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まだまだ停電の余波が残っているようですね。今日になって、やっとマドリード在住の友人と連絡がとれました。彼女は、市内のちょっと外れに住んでいますが、市の中心部にある職場から6時間かけて家まで歩いたそうです。6時間歩く...東日本大震災の時は、日本でもたくさんの方がそうでしたね。あの頃は、6時間かけて歩くなんて、ありえないと思っていましたが、カミ―ノを始めてからは、6時間?、あ、30キロくらいね、大丈夫!となってしまいました。もちろん、都市部とカミ―ノを歩くのでは違いますよね
5月になりました。去年のスペインの5月は、寒かった!銀の道を歩き終えた後、ログローニョで友達と話している時に、「今って、ほんとに5月だよねーなんでダウン来てるのよ―(笑)」と言っていたのを思い出します。そう、本当に寒かったのです!今年のお天気はどうでしょうか?巡礼者の皆さんが風邪などひかないように、暖かくなるといいですね。さりとて、暑いのはイヤなんですよねーワガママな私🤣🤣🤣
停電…フランス人の道に、電気を使わないアルベルゲがありますよね。日本のメディアでよく出てくるらしく、日本人の巡礼者は結構ここで泊まってます。私も、泊まってみたいと思ったのですが、まだコロナの頃だったので、宿泊できませんでした。でも、お茶をいただくことが出来ました。今回の大停電で、現在の生活で電気がないと何もできないことがわかりました。何もできない?いや、そうではないのかも。巻き込まれた方々には、申し訳ないのですが、ちょっと立ち止まって考えてみたいと思います。
スペインで大停電が起きました。巡礼中の皆様が、無事に歩き続けることができますように、お祈りしてます。
カミ―ノでは、毎日違う村に一泊するのが普通ですね。小さな村もあれば、結構大きな村もありますし、街もあります。では、この通過する村や街で、ああ、ここに住んでみたい!と思ったこと、ありますか?巡礼者の中には、移住先を探して歩いている方もいます。例えば、あるベネズエラ女性は、ヨーロッパへの移住を考えてながらポルトガルの道を歩いて、途中の村に居を構えました。彼女とは、銀の道で知り合ったのですが、サンティアゴについたら、ポルトガルに入り、そこで暮らすのだとか。なるほど。でも、スペインじゃない
スペインにはたくさんの世界遺産があります。もちろん、サンティアゴ巡礼路もその一つです。そして、そのサンティアゴ巡礼路、カミ―ノに沿ってもたくさんの世界遺産があります。中世の旧市街を要するブルゴスやオビエド、サラマンカなどの街。最初のヨーロッパ人の骨が発見されたアタプエルカ遺跡。ローマの金山跡であるラス・メドゥラス、ローマ街道の街メリダなど、数えきれないくらいです。ちょっと早めに村に着いたら、世界遺産を見学するのも、カミ―ノの楽しみです。ぜひ、出かけてみてください。
今朝、職場の大学の庭に芍薬が咲いていました。とってもキレイでした。去年の今頃、銀の道を歩いた時、ちょうどサナブレスの道に入ってすぐの山の中に、芍薬によく似た花を見つけました。その時は、芍薬に似た花がスペインにもあるんだなぁと思っていました。その後、スペイン在住の方に聞いてみると、それはやはり芍薬の花で、Peoníaと言うのだと教えてもらいました。花の名前、この漢字から想像するにアジア圏の花だと思っていたので、イベリア半島の山間部で野生の芍薬に出会うなんて・・・うん、やっぱり、カミ―
この間、アルベルゲに眼鏡を忘れた話を書きましたが、実は、歩いていると視力が良くなっている気がします!錯覚かもしれませんが多分、山の中や海辺など景色がキレイなところを歩いていると、なんとなく遠くを見るから、目にいいのではないかと思います。根拠はありません。だから、歩いている時は、眼鏡をほとんど使いません。でも、やっぱりないと心許ないので、必ず持って行きます。スペインでも、メガネはすぐに出来ますが、やはり、日本の眼科でちゃんと検眼してもらいたいな…
関東では、もう桜も終わってしまいましたが、スペインではリンゴの花の季節です。去年の5月に、銀の道を歩き終わってから、北の道を遡ってビルバオまでバスで行ったのですが、ちょっと遅かったのか、満開のリンゴの花を見ることはできませんでした。それでも、コルンガ辺りでは、まだ花が残っていました。リンゴがたわわに実っているのも、圧巻でしたが、リンゴの花もかわいらしくて、私は大好きです。そんなことを考えていると、四季折々のカミ―ノを歩きたい・・・そんな夢が膨らんで来ました。そうですね、
朝早くから歩き始めると、登校する小学生に会うことが多いのですが、会ったことはありますか?基本は集団登校のようです。カミ―ノで歩くような小さな村だと、多くても5,6人で一緒に登校しています。もう一つは、通学バスです。まだ暗いうちから日本だと観光バスのような大きなバスが、黄色いマークをつけて、子どもたちを学校に運んでくれています。日本でも、田舎の小さな町では、こんな感じでしょうね。ただ、スペインでは真っ暗な中、通学するので、初めて見た時はビックリしました。通学路注意⚠️の看板も
木の花は、濃いも薄いも紅梅・・・とは、有名な枕草子の一節ですね。スペインでもこの季節は、アーモンドの花がキレイです。でも、木の花だけでなく、足元を見ると、マルガリータの白、アマポーラの赤、矢車草の青紫、菜の花の黄色と、色とりどりの花が咲き乱れています。カミ―ノを歩いてると、ちょうど、道の両側がお花畑になっているのです。なんだか、夢の世界を歩いているようです。春のカミ―ノ、また行こう!
服の次は靴ですよね。銀の道を歩き始めた去年の今頃、渡西の1週間前に低気圧が半島を通過したため、アンダルシア地方は大雨になりました。そのため、私が歩き始めた時も、まだ大きな水たまりが残っていて、さらには道がドロドロになっていたので、シューズが泥だらけになりました。アルベルゲで泥を落としたものの、次の日からシューズが重くなって、結構疲れるようになりました。メリダを通過したのが日曜日で、靴屋が閉まっていたので、カセレスまでは泥だらけの重い靴で歩きました。カセレスに入ったのは、朝の9時
去年は、4月、5月と歩いたため、今、クローゼットを除くと、着るものがない!ない・・・いや、正確には、何を着ていたのかを思い出せないのです。毎年気候も違いますから、絶対にこれを着る!ということもないし、毎シーズン服は一旦全部手放すので、更にわからないことになっているのです。でも、大丈夫!すぐにユニクロとGUに出かけて、春のお洋服を買いました。そういえば、去年は、歩き終わった後に、ログローニョのMANGOとZARAで夏服を買いあさったなぁ…さて、なんとか当面着るものは揃えました。
去年の今頃・・・銀の道を歩き始めていたことを思い出しました。本当なら、仕事の契約が6月までだったので、歩く予定はなかったのですが、急に3月いっぱいで契約が終了したため、歩くことにしました。一昨年の秋に北の道、古代の道を歩いた時にであったコルドベスが、銀の道を歩くなら4月がいいよ、と言っていたのを思い出したらです。そうですね、5月以降のアンダルシア、エストレマドゥーラは暑くて歩けないですよね。いや、しかし、私がセビージャに降り立った時の気温はなんと、35度。なんだ、それ?????
今日も関東地方は雨です。花散らしの雨にならないとよいですね。スペインでこの時期に、こんな雨が降ることはなかったと思いますが、異常気象ですから、どこかでは降っているかもしれないですね。毎日雨だった古代の道、でも、楽しいこともたくさんありました。その一つが、日本で買って行ったレインコートです。300円ショップで買った500円の簡易なものですが、黄色い花柄がかわいくて、女性の巡礼者に大好評でした。次の巡礼でも同じレインコートを買おうと思って、そのショップに行ったのですが、同じ製品はも
このところ、雨が多いですね。雨が続くと、2週間毎日雨だった古代の道を思い出します。ただ、古代の道を歩いた時は、秋、だから、日ごとに冷たくなる秋雨でした。今は、春の雨。そこがちょっと違いますね。気温差の大きいスペインでは、春や秋の朝方はとても寒くなるので、雨に濡れて風邪を引く巡礼者もたくさんいました。でも、夏は雨が降ると、涼しくなるので、ちょっと嬉しかったのを思い出します。濡れてもすぐ乾くので、風邪をひくこともないですよね、多分。でも、降水量によっては、足元が悪くなるので、や
桜が咲き始めて、春が来たようですね。この季節には、アーモンドの花がきれいですよね。遠くから見ると、まるで桜の花のようにも見えるので、サラマンカで川沿いを散歩している時には、なんだかうれしくなったことを思い出します。その他にも、名前はわかりませんが、いろいろな花がカミ―ノを彩っています。しかし、アレルギーのある方には、ちょっと歓迎できない花?も・・・名前は知りませんが、花が咲くとそれが綿毛のようにふわふわ飛び回る木があるのです。友達がその綿毛のアレルギーだったらしく、具合が悪くな
フランス人の道で、多くの方が出発地としてサン・ジャン・ド・ピエ・ド・ポーとするようです。ピレネー山脈の山間にある、フレンチ・バスクのとてもきれいな村です。フレンチ・バスク・・・そう、スペインにもバスクの文化はあるのですが、サン・ジャンをはじめとするフレンチ・バスクの村を訪れた時の衝撃は、今も忘れられません。それは、プレゼンテーションです。バスク・カラーの赤と緑を使ったシンボルのデザインが、超オシャレで、それを使ったお土産品、これがまた素敵で、巡礼でなければ、買いまくっていたと思います。
サンティアゴに着いたら、まず何をしますか?オルブライト広場に寝転んで写真撮って・・・それから、巡礼事務所に行って・・・と、そんなところでしょうか。では、その後は?私は、ご飯を食べます!初めて歩いたフランス人の道の時は、脱力のあまり、何もできなかったんですが、2回目は、お腹が空いて、死にそうだったので、ご飯を食べることにしたのですが、ちょうど巡礼事務所の裏手の通りに、看板は寿司屋なのに、中華のメニューがあって、グーグルでは、かなりの高評価だったので、ここに行くことにしました。これが大
あ、忘れた!眼鏡をアルベルゲに忘れてしまったことに気が付いたのは、もうアルベルゲから10キロくらい歩いた所。忘れるくらいだから、ものくすごーーーーく不自由するわけではないので、ま、いいかと思って歩き続けていたら、後ろから自転車の3人組が・・・道をあけて、BuenCaminoと声をかけて、見送ろうとしたら、3人組が止まって私に話しかけてきたのでした。彼らは、昨晩アルベルゲで一緒だったポルトガル人の男性2人と女性1人のグループで、連休を利用してサイクリングに来たのだとか。なん
北の道、ゲルニカを過ぎたあたりの街のカフェで知り合った韓国人のお姉さん、サニー。ビルバオでの盗難時間など、一緒にいたのは一日でしたが、とても濃い時間を過ごさせていただきました。このサニーお姉さんが、この度、本を出しました。韓国でも話題のようで、サニーのインスタには、テレビ出演らしき投稿もありました。とっても素敵なサニーお姉さん。大好きです❤️これからもインスタで旅の素敵な写真やビデオを見せてくださいね💕💕💕💕💕そして、またいつか、会いましょう😊絶対だよ❣️
ゲルニカ、ピカソの大作でも有名なバスクの街。人類史上初めての無差別攻撃を受けた街。北の道を歩くと、ビルバオの一日前にここを通ることになります。私がここを通ったのは、7月のとても暑い日でした。道路の温度計が42度だったことが衝撃的でした。観光案内のセニョーラに、ここはいつもこんなに暑いの?と聞くと、今日は特別だとおっしゃっていました。この街に来たら、行きたかったところが2つあります。一つはゲルニカ平和博物館とバスク議事堂。ゲルニカの空爆やそれにまつわるピカソの絵の話は、ネットで調べる
カミ―ノで出会う人は、本当に様々です。当然、スペイン人が一番多いわけですが、フランス人、ポルトガル人、イタリア人などの近隣の国々の方も多いですよね。カトリックの国でもあり、来るのも簡単だし、フランス人なんて、そもそも「フランス人の道」と呼ばれる道があるのですから。イタリア人は、アルベルゲの世話人さんでもたくさんいます。バチカンから派遣されたという方もいました。他のヨーロッパ諸国の方もたくさんいます。オランダ、ドイツ、ポーランドやルーマニアなどの中央や東ヨーロッパの国々の皆さんですね。マドリー
もともと、私がスペインを志したのは、なにあろう、サッカーのためであります。もちろん、あの白いチームのためです。長い休みが取れる職場を選び、試合を見るために毎年渡西しました。そのついでにスペイン語も習い始め、そのまたついでにスペインやラテンアメリカの歴史や文化を習いました。だから、カミ―ノもそれこそ四半世紀前から知ってはいましたが、あ、あるね、そんなもん、というくらいのものでした。それどころか、私は絶対に歩かないだろうなと思っていました。いいとか、悪いとかではなくて、単に興味がないという
この間、知り合いに「どんな人がカミ―ノで、成功しますか?」という、ちょっと意味がわかりにくい質問をされました。成功?なんだろう・・・成功かどうかはわかりませんが、うまくやっている、楽しそうに歩いている人には、共通の特徴があると思います。あくまで、私の観点です。それは、こだわらないことです。○○語が話せない・わからないから、困るとか、人とコミュニケーション出来ないということがない人です。スマホのアプリを使えば、大体の国の方とはコミュニケーション可能ですが、アプリがなくても、うまくや
カミ―ノを歩く時、一人で歩く方がとても多いですよね。でも、グループやファミリー、ペアで歩く方ももちろんいます。その中でも、案外多いのは伯父(叔父)さんと甥っ子さんの組み合わせです。フランス人の道を歩き始めて、ブルゴスあたりまで一緒だった人たちの中にこの組み合わせが2組いました。また、北の道から古代の道に入ったあたりで知り合ったのも、この組み合わせでした。彼らに聞いてみると、そういえば、多いよね、というお答えでした。家族や親戚の繋がりが強いスペインらしく、気の合った伯父甥でのカミ―ノというの
夜食べようと思っていたサンドイッチを食べる間もなく寝入ってしまった・・・でも、寒い時期だったので、朝ごはんにレンチンしていただきました。チーズが溶けて思ったより美味しかったのでした。その村の唯一のバールは、朝は開いてなかったので、ちょうどよかったと言えば、よかったのですが・・・スペイン式だと、お昼がメインになるので、夜はまだお腹がいっぱいで食べられないことも多いですよね。お酒を飲む方は、バールに出かけるようですが、私はそこまでお酒を飲みたいとは思わないので、夜は簡単にチーズやハモン、オ
さて、サンティアゴについてら、お家に帰らなければなりません。もちろん、日本から行っている私たちは、日本に帰るのですが、かつての巡礼者は来た道を歩いて家に帰ったのです。よく逆走している方に会いますが、想像するに、中世にはサンティアゴ方面に行く巡礼者とサンティアゴから家に帰る巡礼者が両方歩いていたのではないかと思いますが、今はほとんどの巡礼者が交通機関を利用してお家に帰るのだと思います。バルターミナル、空港、国鉄駅でもたくさんの巡礼者を見ることが出来ます。アルベルゲで知り合ったフランス人は
もうだいぶ前になります。現在の国王ご夫妻がご結婚後初めてお二人でサンティアゴ・デ・コンポステーラをご訪問された時のことです。サンティアゴの司教様が、お二人に「次回は巡礼者としてお越しください」とおっしゃったのです!え?歩いて来いって?・・・お忙しいのに、大変だねーその後、ご夫妻が巡礼者としてサンティアゴに行ったかどうかは知りません。きっと、アストゥリアス皇太子も巡礼者として行くんだろうな・・・彼女の場合は、やはりご領地であるアストゥリアスを通る古代の道を歩くのかな・・・なんてね!
夢、見ますか?歩いている時は、体が疲れているせいなのか、ほとんど夢を見ませんが、こうして日本でのんびりと生活していると、カミ―ノを歩いている夢をかなり頻繁に見ます。どんな夢かと言えば、なんてことはないのですが、だいたいは歩いている、そう、まさに歩いている夢です。海岸沿いだったり、山を登っていたり、真っ平らなメセータだったり、風力発電の風車の下だったりと、これまで歩いたことがある道のワンシーンだと思います。そうなんです、食事とかアルベルゲで過ごしているところとかって、一度もないと思い