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加太の大築堤の上り勾配を進むD51-654牽引の荷物列車1981年頃撮影後補機のD51-253に押されながら勾配を上る貨物列車1981年頃撮影関西本線の蒸気機関車による運行は1971年4月に名古屋-亀山間が廃止、残る亀山-奈良間も1973年10に廃止され姿を消してしまいました。写真は名古屋-亀山間が廃止された直後の1971年の夏、いよいよ蒸気機関車の活躍も終わりを迎えようとしていた時期だったこともあり、最後の雄姿をカメラに収めようと多くの鉄道ファンが来
キハ120前から気になってた所で撮影🎵自分なりにはいいかな😝またね👋😃✨[鉄道模型]トミックス(Nゲージ)2248国鉄DD511000形ディーゼル機関車(九州仕様)(1両)楽天市場キハ120300形ディーゼルカー(関西線)セット(2両)【TOMIX・98036】「鉄道模型Nゲージトミックス」楽天市場【送料無料(メール便)】KBオリジナルアイテムししゅうタグキーホルダー(DD51形ディーゼル機関車D51555)KBTG13006楽天市場[◆]JR貨物
撮影日2022.1.26撮影場所JR西日本関西本線亀山駅及び加茂行普通列車車内前回の記事の続きで、今回から関西本線の非電化区間に足を踏み入れます。そのまま西に足を進めた後、おおさか東線初乗車の予定です。関西本線は以前天王寺駅~奈良駅間を乗車した事が有り、今回の行程でほぼ全区間を乗車した事になります(天王寺駅~JR難波駅間はまたいずれ)。(一枚目)・亀山駅のホームに停車中のワンマン普通加茂行きです。ここからはJR西日本管轄となります。関西本線の内、名古屋駅
皆様こんばんは、備前国鉄道です。前回の投稿から少し時間が開いてしまいましたが、今年2月初旬の名古屋・伊勢旅行を振り返るシリーズを再開します。part1はこちら↓↓↓『リニア鉄道館&初めてのお伊勢さんpart1』皆様こんばんは、備前国鉄道です。GWの終盤だった先週末もかなりの雨が降りましたが、明日からもまた天気が崩れるようですね・・・。狙っているかのように週末ばか…ameblo.jp草津線で柘植駅に到着。ここで乗り換えるのは関西本線です。愛
米子からリニューアルしたキハ120を亀山に届けたDD51。それが亀山から宮原に帰ります。何度も撮ったのですが・・・今日もまたそれを撮りに行ってきました。帰りの準備を終えたDD51。亀山から出区します。その姿を鈴鹿川側から・・・亀山駅に向かう背景には高くそびえる鈴鹿山脈。坊谷トンネル。いつもの場所で・・・(関~加太)暗い切通の中を加速する姿を・・・(加太~柘植)雪化粧した鈴鹿山脈を背景に草津線を走ります。(油日~甲賀)DD51が甲賀
亀山からいよいよ峠越えに挑みます亀山を出ると、広い構内にJR東海と西日本、電車とディーゼルカーがいろいろ入り乱れております昔は蒸気機関車の煙で凄かったりでしょうねぇ亀山駅構内を抜けると、今度は道路のジャンクションで、東名阪道と名阪国道、そして国道1号線が集まる亀山インター付近を走行しますちなみに、ここから東名阪道を5㎞名古屋方面に進めば新名神と分岐する亀山ジャンクション、反対に名阪国道で少し天理方面へ行くと伊勢道と分岐する関ジャンクションがありますそして、その先が東海道五十三次の関宿
久々の投稿です。前回投稿から色々とありましたので、一気に御紹介致します。難波方面高架切り替えにより高架駅化が完了(高師浜線以外)した高石・羽衣両駅を、出来立てホヤホヤな時期に訪問。地上には数日前迄使われいた残っていました。いかにもまた走って来そうな雰囲気ですが、錆び始めたレールを見ると旧線としての実感が湧きます。封鎖された踏切。久々の阪急撮影。8000系・8300系クラシック復刻デザイン車です。まずは京都線用83
4月11日の日曜日。午前中で静岡県の秋葉神社本宮参拝を終え、帰るには時間が早かったので寄り道逆光で❲おにぎり❳が見えませんが、この道路は旧名阪国道の国道25号線場所は三重県亀山市。目的地はここ関西本線の「加太駅」一応駅前にバスも有りますタクシーだけど加太駅周辺の案内板。駅舎の中駅事務所は、シャターが閉まっていますかつてはもちろん有人駅で、[加太越]の補助機関車も留置していた駅ですけどね〜列車本数は普通列車が一時間に一本国鉄時代には急行も走っておりました運賃表。
元々はバイクブログだったのよ😓高速にも乗れて、手軽に出掛けられるよう購入を決めたPCX150トップケースと大型風防付きで、走行距離3116キロとほぼ新車😊『PCX15003/30』元々はバイクブログだったのよ😓毎日が日曜日で、焚火くらいしかすることがなく、過ごし方に戸惑っています😨かといって、毎日ツーリングと言う訳にもいかな…ameblo.jp本日納車!バイクショップで説明を受け初乗りはそうだ餃子の王将鈴鹿
元々はバイクブログだったのよ😓そして今日から無職になりました😢無職初日トコトコ散歩キャノピー、乗ろう。JR乗海行き先はそうだ伊賀、行こう。JR食う甲斐まずは、鈴鹿市石薬師町のナントカ義塾跡の桜を見て深溝町のわらペン近くの芝桜めっちゃ、見頃😊シャープ亀山工場近くのフラワーロード関宿の地蔵院の桜写真を撮ってたらパトが
元々はバイクブログだったのよ😓28日、前日の天気は晴れ予報だったのに、朝起きたら曇天😨特に西の空は真っ黒で👀根性なしなのでR1200RTはお蔵入りにしそうだキャノピー、乗ろう。JR乗海行き先はそうだ伊賀、行こう。JR食う甲斐まずは、鈴鹿市深溝町のわらペンにご挨拶したけど、どうよこの雲いつ降ってきてもおかしくないっしょところが、伊賀市柘植付近では晴れてきて😥晴はありがたいけどおいおい、平場で曇って山
こんばんはhatahataです。伊賀鉄道撮影後は亀山配給の出場を狙います。先ずは草津線です。列車通過の2時間くらい前に到着。時間が近付くとお仲間さんや、ブロ友さんも来られ談笑をしながら待てました。そして時間になり踏切が鳴りました。油日~柘植配8722レDD511193+キハ120304ここでの亀山配給は初撮影です。急いで撤収し次の撮影地の裏加太へ・・・移動の際はブロ友さんについて行き順調に到着。(ありがとうございました)柘植~加太
この週末は「黙撮」に出掛けようかと思いましたが、せっかくのタイミングで土日とも生憎の雨の悪天候でした。思い切って行く気になったらこんな天気になるのでなかなか条件が合いませんね。トホホ・・・です。土日とも夕飯の食材を買いに出かけたくらいで、ほとんどお家に引き籠りでしたので二日間で2,000歩ちょっとと、運動不足で更に体重が緊急事態宣言発令中です。泣土曜日一日中TVを見ていたので、さすがに二日目となると飽きてきたし、日曜日の午後は中央競馬のネット投票で今シーズンの運試しを。結果はご
6月6日その14柘植駅で関西本線の亀山行きに乗り換えこのルートが本来の東海道に最も近いルートである。キハ120のロングシート、来るとがっかりする車両NO1かもしれない。奈良方面行と行き違い、草津線から両方向の乗り継ぎに対応している。かつてはここでSLが補機をつけた区間のためかやたら側線が多い。名古屋⇔大阪は関西本線のほうが東海道本線より距離が短いのであるがこのような勾配がきつい区間が多いため現在ではローカル線に成り下がっている。トンネルが勾配の頂
DD51が加太越えをする。そっ。昨日は、後藤入場のキハ120を従えたDD51が走る。移動手段は列車。追っかけはできないので、撮影地を一ヶ所に絞る。選んだ場所は、加太駅から歩いて10分ほどの・・・以前、ここで撮影しましたが、その時は快晴。ここでは、雲っている日の撮影がいいようです。と、思っていたら、撮影後、加太駅に向かっている途中に大粒の雨が降ってきました。雨が降り出すのが、もう少し早ければ、たいへんなことになってました。写真は、令和2年8月28日に撮影しま
↑↑↑どれかクリックしていただけると元気が出ますw!(^^)!関西本線の加太~柘植間、8.9km。かつての峠越えの難所で、この間に中在家信号場というのがありました。Wikiさんによりますと、設置が1928年4月1日で、廃止が2006年3月18日のダイヤ改正だそうです。加太~柘植と言いますと、伊勢と伊賀の境にあたりまして、標高約50mの伊勢の国は亀山駅から標高300m超の峠を越えて、250mの伊賀の国に抜ける路線でござい
今宵は追憶の鉄道ネタ。STAYHOMETOWN@滋賀シリーズが終わったらぜひやろうと思っていたやつでございます。きっかけは、先ごろChinuさんがアップされたコチラの記事でした。この記事の中で登場する、今は亡き中在家信号場の痕跡写真。すでに廃止されてたなんて全然知らなかったのですが、実はわたくし、この信号場を現役時代に訪ねたことがありまして、その時の写真を探してみたのでご紹介。記録を辿った結果、訪問したのは昭和57年10月11日、わたくし15歳の秋でございます(笑)。
列車は、加太駅で対向列車を待つため小休止。古いDD51が似合う、この駅。ここで、この機関車が牽く客車列車をもう一度見たいです。でもっ。亀山駅は他社の駅。そのような列車を走らせることは無理なのでしょうね・・・亀山-(配8725)→草津DD511191+キハ12013写真は、令和2年3月20日に撮影しました。
歴史ある関西本線らしい場所で・・・加太越えする亀山配給を撮るために、ここで待ってみた。130年前のトンネル(坊谷トンネル)を抜ける、亀山配給。亀山-(配8725)→草津DD511191+キハ12013写真は、令和2年3月20日に撮影しました。
昼の亀山鉄道部。DD51と、それに繋がれたキハ120が出区する。時々運転される少し変わった編成が、このあと加太越えをし草津線経由で大阪へ向かう。亀山-(配8725)→草津DD511191+キハ12013写真は、令和2年3月20日に撮影しました。
水曜日にようやく今年最終の忘年会が終わりました。お疲れ気味だったので2日間ブログアップをお休みしましたが、久々にパソコンに向かって更新しております。今日は早い時間いアップする予定でしたが、TVでスターウオーズをしていたのでスッカリ最後まで見ていてこのギリギリの時間になりました。今日から映画も封切されたので時間を見つけて映画鑑賞に行ってみようかなと思ってます。さて久々のブログ更新の今回は昔々いにしえの古き良き風景です。加太大築堤の全景です。加太越えのD51の写真はよく撮っ
天正一〇年(1582)六月二日の早朝、京の本能寺で織田信長が明智光秀に殺されたとき、徳川家康はわずかな供回りで泉州堺にいました。本願寺役人の日記によりますと、家康はその日の朝、安土(近江八幡市)から上洛した信長に会うため、急いで京へ向かっていました。一行が河内の家康が信長の死を知るのは堺から上洛し、飯盛山(四条畷市)へ向かう道すがら。家康と昵懇な京の豪商茶屋四郎次郎(初代)はその事実を家康へ注進するため慌てて京を出たところ、逆に京へ向かう家康の重臣の本多忠勝と出会います。
このところ天気が悪いため、またまた昔の画像です。1985年(昭和60年)の国鉄時代に東海3県を青春18きっぷで巡ったときの記録です。大垣駅で撮影した113系の普通電車です。先頭は荷電系としては短命だった元飯田線用のクモユニ147です。大垣駅で撮影した485系の特急しらさぎです。岐阜にある有名歓楽街の金津園の前を通過しています。まだ岐阜駅付近は高架になっていませんでした。詳しい記録が残っていませんが、おそらく岐阜駅から高山本線と越美南線(現在の長良川鉄道)を乗り継いで美濃市駅
3.117年が経ちました。日本は造山帯なので、地震や火山災害、土砂災害はあって当然。それを無いかのように伝える方がおかしい。阪神淡路大震災は六甲山ができたことを考えればあって当たり前。東日本大震災で、やっと大きな災害について、適正な情報を伝えるようになってはきたものの、時間軸の違いについてはまだ『人』中心。『地球』の時間の進み方を知る必要があるのでは…高度経済成長からの学習を省みる必要があるのでは?そんな今日は天王寺から。床屋で頭を軽くして、18きっぷで関西本線を東へ。目的地は
今回のプチ廃線跡探訪コーナーは、関西本線非電化区間の「加太越え」区間にある中在家信号場の、現在は使用されていないスイッチバック設備について簡単に紹介していきます。中在家信号場は加太(かぶと)~柘植(つげ)のほぼ中間地点にあり、連続勾配区間のためにスイッチバック式の信号場として1928年に設置されました。その後は運行本数の減少などにより列車交換の機会が減少し、2006年にスイッチバック設備の使用を停止して棒線信号場として現在も中在家信号場は存在しています。尚、スイッチバック設備は2
皆さま、おばんです!昨年末のことですが、木造駅舎を求めて関西本線の駅巡りを楽しんできました。関西本線と言えば、かつては名阪間を国鉄線と激しいデットヒートを繰り広げた関西鉄道が前身の路線。古い木造駅舎が数多く残ることで知られていて、機会があれば行ってみたかったのですよね。駅巡りを楽しむ前日に、ムーンライトながらに乗って名古屋入り。名古屋駅からは始発列車を乗り継いで柘植駅までやって来ました。ここから名古屋駅に向けて、駅をひとつずつ見ながら進みますのよ。こうして訪れ
先日、名阪国道の渋滞で迂回した国道25号線、通称名阪酷道またの名を非名阪で帰りましたが、どのような道なのかをざっくりと見ていきたいと思いますまずは、亀山市関町で国道1号線から分岐しますこの標識、忍者マニアにウケそうですねちなみにこの交差点の鈴鹿峠よりには以前紹介したがあります1号線から分岐して、しばらくは普通の道ですが、とつぜん古いトンネルや、クランク状になったら踏切があります踏切から少し進んで、国道から少しはずれると、JR加太駅がありますホームには鉄道遺産が紹介されていま
昨日の朝は、でした。あれから24時間勤務を経て、ちょうど24時間後に帰ろうと名阪国道に乗ろうとしたら、おいおいおいおい…板屋ICから上柘植ICまでは約10キロ以上あるので、えらいことになってます。かといって、昨日の逆のコースを行く気力もないし…ということで、名阪「酷」道経由で帰りました。道は狭いわ、カーブが多いわ、坂道はあるわ、挙げ句の果てには未舗装のところもあるわ…そういう箇所に限って逆三角の国道マークがあって、さすが酷道界の聖地だと納得しました。せっかくだから、この見事な酷道
1月23日大和街道は江戸時代には加太越奈良道(かぶとごえ)と呼ばれて東海道関宿から伊賀上野、島ヶ原、笠置から木津川沿いに奈良へ続く古道。壬生の乱では大海人皇子が平安時代に源義経が江戸時代には参勤交代の大名が通った道。現在では国道25号線西名阪道の様な関西と中部を繋ぐ主要道路といった所かな。スタートは東海道の宿場町でも人気の関宿。旧道の約2kmに重要伝統的建築物群保存地区が残る。西の追分が大和街道(加太越奈良道)との分岐点。旧国道25号線を行く。並行するJR
伊賀上野駅にて。今回の区間はキハ120形気動車の独壇場です。関西本線編の第2回目は、JR西日本管轄の区間で、今はローカル線となってしまった区間、亀山~加茂を紹介します。(Yahoo!地図を使用)路線名区間・営業キロ備考関西本線名古屋~JR難波(174.9km)貨物支線(4.7km)を除く今回紹介の区間路線名区間営業キロ備考JR西日本:関西本線亀山~加茂61.0km全区間