ブログ記事29件
択捉島開拓に尽力した高田屋嘉兵衛も乗っていた北前船江戸時代から明治にかけて、北海道の経済を支えていたのは「北前船」と呼ばれる船でした北海道の産物を本州方面へ運び本州からは北海道移民(開拓者)や先住民族アイヌ人が使用する商品を運びました年によっては10.000隻近くの船が北海道に来航しました北前船は一枚帆の帆船で大阪から瀬戸内海、北陸の港で商売をしながら北海道までやってきました帆の長さはおよそ8m幅70cmの細長い綿布を二枚つづり合わせています北前船では30枚ほどをつづり合わ
鉄砲のお話私のルーツの蘂取村は小さな村入植が明治時代と、古くからいる方々は鉄砲の許可も簡単に取れましたそして村のほとんどの家庭には鉄砲がありました村は浜の側から住宅地が広がります裏山を登っていくと丘その丘から左右に分かれて山道を通り他の村に行くのですがそして、クマがたくさん出るそのために自ら命を守らならないので鉄砲を持っていかなくてはいけません熊がいないと思っていた群島でも鉄砲はありトドを打ち貴重なタンパク源として食べていました大きな村は熊が村まで降りては来ま
薬取ものがたりよりお寺編曹洞宗•可水山瑞泉寺はじまりは、明治25年(1892年)11月24日、新潟県北蒲原郡菅谷村西光寺住職斉藤芳瑞師根室町開法寺住職江西實道師の協援によって川畑孫市、駒井彌兵衛、駒林常蔵各氏(何れも漁業主)ほか数名の賛助を得て説教所を開いたとあります。その後、根室町曹洞宗開法寺の末寺として本尊・釋迦牟尼佛を安置し、明治36年(1903年)、く寺號の公称認可を得て寺院が建立されました。寺院の規模は境内5度8畝余り(約5,740㎡)、ここに間口5間(約
日曜日ピアノレッスンはお休みとてもありがたいことに、講話の依頼を受けた白石区で北方領土の講話をしてきました講話資料は自分で描いた母が住んでいた蘂取村の絵地図と択捉島鳥瞰図は今年も内容を変えて新しく描きました今回は小学生から高校生までと保護者の方大人の方の講話体験しかない私はどこから手をつけようか迷っていると語り部の大先輩の母からは『子供にわかる様に、言葉を全て変えたらちゃんと伝わるから大丈夫』とアドバイスをもらい迷いが消えます母は87歳もう30年語り部をしています
択捉島東海岸蘂取村モヨロ友人の祖父の出身は綺麗な田園地帯が広がる宮城県中新田出身です。農家の次男で奥さんと3歳だった息子(友人のお父さん昭和3年生まれ)を連れて、モヨロに移住しモヨロ鉱山で働きました。友人の叔母さんは蘂取生まれです(昭和5年生まれ)私の曽祖母達二人は村でサンバさんをしていたので確実に取り上げたのだと思います。そして、2.3年モヨロにいた後、北海道に移住しました。小さい頃、鉱山を運ぶロープウェイの箱に乗って遊んだり、川遊びしていて溺れそうになった記憶があると話してい
千歳から従姉妹夫婦が遊びにきてくれたお昼には母が作った料理をみんなで食べる『いいなぁ、この歳になっても母の味を食べられるなんて!』と従姉妹の言葉食後のデザートはお汁粉ゆっくり話をし久しぶりの再会の時間を楽しみました
12月1日東京。北方領土返還要求アピール行動『孝子の絵も見たいから行こう!』根室市の領対の方の計らいで新宿西口で私が描いた絵地図を飾ってもらえることになりました。そんな母の言葉に私も参加することにし夫も行くことにしました。ひょんなことから母が決意表明をすることも決まりドキドキの親子になりました。日比谷公園大音楽堂のバックヤードで出番を待つ母が心配そんな姿を見て夫は『連盟の方が誰もついていないかもしれない、傍にいてあげたら』と言われ控室に案内していただき本番まで側にいること
択捉島蘂取村の絵地図昭和20年人口は約400人役場、郵便局、営林所、駅逓、駐在所病院、商店、回漕店、お菓子屋、床屋料理屋、仙台鮎川捕鯨、官営孵化場村営燻製室。洋裁店がありましたニワトリ、猫はほとんどの家で飼っていた1000メートル級の山にある高山植物が村の中にたくさんあり、広葉樹が広がる山メイプルシロップも採れました5月に流氷がさり6月に千島桜が咲く7月15日は神社のお祭り運動会暑い日は泳げました秋は、学芸会蘂取村川は択捉島で一番長い秋になると川いっぱいに鮭が
大人の生徒さんレッスン再開してくださいましたお仕事は退職なさりまた1から始めたいと。月に2度のレッスンですが少しずつ指は動いています継続は力なり!です
札幌アリオ北方領土啓発へ立ち寄って見ましたとても綺麗に展示されている四島の写真その中に描いた四島鳥瞰図の絵地図と蘂取村の絵を使って下さっていますきっと、この場所に飾ると言われなかったら絵地図の仕上がりは来年になっていたと思います本当に感謝です!!母と島民の方は絵地図を見て解説をしています本当に島民のお話はわかりやすい可愛いスマートボールダンボール素材でできています
開演30分前の会場の様子です根室市から母も聞きに来て私の講話を初めて聞いてくれました。とても嬉しい🎵いつか、母と同じ企画で講話をしてみたい!今の私の目標です!!YAMAHA音楽院の友人も駆けつけてくれました胸には友達が作ってくれたえりかちゃんの刺繍ブローチつけました音響も映像も打ち合わせバッチリ!スタッフの方々の手際の良い対応に感激です!!スクリーンも大きいので絵が良く見えますパソコンを操作しながらの講話なので座ってお話をさせて頂きました。自分で描いた択捉島蘂取村の絵地図
先日講話をした徳島のお料理です『鳴門金時』とても甘い!!すごく甘い北海道ではなかなか食べることがない『イタドリ』塩漬けしたものをお浸しにしている感じですシャキシャキしてとても美味しかった😊阿波尾鶏(あわおどり)素敵なネーミングの鶏肉とても柔らかいこちらはなんだったか…お魚のフライとちくわ徳島のエールビールすだちビールはとても爽やか〜講話をさせて頂く土地のお料理を食べると少し徳島に馴染んだ気がするどの料理もピッタリ口に合うのは曽祖父から受け継いだ味覚なのかもしれ
全国女性団体連絡協議会、鳴門市婦人連合会のご依頼で、島民の方と連盟の同行者の方と3人で『北方領土語り部』に行って参りました徳島県は曽祖父の生まれ故郷お話ができることをとても楽しみにしておりました会館に着くと、準備をしてくださった方々に初めましてのご挨拶をし、パソコンのチェック控えの部屋で待機55名の婦人会の方々が集まり始めます『島の事をちゃんとお伝えできるか』と言うプレッシャーはありますが、早くお伝えしたい気持ちでワクワクです慌てずいつも通り、時には笑顔で話す事を心がけようと
今年の目標択捉島を描くまずは下書きに入る前に地図と睨めっこ択捉島は形のバランスが難しい何度も消し描くを繰り返すA3の紙では間に合わない…色を塗り始めるとますます違和感昨年の10月に講話資料として描いた蘂取郡を使おうと思っていたら…タッチが違う大きさも合わない色合いも違う描くたびに、絵が変わるみたい💦結局、蘂取郡も描き直し仕事と家事の合間に描いた下書き2日間で3時間もかかってしまったなかなか難しい…😭でも、色塗りは凄く楽しい🎵大体の色を決めて色鉛筆で塗ります
久しぶりに幼馴染と会った今年は、択捉島の鳥瞰図を描く為山を描く刺激が欲しい!!😊坂本直行展に付き合ってもらいました素敵な絵ばかり油絵と水彩迷いのない絵の線さすがだなあと感じます素人の私には強い味方フリクションのペンと水彩色鉛筆がある🎵帰ったら地図と睨めっこ島の配置を確認するためにまずはしっかり観察します幼馴染とは夕方までゆっくり5時間話をして楽しい時間を過ごしましたさあ〜て!楽しんで描きます!!
先週、北方領土語り部がありました1月の講話の内容を少し変え、講話資料も他の絵地図を復帰同盟の方にコピーをお願いしましたやはり原稿を見る暇もなく1時間弱お話をさせていただきました音楽もバッチリ流れて安心質疑応答、今回もありました何をお聞きしたいのか相手のお話に耳を傾け頭の中でまとめて返答をしますこれが1番大変だと感じますが質問してくださった方が納得いく答えをしたいその場で出来ない場合は、後日でも良いと大先輩の母に言われているので不安はありませんでしたすべて経
もう終わりましたが東京から来た友人が開催した写真展の事を札幌の友達が一緒に行こう!と何人か言ってくれたので2日に分けて行って参りました署名は1日のべ200人入り5日間でちょうど1.000人の来場客数と教えてくれました北海道庁領土対策の方々殆どが足を運んだと聞き驚きましたそして、鈴木知事さんも!微力ながら葉書を送った島民の方やそのご家族の方そして保護者の方も見てくださり『先生のお母さんお若いですね』の言葉にこれは母に伝えねば!😊と思いました色々な視点でみなさん見て
令和5年北方領土返還要求全国大会•国立劇場令和5年北方領土返還要求全国大会北方領土返還要求全国大会実行委員会主催「令和5年北方領土返還要求全国大会」2月7日(火)11時30分~@国立劇場・大劇場―――――――――――――――――――――――1.「語り継ぐ北方領土」北方領土占領から送還までの記憶を、大学生と元島民後継者が語り継ぎます。2.大会実行委員長挨拶3.元島民の訴え4.内...1部は4人でスピーチしましたロシア人が島に侵攻•侵略した時の話逃げた人の話島を追われる時の話を
私は択捉島蘂取村の2世です2月7日は北方領土の日国立劇場で開催された全国大会は3年ぶりの有観客物々しい警備の中、開催されました2019年の大会は1人で登壇でしたが今回は4人で舞台に上がります〜前日リハーサル〜初めましてと挨拶を交わす大学生2人は美男美女で見とれる学生さんは昭和20年四島にロシア人が侵攻侵略した時日本人が島を追われた話を画像に合わせて25分間解説台本が出来たのが大会数日前そこから練習を重ねどうしたら良いか、迷い悩んでいる様子総合司会の方のアドバ
爆睡していたら到着
札幌に来て20年余り同じ年の美容師さんにずーっと髪を切ってもらっています髪質も全てわかっていてブローの仕方も教えてくれる気がつくと髪は縛れるくらいになっています先月カットしたのに…と笑います私は行事があるときは必ずその前に髪を切ります又、来週はイベントがあります少しだけ切ってねとお願いし友人達に返信を書いているとまだカットしている顔を上げると楽しそうに乗って切っているまた、メールしばらくして鏡を見ると爆笑!!結構切ってない?それも大胆に!!『大丈夫!前から
天気がいい日は根室市のノサップ岬の遥かなたに爺爺岳(1,822m)が見えますその稜線は後でも綺麗で雄大で国後富士と呼ぶ人もいます私が記憶にある爺爺岳の噴火は1973年(昭和48年)の7月根室市の町の空は灰色になり大量の真っ黒い胚が降り注ぎました雨が降ると灰は固まりスコップで固まった灰を掃除している人たちも沢山いましたノサップ岬の左側を見ると知床峠中腹や羅臼岳(羅臼町)野付半島先端部(別海町)がの山々も重なり合う様に見ることが出来ます水晶島は歯舞群島の島の一つノサッ
先日、石狩市で講話をして来ました連盟の方が送迎をして下さったので楽な気持ちで望めました会場に着き、入って来たメンバーを見ると歴史に詳しい年齢方々の様な…ますますきちんと伝えなきゃ!と感じます今回も蘂取村の波の音締めくくりに蘂取村をイメージし自分で弾いたピアノ即興曲から『故郷』の曲に繋げラストの言葉と一緒に合わせて言葉を締めくくるそんな形で講話を終わりましたでも、ギリギリまで文書を直す場所もあったりします関係者の友人は『ギリギリまで治す事は悪い事』その言葉に『大丈夫
択捉島蘂取村の絵を描き始めて8ヶ月今週色々な団体などで絵を使う手筈を整えます絵地図と蘂取村の風景画と蘂取郡鳥瞰図を使っていただけることになり3枚の絵の手直しをしました1枚は風景だけの依頼はっきり見える様に色塗り直し択捉島蘂取村の本村案内絵地図は母や島民、ピアノの恩師のチェックを受けて何度も直し、確認して作りましたもう一枚は1月の講話用上下に2枚くっつけた形にし上は蘂取村、下は蘂取郡ずーっと下には択捉島案内図にしました3枚同時に手直しを始めたので1日の時間配分をし
お寺編2『寺院の礎石は現在もそのままに』本堂と庫裏は昭和23年(1947年)春、ソ連軍の命令で打壊しを余儀なくされたといいます。作業に携わったひとり上山福太郎さんは、万感の思いで本尊や地蔵尊と天蓋、経文、ふた抱えほどもある木魚とお飴、お寺預かりの遺骨等全てを大穴を掘って埋めたことを生前筆者に語ってくれました。恒例3月の彼岸会などに掲げる縦横2m余りの天涅槃絵図はどうなったのであろうか、宗教ご法度の共産主義国家ソビエト連邦の軍人達の目にはこの絵図は奇妙な絵としか写らなかっ
択捉島蘂取村の地図書きを5月末から始めました戦後、ソ連軍が島に入り込み島民たちは2.3年後に強制的に島を追い出されてサハリンの収容所へ入れられましたそこから1ヶ月生活を送り多くの人が亡くなりましたその後函館から迎えに来た徳寿丸になり本土に帰る時写真や書類を持っている人は返さないと言われてほとんどの人がサハリンに捨てて行きましたなので蘂取村本村の写真は2.3枚しか残っていませんその写真を見て元島民が書いた地図を見てどこに何があったか分析この作業も大変です家の形も色
今日の夕食先日友人たちから頂いた野菜たち菊芋のきんぴらアイヌネギの卵とじお芋とえんどうの煮物チンゲンサイのおひたし実家からの鮭を使って三平汁です
先日択捉島元島民のおばさまと、電話で話をしていた時にふと質問をされました『蘂取村では電燈はあったの?』四島には、択捉島のシャナなどわずかな地域を除いて一般に電燈がついてませんでした電気のない生活は、北方四島での大部分の人が体験し、石油ランプを主にした夜の生活を経験しています。われらの北方四島より択捉島での生活は冬は厳しい風と氷雪に閉ざされます住民はこの自然の中で安定した豊かな暮らしをしていた人たちが多いと思います年に1度の村芝居等の照明はカーバイトのガスによる大型照明等を使っていた
母のサポートで行ってきました少し遅刻をして到着根室千島会館にいる母とパソコン画面越しで手を振り挨拶私の到着を待ってくれていた会館の職員の方々とも交互に手を振るなんだか挨拶できてとても嬉しい🎵お茶を用意してくださった職員の方に『孝子にもお茶出してあげて』と冗談を言う母さすが!余裕だ!!リモートだなんて凄い時代!!母の講話インタビューは1時間道筋もはっきり内容もわかりやすい話す声も綺麗で聞きやすい何も見なくてもすらすら出てくることにも驚き!北方領土返還要求の為に語り