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暑くなりそうな今日は早めにスタートなんじゃもんじゃの花、本当の名はヒトツバダコを見に行って来た~高麗川河川敷は「ニセアカシア」が満開~今日の富士山は幻想的~常勝寺のなんじゃもんじゃ~馬室のポピーはちょっと咲き始めたばかり~勝願寺はヒトツバダコは満開~愛宕神社前の畑でもヒトツバダコが満開~今日のにゃんこ~あまり暑くならないうちに帰れてヨカッタ~
いよいよ「連休」もスタートということで、満開を迎えたナンジャモンジャの2トップを観察に行きました^_^中山道鴻巣宿の古刹、『勝願寺』関東十八檀林(だんりん、僧侶の学問の場)の1つであり、徳川家の庇護を受けて栄えた寺院です。本堂の屋根瓦には葵の紋が幾つも見られました。鴻巣市には家康が鷹狩りの際の宿泊、休憩施設と利用したという『鴻巣御殿』跡もこの近隣に在ります。鴻巣駅近隣の『市民活動センター』内には、その復元模型が展示されています。さてその勝願寺を訪ねた理由は、先程の本堂を右に回って入った
久しぶりの更新です私のブログは、①花②健康③リトープスの3本柱、今日は①③です♡○なんじゃもんじゃ、満開よく探すと色々な処にあります♡満開になると目立って、まるで雪を被ったようです♡これは隣まち、勝願寺の木♡まち一番の大きさでしょうかお花をアップすると、プクプク太った、猫さん♡本堂の床下に、ゴロンとしてますほかの猫にも会えましたよ~猫寺?勿論、仁王様もいます徳川四天王のひとり、本田忠勝の娘の、小松姫のお墓もあります別の場所にあるなんじゃもんじゃも見てきました
鴻巣駅前。昨年の5月以来訪れましたが、駅の中と街中にひな人形が飾られていてひな祭りシーズンを感じさせてくれる雰囲気でした。今年もポピーハッピースクウェアが楽しみです。こちらは鴻巣公園。公園奥にはカンザクラが咲いてましたが、見頃過ぎで花が散りだしてましたが、何とかまだ見れました。ソメイヨシノや枝垂桜もあるのであと数週間後には花見客で賑わいそうです。こちらは勝願寺。本堂脇ではニャンコが日向ぼっこをしていてほのぼのとした光景で、出口近くでは梅がまだ残っていて綺麗に
勝願寺の最後は、関東の河川改修を行った伊奈忠次・忠治の墓参りです。どうする家康では、なだぎ武さんが演じます。伊奈忠次とは徳川家康の家臣、関東代官頭。三河国幡豆郡小島に生まれる。初め熊蔵家次と称したが、のち忠次と改める。1582年(天正10)家康の小姓衆小栗吉忠の与力として泉州堺から三河に移る。86年家康の近習衆に登用され、駿河、遠江、甲斐などの地に発せられた郷村定書や寺領の寄進、家康御家人の知行宛行などを奉行する。90年豊臣秀吉の小田原攻めにあたっては、道路や舟橋の普請を奉行し兵粮輸送の
豊臣秀吉の最古参家臣仙石秀久の墓参りです。仙石秀久とは安土桃山時代の武将。美濃国生まれ。久盛の子、通称権兵衛。千石とも書き、名も秀康、盛長ともいった。初め織田信長に仕え、1574年(天正2)近江野洲郡に1000石を得、80年淡路洲本に5万石を領した。のち豊臣秀吉に仕え、85年四国征伐の功によって讃岐を得て高松城主となる。翌年、九州島津攻略の先発となったが敗れて一時所領を没収され、高野山に謹慎した。90年家康を頼って小田原攻めに加わり、功あって信濃小諸城主となり、5万石を領した。1600
真田信之・小松姫の三男真田信重・正室鳥居忠政娘の墓があります。鳥居忠政の父は、鳥居元忠です。本多家・鳥居家・真田家の政略結婚なのでしょうか?真田信重とは信濃埴科藩第2代藩主。真田信之の三男。母は本多忠勝の娘・小松姫。信吉、信政の弟。通称は隼人。正室は鳥居忠政の六女。父の松代転封に伴い、7000石の旗本になる。寛永16年(1639年)、兄信政が沼田藩主となったのを受け、その旧領1万石を譲られて埴科藩第2代藩主となる。武蔵鴻巣にて客死した。後嗣なきため、埴科藩は断絶。知行(1万70
勝願寺には、徳川家ゆかりの墓があります。今回は、本多忠勝の娘小松姫の墓参りです。どうする家康では、稲姫と言う名で鳴海唯さんが演じておりました。小松姫とは安土桃山・江戸時代初期の武家の女性。真田信之の妻、本多忠勝の娘。慶長5(1600)年信濃真田氏は徳川家康に従って会津追討に参加したが、石田三成の挙兵により夫信之は徳川方、舅昌幸は石田方に属した。上田城に引き揚げる途中信之の沼田城に立ち寄った昌幸に対し、小松姫は敵としてその入城を拒否し家臣の家族を城にとどめ。城外に野営した昌幸の軍勢との抗
今回は、鴻巣市にあります勝願寺です。鴻巣には、勝願寺と言う寺院が二つあります。今回訪れたのは、浄土宗関東十八檀林の勝願寺です。惣門地蔵堂龍寿殿仁王門本堂勝願寺由緒永年中鴻巣市登戸に記主禅師が創建したと伝えられます。いつしか真言宗の寺院となっていましたが、天正年間に僧惣誉清巌が浄土宗の名跡を残すため当地で浄土宗勝願寺として中興しました。慶長9年(1604)には徳川家康より寺領30石の御朱印状を拝領、松平秀康から結城から越前へ移封する際に、結城で使用していた御殿を
【稲姫】天正元年~元和六年(1573-1620)徳川四天王のひとり本多中書忠勝の娘。(「中書」は「中務大輔」の唐名)、幼名を於子亥、別名を小松殿、小松姫。母は阿知波玄鉄の娘・見量院。妹に奥平家昌室るり姫、弟に忠勝の跡を継いだ忠政(因みに忠政の正室は家康長子の岡崎信康と徳姫の間に生まれた熊姫)、末弟に🍶酒好きで不覚をとり、のち大坂(大阪)の一心寺に「酒封じの神」として崇められいる忠朝がいる。天正十五年(1587)秀吉の命により対立抗争を続けていた真田昌幸を家康の与力大名とすることで決着した
鴻巣駅。この日はいい天気でした。鴻巣びっくりひな祭りの最中だったので、駅にも雛人形が飾られてました。駅近にはマンションも目立ち、新しく建てるマンションもある様です。エルミこうのすの裏の河津桜はこの時はまだ咲き始めでしたが、今はもう終わってるでしょうね。こちらは鴻巣公園。桜の名所で、満開になると賑わうそうで、枝垂れ桜も何本かありますね~。この時は寒桜が咲いてましたが、見頃過ぎで散りだしてました。黄色い水仙は綺麗でしたよ~。今日都内で桜の開花宣言もあり、ウチの近所でも
2月19日。雨が降るかな?と思ったのですが、ほんのパラパラ程度でお湿りにすらならず・・・。2月18日。7年ぶりに埼玉県鴻巣市で行われている「鴻巣びっくりひな祭り」へ行ってきました。例年同様、JR東日本の「駅からハイキング」が行われ、これに乗っかりました。熊谷駅から高崎線で鴻巣駅へ・・・。鴻巣市は「ひな人形と花のまち」です。駅ハイアプリで受付を済ませました。地図を兼ねたパンフレットをいただいて、スタート!です。まず、最初に向かった先は・・・
先ずは、前編と同じく南畝先生の📖『壬戌紀行』より鴻巣から上尾までの件(くだり)☝️<.....渡辺綱守本尊(箕田観音堂)の先より>...ゆきゆきて「従是(これより)東光徳寺領(現:鴻巣市宮前、新義真言宗の聖山不動院)」といふ榜示あり。又「従是西」ともあり。右に寺あり。左に石尊大権現の堂(大山阿夫利神社に祀る石尊権現を勘請した堂)あり。鴻の巣の駅は「浅岡彦四郎(直澄=禄高280俵の旗本、屋敷は江戸本所緑町)御代官所」といへる榜示たてり。左の方に社みゆ。駅舎のさまひなびたり。「小川索麪(さうめ
「大宮〜鴻巣」中山道3日目その2中山道元宿宮崎発祥のコスモス薬局がある。なんともホットするのは、私も微力ながら、出店用地のお手伝いをさせて頂いた事があるからだろう。住宅地内にこんもりと馬室原一里塚馬室原一里塚の上部からかつては、対の片方があった線路が見える。ベンチ休憩させて頂いた「赤間神社」。「東間の富士塚」は、鳥居⛩〜参道〜階段が富士山へ向いて一直線になっているそうだ!この日、神社裏から富士山は見えなかった。日本橋から七番目の宿場「鴻巣宿」「壇林勝願寺」に立ち寄る。徳川家
鴻巣市にある勝願寺のもうひとつ浄土宗天照山良忠院勝願寺は廃れた松岡山本誓院勝願寺を惣誉清巌上人がこの地へ移転し再興したお寺で関東十八檀林のひとつです山門境内龍寿殿(呑竜上人を祀る)地蔵堂仁王門仁王像鐘楼堂本堂ご本尊:阿弥陀如来客殿仙石秀久・眞田信重夫妻・小松姫の墓眞田信重夫妻(左:妻・右:信重[眞田信之の三男])小松姫の墓(本多忠勝の娘で眞田信之の妻)仙石秀久の墓(信濃国小諸藩主)?徳川家譜代家臣牧野家の墓所(丹後国田辺城主牧野家累代の墓)境内の石仏な
埼玉県鴻巣市には勝願寺がふたつありますのそひとつ登戸の真言宗豊山派松岡山本誓院勝願寺こちらは浄土宗光明寺(鎌倉)開山の良忠上人にこの地を寄進し文永年間に一宇を建立したことに始るらしい。その後衰退し戦国時代末期僧侶惣誉清巌が移転再興させたのがもうひとつの本町にある天照山勝願寺でこの地で再興したのが慶安元年(1648年)に真言宗の僧侶円慶らしい参道参道の宝篋印塔朽ちた祠山門本堂ご本尊:不動明王阿弥陀堂境内の石仏など六地蔵板碑(慶安2年)首の無いお地蔵さん
今日しかないと思い立ち、お花見にやって来ました:*(〃∇〃人)*:ここは、桜で有名な『鴻巣公園』☆彡お天気は、やや曇っていますが、寒くはないので、お花見しながらお散歩するのには最適です(*^-^*)子供用の遊具やボール遊びができる広場があり、その周りにはジョギングコースがあるので、幼児連れのファミリー、老人ホームからの団体様、カップル、男子学生グループ、そして私のように写真を撮るためだけに来園している人達で大変賑わっています(*σ>∀<)σ鴻巣公園(埼玉県鴻巣市)|埼玉なび
鴻巣駅前。東口には1年ぶりに訪れましたが、駅前には立派なマンションが出来上がり、近代的な雰囲気になっていて、この時はひな祭りシーズンだったので、駅や周辺のお店でも雛人形が展示されてました。こちらは鴻巣公園。丁度寒桜が見頃で綺麗に咲いてました。公園内にはソメイヨシノの木もあるので、桜の名所の様で、月末には桜祭りも行われる予定だそうですよ~。こちらは勝願寺。鴻巣公園に隣接されてます。仁王門も歴史を感じられ、中には桜の木も植えてあるので、満開時には綺麗な風景を楽し
JR鴻巣駅から南に徒歩10分ほど歩くと大きな本堂の屋根が見えてきます。天照山良忠院勝願寺です。さぁ入ってみましょう。立派な山門です。山門の脇には小さなお堂があります。なんと、このお堂のお賽銭箱には…三つ葉葵の門が!そう、この勝願寺は徳川家康だけでなく、秀忠、家光も訪れたことあるのだとか…明治23年に再建された本堂ですが、立派で大きなものでした。で、社務所にお邪魔して、御朱印をいただきました。初穂料300円。
16日あさ新おかずサラダスパ❕あらびきソーセージパン❕❕プレミアムロール🍰❕❕❕コーヒー❕❕❕❕❕カイワレ代わりに豆苗🔄今日はトマトで新おか
ニュージーランド戦は大苦戦でしたね。相手の戦術もあるのでしょうが、やっぱり疲れがたまってきたんじゃないでしょうか。次のスペインはガチガチには守ってこないでしょうから、点を取るチャンスはありそうだけど、守備陣が耐えられるかな。冨安が出場停止なのは痛いですね。なんとかメダル目指して頑張れニッポンワクチン1回目行ってきました。打ったところがそこそこ痛みましたがその他の症状は無し。机にぶつけた膝のほうがまだ痛い・・・。年取るとあっちこっちぶつけるんだよね~。目測を誤るのか、思った通りに体が動かんの
昨日と打って変わり、サイクリング日和この間は寄らなかった勝願寺へ「なんじゃもんじゃの木」を見に行ってきた~山門の工事中で脇を抜けて境内へここのなんじゃもんじゃの木は、大木です~馬室にも寄って帰ります~
本殿:門額:所在地:埼玉県鴻巣市本町8ー2ー31縁起:鎌倉幕府第4代執権・北条経時から箕田郷松ヶ岡(後の鴻巣市登戸)の地を寄進され、一宇を建立したことにはじまる。墓所:仙石久秀・真田信重・室・小松姫小松姫信濃国松代藩祖・真田信之夫人、元和6年・1620年2.24病により当地で没する。真田信重・室真田信之三男・信濃国埴科藩第2代藩主、慶安元年・1648年2.28病により当地で没する。仙石久秀信濃国小諸城主、慶長19年・1614年江戸に出府しての帰途、同年5
埼玉県鴻巣市の中心部にお寺はありました。お寺専用の駐車場はありました。こちらの寺院の由緒は、次の通りです(由緒書きによる)。「勝願寺の歴史現在埼玉にある三つの檀林の中では創建が最も古いのがこの勝願寺。浄土宗の三祖である良忠が北条経時の帰依を受け、同じ檀林である鎌倉光明寺創建後にこの勝願寺を建立した。勝願の名は良忠の師にあたる勝願院良遍の名に依ったもの。荒廃期を経て天正年間に溝巌が現在地に再建し荒廃期し、次いで山主となった不残が礎を作った。家康は不残に篤く帰依して何度もこの鴻巣勝願
中山道武州路歩きは、「鴻巣宿」を行きます。「鴻巣宿」は、江戸から7番目の宿場です。慶長7年(1602)に、この先の本宿村の宿場を移したのが始まりです。天保14年(1843)の調べでは、本陣1軒・脇本陣1軒・旅籠58軒の宿場でした。街道を進みますと、右手に浄土宗のお寺「勝願寺」があります。仁王門は大正9年に再建されたものです。このお寺は、鎌倉時代に別のところに建てられたお寺ですが、天正年間にこの地に再興されたものです。徳川家康は、鷹狩
⑨番は「善性房」が開基した寺院です寺名;高柳山東弘寺宗派;大谷派開基;善性房所在地;茨城県常総市大房93TEL;0297-42-8701寺標東弘寺の開基「善性」は、後鳥羽天皇の第3子・正懐親王で正懐親王は出家して比叡山に登りましたが20歳の時に名利の争いを嫌って比叡山を降り下総国主・豊田治親のもとに留まることになったそうです。山門その後親王は、聖人が下総に来られることを知り小島に聖人を迎えて帰依し他力本願の真髄を学び
鴻巣に移動歩いて勝願寺立派な山門広い境内は綺麗にされています
皆さん、こんにちは☆今日11月14日は埼玉県民の日ですね!埼玉県民の日といえば、勝願寺のお十夜の日です。勝願寺は鴻巣公園の隣りにある大きなお寺で、有名な戦国武将のお墓があることで有名です。私は詳しくはないのですが、最近流行っている歴女の方々が沢山参拝に来ているらしいですよ。皆さんは行ったことがありますか?私が小さい頃のお十夜は、お化け屋敷とかがあって凄く賑わっていたのですが、今はたこ焼きとか、お好み焼き屋さんみたいな普通の屋台だけが出ている小さなお祭りになって
外は気温も高すぎず。過ごしやすい朝。もも🍑もいつもよりルンルンのようです。あさんぽ行ってきますー。いつものお寺を歩いてます
今日のあさんぽは、勝願寺の仁王門まで行ってみました。父上もずっと鴻巣人のくせに。仁王門に来たのはかれこれ40年ぶりぐらいかな。当時、チョー母上に脅かされた仁王様の存在。もも🍑に見せたら。。数十秒見入った後に、びっくりした顔で。戻って来た💧怖っももに仁王様は、脅威の大きさだったみたい!また明日からお散歩ルート変えなきゃかな鴻巣って良い街ですよ☆是非遊びに来てみてね。https://kounosu-portal.jp/article/shoganji_kounosu