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8月6日から夏休みを取って、四国旅行に出掛けてきました。今回の目的は四国にある続100名城制覇(100名城は2008年に達成済)6城と鉄道路線乗車です。自宅を6時前に出て、まずは博多駅6時59分発のさくら740号に乗車します。新幹線ではほとんど寝てましたが、8時50分岡山駅に到着。岡山駅で在来線に乗り換え、四国を目指します。今回はJR四国のフリーきっぷ「四国グリーン紀行」を使っての旅になります。この「四国グリーン紀行」はJR四国内のJR線および土佐くろしお鉄道の特急、普通列車が乗り放題
おはようございます北島町のコープのイートインでお昼を食べ、北島郵便局で風景印をもらって(写真は昨日の記事に差し込みました)、次は勝瑞城へ向かいました。勝瑞城は続日本100名城になっていますコープのすぐ近くの『東開』バス停からバスで14分。『勝瑞西』バス停で下車。(Suica170円)少し歩いて、『史跡勝瑞城館跡』です。この広ーい敷地が全て館跡。ちょっとまだ工事中?のような雰囲気ですが、入って良いみたい。勝瑞城館跡は、安房三好家の
明後日のとくしまマラソンに備えて、本日から徳島入りしています。空港を降り立ち時間があったのでレンタカーで徳島市郊外の勝瑞城に行ってみました。城そのものはとてもコンパクトで水堀の跡が密やかでした。城の南西に勝瑞館跡があり、そこは広々としており、若者がサッカーをしたり昼寝をしたりしておりました。展示室でスタンプを押して、近くのガソリンスタンドで藍染の御城印をゲットしました。他に地元の特産物が販売されいてたりして、世にも変わったガソリンスタンドでした。
2月22日、引田城を訪問した後、徳島の勝瑞城(しょうずいじょう)を訪問しました。勝瑞城の最寄りは高徳線勝瑞駅です。徳島駅から北へ各停で3駅、所要時間は15分程度です。高徳線を勝瑞駅で下車し、北西方向に歩いて10分のところに勝瑞城があります。案内図①勝瑞城に到着したら、まずは③展示場に向かいます。ここでスタンプをゲットします。③展示場の2階から①勝瑞城方向を眺めます(下写真)。③展示場から上写真の正面の広場が、②勝瑞館跡です。そして写真右上部の林の部分が①勝瑞城跡です。①勝瑞城に向
みなさんごきげんよう🏯”戦わない城”「勝瑞城館跡」で三好一族によって花開いた阿波の文化に触れた後『徳島文化発祥の地は戦わない城?!@勝瑞城館跡(徳島県板野郡藍住町勝瑞東勝地)』みなさんごきげんよう🏯藍住町教育委員会さんが毎年行っている「勝瑞学講座」に参加する機会をいただきました分厚いカラー資料もいただけて参加費無料阿波の歴史文…ameblo.jp実際に戦った城跡徳島県板野郡藍住町勝瑞東勝地「竜音山見性寺」にやって来ました周囲には堀が巡らされており、今
みなさんごきげんよう🏯藍住町教育委員会さんが毎年行っている「勝瑞学講座」に参加する機会をいただきました分厚いカラー資料もいただけて参加費無料阿波の歴史文化への熱心な取り組みに驚く讃岐人😊城といえば山の上に築かれるのが一般的ですしかし「勝瑞城」は吉野川の三角州のど真ん中に位置しており軍事施設というよりも、経済的要衝としての性格が強かったそうです南北朝時代から室町時代にかけて、阿波国の守護大名であった細川氏がこの地に本拠を置いたのが始まりです当初
この御城印は藍で染められた和紙で金色の文字で書かれていますこの勝瑞がある藍住町の書家の方が書いたそうです近くの「武田石油」さんで頒布していましたこの勝瑞城あたりは藍住町と言って「藍」染めしたものが特産品の一つで「阿波藍」は有名であってこのあたりは井隈郷(いのくまごう)と呼ばれていて井隈荘という荘園でした源頼朝が鎌倉に幕府が開かれてからは源頼朝に従った近江の佐々木経高が阿波国の守護になりました「鎌倉殿の13人」では歯が抜けた佐々木秀義がでてきて笑ってしまいましたがその
徳島では「徳島城」以来もあってなかなか阿波についてのことが難しい💦ので、色々と資料をみていたら遅くなってしまった💦💦ブログを書くので自分が見直している間に時間がたってしまった😅『徳島城』昨年も…たくさんの寺社を巡ったし、たくさんのお城にも行って来ました。ブログにUPしていないところもあって、結局2022年の宿題が終わらずに2023年に持ち越し…ameblo.jp『徳島城…②』徳島城は約61mの城山に築いた城です。太古には海抜が今より5m〜10m高かった頃は「島」と言っても良かったと
勝瑞城跡へ来てみたまだここは駅から徒歩10分と四国の城の中でも訪問しやすいので先にクリアしておく城跡といってもほぼ何にもない💦なんならお寺になってますお堀に面影があるくらいワシは風男なので風だけはびゅうびゅう吹いてる遺跡を掘り出してる最中だとのこと併設の資料館へスタンプを押しに発掘された土器まぁなんかわからんがとにかくクリアした15分もあれば見終わりますよ!最寄りの勝瑞駅では続く
今日は徳島の大河、吉野川の北側藍住町にある、勝瑞城館跡の広場でスマイリーマルシェというイベントに参加。(※ワイは入院中やけど💦)今回は130以上の出店があるみたいで、盛り上がっとるわで、ほこでなんしたん楽器屋クロちゃん黒崎楽器楽器🎸はやっぱりくろさきネ!70年代、四国放送で流してたテレビCMはこんな感じだった。喋っていたのは当時、幼稚園児の私の姉「地域とかかわり、音楽
最終日最後は南北朝時代細川氏が勝瑞に守護を置いた勝瑞城です細川氏衰退後は三好氏の居城となりました。まずは勝瑞城館跡展示室でスタンプを頂きました。勝瑞城館は複数の曲輪が形成されていたと発掘調査で検出されており濠で区画されてました。保存のため埋められてますがここが幅10~15M深さ3~3.5M濠跡ですこちらは館内にあった区画溝で庭園と生活空間の分け目らしい。復元された礎石建物で庭園を眺められる会所があったと見られてます。枯山水庭園跡。面影は見れました骨の残りが良い2基の墓を発見したこ
2025年10月13日、続き。お次は、勝瑞城跡(しょうずいじょうあと)。勝瑞城は鎌倉時代から戦国時代まで、淡路国、讃岐国、阿波国の中心として、細川氏9代、三好氏3代の本拠地として、中世の地方都市としては他に類を見ないほどに城下町が繁栄しました😳最後は長宗我部元親と三好氏との間で起きた中富川の合戦(1582年)において、敗れた三好氏(十河存保)が讃岐国へ敗走し、勝瑞城は廃城になりました😢江戸時代に蜂須賀家政により徳島城が築かれた際、石塁や遺構の多くが持ち運ばれたとの伝承が残って
一宮城から下りてきて、一宮神社と大日寺に寄ってから、勝瑞城に向けて出発。土手の上の道を走ったり、大小の川を渡ったり、とにかく川だらけ。四国三郎が暴れまくった結果なのか。国土地理院の土地の成り立ちの地図を見ても、吉野川流域はほとんどが氾濫平野か旧河道で、ところどころに自然堤防がある程度。川を守りに利用した城はたくさんあるが、多くは川に削られた河岸段丘や舌状台地を生かした縄張りで、川との標高差がある。古い時代の城で標高差が無い平城は、珍しい気がする。吉野川の守りに自信があったのか、畿内や讃岐と
引田城を後にして、阿波国へ。高松在住時は、いつも高速道路を使っていたので全く気が付かなかったが、国道11号線と高速道路は引田を過ぎると大きく離れることになる。昔の讃岐街道は、高速道路と同じ方向に伸び、11号線は海沿いを鳴門方面へ。目的の一宮城に向かうには鳴門回りではかなりの遠回りになるので阿讃山脈越えの山道に入るが、かなりクネクネ。こんなに険しい山道だとは。山を越え、吉野川、鮎喰川を渡って一宮城の駐車場に到着。一宮神社、お遍路さんの大日寺に隣接している。登り口からの道の傾斜は急だが道幅は広
【9/132日目②】やばいやばい。記事が一年遅れになっちまう。ということで…なんとか頑張って一年前の記事を書き始めます。で、前回の記事は↓『徳島港に着岸。フェリー旅あるあるのナビ問題。』【9/132日目①】朝10時半の写真。どこを撮ったのかな?たぶん、潮岬だと思うぞ。ここで何度かキャンプしたんだよなぁそして、お昼の写真。フェリーは2…ameblo.jpフェリーを下りたら…最初に向かうのは石垣!(違ッはい。徳島城です。徳島城は2回目かな
信長は半兵衛の策を入れ、即座に勝瑞城に引いた。翌1568年6月。信長の小軍団が、阿波にて本願寺の大軍団を攻撃!大勝利を収める!
「持久戦になるやもな。」つぶやくように言う信長。その苦辛(くしん)、手に取るようにわかる勝猛。時を無駄には使えない。できるだけ早く領地を拡大し、官位も上へ。「では勝瑞城に移動しましょう。」「うむ。」とにかくそこから。勝猛はそう思った。
1566年12月。信長軍、阿波(あわ)へ侵攻!勝瑞城を攻める!あっという間に落城させる!1567年1月。信長はついに四国上陸!「本願寺勢力を、追討いたしましょう。」と島勝猛(かつたけ)が進言する。
阿波国の勝瑞城は、細川頼春が築城して以来阿波守護所として阿波の中心であったが、応仁の乱で衰退した細川氏に替わって三好氏の三好義賢1527-1562が細川持隆を攻めて城を奪った。しかし三好氏も3代経て、天正10年に土佐の長宗我部元親に攻められ、中富川の合戦に敗れ讃岐へと逃れ、三好氏の阿波の支配は終わった。城跡内は、三好氏の菩提寺である見性寺の境内地となっていて、江戸時代の儒学者・那波魯堂の撰による慰霊文が刻まれた勝瑞義家碑や三好三代の墓がある。ところで、三好義賢は三好長慶の弟にあたり
阿波・勝瑞城北に十河城があり、阿波・讃岐連合国の体を成している。海を渡ったところに高屋城があるが、本願寺門徒に狙われがち。今までは、摂河泉(摂津・河内・和泉)と阿波・讃岐を有していたため、かなり有利だった三好家。本願寺門徒の本拠地が石山御坊になると、勢力図が逆転してしまった。と言っても、これは「烈風伝」における話であり、史実では石山御坊以外は三好家(古くは細川管領家)が領有していた。いくら三好家家臣団が優れていても門徒の物量攻撃の前では霞んでしまう。なので、今回は阿波の本城・勝瑞城
細川・三好の居城勝瑞城館跡四国の城攻め第6弾は、徳島県にある続日本100名城の1つ、勝瑞城跡・勝瑞館跡です。勝瑞城館跡周辺(パンフレットより)勝瑞は阿波の守護である細川氏が守護所を構えた場所。細川宗家の家督争いによる内紛が起こり細川一族が衰退に向かうと、16世紀半ばには、家臣で阿波三好家の当主であった三好実休が謀反を起こし実権を握ります。その阿波三好家も引き続き勝瑞に拠点を置きます。因みに三好実休の兄は、畿内で有力な大名であった三好長慶です。勝瑞城は、長宗我部氏の侵攻に備え勝瑞館の北東
次の目的地は、徳島の一宮城跡です。一宮城は、南北朝時代の延元3年(1338)に小笠原長宗によって築城されたと伝えられています現在は、環境整備は、一宮城跡保勝会の協力のもと、地域の皆さんによって行われているとのこと。歩きがいがある城跡でした。阿波の青石とも呼ばれる緑色片岩が見られます整備された階段を上ります才蔵丸見晴らしが良かった本丸跡陰滝方面は、時間がないのと危険なので今回はパス帰りは、一宮神社を参拝次の目的地、勝瑞城跡に向かいます勝瑞城は、阿波国の守護が置かれた場所で、戦
勝瑞城跡徳島県板野郡藍住町令和6年(2024年)10月17日㈭JR四国高徳線の勝瑞駅から0.6km、勝瑞城跡へ通行量の多い県道14号線の道路脇には水濠水濠の先は勝瑞城本丸跡勝瑞城徳島県板野郡藍住町勝瑞(阿波国板野郡勝瑞)にあった城(平城)。平城跡と居館跡が2001年(平成13年)に国の史跡に指定され、その後の発掘で新たに確認された部分が2007年(平成19年)に追加指定された。阿波国の守護所であり、近年の発掘調査でその繁栄の一端をうかがうことができた。現在も断続的に発掘調査が行わ
一宮城の山登り•山下りでかなり体力気力を使ってしまいヘロヘロ状態次の目的地続日本100名城No.175勝瑞城は平地にあるっぽいまずはスタンプと御城印をゲットしになんだか立派ですよ〜カッコいい場所は勝瑞城から西へ数百メートル行った武田石油さん(ガソリンスタンド)にあります勝瑞城といってもお城🏯🏯らしきものは見当たりませんお寺がありますん〜〜この辺りくらいかな石碑があって〜ふむふむこんな感じで何も見る
2024冬青春18きっぷの旅の2日目です。初日記事はこちら『2024冬青春18きっぷの旅(初日・前編)』今年も冬の青春18きっぷの時期となりました・・・が!皆さんご存じのとおり、ルールが様変わり。5回(人)を1日単位で使えたのが、3日間、5日間の連続使用の方式に…ameblo.jp『2024冬青春18きっぷの旅(初日・後編)』「2024冬青春18きっぷの旅(初日・前編)」の続きです。『2024冬青春18きっぷの旅(初日・前編)』今年も冬の青春18きっぷの時期となりました・
2024.11.09一宮城から車で40分弱。この日の3つ目の城、勝瑞城。堀の中にお寺のようなものがあり、「勝瑞城」と言うのぼり旗が立っている。場所はわかるが、駐車場が見当たらない。ナビを頼りに堀の周りをぐるっと回ってみる。近くには勝瑞城館跡というところもあるらしい。ふと見ると、宅地造成地のような工事現場に「勝瑞城駐車場」の看板が。臨時駐車場か?とりあえず車を停めた。車を降りて周りの様子を伺うと、どうもここは勝瑞城の発掘現場らしい。この工場のような建物が展示室。続100名城のスタン
sp-勝瑞城館跡-徳島県藍住町教育委員会社会教育課syugomati-syouzui.sakuraweb.com10月14日お昼すぎ暑い☀勝瑞城は、本丸部分は、今でも四方を水堀に囲まれたまま温存されていますが、下図左下のように広大な城館跡もありました。勝瑞城跡の南側の水堀から南西に見える信号交差点を左折史跡勝瑞城館跡に出ました。何もありませんが、発掘調査が終わった後、埋め戻されたようです。広大な敷地です。室町期から戦国期への細川→三好政権
10月14日の陽射しが強い暑い日に行きました。洲本城跡を観てから、勝瑞城跡へ向かいました。一番、暑い時間帯だったと思います。手の入らない水堀を見つけ歓喜しました右上の四方が水堀に囲まれた方形の曲輪が勝瑞城跡史蹟勝瑞城西国守護三好長治公一族菩提所手前が水堀を渡す土橋まっすぐ前に見える盛り上がった部分は土塁跡土橋の両側には水堀今は、この程度に手が入っていませんが、、、いずれ、整備されてしまうはずです。水は、あまりきれいではない
昨日は有明からフェリーで出発。今日の昼過ぎに徳島港に到着。さて、どうしたものか?まずは…徳島城!次は…一宮城!次の次は…勝瑞城!と3つの城に登城してきました。実は、信長の野望出陣というアプリで遊んでるんです。信長の野望のポケモンGOみたいなヤツ。もういい歳なので、歩いて運動しないとね。走ると膝にくるしさ(笑そんなこんなで城巡りしながら、歩数を稼ぐなどなど。で、最後は家族の為に…と学駅にやってきた。下の子が大学受験だから、学駅の入場券を買いに…来たんだけ
■所在地徳島県板野郡藍住町勝瑞■遺構郭・水堀■城のタイプ平城・居館■築城者細川氏・三好氏勝瑞城(しょうずい)は阿波細川氏や三好氏の居城で阿波の政治・経済・文化の中心地として栄えました。当地は、室町時代後半に阿波国守護細川氏によって守護所が置かれた地で、戦国時代に阿波の実権を握った三好氏もまた勝瑞を本拠して全盛期を迎え、三好長慶の弟三好実休が治めていました。天正10年(1582)に長宗我部元親に攻め落とされるまで、細川氏9代、三好氏3代の約240年の根拠地として歴史の舞台