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トロッコが暴走して、1人か5人どちらかを轢かなければならない。最大多数の最大幸福を考えると5人を犠牲にして1人に犠牲になってもらうのが理にかなっている。これが功利主義。例えば、自動車の最高速度を30キロにすれば死亡率は格段に下がり、1年で3,000人の命が救える。しかし、高速輸送による利便性を優先しているのが現状だ。タバコも酒、ギャンブルもそうだ。禁止にすれば誰もやらないのに税収を優先している。学校の現場も最小の労力で最大限の授業をしようと狭い教室で一斉授
「公共」という科目が3年前にできた。共通テストは今年の高3が初めて。私の予想は「激甘!」知識のウェイト少なめだから読解力のある子は満点のワンチャンあるよ!さて、私は教科書を買って読んだ。なんだか感動してしまった。身近な例からの導入し、重要語句も分かりやすくなっている。教科書も令和版!みたいで進化している。一方で、人は進化しているのだろうか?令和になってもイジメ、戦争は無くならない。いじめやヘイトスピーチの法律もあり、国際連合もあるのに無くならない。どっちも悪な
『沙石集』に、こんな笑い話がある。あるケチな男が虫歯を抜いてもらうために歯医者にいった。歯医者が1本2文だ、というと、男は1文に負けろ、という。歯医者は断るが男は食い下がる。結局、2本で3文で歯を抜くことで、両者は納得した。男は、虫歯1本と虫歯でない歯1本を抜いてもらい、3文払って喜んで帰っていった。1本あたり1.5文で治療できたのだから、25%引きであり、一見、得したように見える。しかし、虫歯1本の治療に3文支払い、その上健康な歯まで失ったのだから、大損である
🔷热脸贴冷屁股(中日辞書北辞郎)「今日头条」から↓↓↓🔷以脱亚入欧为使命的日本,为何钟情于“热脸贴冷屁股”?(2024-03-1417:55·历史微鉴)「脱アジア、西洋化」を使命とする日本が、なぜ「热脸贴冷屁股」が好きなのか?1895年、清朝末期の重臣李鸿章と日本の首相伊藤博文が日本のレストランで会談し、その後双方はそれぞれの政府を代表して1カ月近く交渉し、最終的に条約に署名した。4月17日の《马关条约:下関条約》は、国にとって屈辱的なものだった。この条約では、中国
目指せお好み焼き社会ありがとうお言葉コーチングの秋山です。最近気になっている言葉があります。Facebookでどなたかがシェアしておられたのですが、イスラム教を信じる旦那様、外国の方が、日本人である奥さんをたしなめて言われることだそうです。役に立つとか使えるとか、そういう言葉を人間に使ってはいけないよ。役に立つとか使えるとかそういうことは道具に対して使うことであって人に対して使うことではない。という内容です。私たちはついついお役に立ちたいとかいい意味で使って
潜在能力アプローチを原典から理解するには、アマルティア・セン「不平等の再検討」を読むことになる。ベンサムらの功利主義やアローの可能性定理、ロールズの正義論との対比も詳しく説明されているが、この理解には圏論が役立ちそうだ。ロールズらは、知性、健康、権利、自由、所得や富などの基本財を平等に、という主張をしている。功利主義では、富の分配などこれらを目的にもしている。これに対しセンは、これらは手段であって、個々人が自分なりの目的に向けて、変換する能力に着目する。そして基本財を変換する能力を発現し向
【書名】功利主義者の読書術【著者】佐藤優【発行日】2012年4月1日【出版社等】発行:新潮社【学んだ所】・読書には、大きな罠がある。特に、読書家といわれる人がその罠に落ちやすい。⇒読書はいわば「他人の頭で考える」ことである。⇒従って、たくさんの本を読むうちに、自分の頭で考えなくなってしまう危険性がある。・われわれ近代以降の人間は、目に見えるものだけを現実と考える傾向が強い。⇒しかし、目に見えるものの背後に、目に見えない現実がある。⇒思いやり、誠意、愛などは、「これだ」といって目に
こんにちは。かなり、久しぶりにレポート課題をながめてます。超ハードルが、高そうな『法哲学』の課題。。。第1課題は、H・L・Aハートの『法と道徳』の関係第2課題は、J・ロールズの『正義論』の論点(マイケル・サンデルのハーバード白熱教室で有名)第3課題は、『功利主義』についてレポート着手出来るか?検討中先週は大分県に行ってました。(大分城(別称:府内城))
能登半島地震から一ヶ月以上。被災地の方々の困難な状況を知らせるニュースを見るにつけ、もしも私自身が体験したら果たしてどのような行動をとれるのか。想像の域を出ないが、いつかはこの関東の地にも再び震災が来ないとは誰にも言う事は出来ない。天災や不慮の事故、人間関係のトラブルまで報道されるような大事に巻き込まれるのは稀としても……。私達は常に瞬間、瞬間の判断をしているしその判断によってしか人生はなり立たないとも言える。その判断とは具体的な行動によるものもあるだろう
特にどうのという訳じゃないけど頭にふっと浮かんだことを質問してみました。質問倫理的な意味で「私は存在すべきではない」と言えるのか?AIの答え私は存在すべきではない」という文の倫理的意味は、哲学的枠組みによって様々に解釈される。例えば、**功利主義的な観点**では、自分の存在が善よりも害をもたらすのであれば、存在しないことが倫理的かもしれない。しかし、**決定論的観点**からは、「私は存在すべきではない」という発言は、自らの生命を維持する義務に反するため、非倫理的とみなされるかもしれな
『貧困の経済学上』マーティン・ラヴァリオン著柳原透監訳(2018年9月20日第1刷)◇第I部貧困の思想史◇第2章③貧困に関する1950年以後の新たな論調(第2章は①から③まで)①は↓『『貧困の経済学上』第2章①貧困に関する1950年以後の新たな論調』『貧困の経済学上』マーティン・ラヴァリオン著柳原透監訳(2018年9月20日第1刷)◇第I部貧困の思想史◇第2章①貧困に関する19…ameblo.jp
では、自然保護を巡るジレンマについて、まずはそれがとのような性質のジレンマであるのか、実例を挙げながら一つずつ考えてみよう。①人間同士の利害関係の対立これは国際政治の場面に最も多い。炭酸ガス放出量の削減なんかがそうだ。経済発展を目指す国々にとっては、炭酸ガス排出量に上限を設けられるのは都合が悪い。だから中国も、アメリカの前トランプ政権も、後ろ向きの姿勢を顕にした。比較的前向きのはずのEU諸国でさえ、排出量取引なんてのをやっている。自国の削減量ノルマを達成できそうになければ、足りない
親友N氏との話(愚痴を聞いても嫌な気持ちにならない。功利主義的な犠牲者は止めてくれ。)+急速充電で思い出した話など。健康・生活の話。趣味の話。まじめなことをまじめに考える話。なかなかタイミングが合わない親友N氏とLI…thesonchou.jp
さる方から、自分の考え方を決めたような本を一冊あげて下さい、というお題をいただいた。皆さんはいかがでしょうか?自分は、と考えると、ポパー「推測と反駁」、ギアツ「ヌガラ」も決定的だったが、いまに至る持続的な影響となると、アマルティア・セン「不平等の再検討潜在能力と自由」が挙げられる。よりよく生きる、という人それぞれの価値観と選択肢の多様性を尊重し、それを実現するには権利や財を提供するだけでなく、個々の潜在能力を育む社会にしていこう、という議論だ。インドの老婦人が社会福祉を受ける権利があって
おはようございます。ご覧くださりありがとうございます。ダイアンサス(なでしこ)です。ピンク色のダイアンサスの花言葉は「純粋な愛」だそうです。(//∇//)きゃー功利主義見え隠れ!自由な絵のようなブログがカッコいい昨日の続きです。デイケアスタッフの加奈さんに、戻るように伝えたあと、すぐに、ケアマネージャーと連絡をとりました。救急隊も到着して、とても残念なことですが、徳田源次郎さんはお亡くなりになっていました。自宅で亡くなり、発見者がデイケアスタッフでし
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相変わらず、科学的根拠もロジカルも一切無い、いい加減なポエムを垂れ流すだけの谷田川君(笑)に飽きてきたのだが、この手のサイコパスっぽい輩は、放置すると、自分を有能だと勘違いしかねない(笑)。続けることに理由は必要ないといいつつ、“正統性”を理由にして、男系(笑)の意義を強調する谷田川君(笑)。論理的思考が苦手なのにも程がある(笑)。ダンケー(笑)に正統性などないし、続けるか否かの決定権は、そもそも谷田川君にはない。「正統性(笑)を受け継ぐことに意味がある」と力説する谷田川君(笑)だが、そんな意
「今、皆さんは幸せですか」この問いかけに首を縦に振ってYESと答える人達は少ない。現に日本の幸福度ランキングは47位と他の先進国と比較すると低いことがわかります。私達が幸せを感じづらいのはなぜでしょう?メーテルリンクの小説「青い鳥」で次の一節があります。「僕たち、ずっと遠くまでいったけど、この鳥、ずっとここにいるんだなぁ」この一節からわかるように、私達は身近にある幸福に、中々気づかない。幸福が近くに存在しても、私達が幸福を見出す目がないか、幸福を感じられる生き方をしていないだけでは
(昨日の続きです)(4)脳内推移先に脳の基本作用は共鳴であると指摘しましたが、ここでもう1点注目すべきは、任意のとある認識に対応する、脳全体の励起状態のありようでしょう。実際人の脳は、重い案件だとその1件のみで、軽い案件でも高々3件同時に記憶するのがやっとです。つまり脳は基本的にどんな軽い仕事でも、脳のかなり全体を励起させて案件を処理しているのです。「案件認識→安全危険判断→対応を決断→実行」、この一連の各ステップの発生瞬間は暗黒の中の光明ですが、この光明つまり脳内全体励起は、共鳴
学校から帰宅してのお茶タイム。ミルと興味深い話をしました。Ethik(倫理)の授業で、次の学年で「功利主義」について学ぶそうです。その予習って感じで先日、みんなでフィルムをみたそうです。ミルがそのストーリーを簡単に説明してくれました。「160名ほど乗っている飛行機がハイジャックされました。それは本日サッカーをやっていて7万人がいるミュンヘンのスタジアムを目指して飛行しています。スタジアムに飛行機が突進したら飛行機に乗っている人達、スタジアムにいる人たちと大勢が死にます。なの
私、頭が潤滑に回転できないのでわからないことがたくさんある。ここ数年、あれれ?と戸惑ってしまうことが多発している。挙げてみよう・・・まず、何と言っても脱炭素とカーボンニュートラル。温暖化!という旗をもろに振るのではなくこういう言い方に替えた方が効果があるのか・・・。どう考えても『脱』は無理。で、カーボンニュートラルはまだ理屈的にはわかるが、ここにEV車と太陽光発電が颯爽と舞台の中央に上がって来た。確かに走っている最中は電気自動車はクリーンである。でも、そ
人間のみならず本能を持つ生き物は、足りるか、足りていないかという意識が行動の源流になる。人間は自分達の生きやすいように環境を変えてきた。因って、餌を得るための動物的行動はせずともよくなった。所謂、“欲”というものの対象が他の動物と決定的に違ってきた。生きるための摂餌、群れの維持、そして何にも勝るのが種の存続である。ところが現代では、生まれた子の死亡率は昔とは比較にならないほど下がったのでそれ以外のものが“欲”の対象となっていった。学歴、出世、名誉・・・
うちの塾では、よく会話をする会話しながら勉強をしていると言った方が近い。それを聴いただけであ、そんな塾ダメだと半分以上の受験生のお母さんは判断する。なんですか?会話は国語の基礎ですけど。いや、そんな無駄な時間にお金は払えません。いや、遊びで会話してるんちゃいますけど・・・って、もうこれは何万回説明してもわからん御仁にはとうていわからんわけで。それはいいんです。でも、そういうご家庭で育った子ほど何か聴くと返事は決まってこうだ。『知らん』
私は平素から、自分は功利主義者だと認識していることを公言しています。功利主義というのは、より多くの人の幸福を追求する、という立場のことを言います。これを「最大限最大多数の幸福」原則などと言います。この主義を説明する例え話でよく引き合いに出されるのが、火事場のお話です。目の前の建物で火事が起きて、逃げ遅れた人を一人しか助け出せない場合、誰を選ぶか、という問題が生じます。この時に、一人はローマ法王、あるいは世界的な脳外科医が居る、とよくこの例え話では引き合いに出されます。も
「真面目に奮闘して死んだ奴は馬鹿者で、要領よく立ちまわって生き延びた奴は、利口者だ」と言って戦後の風潮を源田実は否定しているが、竹中平蔵の社会観はここに着地する!!(功利主義)竹中平蔵の政策提言は日本人の情緒に抗う。デフレの根は雇用破壊。みんなで貧乏になる覚悟を共有するところから違った勇気がウマレルかもしれない!!そこから本当の巻き返しが始まるのかもしれない!!(竹中や堀江を否定し日本人の情緒を重視しよう)人情を無視した戦術も戦略
この仕事についてなまなかではない月日が過ぎていった、たくさんの人間模様も見聞きしてきた。子どもを伸ばすにはどうしたらいいか?という問いに、今やっと単刀直入に答えることができる。それは…幕の内弁当はだめだということ。栄養面ではバランスの取れた良い弁当だが、あれこれ入って目玉がないとも言える。子育てに似ていると思っている。魚を一匹、骨だけ残して食い切ってしまう。これが良い。それを全うするには、誰かを信じ切って託さなければならない。これが意外に難しい。それが怖くてできない人
私はこのような事例で実際に相談を受けたことはない。が、現場では頻繁に起こっていることだとは聞いていた。先生の相談者のお子さんは真っ当な神経の持ち主だと思うのですが、残念なのはまずは学校側の及び腰の姿勢ですね。昔はそんなことを言わせなかったのですが、体罰云々の事から先生も学校も腰が砕けています。無理もないです。子どもは学校を選べても先生は子どもを選べません。(公立は選べないですが、“手”はあります)そこが問題ですね。谷先生の書かれている通りで、妨害をしている子達とその家族の品位が
功利主義は18世紀の英国の思想家、ジェレミーベンサムが提唱した思想だ。「最大多数の最大幸福」という言葉で有名だ。「最大多数の最大幸福」は、すべての人々が最大に幸福になるという意味ではない。社会全体の幸福(効用)のトータルが最大になるということだ。具体例を示そう。社会全体の構成員が、A、B、Cの3人だけだとする。3人は全員が喉がカラカラに渇いている。そこに3杯の水がある。どのように分配するのが社会全体の幸福(効用)が最大になるか?限界効用逓減の法則からすれば、喉が渇いてい
功利学問は、まず第一に若人の純真な生命を毒し、思惟(重い考えること)や情意を荒ませる。その結果、知識階級に低級狡猾(こうかつ)な、しかもごまかしのうまい利己主義者ばかりが増え、それらの人間が追々あらゆる社会地位を占めてゆくために、社会生活の全般にわたって段々「純真な人間」の活動がはばまれて、狡智な動物、便利な器械が横行するようになる。知識や技術や免状資格が幅をきかせて、人間の力量や徳操(固く変わらぬみさお)などは、おいて問われなくなる。これは人間が個人的精神的に死んでしまって、