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1920年七里七浦七えびす島は七島回れば七里七里七浦七恵比寿古くから『彦島謡』の一節に、こんな文句がある。むかし、平家全盛のころ、平清盛は、平家の祈願所を設けるために、全国に『七里七浦』の地を探させた。それは、七という数字が縁起のいい数だからで、家来たちは全国津々浦々、くまなく探しまわり、結局残ったのが、長門の彦島と安芸の宮島の二カ所になった。しかし、彦島は、七浦だけは揃っていたが周囲を測ってみると六里十五町五十一間(約25.3キロメートル)で、七里に少しばかり足りな
西洋の古代は地中海の北緯34度14分周辺が世界の中心だった。すなわち、地中海の海人族フェニキア人達の活動範囲が世界であった。東アジアも古代の海人族の活動範囲を世界とすれば、北緯34度14分が貫く日本列島の瀬戸内海が世界の中心となりそうだ。そう考えると、瀬戸内海の大三島にある大山祇神社と言う古社が日本総鎮守として信仰されている理由が理解出来る。マッパ・ムンディ(世界地図、wikiより)、ヘレフォード図1300年前後、ヘレフォード大聖堂蔵(イギリス)、一般的にTOマップと呼ばれている。地中海の
メキシコの世界最大のピラミッドにも聖なるラインが存在していた。①赤丸:チョルーラ(ピラミッド)とテオティワカン(ピラミッド)②赤四角:カスケード山脈(神話の火山)③赤緑四角:パジット山(サウスジョージア、2900m級火山)④赤黄四角:モチェ(プレインカ文化)⑤赤丸:チョルーラ(ピラミッド)とテオティワカン(ピラミッド)⑥白丸:コバ遺跡とウシュマル遺跡参考①世界最大のピラミッドは謎だらけ!内部に潜入してみた!CATARI(2018.12.8、参考)メキ
串本町の橋杭岩は弘法大師と天邪鬼が競争し、弘法大師が一晩で作ってしまったとの伝説がある。この橋杭岩は紀伊半島最南端の古い時代の聖なるラインの支点となっていた。天邪鬼とは縄文時代から聖なるラインのネットワークを作ってきた民(海人族安曇氏か!)で、弘法大師は後の平安時代に関わってきたと考えられる。この橋杭岩は聖なるラインの支点としての役割と、岩の列の両端にある弘法大師堂、蛭子大明神(弁財天)、権現島、浅間山神社を結び、御神体となる役割が考えられる。やはり、橋杭岩は人工的に作られた岩の列であろう。
下関市豊北町の北西端の角島に鬼伝説があり、鬼の岩や鳩島は鬼が投げたものだと言う。大体、鬼や天狗や河童に関わる由来があるものは、縄文時代まで遡る可能性のある聖なるラインのネットワークのノード(支点)であった。すなわち、古代の測地網の三角点である。鬼の岩角島鬼伝説の名残は、この岩。対岸の島戸(しまど)にある高坪山に住んでいた鬼たちが投げた石だと言われています。近くで見ると不思議な形をしており、いびつな跡は、投げた鬼の手形という伝説(参考)。鳩島角島と島戸の間にある「鳩島」も実は鬼が投げた物
志賀島の志賀海神社にも、宗像大社とよく似て、沖津宮と中津宮があった。しかし、ここの沖津宮より中津宮の方が重要で、沖ノ島、沖津宮、中津宮そして金印出土地を一直線に結び、また宮地嶽神社、中津宮、桜井二見ヶ浦の夫婦岩そして姫島を一直線に結び、また中津宮、志賀海神社そして住吉神社をも一直線に結びつけていた。中津宮には重要な三本の聖なるラインが存在して交差した。漢倭奴国王印の金印は例の志賀島の金印公園(江戸時代の発見時は畑)は、志賀海神社や住吉神社の宮司と大宰府政庁の役人らによって意図的に埋められた所
吉野宮は神武天皇ゆかりの地であり、以降、歴代の天皇方が訪れ、特に有名な事件では後醍醐天皇以来の南朝の正統な天皇が隠れ住まわれたり、明治維新の先駆けとなる天誅組の変が奈良や京都を離れて吉野の周辺での反乱であったり、古代からつい最近まで日本史の中心的な地であった。卑弥呼の邪馬台国の首都と見られる纏向遺跡ですら、宮殿の主軸は吉野の方向に向いている。朝日新聞(2018.5.16、参考)奈良県吉野郡吉野町宮滝地内宮滝遺跡(3D)、南から北へ見下ろすこんな歴史的にも辺鄙な地に、どうして歴代天皇が訪
伊能忠敬は初めて日本地図を測量に基づき作った人物とされているが、伊能忠敬の日本地図完成よりおよそ半世紀前に、驚くべき精度の日本地図があった。その地図の名前が「改正日本輿地路程全図」とあり、改正前の原図があったことを示唆している。また、同時期の山口県には山の高低まで精密に表示した防長土図があった。伊能忠敬は全国を歩いて測量した為に有名になったが、それよりも前に、歩かずとも測量出来る方法があったことを示唆している。それも、高度まで測量出来る方法であった。実は、古代に既に日本海を越えた遠隔地までの
仏教など東・西・インド文化の融合の華は、北緯34度14分の夜空の星を基に作られた宿星図を頼りに旅する人びとによって運ばれて、融合したようだ。参考①日本に伝わる前の仏教知る鍵ウズベキスタンで壁画発見朝日新聞(2018.11.18、参考)シルクロードをへて広がった仏教美術の源流をうかがわせる極彩色の人物壁画が、中央アジア・ウズベキスタンで発見された。立正大学と現地の研究者による共同調査団が見つけた。2~3世紀の作とみられ、仏教が日本に伝来する前にいろいろな文化に触れながら変容してきた姿が
歌山県東牟婁郡古座川町の古座川流域に奇岩が並んでいる。これらの奇岩を並べてみると、三本の直線上にピッタリと並んでいる。さらに遠くの神社、聖域、遺跡などとも聖なるラインで接続していた。これら奇岩などは自然のものでは無く、人為的に工作され配置されたものと考えられる。①赤丸:十万岳②赤四角:滝の拝③赤白四角:柿太郎のまわり④黄四角:天柱岩と古座川の一枚岩と飯盛岩天柱岩一枚岩飯盛岩⑤緑四角:牡丹岩と少女峰と川内島と虫食岩牡丹岩少女峰河内島虫食岩①赤丸:
天孫降臨を導いた猿田彦大神を祀る白髭神社、この白髭の猿田彦大神は寿老人のことでは!?寿老人は南天の星、カノープスの別名であり、スターナビゲーション(星空航海術)の為の宿星図にあるシリウスの次に明るい南限の星であった。グーグルアースでは琵琶湖沿岸の本宮の白髭神社の他は北九州に分布している。ただし、未登録のものが関東(埼玉県狭山市柏原)にもある。このカノープスが夜空に確実に見えるのは、九州全土、四国、紀伊半島あたりになる。雑談山口県の別府弁天池は白髭の老人が夢に出て場所を告げたと言う話があ
山口県美祢市別府弁天池、北緯34度14分開墾地の水源に困っていたところ、白髪の老人が夢に現れ、そのお告げのとおりにすると清水が出てきたとか!この白髭の老人とは寿老人、すなわち南天のカノープスのことであろう。朝日新聞(2017.6.30)
太平洋の真っ只中にある孀婦岩は伊豆諸島から伊豆半島、富士山へと続く海底火山として生まれた岩山である。したがって、古代人が建設した聖なるラインのネットワークの支点になっているとは思わなかったが、念のために調べてみると驚くべきことに最重要な支点であった。この岩山を旧石器時代以来の海の民(海人族安曇氏)が作ったとは信じ難いが、周辺の同様な岩山を取り除いたとか、何らかの手が入っている可能性はある。これに関連し、この岩山と聖なるラインで結ばれた与那国島海底地形は人工的な遺跡とも自然地形とも論争がある
油壺マリンパークの南の岬の先に弁財天を祀る洞穴(矢倉)があった。現地の言い伝えでは、16世紀初めの戦国時代に弁財天を祀った。聖なるラインを引いてみると、弁財天矢倉のある岬は江ノ島と同時代に作られた聖なるラインのネットワークの支点と思われる。この岬は人工的に作られたものかも知れない。よく似た例、すなわち人工的に作られたと思しき岬が少なくとも北海道、伊豆半島、山口県光市の三ヶ所にあることを参考として例示する。弁財天矢倉洞窟の一番奥には弁財天立像が祀られているらしい。この像は永正年間(150
エジプトのギザのピラミッドの位置のうち、緯度が正確に光の速度の数値とピッタリと一致した!ピラミッドが作られた同時期の日本は縄文時代で、太陽のほか月や星の天文観測によって、その土地の緯度・経度を求めて、三角測量に基づく測地網を構築していた。当ブログでは聖なるラインのネットワークと呼んでいる。この測地網は日本列島を越えて、世界中を巡らしていたことが判明している。すなわち、ピラミッドを建設するにせよ、その位置は正しく天文観測して決められていたと考えられる。この古代の天文観測による緯度・経度の測定に
萩城の背後の山、指月山は篭城に備えて椎などの実のなる木を植えたと言われている。この山があまりにも美しいピラミッド状の姿であったので、試してみると聖なるラインが多数見つかった。山頂に鎮座する巨石は石垣にするつもりだったと言うよりも、毛利氏が築城する前から既にあった磐座と考えられる。この巨石を観察すると上面に刻みが多数見られるが、岩を小片に分割することが目的ではない単なる模様と思われる。指月山、宮崎八幡宮と萩城①赤丸:指月山、宮崎八幡宮と萩城②黄丸:姫島③黄四角:防長の国境碑
毎年元旦、宮司以下神職は神磯に降り立ち、太平洋に昇る初日の出を奉拝するとのこと(参考)。しかし、神々しさを狙って南東に向いた参道を設け、関東の初日の出となる太平洋沿岸の岩場に一の鳥居を置いた訳ではない。神津島から太平洋沿岸を経由して東北地方への聖なるラインを延ばす為には、この地に神社とその鳥居を置くことが適当であったのである。太平洋に突き出た大洗磯前神社の神磯の鳥居大洗磯前神社の二の鳥居から北西方向の拝殿に向かう参道大洗磯前神社の拝殿大洗磯前神社の神磯の鳥居、茨城県東茨城郡大洗町磯浜町
16世紀末の世界地図でも南極大陸が描かれ、地中海と日本列島が同緯度に描かれていた。公式な南極大陸の発見は19世紀になってからです。北極を中心とした世界地図、円周上が南極?1544年ミラノ生まれのウルバーノ・モンテは、40代前半に地理学に向かい、20年もの歳月をかけて、世界地理のあらゆる知識を数冊の書物にまとめあげた(参考)。拡大地中海と日本列島が同一緯度(赤丸が北緯34度14分あたり)にある。北極では想像で丸い陸地を描いているが、南極大陸は具体的な海岸線で描かれている。参考①南極大
聖なるラインのネットワークは縄文時代の環状列石や巨石群(磐座)、霊山に始まって、神社や各種祭祀遺跡を相互に結びつけて世界に広がっていた。世界各地の首都クラスの由緒ある都市も聖なるラインの交点にのっているケースを見出しているが、古代の祭祀場を核にして発展したと考えられる。古代の朝鮮半島の百済の祭祀遺跡、竹幕洞祭祀遺跡が沖ノ島の祭祀遺跡と似た様式で、同時期から発達したことが報告されている。この遺跡は中国大陸の長安、華山、洛陽、鄭州と、そして日本列島とは特に密接に聖なるラインで結びつけられている。
中国の陜西省に華山(かざん)があるが、道教や仏教の聖地であった。ほぼ同緯度の下関市にも華山(げさん)があり、やはり仏教や神道の聖地である。何らかの関連がありそうだ。中央:華山、陜西省真西に秦の始皇帝の咸陽がある。参考①中国に「最も危険な雪かき人」命綱つけ、向かう先は…朝日新聞(2018.2.1、参考)中国陝西省で、断崖絶壁の登山道を雪かきする人たちが注目を集めている。ネットでは「最も危険な雪かき人」と話題だ。「危険」な雪かきが行われている現場は、陝西省の省都・西安から東に約
名田島の岩屋山地蔵院の磐座が周防灘を越えて、豊国(福岡・大分)と防長(山口)を結ぶ聖なるラインの交点であった。特に、東門鎮護住吉八幡宮から真南の聖なるラインの基幹軸との交点を4つも持ち、最上位に近い相当神聖な磐座と思われる。ここの磐座もジオポリマーコンクリートによる人工物のようだ。山口市名田島向山中3483岩屋山地蔵院①赤丸:岩屋山地蔵院、山口市名田島向山中3483②黄丸:大杵社、湯布院町③黄四角:宇佐神宮④緑四角:大富神社⑤緑丸:若八幡宮と日隈山、月隈山、星
約2600年前の古代ギリシャで皆既日食を予測し的中させ、戦争をやめさせたとか!皆既日食の予測には高度な天文学の他、ごく限られた帯状の皆既日食の地域を示す必要がある。すなわち、何年何月何日何時何分何秒の北緯X度、東経Y度で皆既日食が見えること証明し、さらに北緯X度、東経Y度が具体的に何処の国の何処の町あたりかを示さなくてはならない。すなわち、太陽と月の運行に関する天文学の他に、精密な地図が必要となる。少なくとも、皆既日食を目撃したい地域の正確な座標すなわち、北緯と東経は精密に決定されている必要
本州最西端の岬、毘沙ノ鼻は神功皇后伝説がある地点であった。さらに、この岬は響灘沿岸の神社などに届く聖なるラインを多く持つだけでなく、鬼ヶ城、軽島豊明宮、沖ノ島を結びつける聖なるラインの上にあった。すなわち、単なる岩石の岬ではなく、古代人(海人族)の手によって作られ・位置調整された神聖な地点と考えられる。東側にある鬼ヶ城と呼ばれる山は日本書紀に出てくる長門城であるが、頂上付近に版築工法によると考えられる岩塊があり、やはり同様に古代人によって作られていた。毘沙ノ鼻、西から東方に見下ろす(3D)
応神天皇の軽島豊明宮の周辺の甲山、毘沙ノ鼻、鬼ヶ城は聖なるラインで相互に結ばれ、また夫々、周辺の寺社や磐座と聖なるラインで結ばれていた。軽島豊明宮、甲山、毘沙ノ鼻に関わる聖なるラインについては既に検討したが、ここでは鬼ヶ城について検討し、やはり聖なるラインで周辺の寺社に結びつけられていたことが分かった。すなわち、甲山、毘沙ノ鼻、鬼ヶ城は全て自然な山や岬とは言えず、人為的に造成された地形と考えられる。それでは誰が作ったのであろうか?石鎚山、鞍馬山、愛宕山、比良山、伊吹山では天狗の伝説があり、
欧州大陸の首都、古都、有名古代遺跡は、古代メソポタミア文明、古代エジプト文明、古代フェニキア文明、古代ユダヤ文明などが育った古代オリエントの都市を出発点にして、聖なるラインを伸ばして広がっているように見える。ただし、スカンディナヴィア半島の北端のナルビックという最北端の都市を支点にしているようだ。聖なるラインの交点はほぼ間違いなく古代の祭祀場であり、現在の各国の首都は古代に遡れば何らかの祭祀場であることになり、ここを人々が取り囲むように都市化して行ったと考えられる。古代のクロマニオン人をはじ
カルナック列石は4キロメートルにも及ぶ列石と環状列石などからなっている。環状列石は場所の経度を決めるものであるが、長大な列石は何を意味しているのだろうか?リトアニアのカウナスからフランスの首都パリ、カルナック列石、そして大西洋を越えてマヤ遺跡群(正確にはパレンケやトゥルムに達する聖なるラインが存在して、その方位とカルナック列石の並びが一致していた。すなわち、カルナック列石の長大な岩の列は大西洋を越えて一直線に精密にマヤ遺跡に命中するするために用意されたと考えられる。カルナック列石上空から
平安時代の安倍晴明の天文台のあった阿部山は、縄文時代から建設された聖なるラインのネットワークに属していた。そして、現在の国立天文台の場所の近くにあった。天文観測に適した地域は古代も現代も変わっていなかった。多分、曇り空が少なく、空気が澄み渡り、大気揺らぎが少ないことなどか条件と思われる。北アメリカのウイルソン山天文台が北緯34度14分にあり、パロマー山天文台、ヤーキス天文台、バンデンバーグ空軍基地が中央アメリカのマヤ遺跡の天文観測に関わるピラミッド群と聖なるラインで繋がっているのも同じ理由で
山口市は盆地状の平野にあるが、ピラミッドのような小山が中央にポツリとある。姫山と呼ばれるこの山は人工的なピラミッドではなかろうか!?との予感に基づいて聖なるラインの存在を調べると、この山の頂上は聖なるラインの交点になっていた。まさに、広島県庄原市にある「日本ピラミッド・葦嶽山」などと同じく人為的に定められたネットワークノード(三角点)であった。現在の姫山は「姫山伝説、山口ブスの発祥の地」としているが、この姫山と姫山伝説は関係ないようだ。姫山伝説が成立する前から、この山の名前は姫山であり、戦国
イースター島のモアイ像も聖なるラインのネットワークのノードであった。日本にある磐座のような巨石信仰と同じであった。ある意味、完成形と考えられる。太平洋を西に越えてアジアの東部に達していた。フィージーやソロモン諸島を通過しているのは当然としても、大陸奥地の莫高窟やインドを越えたガンダーラ地方にも達していた。東方向には北米のインディアンの遺跡、南米のマチュピチュ遺跡に接続することは容易に納得出来るが、ヨーロッパにも達していた。すなわち、聖なるラインは太平洋・大西洋を越えて世界一周していた。ただし
秦の始皇帝(約2200年前)ゆかりの地、秦氏の末裔の遺跡、秦ゆかりの少数民族の村、古代文明の遺跡などの場所をつなげてみると、聖なるラインが見出せた。仏教遺跡の莫高窟も聖なるラインの交点に場所を定めて作られたようだ。時代は遅くなるが紀元後4世紀の前秦が支配していたあたりであった。全てとは言えないが、古代遺跡、古代文明、さらに現在まで続く大都市などは、聖なるラインの交点を発祥の根拠にしたと思えなくも無い。①赤丸:莫高窟(敦煌市、⑺)②黒丸:北京(古代の燕の国の首都、⑹)③青丸: