ブログ記事43件
2024年9月22日(日)。秋分の日。お彼岸。天気雨のち曇り時々雨のち晴れ。いきなり秋っぽくなってきました。さすが「寒さ暑さも彼岸まで」ですね。京王線「高幡不動駅」へ。「高幡不動尊参道」。この参道に来るのは昨年の12月以来でした。昼食は参道にある「開運そば」さんへ。天ざるをいただきました。おいしかったです。真言宗智山派別格本山「高幡山明王院金剛寺(高幡不動尊)」。「不動堂」(室町時代建立・重要文化財)と「五重塔」(1980(昭和50)年築)。当地で切腹したと伝えられる上杉憲顕を祀った
皆さま当ブログでは、これまでに転生型事例に関する研究の動向について詳しく論じてきました。『転生型事例の研究』秦霊性心理研究所所長はたのびゃっここんにちは。麗月の神占(十九)では、いわゆる生まれ変わりの記憶に関する話が取り上げられています。輪廻転生の概…ameblo.jp『魂のライフサイクル(1):中間生記憶に関する5つのステージ』皆さま昨年から転生型事例の研究について、日本人の事例も交えながら、これがどのような内容の体験を含んでいるのか、また仏教や
先日、初めて丹波哲郎さんの映画「大霊界」を1~3まで観てみました。古い映画ですから、ちょっと、あれ?(笑)というところもありますが結構楽しめました。「大霊界3」は生まれ変わりの記憶をもった勝五郎という子供の実話です。6歳で亡くなった藤蔵が12年後に勝五郎として再生し、前世の記憶を持っていたため江戸中に知れることとなりました。その後、平田篤胤を介して書物となり、天皇の耳にも入り、さらには海外にも知られることとなりました。霊界や転生の存在を当時の世に知らしめる霊界の計画だった
リノベ宿人生の楽園で紹介した静岡の宿。☆勝五郎白浜大浜海水浴場すぐ近くの立地。祖父から受け継いだ民宿をリノベした。客室は和洋室。お風呂は弱アルカリ性の天然温泉でかけ流し。食事は付かない。リノベーション温泉民宿「勝五郎」/海まで徒歩3分!(白浜大浜海水浴【VacationSTAY提供】楽天トラベルその他の宿伊豆下田・須崎温泉民宿「権兵衛」楽天トラベル温泉民宿大坂屋楽天トラベル温泉民宿源兵屋楽天トラベルブログで紹介
何の本を読んだ時に、この本のことを知って読みたくなったのか、もう覚えていない。大江健三郎だったかな?550頁以上あるし、字が細かい。でもとても興味があるテーマである。著者であり、前世を記憶する子どもたちについて実地調査を行なった科学者イアン・スティーブンソンは2007年に他界している。まえがき:著者は既に生まれ変わりの事例報告は65発表しており、未発表のものも100例以上ある。西洋諸国では事例の報告は過少である。第1章序論:子供が前世について話し、それが事実と一致する
去る文政五壬牛年十一月の頃、当時八歳だった勝五郎は姉ふさ、兄乙次郎と田のほとりで遊んでいた際、ふと兄に向かって「兄ちゃんは元はどこの誰の子でこの家に生まれてきた?」と尋ねた。兄が「そんなこと知るものか」と答えると、また、姉に向かって同じように尋ねた。「どこの誰の子だったかなんてわかるわけないじゃないか。おかしな子だね」ふさは馬鹿にしたが、勝五郎はなおも得心しがたい様子だった。「それなら、姉ちゃんは生まれる前のことは知らないのか?」「あんたは知ってるの?」「俺はよく覚えてる。元は程久保村の久
8月30日火曜日〜その8雑事あれこれ。8時半から12時まで二度寝。(写真)10巻組カセットテープ『NHK浪曲名人選⑩』〜「次郎長伝勝五郎の義心」先代広沢虎造「天保水滸伝平手造酒の最後」先代玉川勝太郎(S51年ポリドール)の音源は「勝五郎」はモニター済み。「平手造酒」を聴きました。
前回、輪廻の話を書きました日本にも、古くから輪廻転生の話が伝わっています。江戸時代の国学者・平田篤胤が書いた『勝五郎再生記聞』には、前世を記憶していた勝五郎という少年の話が載っています。勝五郎は、文化12年(1815年)に武州多摩郡柚木領中野村(いまの東京都八王子市東中野)の百姓・源蔵の家に生まれました。当時8歳だった勝五郎は過去世を記憶していました。勝五郎は「自分は前世では、程久保村(東京都日野市程久保)の久兵衛という人の子で、藤蔵という名だった」「母の名は、
8月26日金曜日〜その13(写真)30巻組カセットテープ『NHK浪曲名人選27』〜「勝五郎の義心」三代目広沢虎造「陸奥間違い」冨士琴路(ポリドール)を聴きました。雑事少々。23時半、オンセンス・パインバスを使っての入浴。水分補給に、WILKINSONGINGERAIR。
8月23日火曜日〜その14(写真)30巻組カセットテープ『NHK浪曲名人選①』〜「勝五郎の義心/石松三十石船道中」先代広沢虎造(ポリドール)はモニター済み音源。
6月11日土曜日〜その6(写真)カセットテープ『清水次郎長伝より勝五郎の義心・石松金毘羅代参』先代広沢虎造(エルム新社)を聴きました。
誰の墓?勝五郎?藤蔵?不思議なこともあるのですね。前世の事を覚えてるのありますよね、知らない道を歩いていてここを曲がると等。勝五郎とは日野市程久保の小宮豊家は、勝五郎が生まれ変わる前の、藤蔵の家を継承しています。曾祖父の小宮鏡治郎氏が養子として迎えられた際に実家の小宮姓に改めましたが、それ以前は「須崎」を名乗っていました。家は建て替えられたものの場所は同じで、『勝五郎再生記聞』にある「三軒並んだ真ん中の家で裏が山に続く」という当時の景観を残しています。向かいの「たばこや」(屋
3月9日水曜日〜その133枚組CD-BOX『浪曲先代広沢虎造』〜「勝五郎の義心・お蝶の焼香場」(SOUNDTOKYO)を再生。(写真)私は、30代〜40代にかけて、此のCDをカーステで数えきれないくらい聴きました。大手レコード会社からマイナーレーベルに至るまで、音源が拡散している虎造師の有名なライブ版。権利はどうなっているのか?。現在なれば、50年を経過しているので、著作権は消滅しているのでしょうが…。
3月6日日曜日〜その1110枚組CD『浪曲名演集清水次郎長伝先代広沢虎造①』〜「名古屋の御難・勝五郎の義心」(シーガル・プロジェクト)を聴きました。
3月3日木曜日〜その21(写真)10枚組CD『清水次郎長伝先代広沢虎造』〜「勝五郎の義心・お蝶の焼香場」(エー・アール・シー)を聴く。
2月22日火曜日〜その8(写真)20枚組CD『ニ代目広沢虎造大全集①清水次郎長伝』〜「勝五郎の義心・お蝶の焼香場」(オフィスワイケー※浪花家興行社所蔵音源)をモニター。「勝五郎」のライブ版は、こんなに鮮明な音源を聴いたのは初めて。未開封だったのでビックリ。出回っているライブはダビングを重ねて音がかなりこもっている。「お蝶」は少し鮮明度は落ちる。初号ダビングと思われます。新聞広告に書いてあった"奇跡的に見つかった"と云うのは本当だと思う。
2月3日木曜日〜その8(写真)13枚組CD『清水次郎長伝ニ代広沢虎造』〜「勝五郎の義心・長兵衛の義侠」(エー・アール・シー)をモニター。
1月24日月曜日〜その1216巻組カセットテープ『清水次郎長伝ニ代広沢虎造』〜(四)「石松と勝五郎」(ジェイ・ミュージック)を再生。22時半、夕食。献立は、クリームシチュー。HDDをチェック。
1月24日月曜日〜その11(写真)16巻組カセットテープ『清水次郎長伝ニ代広沢虎造』〜(三)「名古屋の御難・勝五郎の義心」(ジェイ・ミュージック)を聴きました。
1月16日日曜日〜その10(写真)6巻組カセットテープ『浪曲特撰先代広沢虎造森の石松一代記』〜①「勝五郎の義心・お蝶の焼香場」(九重商事)を再生。これは、お馴染みのライブ版。
1月3日月曜日〜その24(写真)CDアルバム『清水次郎長伝』〜「次郎長名古屋の御難・勝五郎の義心」先代広沢虎造(テイチク)は、LP盤と同音源でモニター済み。
1月3日月曜日〜その21(写真)カセットテープ版『浪曲清水次郎長伝』〜「石松と勝五郎」先代広沢虎造(テイチク)は、11枚組LP-BOX『清水次郎長大全集先代廣澤虎造』所収と同音源でモニター済み。
1月3日月曜日〜その15(写真)カセットテープ版『浪曲清水次郎長伝②』〜「次郎長名古屋の御難・勝五郎の義心」「石松と勝五郎」先代広沢虎造(テイチク)も、LP盤と同音源でモニター済み。
12月28日火曜日〜その2(写真)LP盤『浪曲名人傑作集』〜「石松と勝五郎」先代広沢虎造(テイチク)を聴く。雑事あれこれ。2時10分、オンセンス・パインバスを使っての入浴。水分補給に、C1000VitaminLemon。
12月21日火曜日〜その1819時、夕食。献立は、道頓堀今井のうどんよせ鍋、玉子の白身焼き&サラダ。(写真)ミニLP盤『勝五郎義心傳』廣澤虎造(日本コロムビア)をモニター。
12月17日金曜日〜その9(写真)3枚組LP『浪曲虎造全集第一集−次郎長伝−』〜「勝五郎義心伝」「次郎長名古屋の御難」「石松三十石船道中(前・後)」広沢虎造/語り手東京放送アナウンス部池谷三郎(S37年5月コロムビアレコード)を聴く。「小松村七五郎」「追分三五郎(前・後)」「追分宿の仇討(前・後)」、「吉良の仁吉」は「荒神山の血煙り(四)お菊の縁切り」のタイトルで、10枚組CD-BOX『秘蔵ニ代目広沢虎造浪曲全集』と同音源でモニター済み。
前回のブログで「生まれ変わりは、果たしてあるのだろうか」と結んだ。生まれ変わりについて、わが国でよく知られているのが、勝五郎の伝承だ。江戸時代後半の文化文政期、舞台は現在の東京都日野市程久保と、山一つ越えて隣接する八王子市東中野だった。当時、程久保村の須崎藤蔵は1807年2月、6歳のときに流行病の疱瘡(天然痘)にかかって没した。8年後の1815年10月、中野村で小谷田勝五郎が生まれた。勝五郎は8歳(1822年)の冬、兄や姉と田んぼで遊んでいるときに突然、「おれの前世は、程久
12月13日月曜日〜その12(写真)10枚組LP-BOX『廣澤虎造大全集清水次郎長全傳青春篇』(S45年9月日本コロムビア)〜「石松と勝五郎・長兵衛の義侠」も、10枚組CD-BOX『秘蔵盤ニ代目広沢虎造浪曲全集』所収の「石松と勝五郎・次郎長と長兵衛」と同音源でモニター済み。
12月13日月曜日〜その11(写真)10枚組LP-BOX『廣澤虎造大全集清水次郎長全傳青春篇』(S45年9月日本コロムビア)〜「名古屋の御難・勝五郎の義心」は、10枚組CD-BOX『秘蔵盤ニ代目広沢虎造浪曲全集』所収の「次郎長名古屋の御難・次郎長と勝五郎」と同音源でモニター済み。
12月5日日曜日〜その1119時40分、夕食。献立は、ひき肉親子丼、ブリの照り焼き、ブロッコリーのナッツ和え、豆腐とネギのおみそ汁。デザートに、鳴門鯛焼本舗十勝産あずき、NIRGILI紅茶。(写真)10枚組CD-BOX『秘蔵盤ニ代目広沢虎造浪曲全集』(H21年2月18日コロムビアミュージックエンタテインメント)〜ニ「石松と勝五郎・次郎長と長兵衛」を聴く。