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前回紹介した居神神社から東海道をまっすぐ箱根方面へ16分歩くと小田原用水取水口に到着小田原用水は日本最古の市街地水道。建設年は定かではありませんが小田原北条時代にはすでに存在したことが分かっています。前回紹介した居神神社の水神社説明文によると北条氏綱公の小田原府内町作りの頃には敷設されていたとあるので工事に着手したのは氏綱さんということで北条氏綱をめぐって・・で紹介させていただきます。これが取水口です。ここから用水が流れ板橋から小田原城・東海道・江戸口
小田原にある小田原北条家二代目:北条氏綱ゆかりの地へ行ってきました~まずは居神神社。主祭神:三浦義意公なんで氏綱ゆかりの地に三浦氏三浦義意公は三浦半島・新井城を本拠に相模国を治めた三浦家最後の武将です。1516年、相模制覇を目論む伊勢宗瑞・北条氏綱親子に滅ぼされ父・三浦道寸とともに自刃しました。攻防については新井城へ行った際の記事をご覧下さい『【神奈川県三浦市】三浦氏最後のお城”新井城”ついでに油壺をちょい散歩』三浦市油壺にあるウオーキングコース。海沿い
期間:2024/10/18〜10/25天井:300(100&200時に星4と交換可)倍率:2倍初回:半額射)雑賀孫一:建角身の導光射)北条氏綱:定礎の英主射)山県昌景:初心銘記射)山手殿:婉然たる風采射)池田輝政:姫路宰相射)伏姫:仁儀八行射)猿飛佐助:神速の跳躍射)加藤嘉明:沈勇の剛将星3射)榊原康勝:会心撃・弐射)樺山善久:心眼・参©コーエーテクモゲームス
伊勢盛時という室町幕府高級官僚が伊豆で挙兵し、伊豆、相模と平定し「伊勢早雲庵宗瑞」として1519年に死去します。後を継いだのは嫡男の「伊勢氏綱」です。「勝って兜の緒を締めよ」の格言を遺した名将です。父早雲の後を受けて関東での戦いを続けますが、足利、上杉など伝統的名門が多い関東において、関東に根付かない2代目の伊勢氏では家格不足となりました。そこで氏綱は2つの手を打ちます。正室の実家が鎌倉幕府執権北条氏の末裔である横井氏であり、そ
小田原市早川の魚籃観音東善院の次は早川観音に向かおうと歩いていると、久翁寺の前を通り過ぎようとしましたので、立ち寄ってみました久翁寺の山門山門横には久翁寺の縁起案内板本堂曹洞宗寺院の久翁寺は、松嶽山久翁寺と号し、海蔵寺の末寺です久翁寺は、廃寺となった真言宗心明院の有った当地に、北条長綱入道幻庵の家臣関善左衛門が開基となり創建したと言います心明院は、千句の連歌や月次の会が度々開催されていて、北条氏綱も出席した事で知られています御本尊釈迦如来本堂扁額御神木でしょうか…かな
※こちらの記事は、平成30年4月9日に書かれたものです。皆さんこんばんは。今回は「各合戦の動員人数について」シリーズの6回目で「第二次国府台(こうのだい)の合戦」についてです。『歴史と旅』増刊「日本合戦総覧(昭和63年1/10臨時増刊、秋田書店)」の長谷圭剛氏の記事を参考にしています。※記事下部に武家や公家の人物名の読み仮名を載せています。『第一次~」について知りたい方は、下記リンクをタップしてください:第一次国府台の戦いに学ぶ―「~はずがない」は失敗フラグ関連記事:各合戦の動員
鎌倉エフエム(FM82.8)で放送中の、「KickMizukoshi歴史の雑談」関係者と共に、小田原へ。石垣山一夜城跡から降りて、昼食の後には、小田原城に向かった。小田原城は、北条早雲から氏直までの“北条五代”の本城として有名だが、今、我々が見ている小田原城は、江戸時代の遺構の上に復元された物。戦国時代の小田原城本丸は、すぐ脇を走るJRを挟んで西側の高台の上である。こちらの角馬出し門から。↓↓この門から入り…↓↓直角に曲がらなければならない。↓↓門を開けた時に、敵の
名称:足柄城別名:霞城城郭:山城築城年:1392年?築城主:大森氏?改修者:北条氏綱、北条氏康主要城主:北条氏光所在地:南足柄市矢倉沢郭へ郭跡郭から富士山足柄ノ関
期間:2024/08/06〜08/21※夏!満喫20XXチケット2024が必要星5武将のみ掲載射)滝川一益:狩人の魔眼射)藤原秀郷:弓矢八幡の武射)卜部季武:万夫不同の勇射)田鶴姫:椿の英姿射)雑賀孫一:建角身の導光射)三条の方:西方の一美人射)山県昌景:初心銘記射)北条氏綱:定礎の英主射)山手殿:婉然たる風采射)内藤昌豊:不争之徳©コーエーテクモゲームス
8月10日出来事2003年(平成15年)-沖縄都市モノレール線(ゆいレール)那覇空港駅-首里駅間が開業。沖縄県で第二次大戦後初の鉄道。2006年-ロンドン旅客機爆破テロ未遂事件が発生:イギリスはロンドンにあるヒースロー国際空港で起こった同時航空テロ未遂事件。忌日1128年(大治3年7月17日)-藤原清衡、奥州藤原氏の祖1541年(天文10年7月19日)-北条氏綱、戦国大名。後北条二代目1564年(永禄7年7月4日)-三好長慶、戦国大名1590年(天正18
小田原城(夜景)
小田原城(城門)銅門虎口銅門馬出門馬屋郭内冠木門二ノ丸隅櫓常盤木門絵図
名称:小田原城別名:小峯城(小峰城)、小早川城(小早川館)城郭:平山城築城年:1417年築城主:大森頼春改修者:杉村氏、北条氏綱、氏政、氏直、大久保忠世、稲葉正勝主要城主:後北条氏、阿部氏、稲葉氏、大久保氏所在地:神奈川県小田原市城内6-1指定文化財:国指定日本100名城水堀学橋天守閣北条早雲像
篤です。企業理念のブログにようこそお越しくださいました。ありがとうございます。企業理念から応援したい会社を見つけたり、世の中を支える会社をご紹介したりしています。今日は会社の紹介ではありません。『到知』に葆里湛の後藤光雄シェフとアル・ケッチァーノの奥田政行オーナーシェフの対談記事がありました。後藤氏が師で、奥田氏が子弟の関係です。タイトルは「己のコスモを抱いて生きる」です。後藤氏は「もう絶対的なシェフが号令を出してスタッフが動く時代じゃない。
※こちらの記事は、平成30年8月3日に書かれたものです。皆さんこんばんは。今回は「各合戦の動員人数について」シリーズの13回目で「上条河原(かみじょうがわら)の合戦」についてです。『歴史と旅』増刊「日本合戦総覧(昭和63年1/10臨時増刊、秋田書店)」の坂本徳一氏の記事を参考にしています。※記事下部に武家や公家の人物名の読み仮名を載せています。今までの記事第1弾江古田原沼袋合戦第2弾権現山の戦い第3弾新井城の戦い第4弾第一次国府台の合戦第5弾川越城の合戦第6弾第
「『侍から農民に至るまで、全てを慈しむ事。人に捨てるようなところは無い。その人の長所を活かして短所には目を瞑る。どんな人でもその人を活かしてこそ名将だ。』(北条氏綱)これに近い事を家康も述べている。何故戦国の世を生き抜いたリーダーたちがこのように考えたのでしょうか。それは領国経営に命を懸けていたからです。平和な時代に生死がかかっていないなら短所しか目に付かない人を『アイツは使えない』と放置しても自分の生死に影響はありません。しかし失敗したら自分が死ぬかもしれないという状況下では『限りある資源を
今日も朝から諸々の用事をこなし、時計を見ると11時。15時までの空き時間。それまでどーしよ〜かな〜(˙-˙)とりあえずコンビニで買って、一息タイム。どこも思い浮かばないな〜、う〜ん。でも、何かしたい。5分程飲んで、ボケ〜っとしてたら『小田原』と思い浮かんだ。あ、西湘バイパス使えば30分位で行けちゃうそう思って、(小田原神社)で検索すると、『居神神社』『古墳』のワードが。古墳(⊙⊙)めっちゃ気になる〜という、前置きの元小田原市城山にあります居神神社へ行ってきました。国道
あなたの好きな言葉は?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう「諸行無常」好きな四字熟語は特にない。が、あえて挙げるなら…「勝って兜の緒を締めよ」後北条家2代目当主・北条氏綱の言葉とりあえず、二つ挙げてみた。
北条五代観光推進協議会では、「北条五代」を題材としたNHK大河ドラマ制作を要望する署名活動を実施しています。北条氏にゆかりのある12市2町(岡山県井原市、大阪府大阪狭山市、静岡県沼津市、三島市、伊豆市、伊豆の国市、神奈川県横浜市、相模原市、鎌倉市、小田原市、箱根町、東京都八王子市、埼玉県川越市、寄居町)の行政及び観光協会が連携して実施されています。📎「北条五代を大河ドラマに!」署名活動実施中!☆☆☆☆☆
期間:2024/05/03〜05/04天井:300(100&200時に星4と交換可)倍率:2倍初回:半額射)雑賀孫一:建角身の導光射)北条氏綱:定礎の英主射)山県昌景:初心銘記射)山手殿:婉然たる風采射)池田輝政:姫路宰相射)伏姫:仁儀八行射)猿飛佐助:神速の跳躍射)加藤嘉明:沈勇の剛将星3射)樺山善久:心眼・参射)榊原康勝:会心撃・弐©コーエーテクモゲームス
期間:2024/04/23〜05/09※GWチケット2024が必要星5武将のみ掲載射)滝川一益:狩人の魔眼射)藤原秀郷:弓矢八幡の武射)卜部季武:万夫不同の勇射)田鶴姫:椿の英姿射)雑賀孫一:建角身の導光射)三条の方:西方一の美人射)山県昌景:初心銘記射)北条氏綱:定礎の英主射)山手殿:婉然たる風采射)内藤昌豊:不争之徳©コーエーテクモゲームス
パドレス・ダルビッシュ「あそこだけ思い切り投げた」大谷3打席封じるも謝罪「ボールばっかでゴメンね」パドレス・ダルビッシュ有投手「あそこだけ思い切り投げた」大谷翔平選手3打席封じるも謝罪「ボールばっかでゴメンね」(スポニチ)https://t.co/qXAh6V2wu7—毎日新聞(@mainichi)2024年4月15日一部抜粋韓国・ソウルでの3月20日の開幕戦以来、2度目の対決となった大谷を初回の第1打席は内角低めのカットボールで空振り三振、3回の第2打席は三飛、5回の第3
※こちらの記事は、令和3年3月20日に書かれたものです。皆さんこんばんは。今回は断続的に続いている「平成28年鎌倉(かまくら)旅行シリーズ」の第8弾で、「円覚寺(えんがくじ)」について記事の初回となります。※記事下部に武家や公家の人物名の読み仮名を載せています。【今までの記事】・鎌倉ですごい神社を見つけた!(甘縄神明神社)・平成28年の小町通り(1)―光輝くシラス丼と極上のクレープ・平成28年の小町通り(2)―垂涎の腸詰と宝石のようなマカロン・平成28年の小町通(3)―原点回帰
期間:2024/03/29〜04/10天井:300(100&200時に星4と交換可)倍率:2倍初回:半額覇)武田信玄:甲州法度次第射)北条氏綱:定礎の英主戦)長野業正:英邁の大器覇)上杉景勝:烈戦の志戦)寿桂尼:尼御台の瑞光射)加藤嘉明:沈勇の剛将武)笠原康勝:軒昂の白備え戦)安東愛季:檜山の驥足射)本願寺教如:東扶の上人星3覇)田村宗顕:機特効・参戦)島津忠恒:心眼・参星2戦)安楽兼寛:疑心暗鬼射)太田資顕:技巧家薬)石田重家:練磨©コーエーテクモゲーム
約60年前小学4年生の私AIでカラー写真に変換両親は東京で会社を立ち上げ弟を連れて引っ越した私は学業の関係か?祖父母の元で育てられ高校受験は東京でと言う事であったが高校も広島の学校を選び結局小学2年生の春から現在まで両親とは一緒に暮らした事は無いまぁ~3人ともとっくに他界したけれど・・・だからじーじとばーばんちの思い出は人一倍あるその中でも私に最も影響を与えてくれた思い出と言うか言葉がある武官であった祖父から教わった言葉北条氏綱の「勝って甲の緒を締めよ」と山本五
※こちらの記事は、平成30年3月24日に書かれたものです。皆さんこんばんは。今回は「各合戦の動員人数について」シリーズの5回目で「川越(かわごえ)城の合戦」についてです。『歴史と旅』増刊「日本合戦総覧(昭和63年1/10臨時増刊、秋田書店)」の長谷圭剛氏の記事を参考にしています。※記事下部に武家や公家の人物名の読み仮名を載せています。「川越城の合戦」も収録されている『関八州古戦録』に興味のある方は、下記リンクをタップしてください:『関八州古戦録』今までの記事第1弾江古田原沼袋合
以前のブログ記事より『小田原北条家をめぐって伊勢宗瑞(北条早雲)から二代目氏綱へ江戸城をめぐる戦い』100名城めぐりの旅が終わったのでまたまた近場の小田原北条家めぐりです。前に紹介した伊勢宗瑞(北条早雲)は玉縄城から三浦半島・三浦家を攻めます。三浦同寸は3…ameblo.jp1524年の高縄原の戦いにより北条氏綱は江戸城に入城扇谷上杉家は河越城へ敗走します。江戸城の次に狙うは扇谷上杉家の本城である河越城。まず、氏綱は青の河越城周囲の城に狙いを定めます。1年足らずで
12月28日、横浜線でGO!日産スタジアムの近く緑が広がる田園地帯、目指すは向こうの山。でもここは横浜市内。マンホールにも横浜ベイブリッジ。住宅の間の細い道を進むと、第三京浜まで来たところで、小机城址市民の森の矢印に従って奥の階段へ。小机城の入口です。4年ぶりに再訪。1400年代に上杉氏により築城されたが、一旦は使われなくなる。1500年代の前半に北条氏綱(後北条氏の第2代)により本格改修。1590年、豊臣秀吉の小田原攻めにより小田原城が落城すると
※こちらの記事は、令和2年9月17日に書かれたものです。皆さんこんばんは。今回は「ビジネスに活かす戦国合戦術」第29弾として、以前言及した「第一次国府台(こうのだい)の戦い」について、ビジネス的視点で見直していこうと思います。※記事下部に人物の読み仮名をのせています。この戦いの動員人数の考察が読みたい方は、下記リンクをタップしてください(参考記事に飛びます):各合戦の動員人数について(4)第一次国府台の合戦関連記事:『関八州古戦録』【ビジネスに活かす戦国合戦術シリーズの過去記事】
期間:2024/01/19〜01/21天井:300(100&200時に星4と交換可)倍率:2倍初回:半額射)雑賀孫一:建角身の導光射)北条氏綱:定礎の英主射)山県昌景:初心銘記射)山手殿:婉然たる風采射)池田輝政:姫路宰相射)伏姫:仁儀八行射)猿飛佐助:神速の跳躍射)加藤嘉明:沈勇の剛将星3射)樺山善久:心眼・参射)榊原康勝:会心撃・弐©コーエーテクモゲームス