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患者・家族の心が和らぐことがなければ、そして、医療者のことを自分が一歩前に歩みを進めるための同伴者であると患者・家族が感じられることがなければ、その説明はインフォームド・コンセントになっていないのです。希望とは、「あかり」です。面談室での説明だけではなく、折々の場面で患者・家族の心に「あかり」を灯し続けていくことが、インフォームド・コンセントの過程です。「あかり」は、言葉だけで生まれるものではありません。言葉を支える関わりがなければ生まれません。それは医療者と患者との共同作業であり、出
前回の文章との関連で、あらためて「しつこく」インフォームド・コンセントの意味を確認したいと思います。〈2022.4.7〉〈2022.10.29〉〈2023.6.13〉〈2023.10.27〉などに書いたもののと同じです。すこしだけ文章に手を加えました。「希望だ。それがあれば、人間は生きていける」。先の戦争でシベリアに2年あまり抑留された老人は、「未来がまったく見えないとき、人間にとって何がいちばん大切か」と息子に問われて、このように答えました(小熊英二『生きて帰ってきた男ある日
最近ある政党が、高齢者医療についての政策を発表しました。・「高齢者窓口負担3割に。〈←受診抑制効果もあると説明していました。「年寄りは受診しすぎないように、そのほうがQOLが上がる」とも〉・高額医療制度見直し(現行の高額療養費制度における70歳以上の月額の医療費負担上限額の見直しを行い、個々の経済状況に応じた負担上限額の設定を再検討。高額療養費制度の利用条件や範囲の見直し。)・低所得者等医療費還付制度の創設(低所得者・生活困窮者等への負担増に対して、医療費還付制度「低所得者等医療
GDPが4位になったということが話題になりました。どの報道でも、「4位に転落」とされていたのですが、どうしてわざわざ「転落」という言葉が選ばれているのか不思議になりました。順位が一つ下がっただけなのに(そのうちもう一つくらい下がりそうですが)、まるで山頂から麓まで転げ落ちたような言葉を使うのは、そこに秘められた意図があるのでしょう。「経済大国」だという言葉を失いそうで怖いのでしょうか。「大国」といわれることで満たされていた自尊心が失われそうで怖いのでしょうか。そうだとすれば、そこには大
病気になると、患者さんは自分が世界で「たった一人の少数者(1対80億です)」になってしまいます。あるいは、もともと「ただ一人の少数者」であったのだけれど、病むことでそのことをはっきりと思い知らされると言うほうが近いでしょうか。とてもたくさんの人が罹っている病気であっても、治る病気であっても、周囲に支えてくれる人がいても、きっとそうです。こんな大上段から、ひとくくりにして言ってしまって良いのでしょうか。大上段から語ることには危うさが付きまといます。それに「多数者」対「少数者」のように
日本占領時の連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサーが日本人のことを「likeaboyoftwelve」と米上院公聴会で証言したという話があります(boyで人を代表させていることは差別です)。その解釈についてはさまざまな意見が交わされていますが、コールバーグと同じような感覚を抱いていたかもしれないと思います。「ドイツの問題は、完全に、そして全面的に、日本の問題とは違っています。ドイツは成熟した人種でした。もしアングロ・サクソンが人間の年齢で、科学や芸術や宗教や文化の面でみて、ま
今日の朝のヤッフーニュースのコピペ「入院中の女性患者にわいせつな行為をしたとして、兵庫県警葺合署は5日、不同意性交の疑いで、神戸赤十字病院の内科医の男(34)=神戸市東灘区=を逮捕した。逮捕容疑は昨年9月10日、同病院で入院中の20代女性の下半身を合意なく触った疑い。」現職医師の不祥事のニュースや国会議員の不倫ニュースからその謝罪ニュースという、もはや、医療倫理も職業倫理も関係なく、人それぞれの業の成す悪業かと。ときどき判決が頭をよぎりながら、のんびり、手作り作品の整理を
キャロル・ギリガンの『もうひとつの声――男女の道徳観のちがいと女性のアイデンティティ』(川島書店1986)が日本で出たのは1986年のことです。L.コールバーグは『道徳性の発達と道徳教育』のなかで、〈他人の期待に沿い良い対人関係を保つこと(「良い子への志向」と言っています)を正しいと判断する水準〉を、道徳性の6つの発達段階の3段階目(という低い位置)に置きました。それに対してギリガンは、「他人を傷つけたくない」という責任と心くばりからの「対人関係の調和」を「配慮と責任感の道徳性」と
小澤征爾さんが亡くなりました。この20年、近くに住んでいるのですが出会わずじまいでした(家の前を通ったことはあります)。『ボクの音楽武者修行』(音楽之友社1962年)は、中学生のころ読みました(おおば比呂司さんの挿絵が楽しかった)。1989年ボストン交響楽団と来日した時に、東京文化会館でマーラーの2番交響曲を聞きました。演奏終了後のカーテンコールは続き、団員が引き上げた後も何度も小澤さんは舞台に出てきました。その時の笑顔は忘れられない。小澤さんは旧満州国の生まれで、訪中して19
お茶の水にある“山の上ホテル”が、12日に休業しました(山の上ホテルについては、〈2022.7.24「誠意と真実」〉にも書きました)。大学病院に勤めているころには、近いのでしばしば訪れましたし、その後も誰かと待ち合わせするときにはロビーを使わせてもらい、泊ったこともあります(ルームサービスの“洋風おじや”がおいしかった)。ホテルの規模に比してたくさんのレストランがあったことでも有名でしたが、中でもフランス料理についていろいろ教えてもらった「ラヴィ」(“人生”“いのち”という店名が素敵
政府は2024年度、乳幼児の健康状態などを記録する「母子健康手帳」のデジタル化を加速させ、25年度をめどにアプリを正式な手帳に位置付けるよう制度を見直す方針だとのことです1)。あれもこれもマイナンバーカードに取り込みたいという狙いが先立っているのでしょう。でも小児科医の国会議員もいることですし、小児科学会や小児保健学会、日本小児科医会などがあるのですから、完全に紙の母子健康手帳を無くさないように活動してくれることと「期待」しています(期待は裏切られがちですが)。私は、今も自治体の乳
「ゲド戦記」を読んでいたころ、小原信さんの『ファンタジーの発想』(新潮選書1987)も読みました。その中から。「見ようと思えば見えるものがそこにあっても、見ないであげるとか見ないでおくということがあっていい。・・・・見ようと思えば見えるものが、たとえそこにあっても、自分としては見ないことにするというのは、その人の見識の一つなのだ。」「やさしさはおせっかいとはちがう。だから、見えるけれど見ないとか、聞こえるけれど聞かなかったことにしてあげる、ということがあってもいい。・・・・プライバ
「目に一丁字なく」という言葉に対して「リテラシー」という言葉を最近よく耳にします。また、横文字です1)。「病院の言葉をわかりやすくする」活動をしている人の講演を聞いたのですが、「腫瘍には悪性と良性とがあることを患者によく理解させてから」という言葉に、そんな目の高さからの活動だったのかと戸惑いました。(「させる」については、〈2022.8.13「「させる」医者「させられる」患者」〉に書きました。)講演のなかで「リテラシー」という言葉が2回も出てきました。このような言葉を使うこと
放送の中で、清水さんは次のようにも言っています。「ヒントは、第5巻の『アースシーの風』の中の言葉が与えてくれた。「世界に希望が残されているとしたら、それは名もなき人々の中に見出される」って。グウィンに会った時、この言葉が一番好きといったら、彼女もこれが一番言いたかったことだ、と」中川米造さん(元大阪大学教授/医学概論)が死を間近にして、「自分というものの生物学的終わりに対して、残るものがあるという発見は個の発見でもある。この残るものを見据えて、それを中心に残りの日々を生活することで、
『子どもの本の現在』からの引用(続き)「「障害」があろうがなかろうが、生きるということは闘いである。」「戦って敗れていった者たち、今敗れつつある者たちのくやしさを、誇りを、自尊心を、愛を、あるいはその気高さを、・・・とうとうと流れる人間の歴史のあぶくのひとつとして自分自身を位置づけ、そこで今何ができるかを考えている・・・。敗者の生をさわやかに主張することは、自分をあぶくととらえることと対立しない。あぶくととらえるということは、個をこえた人々の存在、過去から今日にいたる人々の歴史が見え
NHK・Eテレ「こころの時代ライブラリー」(つまり再放送です)に、児童文学者の清水真砂子さんが出ていました。その中で、清水さんが「教育は祈りのようなものだ」と言うのを聞いて、「教育は祈り」と書いてきた(〈2022.12.31〉〈2023.1.30〉)身として、そして清水さんの本からいろいろ教えを受けてきた身として嬉しくなってしまいました。清水さんの本との出会いは『子どもの本の現在』(大和書房1984)でした。それまでも灰谷健次郎や今江祥智の本を読んでいた私は、“ショック”を受け
NHK「みんなのうた」に「さあ太陽を呼んでこい」という歌があります(1963年12月~1月と1965年12月~1月に放送)。作曲は山本直純、作詞は石原慎太郎です。【1番】夜明けだ夜が明けてゆくどこかで誰かが口笛を気持ち良さそに吹いている最後の星が流れてる暁(あかつき)の空明けの空もうじき若い日が昇るラララララララララララララララララ…ref……【3番】この世に夜はいらないぜみんながこの手で暁の扉を空に開くんださあ太陽を呼んでこい暁の
1999年、重度障害者たちが入所している施設を視察した石原慎太郎都知事(当時)は、会見で「ああいう人ってのは、人格があるのかね」「絶対よくならない、自分が誰だかわからない、人間として生まれてきたけれど、ああいう障害で、ああいう状況になって」「ああいう問題って、安楽死につながるんじゃないかという気がする」などと発言しました。「ああいう人ってのは、人格があるのかね」という主張は「パーソン論」としてこれまでも多くの議論があるところですが、むしろその「陳腐さ」を超えようともしない感覚の人が(人
NHK・Eテレ「こころの時代」(2024.1.28)の「今、ともに在ることを-大仏様のお膝元にて-」で、奈良・東大寺境内にある「奈良親子レスパイトハウス」が放送されました。病気や障害のある子どもたちと家族に、しばしゆったりとした時間を持ってもらおうと作られたのがレスパイトハウスです。レスパイトハウスを運営する東大寺福祉事業団の理事長で小児科医の富和清隆さんの言葉(一部言葉通りではありません)。「ここでは重度の障害を持ちながら長く入院している子どもたちがいて、その子たちが生活し
NHK日曜討論(2023.5.7)での、岩本菜々さん(NPO法人POSSE学生ボランティア)の発言(一部、言葉を修正しています)。「少子化対策のみならず、生活保護の話とか社会保障の話になった途端、いつも財源の話から入るように思うんです。「財源がないから難しい」とか「やるんなら財源をどこかから取らないといけないから無理」だとかそういう話になって、いつも社会保障の話って要求が封じ込められていくと思うんですね。ただその一方で「オリンピック開催しますよ」とか「防衛費増額しますよ」ってな
●大学で公衆衛生学を履修しましたこんにちは!白水(しらみず)一郎です。私は何年か前から、大学や大学院で、仕事にも役立ちそうな授業を取り始めました。その中には、医学部の教授による「法医学」「医事法」なども、含まれています。法学部内に設置されている科目なので、医学部で習う内容とは異なっています。しかし、その息吹は感じられます。大学には、正規の学生の他に、私のような社会人にも一定の手続きを踏めば、授業に参加し、単位を取得できる科目等履修生という制度があるのです。それを利用し、授業に参加
大学の多摩地域の同窓会に出たところ、療養型病院に勤務している医師や高齢者医療に携わっている医師たちが、異口同音に「終末期の治療」についてガイドラインが必要だと言っていました。それだけ高齢者の医療では難しい(困っている)ことが多いのでしょう。ちょうどそのころ『生命維持治療と終末期ケアに関する方針決定』(前田正一監訳金芳堂2016)を著者から贈っていただきました。この本が、すぐに同窓会で悩みを開陳していた医師たちに役立つかと言えば、そうでもないようです。この本は、どちらかと言えば
ある医師(木村至信さん)が、父親の最期についての思いを書いています。(m3m2024.1.24)「転院先で必死の治療を受けるも1週間で意識がなくなり、大学病院のICUへ。重度の脱水症状でした。施設にいる頃から徐々に進んだ脱水で、発熱も出ないくらい、尿もほとんど出ない状態でした。そこで3回「ご家族を呼んでください」と言われる危機を乗り越え、父は再度慢性期の病院へ移れる状態まで回復しました。そこでの受け入れ問題として、DOAに同意し誓約書を書く場合、または積極的な治療を希望しな
週刊医学界新聞2022.11.7では「踊り場に立つACP、いま何が求められるのか」という特集が組まれていました。「ACPはやっても無益,むしろACPなどに時間を割かず,今起きている問題に関するコミュニケーションに注力すべきという意見がアメリカで出された(JAMA=JournalofAmericanMedicalAssociation)ことに端を発して特集が組まれたとのことでした。ACPの「効果」についてのRCT(RandomizedControlledTrial)でも
中国共産党による無実の人々への臓器狩りに光を当て、人権を守るために闘ってきたとして、英上院議員のフィリップ・ハント卿は、「強制臓器収奪に反対する医師団(DAFOH)」をノーベル平和賞候補にノミネートした。米ワシントンD.C.を拠点とする非営利団体であるDAFOHは、世界中の医師で構成され、巨大産業となっている中国共産党による臓器狩りに対する認識を高めるために約17年を費やしてきた。証拠を検証する出版物を発行するほか、ウェビナーの定期的な開催や、国連に行動を求める署名活動を行い、お
米共和党のライアン・ジンキ下院議員はエポックタイムズの取材に応じ、中国共産党による無実の人々への臓器狩りは米中会談で必ず議題に挙げられるべき問題だと強調した。ジンキ氏は中国共産党による臓器狩り(良心の囚人などから生きたままの臓器を強制的に摘出し、販売する行為)は「極めて懸念される」問題で、議会は「国務省に直接この問題を提起し、回答を得るよう働きかけるべきだ」「我々は中国と関係がある。関係があるのだから、それが我々の重要な懸念事項のひとつであることを中国は知るべきだ。この問題は絶対
「それは多数の幸福の側に立つのか、一人の不幸の側に立つのか、どちらを選択するのか、といったものではなく、だれかを踏みにじりながらみずからが安逸であることに、人間はどう心が乱されるのか、どのようにふるまうのか・・・」「このような(不幸な子ども)の存在の上に成立する幸福に人間がどうしても安穏とできないからではないか」(酒井隆史『賢人と奴隷とバカ』亜紀書房2023)きっとACPを「推進」しようとする人たちの心のどこかに「どうしても安穏とできない」ものがあるのでしょう。ACPに従わさせられる人(
「こう言ったらあれですが、もしかして能登半島って復興させなくてもいいのでは・・・?老人しか住んでいないわけですから、家建て直しても無駄になりますし、東京郊外にでも移住させた方が安く済むのではないでしょうか」いう政治家のコメントについての議論が広がっています。「言いにくいことをよく言った」と肯定する人も少なくありません。経済的効率性から言えばそうなのかもしれないとも思います。だが、被災直後の映像や、住民が混乱の中で「もう住めない」と言ってしまう状況はありますが、だからといって今の段階で
1月は、あっという間に過ぎてしまいました。昔から、1月~3月は早く過ぎると言われていますが、元日から地震が起こり、2日に飛行機事故が続き、気鬱なままどんどん日が過ぎてしまいました。家でテレビを見ていることに申し訳ない気持ちで、救護に入る医療者たちを見ていました。2014年3月に、全国自治体病院協議会石川県支部から講演に招いていただきました。“のと里山空港”の会議室で、能登地域の公立病院の方々にお話ししたのですが、その時の参加者の所属されていた病院名が次々に報道されて、身につまされる思い
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