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私も歴史大好きです5項羽と劉邦この辺からは教師から聞いた話は減ってきますね天下を統一した秦の始皇帝が早くに亡くなりますここで私が子供達によく出すクイズです世界で一番大きな墓は?高さ面積体積(容積)て、三つ答えてくでさい答えはクフ王のピラミッド仁徳天皇陵始皇帝凌でした吉沢亮くんせっかく不老不死の薬をさがしていたのにみつからなかったんですね始皇帝がなくなったらすぐに内乱がはじまりました台頭してきたのが項羽と劉邦この物語はその頃古文の授業
史記項羽本紀より(新書漢文大系より)項王の軍、垓下に壁す。兵少なく食尽く。漢の軍及び諸侯の兵之を囲むこと数重。夜、漢の軍の四面に皆楚歌するを聞き、項王乃ち大いに驚きて曰く、漢、皆すでに楚を得たるか。是れ何ぞ楚人の多きや、と。項王則ち夜起ちて帳中に飲す。美人有り、名は虞、常に幸せられて従う。駿馬あり。名は騅、常に之に騎す。是に於て、項王乃ち悲歌忼慨し、自ら詩を為りて曰く、力は山を抜き気は世を蓋う。時利あらず騅逝かず。騅逝かず奈何かす可き。虞や虞や汝を奈何せん。と、歌うこ
劉邦紀元前(BC)255年12月26日辰刻年乙巳月戊子日壬子時甲辰空亡:寅卯7丁亥、17丙戌、27乙酉、37甲申、47癸未、57壬午・本人が官職を得て、それは公の財を伴うが自分の財とはしない・自分も含む集団は武芸等の技術を伴う大運年運出来事癸未辛卯BC209年沛県の亭長、反秦活動に参加癸未壬辰BC208年項羽らと共に秦王朝に反乱癸未甲午BC206年咸陽陥落項羽より漢中へ左遷癸未甲午BC206年楚漢戦争(項羽vs劉邦)癸未丁酉BC203年垓下
「背水の陣」といえば、もう後がなくて、勝つしかない、という意気込みで、戦うことかと思っていましたが、そうじゃなくて、実際に、水つまり川を背にして戦ったことをいうらしいですね。孫子の兵法か何かに載っていた兵法かと思いましたが、実際には、漢楚抗争の中で、漢の韓信が、把握しきれていない将兵を率いて戦う時に、将兵の逃げ道が無い、全面の敵と戦うしかない陣を敷いて、将兵の必死さを呼び起こして勝利した陣形だということです。もちろん、陣形以外にもいろいろな策略も併用したようです
ひでです。お早うございます。世界遺産の万里の長城は中国にある城壁のことですが、分かっているだけで6000kmを超える長さがあるんで、長城全体が世界遺産ではなく、一部が指定されているということです。長城を作るきっかけは、北方にある匈奴のような異民族が侵攻してくるのに手を焼いていた秦の始皇帝が、異民族の侵入を防ぐために建設が始まりました。しかし、秦が滅ぶきっかけになった、当時、今で言う警察署長の役職をしていた劉邦(漢王朝を開いた人)が長城の工夫を連れて行ったのですが期限に遅れたために、首をはねら
中国のドラマ「始皇帝天下統一」を見終わった。全78話。長かったー、面白かったー(^◇^)。もう3回くらい見ている。紀元前221年に史上初めて中国を秦という国で統一それまでの群雄割拠の時代を終えた。ドラマは、秦王エイセイがライバルの6国を滅ぼして終わるが秦の歴史は、その後15年しか続かない。紀元前206年に秦を滅ぼすのは漢を打ち立てる劉邦である。人間というのは平和よりも戦乱を好むのかねぇ。。。
○2025年7月11日、「旅游巴蜀」旅で、漢中を訪問した。、漢中市街の観光地としては、古汉台、拜将坛遗址、饮马池が良く知られているらしい。さいわい、この三か所は漢中でのホテルである桔子汉中国贸酒店(国际贸易中心店)から歩いて行けるところに存在した。○最初に、古汉台、続けて、饮马池、最後に、拜将坛遗址を見学した。ある意味、この古汉台・饮马池・拜将坛遗址はセットになっていて、漢中市街の観光名所となっているようだった。したがって、漢中市街から歩いて行ける距離に、三か所とも存在する。○ちなみに、中国
○2025年7月11日、「旅游巴蜀」旅で、漢中を訪問した。、漢中市街の観光地としては、古汉台、拜将坛遗址、饮马池が良く知られているらしい。さいわい、この三か所は漢中でのホテルである桔子汉中国贸酒店(国际贸易中心店)から歩いて行けるところに存在した。○前々回、ブログ『古漢台』を案内し、前回、ブログ『汉中市博物馆』を案内した。その『古漢台』の『汉中市博物馆』の中心となる建物が桂蔭堂になる。今回は、ブログ『桂蔭堂』と題して、『汉中市博物馆』の展示物を紹介したい。○その前に、次の記事を案内したい。イ
○2025年7月11日、「旅游巴蜀」旅で、漢中を訪問し、最初に訪れたのが石門桟道だった。もっとも、前日、勉県を訪れ、武侯墓や勉县武侯祠へ参詣を済ませている。大きくは勉県は漢中市になる。○その後、漢中市街へ帰って、漢中市街の観光地を目指した。当古代文化研究所が漢中市で選んだ観光地は、古汉台であり、拜将坛遗址、饮马池だった。さいわい、この三か所は漢中でのホテルである桔子汉中国贸酒店(国际贸易中心店)から歩いて行けるところに存在した。○最初に訪れたのが古汉台で、前回、ブログ『古漢台』に書いている。
○2025年7月11日、「旅游巴蜀」旅で、漢中を訪問し、最初に訪れたのが石門桟道だった。もっとも、前日、勉県を訪れ、武侯墓や勉县武侯祠へ参詣を済ませている。大きくは勉県は漢中市になる。○ちなみに、汉中旅游十大景点として、諸本では、次を挙げる。石门栈道、武侯祠、华阳古镇、黎坪国家森林公园、青木川古镇、南湖风景区、张良庙、紫柏山、拜将坛、古汉台。○ただ、これは一般的な汉中旅游十大景点であって、必ずしも、当古代文化研究所の求めるものとは、かなりかけ離れている。当古代文化研究所としては、
張良劉邦の幕僚のなかでは比較的まとも現在の漢民族の祖である「劉」氏は、無能な一族であった。漢の始祖:劉邦が最もビッグネームだが、ごろつきだったのを警官として利用されただけの才覚しかなく、項羽の相手になれるはずのないデクノボウだった。蜀の劉備も同様で、諸葛孔明が付かなくては、冴えない地方勢力に過ぎなかった。この諸葛孔明については、以前のブログで詳細に触れているので、簡単に書くが、彼は自分の名誉欲を実現するため、無能な劉備に仕え、結果として、
今や世界中のリーダーが愛読している『孫子の兵法』。この書こそ無駄な戦いを避ける極意の集大成だ。その中に、「敵の10倍の戦力であれば、敵を包囲すべきである。5倍の戦力であれば、敵軍を攻撃せよ」とある。戦いの場では相手の5倍の力がついて初めて好戦的になってもいい。勝ち目のない戦いには臨まず、圧倒的に勝てる態勢を作って、できたら戦わずに勝つのだ。これが実践されているのが、実は動物の世界である。彼らの世界では強い者が生き残るという考えがある。しかし、これは大きな間違いだ。正しくは、「
17日にチャイナに戻ってきました。18日の昼頃、テレビ講座を見たら何と!新しく始まった講座が、私が日本で3冊も読んだ南北朝時代の話!この方は南朝最初の宋の、初代皇帝です。何という奇遇!昼頃に義母のところに行く予定でしたが、まずはテレビを見させてもらいました。同じ南北朝時代の話でも、日本の3人の研究者の目の付け所も違ったけど、これがチャイナ人の研究者の講座となると、また着眼点が違うでしょうね。昨日は、この初代皇帝の出自について、どのように貧しかったか、長々と語られました。
支那人蓮舫—歴史観の根底にある中原の記憶と民主党政権の失政高山正之が、支那文明の系譜と漢民族の成り立ちを辿りつつ、蓮舫の「スーパー堤防は無駄」発言を歴史的背景と重ねて批判。中原の残酷史、始皇帝、隋・唐・元・清など異民族王朝との比較を通じ、現代政治の失政を鋭く指摘する必読の論考。支那人蓮舫…あの悪夢の民主党政権時代、蓮舫は200年に一度の大洪水を想定したスーパー堤防は無駄と称してカットした。2024年06月14日以下は、昨日発売された週刊新潮の掉尾を飾る高山正之の連載コラムからである。
古代中国の英雄たちの戦いを描く「項羽と劉邦」。この物語を単なる合戦譚だと思っていませんか?実は、彼らの熾烈な争いは、食事と食糧を巡るサバイバルでもありました。現代の私たちが「何を食べるか」で悩むのとは次元が違います。彼らにとって食事とは、命そのもの、あるいは天下を左右する「戦略物資」だったのです。今回は、史実に基づいた『項羽と劉邦』の「食」にまつわる笑えないほどリアルで、思わず拡散したくなる逸話7選をご紹介します。1.恩返しは現ナマ一千万円!?「一飯千金」の真実「一飯千金」という
少人数お見合いパーティーのシュガーポットミセスマキコのプラチナ相談室2025年の関西万博開催記念静嘉堂の重文・国宝・未来の国宝展へ国宝重要文化財重要美術品そして未来の国宝(?)がずらり。中でも一番気になったのが呂后斬戚夫人図則天武后、西太后と並び中国の3大悪女の一人にも数えられている呂后、劉邦の妻の物語であり、凄まじい狂気に満ちた絵。妾である戚夫人を牢獄に幽閉後、戚夫人の子供を毒殺。戚夫人を罪人たちに乱暴させ、四
「歴史は、勝者によって書かれる」これは、古より語り継がれてきた冷徹な真実です。敗者はその声を奪われ勝者は自らの正当性を証明するために過去を都合よく編纂します。しかし、もし、その勝者の記録の中に敗者の真実の声をそして、勝者自身の隠された罪を後世に伝えようとした者がいたとしたら。その人物こそ、歴史の父「司馬遷」です。彼は、絶対権力者である漢の武帝の監視下という絶望的な状況の中で歴史書『史記』を著しました。司馬遷は漢の武帝の太史令として宮廷史官を
11.劉備と劉邦劉邦(前漢の高祖)と項羽は、最初は秦を倒すためともに戦いますが、後に天下を争い勝利した劉邦が皇帝の座に就きます。劉備は劉勝(劉邦の曽孫)の末裔と称していますが、事実であれば劉邦の遠い子孫になります。劉備と呂布は、項羽と劉邦の争いより規模は小さいとはいえ、一時期徐州で共存し、後に争う関係になりました。今回はこの二組に関する歴史書の記述を確認します。(※1)(a)兄弟関係・呂布は兗州[エン州]で曹操に敗れ、劉備の下に身を寄せた時、呂布は劉備を弟と呼んだ。(『英雄記』から
さてこんかいは!秦の滅亡と漢の興亡になります。主に項羽と劉邦の戦いや三國志の時代へのつながりについて解説します目次秦の衰退項羽と劉邦前漢の興亡後漢の誕生と政治の腐敗秦の衰退中華統一を成し遂げた嬴政は皇帝を名乗る。中国では史上初めての皇帝だったため、始皇帝と呼ばれることとなった。その後、北方の匈奴への備えとして万里の長城の建設を指示した。また、儒教についての書を全て燃やさせ、儒家を生き埋めにする「焚書坑儒」という政策を行った。この頃より始皇帝は不老不死を追い求めるようにな
漢と唐―文と武の文明、徳と制度の均衡―強さと優しさを併せ持つリーダーシップ―漢武帝の朝議玉座に座る武帝と、忠臣たちが奏上する場面。「剣を抜く勇よりも、耳を傾ける徳を。」1.漢の興隆―文と武の両輪秦が滅び、劉邦によって建てられた「漢」は、中国史上初めて「文」と「武」の調和を実現した国家である。劉邦は庶民出身ながら人を使う天才であった。韓信の軍略、蕭何の行政、張良の知謀――それぞれの才能を信頼して任せ、天下を安定させた。💬教訓:「人を信じる者が、国を治める。」
こんばんは。アレテーを求めて~今日もトコトコ(・ω・)弁護士の岡本卓大です。アレテー放送局、『なぜ歌(・ω・)』のお時間となりました。【コウペンちゃんⒸるるてあ】【初めての方に自己紹介】『【まとめ記事】これまで歩んできた道』こんにちは。アレテーを求めて~今日もトコトコ(・ω・)弁護士の岡本卓大ですまとめ記事です。簡単に私の略歴も書いておきます。(略歴)1976年11月15日…ameblo.jp【アレテー法律事務所について】『アレテー法律事務所に
ピョートル大帝:なかなかの人物。中国の歴史家司馬遷は、時の皇帝:漢の武帝の逆鱗に触れ、男性性器を破壊されて子孫を残せない刑:宮刑に処せられた。この不運の根本原因は、小心者の武帝が司馬遷を恐れたことにあるだろう。「一際巨きな司馬遷という男の子孫は、きっと漢王朝を脅かすだろう、それなら、司馬遷の子孫を、孫子代々抹消すれば、漢王朝は安泰だ。」と漢の武帝はひそかに考えたのだ。陰険である。そもそも、漢の始祖である劉邦からにして、小物・無能だった。ライバルだった項羽が部下を大事にしな
【中国の歴史】古代から現代までをわかりやすく解説!中国の歴史について中国の歴史は非常に長く、広大な国土の中で多様な文明が興亡を繰り返してきました。その主要な流れを時代ごとに簡潔に解説します。1.先史時代から古代(紀元前1600年頃まで)黄河文明と長江文明:中国文明は、黄河流域の黄河文明と、長江流域の長江文明という2つの大きな文明から始まりました。黄河流域で栄えた黄河文明は、仰韶文化-紀元前5000年ごろ~紀元前2500年ごろ-彩陶文化竜山文化-紀元
4.武人としての姿呂布、項羽ともに同時代で最強の武勇(※1)を持つイメージが定着しており、大胆な創作でもない限り、諸葛亮の智謀や関羽の忠義のように切り離せない要素です。では、歴史書において両者は、武に関してどのように記述されているのでしょうか。(※2)(a)武勇・呂布は袁紹のもとで張燕を攻撃した際、成廉や魏越と共に敵陣に突進して撃ち破る。・項羽は、項梁が挙兵する直前に会稽守通(殷通)を訪問した際、殷通を殺害し、続けて百人近くの部下も一人で殺害した。・項羽は垓下の戦いで四方を囲まれたが、
呂布と項羽はともに、物語になる過程で最高の武勇(※1)を持つ人物に造形されたと考えられますが、歴史書を見比べると武勇以外にも多くの類似点があります。「正史三国志」および「史記」の記述を中心に、少々こじつけが過ぎる場合もありますが、両者の共通性を見出します。(※2)3.裏切りと主君の殺害三国志において裏切りと言えば呂布の代名詞のようなもので、まずはこの観点で確認します。(呂布)・丁原の配下だったが、董卓に誘われて殺害する。・丁原殺害後、董卓のもとに来て父子の契りを結ぶ。その後
リーダーに必要な五つの条件、これを全て保ち得たのはカエサルだけだったとは、かの大作ローマ人の歴史(塩野七生)の「カエサル編」冒頭部の有名な一節だが、、、イタリアンで普通に使われている高校の教科書にはこう書かれていると女史は書いていますが、女史の史伝には結構茶目な虚構があり、自分のカエサル評をあたかも....という気がしてならない。リーダーにとっての重要な資質が如何に具備されていたかの自説を長々と小説仕立てにしたというのがアタシの見立て。しかし、ローマ史の土地勘に乏しいからもう少し分かりやす
ここ2、3日の間、ちょうどこのあたりに停滞している前線のおかげで、いくぶん過ごしやすくなっています。気温は低め、でも、湿度は少し高いですかね。雨も落ち着いて、川の様子も静かなものです。おそらく、オイカワかカワムツの赤ちゃんの群れが、流れに沿ったり逆らったりして漂っています。今朝もまた、煙草を片手に、しばらく眺めていました。ときどき、掠めるように、すっぽんの赤ちゃんも見え隠れ……。教職員による盗撮事件やストーカー的殺人事件をニュースで見るたびに、情けなさを感じます。ま、ね。
石破総理が退陣を表明しました。それを知った時のわたくしの反応は・・・。嗚呼ッ!日本は、いまのアメリカのように、自らの運(うん)を、自らの手で投げ捨ててしまうのか!?っという思いです。ちなみに、現在のアメリカには、運がありません。このまま、ある時期までは、まぁ~、非常に長期間の可能性もありますが・・・。自らの手で自らの首を絞めるようなカタチで、下降線をたどっていくことでしょう。それとは反対に・・・。トランプには、運があります。っと言うか、
中国で初めて皇帝になったのは秦の始皇帝(しんしこうてい)で、紀元前221年に中国統一を成し遂げました。また、漢の初代皇帝は劉邦(りゅうほう)で、紀元前202年に中国を統一しました。【始皇帝】姓は嬴(えい)、名は政(せい)13歳の若さで秦の第6代王に即位諸侯が名乗っていた「王」に代わる尊称として「皇帝」の称号を考案自らを「始皇帝」と称し、中央集権・法治主義の国づくりを推し進めた重臣の李斯(りし)とともに大きな政治改革を実行した【劉邦】沛の出身で、廟号は高祖秦末に挙兵
昨日から、私、昼間の仕事で別部署に行きました。あまり、向いてない仕事です。ドラクエ3に言う「戦士」が珍重されるような仕事です。魔法は一切使えないけど、HPが随一の成長率で、重装備ができて、筋力が高く、黙って皆の盾となる、質実剛健、無駄口を叩くな、男は黙って実績出すんだ、お喋りしてる暇があったら、一個でも多く、重たい荷物を運べ、そんな感じの職場です。対し、私はどっちかと言うと、「勇者」のタイプ、つまり経営者のタイプなので、剣も使えば、盾も使い、魔法も使えば、宝箱も開けていく