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素敵なカフェないかなーていろいろしらべたら、あ!あるわその辺りはよく行ってた場所なのにそこは、石川県加賀市にありました。MAGONDO北前船の里加賀橋立古民家コンドミニアム&レストランレストラン兼フロントでもあるそうです店内は、落ち着いた感じの空間でした。珈琲を飲んで友達とゆっくりした時間をすごしました全くこういう場所が存在するのをしらなかったので、なんだかびっくりやらうれしいやらとなると、まだこういうところあ
北陸応援割富山の旅にて富山駅から市電に乗って岩瀬浜エリアに行きました。25分ほどで東岩瀬に到着。東岩瀬は、かつて北前船の寄港地として栄えました。今も北前船交易で栄えた廻船問屋の屋敷が並び、当時の面影を色濃く残しています。駅もレトロな雰囲気です。岩瀬地区には文化財が重要文化財がたくさんあります。問屋が立ち並んでいた旧北国街道の町並みは、明治期に建てられた家屋が多く残っており、当時の様子がうかがえます。旧岩瀬
横綱の里から約15分で白神岬展望広場へ。北海道最南端のこの岬から津軽半島最北端の竜飛岬までは20km足らず。天候によっては竜飛岬が見えるそうだが、この日は残念ながら見えなかった。ちなみに北海道最南端は本州最北端の大間崎より南だ。●印が北海道最南端の「白神岬」この辺りは奇岩、海触崖が広がる独特な海岸が続いている。ここから十数分で道の駅「北前船松前」到着。連休初日の土曜日ということで駐車場入口の手前から約10台が路上で待機。駐車場に入るのに15分かかった。
5月3日、元防衛庁長官愛知和男氏の訃報が報じられた。まったく政治家とは無縁の生活をしているけれども、、最近、うちの家族の家系図が気になって眺めていたら、愛知和男さんの名前が載っていて、遠い親類?と気づいた。朝日新聞愛知和男・元防衛庁長官が死去:朝日新聞デジタル愛知和男さん(あいち・かずお=元防衛庁長官、元自民党衆院議員)3日、東京都内の病院で死去、86歳。近日中に近親者で葬儀を行い、お別れの会を後日開く予定。義父の故愛知揆一蔵相の秘書官などを経て、7…www
家族で福井にドライブ。リニュアルされた福井駅周辺は思ったよりはるかに賑わっていた。新幹線効果大。金沢駅よりも。へしこおにぎりが珍しく買った。羽二重餅も。越前蕎麦は見吉屋で。ちょっと大量に注文し過ぎた。三昧蕎麦。蕎麦とソースかつ丼のセット。ソースかつ丼は福井名物。餅がのった大盛蕎麦。思ったより量が多くさすがに苦労した。福井駅前の恐竜。口を開けて吠える。三国湊の寄った。北前船の湊である。材木商の家はさすが、豪商。もう初夏といっ
ニシンの群来(くき)が約100年ぶりにあった!鴎島。厳島神社鳥居と瓶子(へいし)岩の前でニシンの産卵で海が白く濁る現象「群来」3年ぶり確認漁業関係者は豊漁になると期待北海道・江差町(23/02/1818:35)北海道江差町で、ニシンの産卵に伴い海が乳白色に色づく現象「群来」が、3年ぶりに確認されました。佐藤健カメラマン:「こちらの海、普段は透き通っているのですが、ご覧の通り、白く濁った状態となっています」江差町で確認された群来です。産卵のため大群で押し寄せたニシンのオスが精
昭和の日に、姉と姪と私、昭和生まれの3人で、ドライブに行きました。今日が誕生日の姉が、ホタテが食べたいというので、ホタテを食べて、その近辺を観て歩き🚗夕方まで遊んでました。常夜燈北前船海鮮市場の活ホタテ丼北前丼、、、まいうージェラートの美味しいお店の🐎お馬さん。菜の花フェスティバル姪のお陰で、楽しい1日でした。*****昭和と聞いて思い浮かぶのは?博士ちゃんの影響で、昭和歌謡と昭和家電です
仕事から帰宅したら何か届いてた‥おのみち発北前船の贈り物✨Rakutenグルメ大賞くるみ部門受賞TRIALMIX〜ナッツレーズンも入ってる♫そういえば‥無料プレゼントに応募してナッツを選んだの届いたんだねぇ〜😊🎶おやつメニューなのにまだ食べてないっ😆
旧関門商品取引所旧赤間関米穀取引所米取引所今も残る伝統の力下関が北前船の寄港地として賑わったころは、それこそ北、南の各地から産米が集まってきた。北前船の主な荷は米である。この地に全国有数の米取引き市場ができるのもまた、きわめて自然の成行きだった。すでに江戸時代には「米糶(せり)市場」というものができていたが、明治に入って正米会所、米商会所などと名称を変え、明治二十六年、取引所法が公布されたのに伴って株式会社赤間関米穀取引所(三十五年、下関に改称)と正式に定めた。もともと防長米の産地だ
こ梅のブログへようこそ。今日はお花見にへゴー。稽古日だったので、稽古が終わったあとにスーパーでお弁当とお団子を買い、市内の公園に行きました。多分混んでいるだろうなとは思いましたが、やはり予想通りでした。満開で、土曜日で、快晴となれば、混んでいるのは当たり前ですよね。池には北前船の模型が浮かんでいます。中央に見える白い灯台は、日本で一番古い木造の灯台です。池の周りには出店がずらりと並び、中には長蛇の列とい
4月12日金曜日、晴れ☀今日のメインイベントは水上ラインで運河を行く!所要時間60分。両岸は桜が満開!🌸🌸🌸船を降りた先には情緒あふれる町並み。北前船の船主の豪邸がある。帰りはトラムで。今日も晴天。春の陽射しが心地いい!
新潟がますます好きになりました。新潟の心のこもったおもてなし新潟訪問2024/03/31~04/01娘の嫁ぎ先の実家の新潟を訪問しました。新潟の家のご祖母様が昨年末にお亡くなりになり、葬儀に行けなかったので、そのお参りと、娘がお世話になっている新潟の方々へのご挨拶も兼ねていました。温かい心のこもったおもてなしに感激をしました。新潟は初めての訪問でした。新潟を知るためには、新潟の博物館の見学から始まりました。北前船の中継地の拠点で栄えた新潟。新潟の家も松前船の荷物の運搬
前にいただきました、山形のお土産北前かすてら素敵なパッケージですね🤭🚢山形県酒田市庄内のたまご🥚北海道小麦・甜菜北前船の寄港地ですって、書いてある~(ᵕᴗᵕ)✨#北前船寄港地江戸から明治にかけて「動く総合商社」と称された北前船が招いた歴史の路を辿り、北海道の小麦・甜菜と庄内のたまごが出会い北前かすてらが生まれました。って、書いてある~(^v^)🚢🌊𓏲𓂅𓂅⚓️開封~(^·^)♪⸜(*ˊᗜˋ*)⸝ワァ個包装が、嬉しいねぇ~🙆👌✨カステラ、めちゃくちゃ美味し
福井県三國湊で開業した「町まるごとオーベルジュ」、NTT西日本らが推進する地方創生、その取り組みを取材した(トラベルボイス)-Yahoo!ニュース九頭竜川が日本海に流れ込む河口に拓けた福井県坂井市の三國湊。名勝「東尋坊」にも近いこのエリアは、江戸から明治にかけて北前船の寄港地として興隆を極めた。その名残りは今も息づき、街中にはレトロな「かぐらnews.yahoo.co.jp福井県三國湊で開業した「町まるごとオーベルジュ」NTT西日本らが推進する地方創生、その取り組みを取材した
♪能登はいらんかいね♪能登という地域が必要か否かってな響きに聞こえるけど、その答えなら、「要るに決まってるやろが」ですな。実はこの言葉は違う意味なんで、誤解無きように。「能登はいらんかいね」と聞けば柔らかい表現に聞こえるけど、もともとは「能登いらんけ~」という表現だったようです。いずれにせよ、「能登出身の私をいりませんか?」という意味だそうです。能登は田畑が少なく、段々畑が連なる千枚田が作られる土地柄で生活が非常に貧しい地域だったから、能登の人々は近隣の加賀(金沢)や越中(富
夜に出発の時は3月5日どしゃ降りの雨模様の兵庫県南東部瀬戸内海に面してるので年間を通しても殆ど降水量は少ないけど時々雨風が襲う。重量2トンの船舶エンジンです左側は日本海です明け方まで小雨でしたが晴れ男の神通力がお空に通じたのか(笑)曇天の空模様に変わりましたなぎさ湯の温泉施設の裏側は待機場に最高なのよね防潮堤が高いので風も強くないって(笑)8時前に到着卸したら兵庫県伊丹市に帰ります越前は、蟹ですねこの季節の醍醐味今年は豊漁で少し値段も下がってるって船舶エンジン
日本中央の碑保存館から、さらに北上して野辺地へ。野辺地町立歴史民俗資料館http://www.town.noheji.aomori.jp/kanko/spot/300。閉館中の看板出てたけど、中に人がいたので声かけたら、看板はずすの忘れていたそうで・・・もう昼ちかくなんだが。まあ、人なんてこないんだろうな。縄文土器の表面の模様についての展示が面白い。こうすると、こういう模様になるよと実験できます。ここの目玉はこの土偶。縄文クララと呼ばれます。なぜ、クララかというと、破片を継ぎ合
昼に撮った鳥海山です(^-^)さて今日は早出明るい時間帯に帰れたので・・・日和山公園で軽い散歩です(・ω・)↑日本最古級の木造六角灯台六角灯台は高台から撮りました他にもこの位置から・・・薄っすらだが月山も見えたんだな(^-^)高台から下に下り・・・水の抜かれた池には・・・北前船を発見冬はシートをかぶせて保管してます北前船・・・江戸時代、大阪から下関を経て北海道に至る「西廻り」航路に従事した日本海側の海運船
仕事帰り、カイシャの近くにある市民ホールのギャラリーに寄ってきました。地元の新聞『東奥日報』でも取り上げられていた…日本遺産「北前船寄港地」の深浦・鯵ヶ沢・野辺地3町のパネル展が開催中です。市民ホールでのイベントの関係もあるのでしょうが…かなりの人が入っていました。ちょっとびっくり。青森にいながらにしてほかの地域の歴史や文化に触れることができるのは嬉しいね。暖かくなったら訪ねてみようかな…お金がかかっていないというか、手作り感大盛りですが
深浦につきました。風待ち館https://aomori-tourism.com/spot/detail_3114.htmlを見学します。建物の横には北前船。入館料300円。中には縮小した北前船の模型。歩にる黒い棒の印は船を識別するためのもの。深浦にもねぶたがあるんだね。超豪華仏壇。北前船って儲かったんだろうなあ。古伊万里もたくさん展示してありました。
23日の結婚式司会会場はダイニングご親族様のみのご披露宴で、お食事メインのパーティーでした。ワインはペアリングワイン新婦家様からは高木酒造さんの『十市代』の『黒縄』がご準備されました。お酒は一升。これから一生のお付き合いよろしくお願いいたしますという思いを込めて。かつて北前船で運ばれる一等米には、一番の最高のお米であるという印に『黒縄』が占められていたそうです。新婦家から嫁ぐわが子は大事に大切に育てた娘ですという気持ちと重ねて。
3連休の中日天気が良くなったので午前中に⛳の打ちっぱなしを。午後から福井までドライブを兼ねてお買い物。来週末に友人と名古屋でプレイするのでウェアを新調。帰りに越前海岸に向かう。初めての道はいつもスリル満点です。暗いトンネルを抜けると、まるで林道の様な県道を下って、ようやく海岸へ。北前船と一緒にカット。敦賀に戻り、久しぶりに洗ってあげました。明日もお休み。もう一回打ちっぱなしに行こう!
大阪市港区「不二の昆布茶」購入日不明製造・販売不二食品株式会社入手方法スーパーで購入価格不明大阪で昆布の食文化が広まったのは、江戸時代の北前船による運搬技術の発達と関係が深いとされている。北海道で収穫された昆布は上りの北前船によって大阪へ運ばれ、帰りには河内木綿などを積み荷として運んでいたようである。その頃、大阪の南に接する堺では製鉄技術が発達しており、質の良い刃物が生産されていたのも、昆布を加工する上で有利に働いたようだ。そのように昆
南越前町河野の北前船主の館右近家。右近家は江戸前期~明治期、日本海の海運業を牽引した「北陸五大船主」のひとつに数えられる旧家。本宅の中は撮影禁止である。中庭。ここから階段を上っていくと、高台の中腹に、西洋館がある。こちらは撮影OK。見晴らしがよくて、気持ちいい。けど、ここで暮らすには毎日、急な坂道をのぼらんといかんから、大変だな、と思ったら、別荘的なものだったそうな。昭和初期、西洋館を建てたころには、右近家の本拠地は兵庫県芦屋だったという
皆さん、こんにちはポカポカ陽気で、部屋が乾燥&温度高め😵💫仕事から帰ってきて、ビックリ我が家は陽が入り過ぎて、夏暑いかも……陽が射すのはありがたいけど、限度っつうものがあるよね🤷先日、青森市内にある「あおもり北のまほろば歴史館」に行ってきました😀ここには、私の母方の祖父が磯舟を寄贈してて、展示してあるのです😄来ようと思ってては時が過ぎ、先日になりましたこんな風に磯舟が展示されてますおじいちゃんの磯舟見つけました約20年前に、みちのく銀行から寄贈の依頼があって、当時は「北方資
坂井市龍翔博物館。とてもハイカラな建物。明治になって建てた龍翔小学校の外観を復元した。五層八角造りとの事。当時の小学校舎でこれは、凄まじい豪華さだったんじゃないか。三国港の経済力があったからかな。北前船模型。なるほど。ほとんどが積荷スペース。北前船は一度の航海でかなりの儲けがあったようだ。現代も船乗りは結構給料良いみたいだが、貿易ってそもそもが儲かる仕組みなんだろな。船内の貴重品入れ。市内出土の縄文土器。火焔と比べちゃうと、芸術的とは言えませんな。いや、下手ウマの味があるか。北陸
先日収録しました番組がテレビせとうちにて、明日17:30〜17:45放送になります。(岡山県・香川県限定です)現代の北前船を模して製作される『備前丸』。来年の就航が楽しみです!当該地域の皆さま、ぜひご覧ください!..................................................................『北前船に夢のせて−「備前丸」大阪・関西万博に向けて-』【番組内容】備前市は2022年に日本遺産「北前船の寄港地」に追加認定されたことを
岩瀬の「大町新川通り(旧北国街道)」沿いにある「森家住宅(国の重要文化財に指定)」です。北前船廻船問屋として莫大な富を得た豪商の家屋です。3年の歳月をかけて建築された大規模住宅で、見所が満載です。街道沿いには、江戸時代から明治期の建物が多く残されていますが、その典型的な住宅です。日本海側エリアでも有数の富商・森家。東岩瀬型廻船問屋の典型です。凄い梁の組み合わせです。現在の建物は、明治6年の大火の後、明治11年に建築されました。北前船の寄港地の地図です。
少し遅くなりましたが動画をUPできました。最初動画を作っている時は「ちるらん」という土方歳三の漫画に絡めていけると思って作り始めたのですが、いかんせん全然関係なかったです。明治になってからの場所でした。調べているうちに路線変更しなきゃならないのはよくあること。でもなかなか急なカーブでした。これ以上話を広げることができませんでした。次回もなかなか枯渇気味ですが、もう少し頑張りたいと思います。道南を走ると箱館戦争縁の地がたくさんあります。戦場であったり、墓標であったり、上陸の地であ
「岩瀬諏訪神社」から前面道路を渡り1筋入ると「岩瀬山巒昌寺(らんしょうじ)」があります。寺号は難しい字ですが、山号は「岩瀬山」と地名を背負っています。地元の崇拝が篤いお寺です。見事な山門です。そして、どっしりとした本堂が。少し進むと、岩瀬大町・新川町へ出ます。此の通りは「大町新川町通り(旧北国街道)」です。北前航路が最盛期の明治初期に建てられた「廻船問屋」が立ち並びます。当に歴史的町並みと言えます。荒波を越え、「動く総合商社」として巨万の富を生み、岩瀬に繁栄をも