共感するよう
〈2024.11.20尊厳死と社会保険料給付抑制(4/16)「延命は望みません」?〉の再掲です(一部加筆)。医療行為はすべて「延命」のための行為なのですから、殊更に「延命」という時には「無駄な」「無益な」「意味のない」「ただの」というような言葉がくっつきます。「延命治療」と言われるものの範囲は曖昧ですし、恣意的に広げられてしまう可能性が小さくありません。「無駄だ」「無益だ」という言葉(QOLという言葉もそうですが)には、そのようなことを「他人」が評価して良いのでしょうか。できるこ
前回の〈2023.4.20「集団自決を勧められました」〉再掲の続きです(一部加筆)。「人間として知るべきことは、生き残ることと殺さないこと以外にはありえない。人間は、そのことさえ知っていれば足りる。ところで、〈老人〉は、生き残ることの善さと殺すことの罪をすでに知っている。そして〈若者〉もおぼろげにそれを弁えている。だから〈老人〉や〈若者〉にとって、それ以上知るに値すること、それ以上に為すべきことは何もないのである。」(小泉義之『兵士デカルト-闘いから祈りへ』勁草書房1995)
〈2023.4.20「集団自決を勧められました」〉に加筆したものです。「高齢者は老害化する前に集団自決、集団切腹みたいなことをすればいい」と言った若い「経済学者」が居ます。「老害」政治家を念頭に置いた比喩的な表現1)だと弁護する人もいますが、それならばそう言うべきです。現実には、このような言葉が「弱い(金も力もない)」高齢者が優先的に廃棄されていくことの促進剤になります。後期高齢者の私など、真っ先に勧められているのだと思いました(私自身、老害の要素は十分に抱えていると思っていますし)
看護教員の柏﨑郁子さんは、ヘルガ・クーゼの「安楽死擁護論」を何度か批判しています。「健康概念の過剰な拡張は、医療化の進展を招く。ここでいう医療化とは、「悩み」に医療が応答し、全人的領域まで医療の対象を広げることである。たとえば、終末期患者の「意思決定支援」では、制度に準じたプロセスが医療の差し控えや中止を正当化し、患者と家族、多職種の「連携」や「話し合い」のファシリテートが看護師の専門性と見做されることがある。それは患者の「悩み」に応えるための自律的な看護ともいえるが、実際には
コロナ禍では病院や老健施設での面会制限があり、家族に会えないまま亡くっていった方がおられました。感染が深刻な状況であればまだ分かりますが、今は緊急事態宣言が出されることもなければ「平時」です。なのにいまだに面会制限をしている病院や施設があります。お見舞いは3人まで面会時間はMAX15分マスク着用手洗い・うがい・アルコール消毒などなど、ルールは施設によって異なりますが、医師として「これって意味あるの」と思うような内容です。Xでこんなポストをされている方がおられま
衝撃の美容外科広告「バーキン買うなら豊胸しろ」あれが、どうしてどこからもクレームがつかず。堂々とJRの新大阪駅の一等地を占めているのか。以下もう一度まとめさせてください。①セクハラになるのか典型的なセクハラ(職場内の性的言動)とは少し違います。セクハラは本来、・上下関係や業務関係がある中で・性的な言動により不利益や不快を与えるもの(=職場環境型・対価型)を指します。今回の広告は不特定多数への発信なので、狭義のセクハラには当たりにくいです。ただし――性的に身体を評価・
以下は〈2022.4.17「半日でもいいから長く」〉に加筆したものです。元NHK解説委員の柳澤秀夫さんが肺癌になった時のことを「徹子の部屋」(2019.1.23)で話していました。(この時は、所用で出かける直前に全く偶然にこの番組を見ました)。「本当にあれだけ強がり言ってて『どれだけ生きるかじゃない、どう生きるかだ』なんて言ってた人間が『もう本当に1年が無理だったら半年でもいい。半年が無理だったら3カ月でもいい』っていうふうに、自分の生きる事についてこだわりが正直にこみ上げてき
「高齢者医療費の一律3割自己負担」「後期高齢者健康保険料の引き上げ」といったことは、当該の高齢者の家族の経済的・肉体的・精神的負担を増すことでもあります。この負担増に、だれもが耐えられるわけではありません。治療を諦める人が出てくるかもしれません。ツケを払うのは「弱い」立場の人です。介護費用の負担が現役世代にかかります(手取りは増えても支出が増えます)。高齢者の介護を現役世代が担うことになって、場合によっては仕事をやめざるをえなくなることもあるかもしれません。家族間の葛藤が増える可能性
「私たちが提示した「分断社会」という概念は・・・「社会の多数者が、よわい立場におかれた人たちへの関心を失った社会」をさしていた」(井手英策『令和ファシズム論極端へと逃走するこの国で』筑摩書房2025)。(太字:日下)「傷つきやすい(ヴァルネラブルな)他者」への配慮が、自己責任論のもとに失われていきます。「弱い立場」の人に関心が持てないくらい、生活が苦しく、生き方の方向が見えない社会になっているのかもしれません(そのような社会を作ってきたのも、私たちです)。「現役世代の(保険料)負
「高額療養費負担増」「高齢者医療費の一律3割自己負担」「後期高齢者健康保険料の引き上げ」などが、「保健医療費負担の軽減」「手取りを増やす」という言葉と抱き合わせになって、現実のものとなりつつあります。今回の選挙結果からみれば、そうなるのでしょう。さらに、高額療養費の負担額については2年ごとに見直す(増やしていく)とのことですが、今のところ保留状態のようです。この動きに抗議する意味で「これでは治療を諦めるしかない。それなら「安楽死」を認めてほしい」という患者の声を全国保険医団体連合会(保