ブログ記事318件
あけましておめでとうございます氏神さまの東雲神社に参拝加藤嘉明公(伊予松山城を築城)騎馬像松山城ロープウェイ乗り場入口゜*。,。*゜*。,。*゜*。,。*゜*。,。*゜*。,。*゜*。,。*゜*。,。*゜*。,。*゜ロープウェー街の南にある大街道商店街で太鼓の演奏をしていましたo○★○o。..:*☆*:..。o○★○o。..:*☆*:..。o○★○o無理をせず自分らしく楽しく毎日を過ごしていきたいです∵=☆=━nico25━=☆=∵
射)毛利輝元:三つ星の後継者射)小早川隆景:三矢結束・略射)真田信幸:信濃の獅子薬)初:臨機応変の敏薬)村松殿:温顔の慧女射)加藤嘉明:沈着の大器薬)荒木だし:玉環の再来薬)島津貴久:三国守護の勲射)島津義久:大吉の勝戦薬)陽泰院:藤波の美目©コーエーテクモゲームス
期間:2025/12/26〜01/02天井:300(100&200時に星4と交換可)倍率:2倍初回:武)福島正則:資性剛強※倍率不明の為、判明次第反映戦)加藤清正:肥後の虎射)加藤嘉明:沈着の大器薬)小西行長:緘黙の雄心武)黒田長政:天下取りの将戦)細川忠興:畿北の驍将射)池田輝政:姫路宰相©コーエーテクモゲームス
大僧正天海(139)むかし私は、嘉明を「地味な方の加藤」と呼んでいた。清正に比べると、どうしても小粒な印象を受けるのだ。嘉明は朝鮮役でも加増され10万石となったが、秀吉薨去後は、「武断派」となり、筆頭大老・家康に接近した。関ケ原本戦でも活躍し、戦後嘉明は伊予国20万石になった。ただ伊予国には高虎も20万石で入り、領地も複雑に入り組んでいたため、両家はいざこざが絶えなかったのである。その後、居城を松山に移し、松山城を建設、城下町を整備した。大坂冬の
大僧正天海(138)「(寛永八年六月廿三日)大御所御不例により、医員岡本就封のいとまたまふ。」(「大猷院殿御實紀」)依然として秀忠の体調は優れず、医員の岡本就封が辞職することになった。その間も、秀忠の「宿痾」は進行し、日々「気鬱」が激しくなっていったのである。半井通仙院成信が召され、懇ろに診察を受けると、「寸白」の気がある事を発見した。まず「宿痾」とは持病・長患いのことで、「気鬱」とは、「疲れやすく、憂鬱、倦怠感」に苛まれ、「食欲がなく、気力がわかない」
朝、松山にいます予定は11時からだったので9時の朝礼が終わりすぐにホテルを出て松山城へ向かいます🏯地図アプリで調べたらホテルから20分だったので歩きで行くことにしました結構な勾配…おお!キレイな石垣だなぁこの時間でも人が多いやっぱりお城はいいですねぇ今まで色々お城見てきましたが中でも一番の高台じゃないでしょうか意気揚々と登ってきましたが、コレ降りるのかぁ…キツイなぁ上着とダウンは汗だくで脱ぎました神秘的な光景(光の筋が降り注いでる)しかし、石垣がホント綺麗だな見て下さい!
大僧正天海(133)家康との出会いは、小牧長久手の戦い後、家康が不承不承、上洛してきた時である。「藤堂家覚書」によると、秀長から、「京都に徳川様の御屋敷をつくるように」と指示されるが、これが防御の薄い公家風の邸であったため、独断で一部を改築した。家康は不審に思い、普請奉行であった高虎を問い詰めると、「主君の大切な御客人に万が一のことがあっては、主君の名折れである。お気に召さなければお手討ちにしてください。」と言った。これを聞いて家康は「いかにも武士の心得
愛媛旅行3日目朝1番の松山城へ行きますホテルから徒歩で10分くらいロープウェイ🚡のりばリフトで上がりますよ〜現存12天守御城印スタンプ共に天守入口にて初代城主加藤嘉明により築かれている石垣どこの石垣も立派です松山市内が一望戸無門筒井門天守など中をゆっくり見学するとかなり時間がかかりますよ松山市内からのアクセスが良いので助かりますねおとぉは学生時代よくここへ来ていたそうで懐かしがっていましたつづく
朝一の8:35伊丹発のJALに乗り、9:25松山空港着。トラブル無く定刻に目的地に着く事の幸せを噛みしめる(4月は松山空港上空まで飛んだものの、霧のため引き返して旅行をキャンセルした)。バスで10時頃に松山駅。伊予鉄で10:23に大街道(おおかいどう)駅。↓伊予鉄伊予鉄ではICOCA使えます。大街道から歩いてロープウェイ山麓駅を目指す。↓秋山兄弟生誕地その途中、道を少し右にそれ、秋山兄弟生誕地に寄ってみた。写真は復元された秋山兄弟生家。朝だからまだオープンしてないみたいやな。↓
今治市を出て約90分(意外とあるなー)を走らせ向かったのは松山市!そう!坊ちゃんのお膝元平山城である松山城を目指します!ですが…ムリは禁物!リフトを利用リフト出口。ここからは自力で登城そして到着!見事なり!昔の人はよくこの山頂に城を築いたもんだと感心御城印を購入しましたが…お城カードを失念まあ近いうちにまた行くからいいや(予定)お腹も空いたので城山荘にて坊ちゃん御膳なるものをいただき、お腹を満たしました松山城住所・愛媛県松山市丸之内1築城主・加藤嘉明公(伊予松
大僧正天海(102)「あの者は幼い頃から豊臣家に仕え、賤ケ岳七本槍の一人として称えられました。しかし、その後は当家(徳川家)に仕え、関ケ原でも大坂の御陣でも、その志を変えることがありませんでした。極めて律儀で、誠実な男です。この男ならいかなる要地を任せても、大丈夫でしょう。」と理由を述べた。「しかしながら、藤堂家と加藤家は、朝鮮役で度々争い事を起こし、四国の領国でも家臣同士が大いに揉めたと聞いております。その様な者を御推挙なされるのですか。」と老中衆は高虎に尋ね
大僧正天海(101)【高虎と嘉明】「(寛永四年正月四日)この日陸奥国会津城主松平(蒲生)下野守忠郷卒せらる。この忠郷は、故飛騨守秀行の子にて、母は、東照宮の御女にましましければ、秀行うせしき十歳にて家をつがせられ、鶴千代丸と申けるを、元服せしめ給ひ下野守と称し、御名の一字給はり、忠郷となのらせる。御外孫の御事なれば、御家号をもゆるされ、従四位侍従に叙任ありて、六十万石を領せらる。」(「大猷院殿御實紀」)寛永4年(1627年)1月4日、蒲生秀行の子・忠郷が疱
松山城の続きです城山公園本丸広場に到着天守が見えてきましたわぁ~城山公園本丸広場西側の眺望景色を楽しめるようにベンチが沢山並んでいました瀬戸内海が見えますね江戸時代に思いを馳せてみましたきっと海がもっと近くて緑が多くて城下町の先に漁村があって海には小舟と遠い地方から特産品を運んできた帆船が浮かんでいたのではないのかなぁ松山城は賤ヶ岳の合戦で有名な七本槍の1人加藤嘉明公が1602年から築き始め約四半世紀かけて建てられ黒船来航
こんにちは。秋の気配も少しではありますが感じられるようになってきました。日中は過ごしやすくなりましたのでモゾモゾと散策に動き出しております。尾張西部から新名神経由で約1時間半。滋賀県甲賀市にあります水口城址に行ってきました。戦うためのお城ではなく将軍上洛時の宿泊所として建造された館です。泊ったのは家光公一人で一回のみ、上洛後は「番城」となります。「番城」とは城主を置かず掃除係などの城番のみを置くことで維持されたお城のことです。加藤嘉明さんが描かれていますが、入封したの
お城や陣屋を構成する「城郭建造物」の中に建つ「蔵」(全国「城郭内の蔵」を巡るシリーズ)を採り上げてお届けしています。お城(陣屋や代官所含む)には、「天守」「櫓」「御殿(能舞台や茶室等含む)」「門」「番所」の他に、戦闘に使用する武器類、生活を維持していく為のお金等の財産、命を繋ぐ米などの食物類、その他生活に必要な物品等々を保管しておく「蔵」や「納屋」が必ず設けられていました。元々は、そのようなモノを保管しておく「蔵・納屋」が独自に築かれていましたが、江戸時代に入り平和な時代になってくる
大僧正天海(70)【忠直改易】「(元和八年七月)十三日、幕府、肥前長崎奉行長谷川藤正ヲシテ、先ニ密航渡来セル西班牙宣教師フライ・ペトロ・ド・ツニガ及ビルイス・フロレンス竝ニ、長崎商人平山常陳等ノ罪ヲ裁シ、之ヲ火刑ニ処セシム。」(「史料綜覧」)元和6年(1620年)、堺の商人・平山常陳が、船長を務める朱印船が、台湾近郊で、イギリスとオランダ船によって拿捕された。この頃、新興のイギリス・オランダと旧来のスペイン・ポルトガルは、この海域で覇権を争っていたのである
先日まで見てきた「城門」(櫓門も含む)には、門からの出入りを監視する「番所」を併設しているモノも見られましたが、お城や陣屋を構成する「城郭建造物」には、独立して建てられた「番所」というモノもあります。今回のシリーズでは、各お城にある「番所」(全国「番所」を巡るシリーズ)を紹介しています。お城内外への人の出入りや、各曲輪間や建物間の出入りを監視、管理する「番所」も重要な役割を担う「城郭建造物」です。「番所」には、そこに詰める武士や中間(今でいうガードマン)が滞在できる単独の建物もあれば
伊予松山城(別称:勝山城・金亀城)(Ⅲ)松山市丸之内今回は二の丸・三の丸周辺を回ります山を下ります。大手門石垣同大手門周辺の高石垣大手道を下り二の丸へ途中の総構えの石垣大手道仕切門跡大手道・尾谷門跡大手門・持弓櫓台石垣尾谷門跡から見る、前方に東大砲台石垣二の丸奥門、奥に東大砲台石垣二の丸四脚北御門
伊予松山城(別称:勝山城・金亀城)(Ⅰ)松山市丸之内創設年代・・・・慶長七年(1602)創設者・・・・・加藤嘉明形態・・・・・・平山城遺構・・・・・・本丸・二の丸・三の丸・外堀・土塁・石塁・天守・櫓・門・井戸他美しい、そして難攻不落の城だ!ポイント日本三大平山城の一つ。江戸時代の現存天守12の内の一つ。勝山は道後平野のほぼ中央に位置し、南北朝期には南朝方が砦を築き、北朝方の湯築城に対抗。戦国期には河野氏の湯築城の前衛基地ともなった重要な戦
天守が現存する12城の一つである松山城、他の現存櫓に加え復元された櫓から成る山上の本丸櫓群は圧巻!また山裾の二ノ丸の多門櫓も復元されている様で、標高差は概ね100m程度。姫路城、津山城と合わせて日本三大平山城に数えられる様ですが、標高差は松山城が一番の様。本丸と二ノ丸の間は登り石垣で繋がる構成。登り石垣は、敵の侵入に備える構成で、他には洲本城、米子城、彦根城で残されているとの事。関ヶ原合戦の後、その功績で20万石に加増された加藤義明により勝山に築城開始。築城開始後に本拠を勝山に移した際に名
大僧正天海㉛「重信、直勝これを理りと聞、正則は江戸にあれば、かれにこの事を告むには、むなしく日を費すべし、幸に正勝京都にあれば、正勝に證状かかせてとらせんといふに、彼等これを然りとせず。正勝はまさしく正則が子なりといへども、我々この国を守る事は正則が命をうけて正勝が命うけしにはあらざれば、正勝が下知にしたがふべきにあらずと答ふ。」(「台徳院殿御實紀」)安藤重信と永井直勝は、「確かにそれはそうだ。」と思ったが、「左衛門大夫殿は今、江戸におられるので、徒に日数をかけるこ
それでは、3日目(最終日)の観光スタートですホテルのある松山市駅から市電に乗り、10分弱、大街道に到着です。さらに数分ほど歩いて、松山城への入り口に到着しました。8時30分から営業しています。9時前にはここに到着しましたが、既にかなりの人がいましたよ。土曜日だしねみんな大好き、顔出しパネルです。松山城の建設を始めた加藤嘉明をキャラクター化したものです。よしあきくんです!お殿様の後ろに乗るなんて。そんなこと許されそうにないような。。。しかも、お馬さんに鎧を着た武将を二人も乗せ
大僧正天海㉚「その文にいふ。安芸備後の両国没収の事、福島左衛門大夫正則、備後守正勝(忠勝)謹領し、その城御使へ引渡すべき旨、家臣等へ手書をなすにより、其手書を牧野主馬某、東條伊豆守長頼にもたらして広島へつかはしむ。」(「台徳院殿御實紀」)牧野・花房両使が江戸の福島邸を訪れた時は、既に周囲を幕府軍に囲われ、国元に使者を送ることはできなかった。ところが、江戸在勤の家士が番役交代のため、上洛していて、福島家改易の話を聞いた。すでに関所は閉じられ、陸路で広島城に
御津大明神(元屋敷跡)こんにちは、よっこん日記のよっこんです。今回は、三津厳島神社の社殿がもともとあった場所、元屋敷跡に行ってきました。以前のブログで紹介した、三津厳島神社。『近所の探検記録(6):三津厳島神社』三津厳島神社こんにちは、よっこん日記のよっこんです。今日も近所を散歩しました。今回は、松山の港町「三津」にある、三津厳島神社(みついつくしまじんじゃ…ameblo.jp〔三津厳島神社の由緒〕~~~~~~~~~~~・崇峻天皇の時代、筑
🚃朝一から松山観光スタート☀️路面電車に揺られて、リフトで空中散歩気分を味わいながら松山城へ🏯✨ここは「日本三大連立式平山城」の一つといわれ、連なる建物と複雑な構造が圧巻‼️特に石垣の迫力は必見で、歴史を感じる重厚さに思わず見入ってしまいました😮🪨本壇にそびえる大天守は、日本にわずか12箇所しか残っていない現存天守のひとつ🌈江戸時代からの威風堂々たる姿に、時間を忘れて見惚れました💖
前に訪れたときは松山城すら見ないで帰ってしまったので今回はしっかり見てきた天守には登らなかったからしっかり見てきたとは言えないか江戸時代以前に建造され現代まで保存されている12の天守のひとつ黒と白!かっこいい!春や昔十五万石の城下哉正岡子規松山城もかっこよかったけど私の推しは松本城こちらの天守には何度か登った
伊予の七曲りこんにちは、よっこん日記のよっこんです。今回は、松山城城主の加藤嘉明公が造った、ウネウネ曲がった街道、「伊予の七曲り」を紹介します。以前のブログでも「七曲り」について、少し紹介していました。『探検記録(56):壱里塚石』壱里塚石こんにちは、よっこん日記のよっこんです。前回のブログで紹介した、松山札之辻を起点とした里程標(りていひょう)を見つけたので、紹介します。『…ameblo.jp〔伊予の七曲り〕~~~~~~~~~~~~~~~~~
伊予の関ヶ原こんにちは、よっこん日記のよっこんです。今回は、松山市古三津の周辺で「伊予の関ヶ原」と呼ばれる合戦があったことを紹介します。まずは、その合戦の史跡を探すために、松山市宮前公民館にやってきました。愛媛県松山市古三津1丁目26−48公民館の入口付近に、案内図を発見しました。宮前文化遺跡案内図です。案内図の拡大この周辺に、かつての合戦の史跡が数多く残っています。まずは、宮前公民館から南に約270m進んだ所にある、村上大明神を目指します
松山城×ひろしまドリミネーションの特別企画「光のおもてなしin松山城2025」で、光のオブジェやイルミネーションが夜の松山城を彩ります。≪7月25日(金)~8月17日(日)18:30~21:00(25日は19:30~)≫また、様々なイベントを開催中!夏の夜の松山城をぜひお楽しみください。🎆ロープウェイ夜間運行🎆7月25日(金)・26日(土)17:30~21:308月2日(土)・9日(土)・10日(日)・15日(金)・16日(土)18:00~21:30松山市HPより抜