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↓香園寺さんのページ四国第六十一番霊場|香園寺|子安大師子安大師の香園寺は四国第六十一番霊場です。聖徳太子(574~622)の開基という四国霊場屈指の古刹です。境内の子安大師堂には、無事安産や子授かりを祈願する参拝者が多数訪れています。www.koyasudaishi.or.jp令和6年、5月には、建築中の新しい木造瓦葺の建物が、見られました。次回、来ることができれば、素晴らしい寺坊が見れますね。奥には、方形の建物も見えます。工事の間は、仮の納経所ですね。続く。からです。白い
令和6年5月仮の納経所以前の感覚で、、7時に着いてしまった。現在は、お寺は8時からになっていたんですね。1時間、、境内でゆっくりした。からです。四国第六十一番霊場|香園寺|子安大師子安大師の香園寺は四国第六十一番霊場です。聖徳太子(574~622)の開基という四国霊場屈指の古刹です。境内の子安大師堂には、無事安産や子授かりを祈願する参拝者が多数訪れています。www.koyasudaishi.or.jp大きなホールのような大聖堂愛媛県生涯学習センターデータベース『えひめの記憶』
案内看板栴檀山香園寺(61番札所)この寺は、用明天皇の病気平癒を祈って聖徳太子が開創したといわれています。弘法大師が四国巡錫のとき、この寺の麓にさしかかったところ、1人旅の女の人が道の傍らで、難産で苦しんでいるのを見かけ、さっそく祈祷したところ、男の子を安産したので、大師が「安産、子育て、身代り、女人成仏」の4誓願と祈祷の秘法を寺に伝えたと伝えられています。このため、本尊は大日如来ですが、脇仏の子安大師に信仰が集まっています。子安大師様香園寺の年中行事が貼られてい
香園寺も、もうそこだね。川原谷環境保全会さんありがとう。続く。右から、、☜六十ばん前札清楽寺へ二丁☞へんろ道へんろみち願主和田屋利平明治十四年巳五月吉日真ん中の低い道標右へんろ道施主佐木、、、左側の道標☞六十一番香園寺☜六十二番寳壽寺福岡縣嘉穂郡飯塚市加藤孫三↣六十番横峯寺昭和六年十二月大切な道標が3つもある場所。香園寺の寺標が建っている昭和22年6月15日に建てられたもの山岡瑞圓大僧正の名も
向かう先の、むこうに、、青い空に、、神聖な御山が見えた続く。早く、、札所に向かいたくて、6時半頃出発した。ビジネス旅館小松を出て、先ずは61番札所の香園寺へ。1Km、、位だろうか標識のポールに、お大師様の影休憩所を設けてくださっているんだね。ありがたいな。香園寺方面に西に呉服屋さんだ創業明治二十五年歴史あるお店遍路道標が建っている。☜六十番大峯寺道奉寄進世話人、、、、、、慶応四年に建てられた道標明治元年となる、江戸時代最後の元号横峰寺は明治には『大峯寺』
お遍路、、また、旅の朝の準備。僕にとって、大切な、、もちろん朝の祈りも大切。それ以外に、、、、、お通じ(^^;)歩き旅なので、いつも公衆便所があるわけでもない。僕のからだは、起きてから1時間位しないと、もよおさない。。朝食は6時の予定、、4時に起きた。新しくなった、ビジネス旅館小松は、とってもきれい。作りもよく考えられていた。洗面所やトイレ、洗濯場は、奥にあり、音などの配慮があるように思う。朝の洗面、夜間のトイレも行きやすかった。5時まで待って、、髭剃り、歯磨き、トイレす
瓶ビールや瓶ジュースのケースが積み上げられている。もうすぐ、、お宿💦続く。からです。ここの交差点を、右に曲がったら、小松藩の陣屋跡などがあるようでした。ここは、、、養生館跡養生館(ようせいかん)というのは、小松藩の学校(藩校)のことです。小松藩では、学問の振興に力を注いできました。なかでも七代藩主一柳頼親公は、享和二年(1802)藩校である「培達校」を開校し、子弟の教育を始めました。その翌年の享和三年、さらに小松藩の教育体制を整えようと、近藤篤山先生
えっこら、、よっこら、、、ゆっくり下る。『へんろみち』ありがとうございます。松山自動車の高架下で、、休憩鳥さんも、、濡れちゃうね。続く。からです。雨でも、、行こう。、、、足痛いな。早く、お宿に着かないかな。ちょっと歩いては、振り返る。松山自動車道少し行くと、、屋根のついた御堂が見えます。立派な御堂だな楠岡村の地蔵場所・楠岡村砥石場建立起源道祖神として建立は古く不詳なり現在の地蔵尊像宝暦七年(1757年)(再建立されたと思われる)信仰・旅の安全
写真ではわからないが、、雨がきつくなってきた。記録した、ノートを見た。『砕石場で休む、、、完全イヤ吉』下からのぼる、道しるべ。濡れながら、、、ここに座り込んだ。(*_*;からです。小雨降る中、くたびれて、、ここに15分座り込んだ。、、いつまでも座ってられない。。よっこいしょ、、、立ち上がった。『砕石場』から『ビジネス旅館小松』に向かう。17時8分砕石場の横を先に進む。この景色も、記憶に残るのだろう。夕刻、、トボトボ、、、案内板小松から、おこやを経て、横峰寺
昨日の晩ごはんは、母親のリクエストで国分寺かっちゃんのお好み焼きです。母親は豚玉私はイカ玉、美味しかったです(^o^)昨日の昼ごはんは、温寿司です♪美味しかったです(^o^)妹が旦那さんと車でお遍路してます。室戸岬の方(日帰り)は遠くて疲れたと言ってました。さすがに足摺岬の方は泊まるそうです。私は40代で友達と車で周り、その後で一人歩き遍路(区切り打ち)しました。もうこの歳では歩き遍路は無理。あの時に決意して行っておいて良かったです!
青い遍路札息子様の供養を願い、歩んだ方がいる。祈りの道。僕も、、まだまだ、、続く。からです。そう、、僕もまだまだ、、頑張れる、、、はずだ。雨、、パラパラ写真、、、ブレブレあぁ、、、、クタクタしんどいけど、、いい道だな、、愛媛県の山火事注意の看板火消のリスさん可愛いふ~~((+_+))💦しんどくて、下ばかり見る、、雨の夕刻かな16時10分の、僕。朝5時から、、日頃、歩き慣れてない僕には、時間かかりすぎでも、この山、下りるしかない。、、、朝、ゆっくりしていたら
15時40分。お宿まで6Km位ある。元気で、時間も早ければ、、、、奥之院に向かったかも。以前聞いた言葉を思い出した。本来の道。ここから右は、明治からの道だろう。本来の道は、横峰寺から、打ち戻って大頭から、香園寺への道だ。今まで、昭和の真っ直ぐの道に行った。今回、時間もなく、明治に、下からのぼったであろう、日野駒吉様(1873年~1951年)「寿し駒」によって建てられたと語り伝えられてきたという。舟形地蔵様が並ぶ道へ向かった。続く。からです。60番札所横峰寺から
きれいな道『あしもとに御用心して下さい』続く。からです。横峰寺からの下り道かつては、こちら側から登った時もあるだろう、、日野駒吉様(1873年~1951年)「寿し駒」によって建てられたと語り伝えられてきたという。舟形地蔵様が並ぶ『三十二丁地蔵講中』そのお地蔵様の足元の、遍路札導いてくださる、、有難さ3.6Km下りてきた町有林地区内入山心得町有林地区へ入山される方は下記事項を守り森林資源の育成・愛〇に御協力下さい入山心得1.
『愛宕山大師堂』錆びても、、落ちても、、導きの札すべてのものに、導かれ、、心の中の思いを信じ、歩く。続く。からです。もう、、2年も前のへんろ記録。今(令和8年の今年3月)は、六十六番雲辺寺まですすんでいます。、、、早く、書かないと💦さぁ、、六十番札所横峰寺の下りです。通行注意足元に十分注意してゆっくり慎重に通行してください西条市そう、、下りはゆっくり行こう。僕は、、背中の荷物の重荷を考慮せず、走って下って、、膝を壊してしまったことがある。上りより、
お地蔵様に、導かれて歩く。日々の生活も、、いつもお地蔵様は、導いてくださっている。木の遍路札『同行二人』からです。小さな自分。大きな四国。小さな自分。大きな仏様。小さな自分。大きな大自然。小さな一歩。やがて大きな旅になる。うん!!行こう!!!心に、仏様の種を持って生きる。僕は愚かだけど、、心に仏様の種をいただいているんだ。誰しも、種があるんだ。『愚鈍』な僕だけど、、、、、ただ、歩く。あぁ、、ここにも、お地蔵様愛媛県生涯学習センターデータベース『えひめの記憶』
へんろみち保存協力会の立札『時と金かけて歩くはへんろみちこの痛みこの疲れこそ有難きかな』からです。道々に、、距離を教えてくださる舟形地蔵様雨が降ろうが、暑い日だろうが、、そこにいて、、、祈ってくださる菩薩様『二十二丁』『二十三丁○○講中』あぁ、、お優しいお顔、、へんろみち保存協力会の『遍路道』の札が導くありがとうございます。m(__)m石の、、階段昔、、昔から、、、そして今も、整備をしてくださった御方がいる。とってもきれいな道。きっと、掃除して
「寿し駒」本名日野駒吉様も、、この道を歩かれていたんだな。遍路の偉人達も、踏み固めた、、遍路道横峰寺から2.1Km下りてきました。からです。日野駒吉様が関わったであろう、舟形地蔵様『二十丁峯ゟ二十丁』峯の下の文字『ゟ』、、、、、『より』って読むそうです昔の文字が、スラスラ、、読めたらいいのにな、、、勉強不足。現地で、わからないことが多いので、、パシャパシャ確かに、この日、2年前の令和6年5月19日に、ここにいたんだ考えながら、、悩みながら、、、、、何かを探しな
教えの言葉をくださる、遍路札『大自然と心を繋ぐ遍路道』からです。自然の中に、我が身を置いて、遍路道を歩く。厳しさも、、優しさも、、いろんなことを感じられる。舟形地蔵様『十六丁』道案内の、お地蔵様がありがたい(≧◇≦)時間は14時になった。、、、お腹空いたな。気持のいい場所で、ベンチがあった。靴を脱ぎ、、足のケア。前日潰した、足の豆、、、大きくなってきた。足裏のテーピングを外し、水抜き。。朝に買った、おにぎり2ケを食べる。少しちぎり、手に載せ、供養
ここから車道を離れ、山道へへんろみち保存協力会の平成遍路石香園寺まで8.4Km横峰寺から1.2Kmおりてきた横峰寺からの下り。車道から土の道へ標高745mの横峰寺から、、伊予小松方向に下り、、車道から、土の道に、、『おこや』の分岐点に向かう。愛媛県生涯学習センターデータベース『えひめの記憶』によると、本谷林道との分岐点から距離にして約900m、高さ200mほど登った所が、地元の人々がおこやと呼んでいる地点である。前出の**さん・**さんの話によると、おこやには昭和20年代
令和8年3月30日出発前の記念写真また来るようにと、声を掛けてくださる、、お父さん。、、(/ω\)泣けた。また来ます。からです。97歳の民宿岡田のお父さんお遍路についても、人としての姿についても、、見せて教えてくださったあぁ、、、こうありたい。大好きな人尊敬する人出会えた事が、僕の宝だ。お宿を出て、同宿だったお姉さんと、雲辺寺の登り口まで。いざ!!登り口手前お姉さんは、先に行った。ここから上の車道まで、、約2Km位を、、、1時間45分?おっそ~い(≧◇≦)
お遍路2日目寝不足だったので昨夜は19時すぎには寝ました普段こんなに早く寝ることなんてない遍路中は家事もしなくていいから自由に過ごせる至福の時間最高です朝ごはんをしっかり食べて昨日の佐古駅近くの駐車場に移動車を停めます🅿️2日目予定佐古駅→恩山寺→立江寺歩き遍路2日目出発!歩き始めると昨日の疲れが出ているぞ⁈体も頭も重たいな栄養剤飲んでみる!体が元気になってきたーよし!これで1日歩ける!何回徳島来ても眉山、行ったことない。前回はここの区間は歩かなかったし
あぁ、、昔、、通夜をした、、思い出の場所日暮れで、、疲れ、座り込んだあの時を思い出す。屋根がありがたかった初日、、脚がまだしっかりしていなく、疲れて辿り着いた。来たかった、、泊まりたかった『民宿岡田』に到着。続く。初めての遍路は、、子供の頃に、母親、姉、おばあちゃん、、近所のおばあちゃん達と回った四国遍路。タクシーでの、一国づつのお参りだった。四国を忘れられず、思い出し、、僕は、29歳になって、歩き出した。歩きの遍路旅でも、思い出のお宿『民宿岡田』さんに、今回泊ま
1日目の予定は大日寺→常楽寺→国分寺→観音寺→井戸寺→最後のお楽しみは「いのたにラーメン🍜」大日寺名西旅館の横を通ります2年前に歩いた道、景色をちゃんと覚えてるそうそう、ここ歩いたなぁ遍路道は穏やかな空気が流れてるホッとするなぁ〜歩き途中、おじいちゃんが声をかけてくれてお接待で缶ジュースをいただきました優しさに触れるとハッとします日頃優しさを忘れてる見ず知らずの者なのにお接待してくださるなんて恐縮です常楽寺石積みがすごいなぁ〜車遍路の時はじっくり周りを見る
行きたかった、遍路旅。休み3日取り、三角寺、雲辺寺を打つことに決めた。今回の目的の一つに、『民宿岡田』さんに泊まりたい(≧▽≦)そう思って、早くから宿の予約をしていた。伊予三島駅からの歩き始め、三角寺を打ち、お宿(民宿岡田)、翌日に雲辺寺を打ち、香川に下りて、、どこかで帰宅の計画。そわそわ、、わくわく、、ドキドキ、、、。何度行っても、落ち着かない。地元の、沼天神(岸和田天神宮)に、旅の祈願をして出発。なんと、おみくじが『凶』ここで気付けばよかった。、、、今回も見事に、恥
遍路に出たい気持ちはあるが、近春は家の用事があったりで、2泊3日がせいぜいで、長期間家を空けるのは難しい状況。次の遍路をどのように廻ろうかと思案もしている。一巡目を振り返ってお寺でもう少し心を鎮めてお参りできていたらとの思いはある。「祈り」の心持ちに欠けていたと思う。通しか、区切りかもある。今回、区切り過ぎたのかと思う。そのおかげで、一つ一つの記録は残すことが出来て記憶の解像度は高い。一方で、木を見て森を見ずの感も否めない。積み重なる時間の中で、思うこと、判ることはある
2回目の区切り打ち歩き遍路に行きました🌻花粉症がひどくて声ガラガラ焼山寺は花粉が少ない時期にします。今回は大日寺から立江寺まで歩く2泊3日の遍路いろいろあって心身お疲れ気味なのですがそういう時だからこそ行った方がいい!と、自分に言い聞かせ頭の中を頑張って遍路モードに切り替え前日にようやく準備バタバタです深夜に高速を走り徳島の佐古駅周辺に到着!1巡目の時は徳島駅に停めたので駐車代がめちゃ高かったけど徳島駅から1駅離れているだけで駐車場🅿️安くて助かります。佐古1番町バ
まるで舟形地蔵様の形のようで、びっくりした落ち着いて、、おりていこう。愛媛県生涯学習センターデータベース『えひめの記憶』によると、横峰寺から香園寺への打戻りの遍路道は、貞享4年(1687年)刊の『四国邊路道指南』によると、「○しんでん村○大戸村、此所に荷物おきでよこミねまで二里。○ゆなミ村、地蔵堂有。○ふるほう村、地蔵堂。大戸より山路、谷合。(中略)是よりかうおんじまで三里、右の大戸村へもどる。」と記されている。また『四国遍礼名所図会』は、(是より大頭町迄下り支度いたし、香苑寺
いざ、、おりて行こう13時24分右に、教えの額『心は目に見えなくてもやったことにはその心が現れている』丹原町七日会こちらには、、『あやまちを素直にみとめることから向上への道が開ける』丹原町七日会寺を打ち抜けて、教えの言葉をいただいた。心で、くり返し味わって、、歩く。こちらは、、う~ん読めない部分あり。『○○○○ならぬ事があるのは自分を反省する機会である』七日会(↓2016年3月の写真)へんろ道標が建てられている從峯
3/16から3度目のお遍路区切り打ちに出た。2度目の区切り打ちのゴールだった岩本寺はこちら。『【第三十七番札所岩本寺③】2025年3月16日四国八十八ヶ所お遍路旅(添蚯蚓〜岩本寺)』添蚯蚓から岩本寺をめざす。山頭火の碑のところ、県道が通っていて左右両方に行ける。ここは右では無く左へ。一瞬右手に行ってしまって、何か違っている感じがして、地図…ameblo.jp約1年ぶりのお遍路。今回の歩き期間は実質6日。今回は三十八番の金剛福寺から、四十三番の明石寺まで歩く予定で出発。本来なら、お遍
<禁酒解禁>2022年末にほぼ同時に発生した係累二名の病気平癒を真剣に願って、2023年から酒を断つことを決意した。乾杯や献杯など断りきれない冠婚葬祭などもあり、苦労したが、コロナの影響で飲み友達が激減したことも幸いしてなんとか一年目は「半年」の禁酒を達成した。(半年じゃまだ甘い・・・なにか、いい『テ』はないだろうか?)四国遍路には、1番札所から88番札所まで番号順に時計回りに巡る「順打ち」、半時計廻りに巡る「逆打ち」、分割して巡る「区切り打ち」がある。そし