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北海道炭礦汽船(北炭)のポスター炭鉱全盛期のもの。貴重な遺産ですね。
万字線沿線の炭鉱は1905(明治38)年、北炭が万字に万字炭鉱を開坑したことから始まる。1914(大正3)年志文と万字炭鉱を結ぶ万字線が開通し、沿線で炭鉱の開鉱が相次ぎ、朝日、美流渡、万字の各地域は多くの炭鉱関係者が住む住宅街と市街地が広がり賑わいを見せるようになりました。戦時中も出炭量は増加し、昭和30年代には万字線沿線の人口が2万人を超えました。石油や安価な海外炭の広がりによって石炭の需要が減少したことを背景に、1960年代半ば頃をピークに減産へ向かいます。1969年には北星炭鉱、19
富良野で見つけた会社の名前。北炭という文字に心躍るのは自分だけ?nostalgiaNo48は万字炭鉱エリアです。nostalgia製作委員会作成した動画を友だち、家族、世界中の人たちと共有www.youtube.com
炭鉄港交流事業、他に地域の日本遺産の方がお越しになった、に参加しました。改めて石川館長の秀逸な解説の元、冬季間クローズではありましたが、資料の数々を堪能しましたよ!
今日は、小樽ブログ、炭鉄港ブログ共通投稿です。仕事の関係で手宮にある北炭ローダー基礎に行ってきました。夏や秋を経た基礎には緑の残照が。綺麗でした。お隣にあった手宮高架桟橋、そして築港のカーダンパー、ローダー、トランスポーターと並ぶ石炭積出の施設では、最後まで現役でした。1980年稼働終了、1985年撤去。これはずっと残して欲しいと思います。北海道鉄道発祥の碑もありました。
昨日から月曜日まで出張。と言っても、仕事1割、遊び9割。昨日は、レンタカーを借りて、夕張市の石炭博物館に行きました。この地区の石炭産業の栄枯盛衰がまとめられていて、模擬坑道では北炭OBの方が現場作業を機械を動かして解説してくれました。日本経済の日本産業史に興味のある方にはマストの見学施設です。ところで、夕張というと、2006年に財政破綻したので、ゴーストタウンかと思っていましたが、街はきれいで人もそこそこいて、まったくそういう印象はありませんでした。やはり現場に行ってみることが
自分がやっているYahooクリエイターゆべーる|Yahoo!JAPANクリエイターズプログラムゆべーる(地域クリエイター(札幌市))-通訳案内士(全国&札幌)、そしてライターや町おこし組織の認定ガイドとして、いつも札幌市内の出来事やおすすめ情報を探しに歩いてます。コーヒーショップ、ワイン、レストランなどが大好き。またホルン奏者でもあります。creators.yahoo.co.jpの記事のため、上白石橋を通りながら、往年の千歳線、苗穂〜東札幌〜豊平ルートをサイクリングしました。ま
夕張の清水沢に残る坑口跡。入口が四角形は初めて見た。このあたりにはたくさんの遺構が残る。あれこれ妄想しながら見て歩くには最高の場所。
10月16日の誕生日の花は、ヒヨドリバナです。花言葉は、「清楚」です。1945年FAO設立1964年中国が初の核実験1978年ヨハネ・パウロ2世ローマ教皇に1978年青木功選手、初の海外優勝1981年北炭夕張炭鉱事故(90人以上が死傷)1986年メスナーすべての8000m級の山を無酸素で制覇
今回は夕張鉄道栗山町編です。栗山駅-新二岐駅間の駅跡を訪ねてみました。(写真は2021.9、2021.12、2022.9秋夏が入り交じっています)↓前回は、江別市~南幌町~長沼町『夕張鉄道①野幌駅~中央農試前駅~第二夕張川橋梁』炭鉱で栄えた夕張には、石炭を運ぶため、多くの鉄道が走っていた。夕張線(夕張支線)を皮切りに夕張鉄道線、三菱大夕張鉄道線、登川支線の4路線26駅、他にも炭鉱の専…ameblo.jp【夕張鉄道】北海道炭礦汽船(北炭)が夕張の石炭を産出するために設立された炭鉱鉄道
炭鉱で栄えた夕張には、石炭を運ぶため、多くの鉄道が走っていた。夕張線(夕張支線)を皮切りに夕張鉄道線、三菱大夕張鉄道線、登川支線の4路線26駅、他にも炭鉱の専用線や工場の専用線も多くあった。2019年夕張支線が廃止され、現在夕張市のある駅は石勝線の新夕張駅、滝ノ上駅の2駅のみとなった。【夕張鉄道】北海道炭礦汽船(北炭)が夕張の石炭を輸送するために設立された炭鉱鉄道北炭の子会社夕張鉄道株式会社が運行(廃止の前年に親会社の北炭に譲渡)江別市野幌駅から夕張市夕張本町駅を結んでいた。1
昨日、炭鉄港カードのblogを2連発してしまいました(-_-;)三菱合資会社を今日upするつもりで書いて、以前訪問した時の写真を探すのに、下書き保存したつもりで投稿していた…という失敗。気づいたら「いいね」をいただいていたので消すわけにもいかず、連続投稿となりました。ということで、今回が室蘭の6枚目です。北炭専務取締役だった井上角五郎氏の別荘があった場所に建てられた山荘風の意匠が特徴の倶楽部です。1926年、大正15年に建築された北炭の海員倶楽部です。
「北炭」と呼ばれ道民に親しまれていた会社は、設立当初「北海道炭鉱鉄道」でした。官営幌内鉄道の払い下げを受け、北炭が運行していました。石炭輸送のために港湾整備をしながら、輸送船も所有して採掘から輸送まで自前で賄っていました。小樽だけじゃなく室蘭からも輸送するように北海道の幹線約200kmを整備したのも北炭でした。その後、北炭の線路は国有化で売却され「北海道炭礦汽船株式会社」と社名変更。たまたま個人が石炭鉱区発見して大企業に発展したサクセスストーリー♪ってわけじゃありません
炭鉱は坑内作業だけではなく、炭鉱住宅などの電力も自前で賄っていた炭鉱が多くありました。赤平、美唄から山に鉄塔を建て夕張まで送電線を敷設していた炭鉱もありました。坑内から出るガスを利用した火力発電でした。財閥系の炭鉱は資金に余裕があったので、大工事もなんのその。系列の建設会社の仕事にもなるわけだし、財閥あげての大事業です。夕張にあった北炭の炭鉱は水力発電。その中の1つ、北炭清水沢水力発電所が、夕張市「道の駅メロード」で配布中。JR新夕張駅と隣接しています。
夕張の平和坑跡に残る坑口。THE坑口。この坑口は語れることがいっぱい。それは追々に。
2020年7月29日(水)第4回炭鉄港カードの旅【栗山町~夕張市】の続き栗山町から移動して、夕張市に到着!2年ぶりの夕張夕張の過去ブログ・道央旅行③夕張市石炭博物館(2018.9.29)・夕張の炭鉱~3つの夕張炭鉱について・今は亡き夕張「石炭の歴史村」完全版(※7.29時点の状況)夕張には2枚の炭鉄港カードが配布していたのだが、道の駅メロードで配布していたカードは1ヵ月足らずの7月中に配布が終了してしまった。(配布方法に問題があったらしいが………その少し前にも、同じ道
炭鉄港カード全23枚中20枚ゲット。残り3枚は室蘭市にある。いずれ行ければ行こう。で、コロナ禍の変則勤務ダイヤで出勤調整中の私に「いずれ」って案外早く来るもので(笑)まず1枚目は人物。井上角五郎氏。配布場所は北星(株)。この建物が渋い!実に渋い!!三菱のグループ本社が三菱合資会社だった時代の室蘭出張所。ここでは空知の炭鉱から室蘭港に運ばれてきた石炭の積み込みとあわせて、石炭の質を分析していた。その研究棟などでかなり大きな敷地に事務や研究の社屋が並んで
夕張市の2枚目は「旧北炭滝ノ上水力発電所」。道の駅「夕張メロード」で配布中のカードです。この発電所は大正13年建設(資料によっては14年1月の記載もあります)の小規模水力発電所です。「旧北炭」と書くと廃墟に思いますが、現在は「北海道企業局滝の上発電所」として稼働している現役の発電所です。北炭時代は、後に建設された清水沢火力発電所とともに地域の炭鉱・家庭に電気を供給する主要電源として活躍しました。北炭が夕張から撤退した平成6年、道が譲り受けて、現在は北海道企業局
赤平市のカードは2種類あります。まずは、赤平駅の中にある「交流センターみらい」で配布している「北炭赤間炭鉱ズリ山」。ズリ山は地域によってボタ山とも呼んでいる、石炭と一緒に出る石などを捨てて出来た山です。そんな中には使える石炭も混ざっていますから、悪ガキは石炭を探しに行ったり……。保安要員の人に見つかるとヤバイからコッソリですけど。(白状しちゃうとヤバイのかな?時効ですよね・笑)ヤマから掘り出された石炭はいきなり家庭に行くのではなく、選炭場に集められます。そこで、石炭とそ
取材日時2007年8月13日コメント・北海道、いや東京より北に存在する発電所では、当初最大規模を誇っていた、巨大発電所。石炭と水力のダブルで発電していた(最大6000キロワット)。しかし、相次ぐ炭鉱の閉山、原子力発電の台頭、輸入石炭の増加、環境問題と親会社の北炭の破綻のあおりを喰らって一気に閉鎖へと追い込まれた。小林伸一郎氏の写真集には、SFを思わせるような巨大な発電設備が詰め込まれ、まさに大型物件好きの俺としては、この日が来る事を長い事待っていた。しかし、実際はその予想を大きく裏切
取材日時2007年8月13日コメント・北海道二日目。今日も灼熱である。朝から燦々と太陽が照りつける、涼しいのは夜の間だけ、明け方にでもなればその明るさと共に気温がきれいに上昇していくのが体感して分かる。気分よく探索できるのは午前中の僅かな時間だけ、あとはひたすら日陰を目指しての移動移動移動・・・。バイクを止める場所にも気をつかう、まさに「探索に不向きな季節」の真っ只中の強行軍が今日も始まった。
取材日時2007年8月12日コメント・6年ぶりの北海道ツーリングが、廃墟探索。前回のロングツーリングを終えた時点で、おれがこのような形で再び北海道に上陸するとは予想だにしなかっただろう。今の職場で働くようになってから5年。有給休暇もそこそこに溜まってきた、病床の母の容態もいまは殆ど変化が無くなった、一時期ヒートアップしていたオネイチャン遊びも今は落ち着いている。となると、プライベートでやる事と言ったら、廃墟探索とツーリングという二大イベントをやるしかない。で、この数年間自ら封印し
北炭清水沢炭鉱は夕張市中央部、夕張川の右岸に事務所・坑口を有した北海道炭礦汽船経営の炭鉱。北炭遠幌炭鉱が1944(昭和19)年遠幌加別川の支流・石炭沢のそばに開坑。続いて1947(昭和22)年に清水沢炭鉱を開坑した。遠幌炭鉱は1947(昭和22)年に送炭場が完成し、三菱大夕張鉄道線・遠幌駅まで索道で石炭を運搬した。・北炭遠幌炭鉱・遠幌駅構内の石炭ポケット。背景に広がるのは岳見町の炭鉱住宅1950年頃・清水沢炭鉱立坑1955年頃夕張市石炭博物館・北炭清水沢炭鉱事務所1955年頃夕
夕張市では夕張川の本支流に炭鉱が開発され、鉄道が延び町並みが形成された。限られた谷底の平地に炭鉱施設、小規模な商店街が立地し、そしてその周囲には広大な炭鉱住宅街が広がった。炭住は職制、時代によって形態も様々である。職員住宅の周辺には来客用の瀟洒な倶楽部・合宿、テニスコート等があったが、炭住の中には昭和40年代まで外便所、外水道の建物もあった。明治の開発当初は「ハーモニカ長屋」と呼ばれた一棟20戸の棟割長屋が主流だった。・棟割長屋の模型「道の駅・メロード」に展示されているが一部破損。夕張市
•8100形は、かつて日本国有鉄道およびその前身である鉄道作業局、鉄道院、鉄道省に在籍していたテンダー式蒸気機関車で、勾配線区の客貨両用の蒸気機関車として20両が、1897(明治30)年にアメリカのボールドウィン社から輸入されたものである。軸配置は2-6-0(1C)。・北炭真谷地炭鉱専用鉄道8100形SL沼ノ沢1964年頃•道内の炭鉱鉄道へ実に12両が払下げられ、北炭真谷地炭鉱専用鉄道では5051、5052(旧番号8118、8106)の2両が小運転や客車輸送に活躍した。5052は196
「北炭夕張炭鉱」は夕張市北西部、夕張川支流の志幌加別川上流に展開された北海道炭礦汽船経営の炭鉱。1889(明治22)年に夕張採炭所が設置され、その後1892(明治25)年に鉄道の開通により発達した。・北炭夕張二砿選炭場とD50けん引の石炭専用列車1965年頃・北炭夕張鉱業所坑内状況昭和20年当時・北炭夕張炭砿大観1950年頃・絵はがき炭都・夕張1955年頃・北炭夕張鉱業所マッチラベル1960年頃・奥部排気立坑1965年頃優良な鉄鋼コークス用原料炭を産出し、最盛期
夕張市南部の滝の上地区。この辺りを流れる夕張川一帯は「ポンソウカムイコタン(北方にある神が住んでいるところ、小さな滝のあるところ)」と呼ばれ、反転した地層を夕張川が浸食してできた「千鳥が滝」「竜仙峡」、奇岩や大小無数の滝からなる渓谷は、圧倒的な迫力と自然の力強さをうかがうことができる。・千鳥ケ滝夕張市観光絵はがき1965年頃古くはその地形を活かしアイヌの「チャシ」が設けられ、後に、有名なB.Sライマンが日本人助手たちとともに舟で夕張川を遡った時、この「千鳥が滝」に進路を阻まれて断念し、後
清水沢から大夕張に向かう列車に乗車すると最初に高い煙突から煙を吐く北炭清水沢発電所の要塞のような建物を目にする。「清水沢発電所」は北海道炭礦汽船の自家用発電所として1924(大正13)年竣工の「滝之上発電所」(水力)に続いて、1926(大正15)年に竣工した。続いて赤いゲートが建ち並ぶ「清水沢ダム」が目に入る。火力発電所の冷却水導入施設として1940(昭和15)年に完成、水力発電所も併設した。清水沢ダム2007年・清水沢発電所・清水沢ダム北炭夕張鉱業所絵はがき1960年頃堤嵩25.