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函館ちゃんちゃんこ物語44(2)やがて閉館し取り壊される奥尻島ユースホステルに荷物を置いて、地理研メンバーは早速野外調査である。教授はノリノリであったが、学生の興味は、奥尻島の海岸に点在する奇岩や美しい海岸であった。幽霊だった二日酔いの3人も、奥尻島の自然に触れるにつれて、次第に人間に戻っていった。「甦る日本海の楽園、奥尻島」奥尻島に渡った地理研3年生、北の楽園、奥尻島の自然を満喫、地理実習だ!ということもすっかり忘れて、教授とともに遊びまくり、宿のユースホス
朝は冷え込んでいたけど時間が進むごとに気温も上がって、穏やかな晴れ~の神戸です。忘れない・・・忘れられない日が増えてく・・・・・今年は、山で手を合すことができなかったから、沖合が見えるところまで行って、行方不明となっている2520人の方が、ご家族のもとに帰れますようにと手を合せ、「花は咲く」を口ずさんできた。私が、地震・津波は恐ろしいと思うようになったのは、「北海道南西沖地震」・・奥尻島の津波、それ以後、地震が頻繁に起こって、当時住んでいた家が古かった
今日のアマゾンからのお届け物は柿の葉茶〜ビタミンCたっぷりの知る人ぞ知る?お茶😁ノンカフェインなので水分補給にもいいです👌昨夜のゆかりんチャンネル知ってはいたけど、詳しく説明され画像で見るとまたびっくり😵北海道南西沖地震の被災地慰問の際衣装を2週間で新調胸元ぱっくり、真っ赤なルージュ当時のお針子海ちゃんの証言を元に伝えてくれてます💪【上皇后ミテコ】震災はファッションショー発生2週間で衣装新調※内容と配信日時は事情により変更中止になることもあります。ご了承のほど
奄美大島に置いて来た22日振りに戻って来たポケ活を一緒に散歩してくれる友達欲しいなぁ二回り年上の清ちゃんは耳が遠いので内緒話しが出来ないガッカリリア友とポケ活しているけど歩かない人たちで車運転してるからわざわざ行かないしかも現役だから仕事もしているたまにしかやらない私はヒマ人だから昨日も歩いてキタキツネに遭遇した北海道南西沖地震の時夜中に車でポケモンgoしていた信号が一斉に消えた軽自動車が4人くらいで持ち上げられたような揺れだったちょうど車を停めてい
◆北海道南西部に大量のイワシ死骸せたな町にも大量のイワシ漂着(1/11)日本海に面した北海道南部の「せたな町」の漁港とその近くの海岸に、大量のイワシが打ち上げられていることがわかりました。大量のイワシが打ち上げられているのは、せたな町の鵜泊(うどまり)漁港の太櫓(ふとろ)地区です。(引用終了)道内では、函館市と江差町の海岸でも先月、魚の死骸が大量に打ち上げられましたが、11日にはせたな町(瀬棚)の海岸に大量のイワシの死骸が打ち上げられました。「サロン・守護靈からのメ
先ずは今回の地震で被害に遭われた地域の皆様には心よりお見舞い申し上げます。◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇〈能登半島地震の被害状況〉(画像はネットから借用)またも冬場を襲った大地震。それも正月早々である。この時期にどうして多いのかは不明ながら*下記〈参考〉の如くやはり集中する傾向にある。それだけではない。能登半島の地震は、次々と伝播する大地震の一つと考えられ、それもエルニーニョ現象とも深く関わっているのだ。*参考/大地震ほど冬場(12月)に発生する不思議https://ameblo.j
「1993年8月24日(火)松山千春ほか『歌謡チャリティーコンサート』NHKホール」S1677・松山千春DATABESE総合TOPPAGENF・アーティスト別LIVEDATABESE総合TOPPAGENF◇更新履歴V1.0:2013.06.29初稿V1.1:2017.05.27文章の修正、加筆、チケット半券画素の追加等V1.2:2023.11.11是正『「●随時更新~最新記事リンク・文章番号&記事タイトル一覧」A1319』「最新記
おはようございます。せたな和太鼓集団海神(わだつみ)代表の林亮輔です。さぁ、いよいよ本日午後2時30分より、北海道南西沖地震30年追悼公演「和太鼓松村組せたな公演-暁ノ聲(ときの聲)-」が始まります。昨日、舞台監督・音響・照明スタッフを中心に会場設営を行いました。「和太鼓松村組」「和太鼓政や」も会場入り、和太鼓など楽器のセッティング。第1部わだつみ和太鼓まつり(約60分)出演厚真郷土芸能保存会、せたな和太鼓集団海神第2部和太鼓松村組公演(約90
こんばんは。せたな和太鼓集団海神(わだつみ)代表の林亮輔です。9月20日でクラウドファンディングの募集は終了しました。沢山のご支援・ご協力ありがとうございました。皆様の温かいお力添えを胸に公演の成功に向け、全力で突き進むのみです。また、クラウドファンディングがうまくできなかったなど、現金によるご支援も増えてきております。こちらについては、随時受け付けておりますので、ご連絡いただければ幸いです。(クラウドファンディングと同様の返礼品をご用意いたします。)さて
おはようございます。せたな和太鼓集団海神(わだつみ)代表の林亮輔です。北海道南西沖地震30年追悼公演「和太鼓松村組せたな公演-暁ノ聲(ときのこえ)-」の開催まで1週間を切りました。そして、開催資金の一部を賄うため取り組んでいるクラウドファンディングも9月20日(水)までと期限が迫ってきました。この記事を書いている9月18日午前0時30分時点で555,500円と5が並んで縁起がよさそうですが、目標金額の200万円の約4分の1と苦戦しております。ここで改めて自己資金だ
こんばんは。せたな和太鼓集団海神(わだつみ)代表の林亮輔です。14日15日とせたな町北檜山区のお祭り「真駒内神社例大祭」でした。そこでとても嬉しいことがあった。お祭りに合わせて帰省していた同級生とばったり会うと開口一番「クラウドファンディング支援したよ!亮輔だから支援するんだからね!」14日の新聞折込みのチラシを実家で見て、クラウドファンディングのサイトを見てくれて、大きな力を貸してくれた。高校を卒業してからずっと札幌で頑張り続けている同級生が、地元に残った
北海道南西沖地震30年追悼公演「和太鼓松村組せたな公演」の開催にあたり、ご支援ご協力いただいた皆様をご紹介します。追加のご支援があった場合は、都度追記します。掲載事項に誤りがある場合はお手数ですが、ご連絡をお願いいたします。○助成公益財団法人太陽財団○後援㈱浅野太鼓楽器店小国産業株式会社せたな町文化協会○支援(株)とうりん(北海道札幌市)(有)坂本建築工業所(北海道せたな町)スナック愛(北海道せたな町)ゆきち(北海道せたな町)太田義高(北海道
こんばんは。せたな和太鼓集団海神(わだつみ)代表の林亮輔です。北海道南西沖地震30年追悼公演「和太鼓松村組せたな公演」の開催にあたり、㈱浅野太鼓楽器店様のご後援をいただけることになりましたのでご報告いたします。実は、せたな町には大きな大きな桶胴太鼓があります。(ごめんなさいサイズは測ってません。)その太鼓の面には「浅野太鼓店謹製」と記されております。この存在を知ったのは5年前。北海道南西沖地震25年追悼事業「和太鼓松村組せたな公演」の開催にあたり「せたな和太鼓集
皆さん、こんばんは~関東大震災から、ちょうど100年なんですねコレまで大きな地震経験は、北海道南西沖地震と東日本大震災かな🤔北海道南西沖地震の時は、夜10時過ぎていただろうか普通に立っていられない位の揺れで、怖かったのを覚えてます😞東日本大震災は、住んでた町が震度2だったので、揺れの怖さはそれ程感じなかったものの、津波警報がしばらく続いてたのを覚えてますコレから先、日本にいる限り、地震はあるだろうと思うそれに対するを備えを、常に心がけとくしかないですね🤔では本題に🎵先日、会社の
こんばんは。せたな和太鼓集団海神(わだつみ)代表の林亮輔です。北海道南西沖地震30年追悼公演「和太鼓松村組せたな公演」まで1か月を切り、稽古にも熱が入ります。チケット購入やクラウドファンディングのやり方など連絡が入るようになってきました。昨日は久々にフルメンバーでの稽古。学校や仕事、太鼓以外にもプライベートの用事もありますので10名揃うことの方が少なくて当然。全員揃ったので公演に向けて少し話をしました。(ここではその内容を詳しく書きません。)私は代表と
2日目は天気は良いものの海は荒れ模様です。今年は北海道南西沖地震から30年。記憶の風化が心配です。
こんばんは。せたな和太鼓集団海神(わだつみ)代表の林亮輔です。9月24日(日)に開催します北海道南西沖地震30年追悼公演「和太鼓松村組せたな公演」の開催資金の一部をクラウドファンディングで募集します。先日、無事に運営サイトの審査が終わり、公開可能となりました。8月28日(月)に日付が変わったと同時に募集開始となります。先日も記載しましたが、初めての試みということもあり、とても時間が掛かってしまいました。本来であれば、もっと早くに募集して、しっかりと資金が確保できた上
こんばんは。せたな和太鼓集団海神(わだつみ)代表の林亮輔です。令和5年9月24日(日)に北海道南西沖地震30年追悼公演「和太鼓松村組せたな公演」を開催するためにクラウドファンディングを実施します。プロジェクトタイトルは「北海道南西沖地震から30年。自助・共助の和太鼓公演で震災の記憶を奏で継ぎたい!」5年前の同公演の開催や私が事務局を担って開催したサイクリングイベント「せたなライド」、そして、私の前職(せたな町役場)の経験から、今回は「自助・共助」にこだわって開催したいとの思
こんばんは。せたな和太鼓集団海神(わだつみ)代表の林亮輔です。令和5年9月24日(日)に開催する北海道南西沖地震30年追悼公演「和太鼓松村組せたな公演」令和5年度太陽財団助成の助成対象事業に選ばれ、助成金を活用できることになっております。この度の公演は「自助」「共助」で開催したい。との思いがあり、その「共助」の一つがこの助成金「太陽財団助成」です。この助成金は、北海道札幌市にある「公益財団法人太陽財団」が毎年募集している助成事業で、令和5年度助成対象事業の募集にあた
こんばんは。せたな和太鼓集団海神(わだつみ)代表の林亮輔です。私が住んでいる「せたな町」は、平成17年に瀬棚町・大成町・北檜山町の3町が合併し誕生した町で、北海道南西部に位置する人口7千人ほどの町。空港のある函館市まで車で約2時間半、JRの最寄り駅(八雲町と長万部町)まで車で約1時間と交通アクセスが良いとは言えない町ですが、北海道でもトップクラスの水質を誇り三本杉岩や親子熊岩といった奇岩がそびえ立つ綺麗な海がある町です。また、日本一危険な神社「太田山神社」の本殿から望む
こんばんは。せたな和太鼓集団海神(わだつみ)代表の林亮輔です。4年振りに8月11日(金)に開催されました「寿夏祭り」私たち海神も4年振りに演奏させていただきました。12時半に稽古場である旧愛知小学校体育館に集合し、トラックに太鼓を積み込み会場へ。出演は15時からでしたが、海神メンバーが高校生バンドに一人、せたな吹奏楽団に一人、掛け持ちで出演するため、早めに会場入りし演奏を見ました。高校生バンドは、高校の吹奏楽局の局員が中心となっており、演奏のクオリティも高い
このブログは自衛隊好きが高じて、自衛官婚活を経てひとりの海上自衛官と出会い幸せな結婚生活を送るお節介ババアが「自衛官と結婚したい人」をこっそり応援したり「自衛官になりたい」という人を増やそうと思うところをつらつらと書いているブログです前回紹介した「兵士シリーズ」今回、ご紹介するのはコレです兵士に聞け25万もの兵力を擁し、核兵器以外のあらゆる兵器を有する巨大組織でありながら、軍隊として存在することは許されな
1993年7月12日(月)午後10時私は父の書斎でひとり、黙々と作業をしていた。私の実家は自営業で、自宅は会社の事務所も兼ねていたので子どもの私も電話応対をしたり色々と家業の手伝いをするのは当たり前。あまり子どもらしくない、大人びた声と話し方のせいかお客様から「お父さんかお母さん、居る?」と言われたことは殆ど無かったなぁ。良いのか悪いのか。(まぁ、お陰で自分が社会人になった時、電話応対にめちゃくちゃ慣れてて助かったけど)その日も父の書斎で、買ったばかりの新品の領収書の束に社判を押してい
こんばんは。今日で、北海道南西沖地震からちょうど30年になります。早いものです。前回は、後輩のことを書きましたが、今日は、地震当日の自分のことをこの前の続きで書きたいと思います。地震があった10時17分、勉強を終え、二階の自分の部屋から居間に降りて来た私。新聞が散らかっていて、父に怒りを覚えながら片付けている時に揺れが起きました。テーブルの下は電気が落ちて来たら危ないと思い、台所の食卓テーブルの下にいましたが、食器棚の食器が落ちて来て、逃げ場に戸惑っていました。父を呼びながら、玄関にいまし
こんばんは。せたな和太鼓集団海神(わだつみ)代表の林亮輔です。私が住んでいる「せたな町」は、平成17年に瀬棚町・大成町・北檜山町の3町が合併し誕生した町で、北海道南西部に位置する人口7千人ほどの町。北海道でもトップクラスの水質を誇り三本杉岩や親子熊岩といった奇岩がそびえ立つ綺麗な海がある町です。しかし、この綺麗な海が巨大津波となり町を飲み込み、一瞬にして町の景色を一変させました。それが今から30年前の1993年(平成5年)7月12日午後10時17分に発生した、北海
前記事を投稿した後気づいたんですが…今日(皇紀2683年7月12日)午前11時から予定していた全国瞬時警報システム(Jアラート)の試験が行われませんでした。そう、実施直前となる午前10時過ぎに報じられた、北朝鮮の弾道ミサイル発射を受けて、中止になったのです。そして今日は「北海道南西沖地震」から30年の節目の日です。道南の奥尻島が津波で大きな被害を受けた大災害からもう30年も経ったんです北海道南西沖地震から30年奥尻島で島民らが犠牲者に黙とう捧げる小学校では経験を活かした避難訓練(
昨日は道庁に戻ったパンダちゃんと道庁時代お世話になったカトさんとで飲み会🍻焼き鳥食べながら盛り上がってしまったわっお忙しいのにお付き合いしてくれてありがたい🙇これから札幌から帰りまーす👍今日は北海道南西沖地震から30年自分は思い出したくない記憶ですけど風化させてはいけません今一度災害について考えてみてはいかがでしょうか
【平成5年北海道南西沖地震から30年】1993年7月12日22時17分、北海道南西沖を震源とするM7.8の地震。震源に近い奥尻島に強大な津波が襲来し島南端の青苗地区は壊滅状態に。津波は10mを越えたところも。死者202人、行方不明28人。#北海道南西沖地震#自然災害アーカイブスhttps://t.co/0oYxRsbrnH—NHKアーカイブス(@nhk_archives)July11,20231993年、平成5年7月12日北海道南西沖地震午後10時17分、北海道奥
2023年7月12日で、北海道南西沖地震の発生から、30年になるそうです。7月11日に、HBC北海道放送が報道した記事の要約と「人々の記憶を風化させないため」に必要なことを考えてみました。《HBCの記事の要約》・北海道南西沖地震から30年が経過し、津波で多くの犠牲者が出た・「語りべ隊」のメンバーである制野征男さんが地震の記憶を伝えている・津波の高さを表現した慰霊碑「時空翔」があり、制野さんがその意味を語っている・1993年に地震が発生し、島全体が津波に襲われた。198人が死亡
せたな町大成地区太田は1993年(平成5年)7月12日に奥尻島を震源とする北海道南西沖地震で津波による大きな被害が出た地域です。今日で地震から30年経ちました。集落も漁港も新しくなっていました。大田の集落を通過する北海道道730号北檜山大成線を江差方面に南下すると太田神社の本殿入口にある鳥居があります。この鳥居から約700メートルの高さまで、急な階段と山道を登り、最後の難関、高さ7メートルの断崖を、鉄の鎖を使ったロッククライミングで登りきると本殿に辿り着けるそうです。体