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湘南・大磯町に「化粧坂」という場所がある。「けしょうざか」ではなく「けわいざか」と読む。旧東海道の大磯高麗1号線沿いの住宅地に「化粧井戸」という古井戸の跡がある。案内板によれば「伝説によると鎌倉時代の大磯の中心は化粧坂の付近にあった。当時の大磯の代表的女性『虎御前』もこの近くに住み朝な夕なにこの井戸水を汲んで化粧をしたのでこの名がついたといわれている。」とあった。私が大磯土産の贈答品に使ってきたのが「新杵」という老舗和菓子店の「西行まんじゅう」と「虎子まんじゅう」だが、この「虎
炎天下の海の散歩の後実家を通り過ぎ平塚方面に向かったのは久しぶりにラコルタさんのキッシュを買うためでした。それなのに目的のキッシュは私の前に来店した方で完売でした。ラコルタさんへ向かう途中の荒地では夏草が我が物顔。乾燥した荒地には夏の初めに咲いたアザミがまだ残っていました。クマノミズキも実を付けました。フェンスに絡む赤い実はタンキリマメこの豆や葉を煎じて飲むと痰が切れることからタンキリマメと呼ばれるようになったと言わ
宇佐神宮には何度も参拝に行ったことがあるが、周辺に何があるのかなど気にしたこともない。ごく普通の住宅街というイメージだったが、偶然ネットで見つけたウォーキングコースを見ると、面白そうなスポットも点在しており歩いてみることにした。歩いた日:2024年4月9日(火)スタート&ゴール地点:宇佐神宮駐車場歩いた距離:約6㎞歩いた歩数:約9,000歩コース:oita_0911.pdf(copd-jp.com)コースの発着点となる宇佐神宮駐車場10号線を
今年、2回目の京都に「京の冬の旅」文化財特別公開最終日の3月18日、慈雲院(相国寺塔頭)光源院(相国寺塔頭)ランチは智積院会館桔梗その後は、バスと地下鉄で山科に移動真言宗善通寺派の大本山【随心院】平安時代中期に弘法大師8番目の弟子となる「任海僧正」が創健。寛喜元年(1229)後堀河天皇より門跡の宣旨を賜り隋心院門跡と称される。現在の諸堂は、慶長年間以降に再建。世界3大美女の1人として知られる小野小町
「井上蒲鉾店」での買い物を終え、旧東海道の旧道を約1分ほど歩くと先ほど分かれた国道1号線にまた合流しました。その合流地点には、「南組問屋場跡」がありました。問屋場とは、幕府からの書状の継立や、参勤交代の大名行列の際に周辺の助郷村々から動員された人足や馬の差配を取り仕切る場所でしたが、大磯宿には南組と北組の2か所にありました。同じ場所に「同志社大学創立者新島譲終焉の地」と刻まれた石碑も立っていました。多くの困難を克服して明治8年に同志社英学校を設立し、その後宿願
母がお世話になるホームは実家から歩いて15分。弟家族と面会に行った帰り道帰りにスーパーで買い物をした後地元住民しか通らない裏道路地を歩きました。ここを歩いたのは私も50年以上前の事。近くに同級生の家があったので小学生の頃はよく通った道ですが草むらの中を通る細い抜け道のような路地でした。今ではすっかり風景が変わり当時の草むらはマンションの駐車場になっていました。そんな駐車場の片隅に小さな石碑がありました。明治38年(1905年)11月に建てられた守
和泉式部庵跡化粧井……化粧井戸?前回、モヤモヤしながら「和泉式部の仮設住宅・化粧の井戸」について、まとめたんだけど……。※「和泉式部庵跡化粧井」福島県白河市表郷にある遺跡。「化粧井」って、和泉式部が偉い人からもらった「化粧代」っぽい。むかしむかしの女性は、偉くなると「化粧代」がもらえたらしい。現代でも、農家の人たちは水源使用料とか、川の使用料を1年ごとに支払っているらしいのですが、地域の人数分集めたら結構な金額になるはず。そんな感じで集まったお金=化粧代らしい。現代的なイメージ
家族がカナダに行っちゃったので犬散歩はわたくしの仕事です。今朝の犬散歩は化粧坂(けわいざか)を通りました。旧東海道の一部。車はあまり通らない道で風情があります。「坂」と名前がついていますがほとんどたいら。広重の東海道五十三次にも描かれている場所です。化粧坂の「化粧」という名はこの井戸から鎌倉時代の女性、「虎御前」がお化粧した井戸なんだとか。この虎御前は曽我兄弟、兄の方の彼女(遊女)****化粧坂を
2022年6月22日国東半島ぶらり旅(神社編)、宇佐神宮に続いて本日のラスト百體神社に行ってきました奈良時代の隼人の反乱の際、八幡大神が神軍を率いて鎮圧した大隅日向の隼人の霊を祀っているそうです。凶首塚古墳隼人の首を埋めた塚と伝わるそうです。化粧井戸放生会で傀儡人形を洗ったとされるそうです。呉橋へと真っ直ぐのびる勅使街道そんな道沿いに隼人関連の遺跡があると言うことは、朝廷に対して戦果をアピールしているということなんだろうなぁと。この日の走行距離は175キロ🚗💨💨💨
今年梅を愛でるのはこちらの梅園で最後になるかな。。。以前、随心院にお参りさせてもらった時に初めてこんなに大きな梅林があることを知りその頃から梅の時期に観に来れたらいいなぁと思っていたのでしたはねず梅が咲き誇る小野梅園ですピンク色に染まってます🌸園内は一方通行にはなっておらず行き違いをすることもしばしばコロナ禍じゃなかったらもっとたくさんの人出があるんでしょうね。。雪柳はまだ蕾多しその後、小
大磯町は曽我物語の舞台となった場所の一つとして知られています。曽我物語は建久4年(1193年)に頼朝が富士の裾野で行った大規模な巻狩り(※)の時に現在の静岡県富士市で兄曽我十郎祐成と弟五郎時致が父の仇である工藤祐経を討った伝説を元に作られた物語です。※巻き狩りとは遊興や神事祭礼軍事訓練のために行われた狩競(かりくら)の一種で鹿や猪が生息する狩り場を大人数で囲み距離を縮めながら獲物を追い詰めて射止める大規模な狩猟その主役の1人
■密嚴院墓苑■霊園事務所・隨心院流小野講傳所■道標卍大乗院■山門■手水鉢■本堂■修行大師像■延命地蔵尊こちらも大乗院。■総門■史跡碑梅園北側入口。■拝観入口
土曜の夜は先週のイスズ・スバル合同ミーティングの打ち上げを兼ねたFRGC九州支部の忘年会でした。二日酔いも無かったので朝から出掛けてみた。原鶴温泉♨️のやぐるま荘で朝風呂に浸かってから東峰村を目指します。筑前岩屋駅に到着筑前岩屋駅から山の中を抜けて小鹿田焼きの里へ向かいます。小鹿田焼きの里へ到着山のそば茶屋で腹ごしらえそれから国道212号線に出て凶首塚古墳を見るため宇佐へ凶首塚古墳百體殿化粧井戸帰りに中津の桃屋甚兵衛で「レアチーズ水万十」と渓月堂の「豊の菓柿」を購入して帰っ
10月と思えない暑さの中で開催していた風遊花展です。本当に今年はいつまでも暑いですね~~。この間風遊花展にお越しになったお客様も「日本も亜熱帯気候になったかも・・・いつかサンタもアロハを着てやって来て『昔はなクリスマスには雪が降ってホワイトクリスマス何て言われる時代があったもんじゃ』なんて言われるかもしれないね」と話していました。風遊花展中は毎日がバタバタで自宅と時価を行ったり来たり・・・全く季節を感じる余裕さえない毎日でしたが週末お世話になった方が
大磯町にある旧東海道の松並木。お正月の箱根駅伝で必ずテレビ画面に映るこの通り(下り方面)は母校の大磯中学の前の通り。ギャラリーぶたのしっぽから小田原方面に歩いて5分ほどの場所にあります。そしてもう1つの旧東海道の松並木は大磯駅から平塚方面に向かって徒歩10分の山王町。現在の国道1号線から1本山側に入った道で実家の近くの通りです。普段この通りをゆっくり歩くことはないのですが実家に車を置き不思議神社のイベントに歩いて行ったついでにゆっくり散歩してみました。ちょ
小野小町って、どんな人?絶世の美女、恋多き女性、平安時代を代表する女流歌人、晩年は衰えて悲しい人生を送った人、、。そして、全国各地に、住まい跡や、姿見の井戸や、墓や供養塔がたくさんあり、、。深草少将なる貴人を百夜通わせたが恋は成就しなかったり、、。同じく言い寄ってくる男性を常に拒む女性であったり、、。またそれは、身体的に不具合があるためだと面白おかしく語られたり、、。逆に多くの男性と恋におちる「色好みなる女」であったり、、。歌合せの席で盗作の濡れ衣を着せられた時に、とっさの機知で草