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25日の夜、私は1冊の本を読み終えた。今から10年前の2015年2月26日に新潟県出身の小説家・火坂雅志さんが亡くなったが、その妻であった中川洋子さんが亡き夫との思い出を綴った『夫・火坂雅志との約束』である。この本には火坂さんのこれまで単行本に未収録だったエッセイのほか、これも単行本初収録の短編小説1編も収録されているので、火坂さんと中川さんご夫婦の最初で最後の共著ということになる。発行元は、青春出版社。【『夫・火坂雅志との約束』青春出版社】◆私の火坂雅志さんへの思い出火
四ヶ月かかって、やっと「北条五代」(上下2巻、火坂雅志著・伊東潤著)を読み終えました。^_^;実はこの本は図書館で借りて読んでおり、上巻を読み終えた後に下巻を借りようとしたところいつも貸し出し中で、やっと最近になって借りることができたからです。(^o^)それはさておき、本の内容とは別に目を惹くのが、二人の作家によって書き継がれた作品ということです。書き始めた火坂雅志さんが途中で急逝され、その未完作品を伊東潤さんが引き継いで完成した“奇跡”ともいえる歴史作品なのです。あとがきによると、伊東潤
昨年8月末、小田原を襲った台風と大雨。その影響でずっと立入禁止だった三の丸外郭新堀土塁北条の城・総構え山の神堀切↣早川口遺構を歩いているときも立入不可でがっかりしていましたが・・・『【神奈川県小田原市】北条の城・惣構えを歩く山ノ神堀切→早川口遺構part2』北条の城・惣構えの一部を歩いています。稲荷森をあとに歩いて行くと小峯御鐘ノ台にある三本の大堀切へこちらはすでに紹介済みですが『【小田原市城山】難攻不落…ameblo.jp先日、近くを通ったので覗いてみると・・
小田原日帰り旅行つづきです6時そこそこにターンパイクを後にし24時間営業の日帰り温泉で休憩小田原お堀端万葉の湯朝5時~8時半は朝風呂タイムお風呂とお食事処のみの利用ですが入館料が2730円→1420円になりますタオルもついてて便利でした9時小田原城へお城専用の駐車場がないそうですが藤棚臨時駐車場というところが台数多くて南入口と近くてよかったです(臨時といいつつ常設してます)南入口を使うと今の時期菖蒲と紫陽花を観られます紫陽
小田原城・北条時代に築かれた9kmにおよぶ総構えを自分の体力に合わせて、小刻みに分けて歩いています。4回目にしてコンプリート。初回最終地点である早川口遺構(地図の左下)から2回目の起点北条稲荷(地図右下)まで緑の線を歩いてきました~2010年の大河ドラマ「天地人」で描かれていた北条の小田原城がこれこの城の海側を歩きます。はっきり言って、スタートの早川口遺構以外、見所は何もありません。ただ歩いてもつまらないので総構えを歩きながら観光スポットも合わせて行ってきまし
戦国時代関東の覇者として君臨した、後北条氏の本拠地小田原城に行きました。前回は平成の大改修が終わった時に登城、実に9年ぶりです。正規登城ルートから天守閣へ行きます。お掘り馬出門平成21年に復元隅櫓と学橋内冠木門銅門と住吉橋切石敷井戸跡馬屋曲輪二重櫓雁木二ノ丸観光案内所無料で小田原城のガイドをしています銅門平成9年に復元本丸へ行く大手筋に設けられた枡形門住吉橋を渡り門を潜ると広い枡形になっています敵が侵入しても、正面・側面から攻撃が出来ます。扉の飾り金具に銅が
GWが終わったばっかりですが今週末も結構盛沢山です🎥✨🎦愛媛今治でバレエ発表会🎦小田原でモダンダンス公演🎦神田祭り密着🎦横須賀でバレエ公演🎦渋谷で#ミュージカルKUSHINADA#ミュージカル撮影#ダンス撮影#バレエ撮影#神輿#神田祭り#小田原#北条五代#愛媛#藤堂高虎🌈株式会社カラーズ🎥http://butaieizocolors.com/
北条五代まつり2025年の後は海鮮問屋ふじ丸小田原駅前店で海鮮を堪能しました。とても美味しかった!公式サイトhttps://ge5r801.gorp.jp/
小田原のお祭り、すごいです。昨日は北条五代まつり。初代早雲が小田原大使合田雅史さん、4代目が高嶋政伸さん、5代目が柳沢慎吾さんでした。合田さんかっこいいです。↑高嶋さん、貫禄あります!↑「しんごちゃーん」と声援を受けてます↑去年は新之助君とぼたんちゃんがゲストでした。『小田原北条祭り』今日は小田原が大賑わい。北条五代祭りだそうです。私はもうすでに終わった夕方に着いたので、観られませんでしたが、お父ちゃんは観ることができました。新之助くん、ぼ…ameblo.jpそし
早雲寺箱根湯本の早雲寺は、北条早雲の遺言により北条氏綱が創建した臨済宗大徳寺派の寺院。開山の以天宗清(いてんそうせい)は、大徳寺八十三世。早雲は伊豆韮山の香山寺に住まわせ、氏綱は香山寺から早雲寺の開山に迎えたのだといいます。北条五代の墓早雲寺は、1590年(天正18年)の豊臣秀吉による小田原征伐で焼き払われてしまいますが、その後再興されました。小田原征伐後、北条氏は北条氏規(北条氏康の五男)が継承し、その子氏盛は狭山藩主となっています。北条五代の墓は、1672年(寛文12年)に狭山
やっと桜が見頃を迎えた小田原近郊。お花見ついでに前々から行きたかった箱根にある早雲寺へ早雲寺は小田原北条氏ゆかりの寺。1521年、小田原北条氏二代目・氏綱が父・北条早雲(伊勢宗瑞)の菩提を弔うため建立。以後、氏綱・氏康の菩提が弔われますが1590年秀吉の北条攻めにより豊臣方が占拠。一時、ここは秀吉の本陣となり、石垣山一夜城が完成すると焼き払われ消失します。一度は消失した早雲寺ですが、江戸時代の1627年に再建。1672年には狭山北条家五代目・北条氏治が北条五
前回、紹介した小田原城総構え。深い堀と高い土塁、そして堀底は障子堀で防御を高めていましたが1590年の北条滅亡後、小田原城は徹底的に破却。今や小田原で障子堀をリアルに見学することは叶いません。なので今も障子堀を見学出来るかつての北条の城・山中城へ行ってきました~現存しているリアルな障子堀を見て下さいね三の丸堀から西の丸へ向かっていきます。深い堀にめぐらされた障子堀敵は左方向から攻めてきます。堀を上がり土塁に登ったぞと思えば次はまたえらい深さの堀と立ちは
静岡県三島市山中新田にある、日本100名城の山中城へ久し振りに行きました。3月29日に行ったのには理由があります。435年前の天正18年(1590年)3月29日、豊臣秀吉の小田原征伐で豊臣軍七万の軍勢と後北条氏の四千の軍勢が激突。序盤は有利に戦うも、圧倒的な兵力差で半日で落城します。今回は、岱崎出丸から巡りました。箱根山方面。出丸御馬場堀。桜が咲いていました。岱崎出丸にある一ノ堀。岱崎出丸から見た、三島・長泉・沼津方面。すり鉢曲輪すり鉢曲輪物見台武者溜まり跡落下している
戦国最大の土の城と言われる北条時代の小田原城。9kmの堀と土塁で城の周囲をグルリを囲んでいました。この総構えを一周しようと何回かに分けて歩いており現在ここまで右下の北条稲荷から左下の早川口遺構まで歩いてきましたが海側を歩く前にもう一度初回に歩いた小峯御鐘ノ台までを歩いてきました『【神奈川県小田原市】北条の城・惣構えを歩く山ノ神堀切→早川口遺構part1』秀吉の小田原征伐に備えて北条側が構築した惣構え。堀と土塁で城下を囲み、全長9kmに渡っています。その9kmの中
息子の高校卒業のお祝い旅行の後編は、小田原中心に過ごしました。ホテルの朝食バイキングは、地元で採れた魚や野菜、フルーツを中心にしたメニューです❗️小田原なので、やっぱりアジは外せません朝食後、白糸マス釣りセンターに行ってマス釣りしました一昨年の夏休み『夏休み最後の旅行那須高原その1』夏休みも残りわずかとなりましたが、家族で那須へ一泊旅行に行きました❗️(*゚∀゚*)那須といえば、4年前にも行ってました(^∀^;)『今回呼ばれて行った先は…ameblo.jpに、那須の南ヶ丘牧場で
part2最後で総構えの案内板を確認し城下張出を目指します。来た道を戻り、真っ直ぐです。下りとなっている道。総構えの名残かも~と想像しながらテクテク・・・・進んで行くと左手にファミリーマートがあるのでその道を左折50~100mほど歩くと右手にめだかの学校めだかの学校の前を左に曲がり左方向へ・・と歩いて行くとありました城下張出堀部分堀なので総構えの外側。見る目は敵兵としてとなります。もし豊臣兵ならこの畝堀を上って北条を攻めなければならな
小田原城の総構えを1周しています。ただいま下図青のルートpart1では大稲荷神社石碑まで歩いてきましたがpart2はマップに道がないガイド付の総構え案内で歩いたことがあったので道はあるんですが、地図にない細い道。どこをどう歩いたのか記憶を頼りに一人で行ってみたものの迷子何度も行ったり来たりやっと現代の地図上でこのルート右下の大稲荷神社石碑●スタート土塁跡●そして案内板●へ辿り着きました~道を紹介します。part2スタートは大稲荷神社石碑小田急踏切か
塾長の書斎:「北条五代(上)(下)(168)」をUPしました。https://fusanokuniinoujuku.vitaly.jp/book_blog/book168/#文庫#朝日時代小説文庫#火坂雅志#伊東潤#歴史小説#時代小説#戦国時代#後北条氏#北条早雲#北条氏綱#北条氏康#北条氏政#北条氏直
北条時代の小田原城。秀吉との戦いに備えて構築した9kmに渡る総構えを細かに刻みながらですが1周しています。今回は3回目。2回目の黄色線終点~渋取~案内板→初回赤線の始点まで1回目と2回目を繋がるように歩いてきました。下図青のラインです。このルートは遺構もなく、地図上の道も無くどう歩けば良いのと歩くのに何度も迷った道のりですpart1は~渋取~案内板→→大稲荷神社。黄色線終点から青線の途切れている区間までを歩きます。(コメント欄閉じています)では前回の
🏯小田原城・後北条氏🏯小田原と言えば、難攻不落のお城です。上杉謙信や武田信玄の攻撃を防いだ名城です。🏯小田原の城主としては、戦国時代の関東一円を征圧した後北条氏のイメージが強いです!戦国武将の代名詞の【北条早雲】明応4年(1495)伊豆より北条早雲が、東上して大森氏と戦い小田原を平定します。早雲・氏綱・氏康・氏政・氏直と5代に約100年間にわたり、骨肉の争いもなく関八州を掌中に治めました。天正1
北条の戦国一広い城の総構え城の周囲を防衛するために堀と土塁で囲んだ9km細かに刻みながらですが1周しようと意気込んでいます。すでに紹介した山ノ神堀切→早川口遺構『【神奈川県小田原市】北条の城・惣構えを歩く山ノ神堀切→早川口遺構part1』秀吉の小田原征伐に備えて北条側が構築した惣構え。堀と土塁で城下を囲み、全長9kmに渡っています。その9kmの中で遺構が比較的良好に残っている山の神堀切→早川…ameblo.jp『【神奈川県小田原市】北条の城・惣構えを歩く山ノ神堀切
沼津にある北条水軍の城長浜城へ行ってきました~もともと北条は関東平定に全力を注ぐため甲相駿三国同盟締結していましたが『【静岡県富士市】三国同盟締結の地善得寺跡へ』前回紹介した炭火焼ハンバーグ「さわやか」入店からテーブルに案内されるまで予定待ち時間は80分。その時間を利用して歴史的な同盟が結ばれた地へ行ってきました~。…ameblo.jp1560年桶狭間の戦いで今川義元討ち死甲相駿三国の力が拮抗していることで成立していた三国同盟でしたが急速に力を失っていく今川に対
先日、いただいたチラシキャンパス小田原公開講座関東戦国史北条氏康の足跡を追う~戦国大名北条氏が目指したもの~北条の歴史だ~しかも講師は大河ドラマ時代考証で名を馳せている小和田哲男氏これは行くでしょ申し込むと受講券が送られてきて今日、行ってきました~講演を待っている時間、流れている音楽は小和田氏が時代考証を務めた「天地人」講演が始まり北条の歴史はすでに私のブログに書いある内容がほとんどでしたが『【静岡県富士市】三国同盟締結の地善得寺跡へ』前回紹介し
岡山県井原市、北条早雲が修行したという法泉寺へ。そして早雲誕生の高越城へ。戦国大名の先駆けといわれた北条早雲こと伊勢新九郎は「一介の素浪人・野武士」ではなく、れっきとした室町幕府に仕えた伊勢氏の出身で高越城で生まれたという…。かつて読んだ北条早雲一代記の物語は、感動、痛快だった。その印象は強く今でもよく覚えている。■素浪人・野武士だった早雲こと伊勢新九郎は、駿河国今川氏家来の一雑兵からしだいに頭角をあらわし、ついに小さいながらの(たしかマッチ箱のような小さなと)城、興国寺城を手に
おぉぉ、あの山頂が高越城本郭か。幟旗が立ってる、うーん。さて、クルマでどこまでいけるかだ、それが問題じゃ。井原鉄道線の早雲の里荏原駅前に早雲の石像が、そして北条五代の幟旗が翩翻と立っていた。駅前の横断幕、北条五代の大河ドラマ化運動はここからか。荏原駅から3㌔ほどの、まずは北条早雲ゆかりの法泉寺へ。法泉寺は室町幕府申次衆の高越城主・伊勢盛定が1430年に創建、一子早雲(宗瑞)はこの寺で学び、修行したという。ここにも大河ドラマへの横断幕、のぼり旗‼境内に父盛定と、早雲の墓碑(左
静岡県伊豆の国市三福にある郷土資料館に行きました。昨年10月26日から始まった企画展「韮山城と北条氏の伊豆支配」韮山城図韮山城の紹介。発掘調査で出土した遺物。古文書。パネル紹介は分かりやすく、出土品も説明文があるので内容が分かります。『韮山城まつりプレイベントに参加』韮山城まつりプレイベント講演・韮山城ガイドツアーに行きました。二年後に国指定史跡を目指すイベントのようです。手作り兜絵馬を買いました。受付で貰いました。資料韮…ameblo.jp『韮山城伊勢宗瑞生涯の居城』韮
北条の城・惣構えの一部を歩いています。稲荷森をあとに歩いて行くと小峯御鐘ノ台にある三本の大堀切へこちらはすでに紹介済みですが『【小田原市城山】難攻不落の小田原城御鐘ノ台の惣構えを見てきました~』北条時代の小田原城は難攻不落と言われた戦国最大の土の城。城と城下町を9kmにわたる深い堀と高い土塁(総構え)でグルリと囲んでいました。小田原ではあちこちに北…ameblo.jpせっかく歩いたのでちょこっと紹介西堀現在は堀を生かして道路となっている中堀東堀
秀吉の小田原征伐に備えて北条側が構築した惣構え。堀と土塁で城下を囲み、全長9kmに渡っています。その9kmの中で遺構が比較的良好に残っている山の神堀切→早川口遺構を歩いてみました。(コメント欄とじてます)ルートは小田原駅西口から出発し総構えエリアへ山の神堀切から早川口遺構まで。惣構えの1/4~1/3周にあたります。いざ、出発駅から坂道をエッサホッサ。坂道でもうヘトヘト。総構え・山側の高さを実感。そしてやっと総構えエリアへ。坂を登った甲斐あり。立
前回紹介した居神神社から東海道をまっすぐ箱根方面へ16分歩くと小田原用水取水口に到着小田原用水は日本最古の市街地水道。建設年は定かではありませんが小田原北条時代にはすでに存在したことが分かっています。前回紹介した居神神社の水神社説明文によると北条氏綱公の小田原府内町作りの頃には敷設されていたとあるので工事に着手したのは氏綱さんということで北条氏綱をめぐって・・で紹介させていただきます。これが取水口です。ここから用水が流れ板橋から小田原城・東海道・江戸口
小田原にある小田原北条家二代目:北条氏綱ゆかりの地へ行ってきました~まずは居神神社。主祭神:三浦義意公なんで氏綱ゆかりの地に三浦氏三浦義意公は三浦半島・新井城を本拠に相模国を治めた三浦家最後の武将です。1516年、相模制覇を目論む伊勢宗瑞・北条氏綱親子に滅ぼされ父・三浦道寸とともに自刃しました。攻防については新井城へ行った際の記事をご覧下さい『【神奈川県三浦市】三浦氏最後のお城”新井城”ついでに油壺をちょい散歩』三浦市油壺にあるウオーキングコース。海沿い